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あなたと私で天の河

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あなたと私で天の河
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●光、音、いっぱい

 変装し、そっと七夕祭り会場を訪れた一行があった。
 そうそうたる顔ぶれである。
 その本名を知れば、震え上がる者もあるかもしれない。
「このような危険を冒す必要があるか、ですって?」
 その男は、笑った。
 意志の強そうな眉、形のよい顎、一見華奢だが、ぐっと締まった体つき。
 こういう男が笑むと、なんとも気持ちがいい。大空のようである。
「必要かということならわかりません。ただ、興味深い……それは事実です。それに、楽しいですしね、祭は」
 知識のためならば悪魔とでも手を結ぶ男――彼、東園寺 雄軒(とうえんじ・ゆうけん)をそう呼ぶ者がある。
 しかしそうだとしても、このときの雄軒の笑顔には邪気がなかった。
 彼は変装用にフレームの大きな眼鏡をかけ、髪も下ろしていた。トレードマークの顎髭まで剃っている。雄軒本人によれば「驚くほどすぐ生える」とのことなので問題はないのだろう。
 服装は普段通り和装だが、浴衣客の多いこのなかでは逆に目立たなかった。
 雄軒の横をゆくのは、思わず振り返らずにはいられないほどの美女である。
「コスプレするのはハロウィンと、相場が決まっているけれど、まあ、季節外れのハロウィンとでも思えば、仮装もとい変装も楽しいですよね」
 燃えるような赤毛だ。しかしこれは染めているのだ。水無月 睡蓮(みなづき・すいれん)、やはり彼女も、知識欲がしばしば道徳を凌駕してしまうタイプの人間である。『魔性の』と呼ばれても、彼女はそれを褒め言葉と受け取るだろう。
「今日は今日は荒事なしの方向でいきましょう。折角のイベントなんですから」
 睡蓮は連れを振り返った。
「もちろんだよ睡蓮……いや、すずかさん」
 すずか、というのは睡蓮の本日の偽名だ。そう呼びかける彼女はケイラ・ジェシータ(けいら・じぇしーた)、ケイラは要注意人物とみなされているわけではないので、そのままの服装と名前で来ている。
「で、ロー……ローラさんは、どうかな? 元気かな?」
 ケイラが振り返ったのは、背の高い少女だった。ざっと見ても180センチは軽く超えているだろう。
 可愛らしいオレンジ色の浴衣を着ていた。帯は黄色だ。
 やや子どもっぽい柄だが、顔のつくりが童顔なので違和感はない。
 肌は褐色、といってもそれほど濃いものではない。コーヒーではなくカフェオレの色に近い。
 長い黒髪は、お団子ヘアに結われている。
 笑えばきっと、南国美人と呼ばれそうなかおつきだが、彼女はその大柄な身をかがめるようにして、浮かぬ顔をしているのだった。
 人間に酷似しているが彼女は人間ではない。
 機晶姫、それも、戦闘方面に特化した機晶姫である。
 塵殺寺院のクランジΡ(ロー)なのだった。
「ローラちゃん、待ちに待ったお祭よ。ほら、光と音がいっぱい、楽しそうでしょう」
 彼女に寄り添い、呼びかけているのは一人のカリスマである。
 自分で『カリスマ』と名乗っているのだからそれでいいのだ。
 カリスマ、本当の名はミスティーア・シャルレント(みすてぃーあ・しゃるれんと)、彼女もまた、クランジΡ誘拐犯の一人なのであった。
 もっとも、凶悪な塵殺寺院や、自軍の利益しか考えていない(ように見える)シャンバラ教導団から彼女を『保護』したのだから誘拐というのはおかしいかもしれない。
「うん、光、音、いっぱい……」
 ぽそぽそとロー――今は偽名で『ローラ』――は言った。言われていることを繰り返しているだけで、あまり楽しそうではなかった。
「いっぱいなのは光と音だけじゃないぜェ。ほれ見ろ、会場のあちこちに、美人ちゃんがたーくさんいるじゃねェか」
 上機嫌なのはドゥムカ・ウェムカ(どぅむか・うぇむか)だ。といっても三メートルを超える巨人ではなく、全身甲冑を脱いで三十代後半の男とおいう素顔をさらしているため、誰も彼が雄軒の右腕(自称)、ドゥムカであるとは気づくまい。ぎっちり鍛え上げた筋肉が、ゆかたの袖や裾をパンパンに膨らませていた。
 誰も気づくまい、といえば、自他共に認める雄軒の守護神、バルト・ロドリクス(ばると・ろどりくす)の変化はもっと極端だ。
(「……だから我は嫌なのだ。鎧を外すなど、不要なのだが……仕方、あるまい」)
 口には出さねど、バルトはそう思っているようである。
 茶色がかった緋の髪、若干筋肉質だがドゥムカ・ウェムカのようなボディビルダーなみの姿ではなく、アスリートによく見られるしなやかな肉の付き方である。クランジΡほどではないが背も高い。シャープなルックスは雑誌のファッションモデル向きの整い方をしていた。これが、バルトの正体なのだ。
 鎧を着ていないバルトは落ち着かないようで、雄軒とローを守るように歩きながらも、なんとなくそわそわとしていた。
「!」
 バルトは身構えた。こちらに走ってくる者がある。
「あ、な、なんでしょうか!? 雄軒に気づいたとかっ!? あるいはク、クランジに……!」
 ケイラのパートナー、ロジエ・ヴィオーラ・バカラ(ろじえ・う゛ぃおーらばから)は震え上がった。動揺のせいか、言ってはいけない言葉をぽろぽろと口にしている。
「……」
 鉄 九頭切丸(くろがね・くずきりまる)が身構える気配があった。九頭切丸はなんら変装していないが、黒いボディを夜の闇に紛れ込ませるようにしている。
「落ち着いて下さい。恐れる必要はなさそうですよ」
 雄軒は落ち着いて道を開けた。
「ただの女の子だろうね」
 と言ったのはドヴォルザーク作曲 ピアノ三重奏曲第四番(どう゛ぉるざーくさっきょく・ぴあのとりおだいよんばんほたんちょう)だった。ちなみに彼女も通称は『ドゥムカ』である。
 一行は道を開けた。
 泣きながら、ジーナ・フロイラインが駆け抜けていった。
「別れ話でもされたんだろうか?」
 少女のほうのドゥムカが言う。
「うーん、なんとなくだけど、驚くことがあった、って感じに見えたね。びっくりして泣いちゃったといったところじゃないかな。だから、悪いこととは限らないよ」
 良い結果になればいいんだけどね、と、ジーナの背を見送りながらケイラは言った。
「あの子……」
 ジーナの背が見えなくなっても、ローはずっと、その方角を見つめていた。
「……」
 捕獲されてからずっと、ローはこの調子だった。最初こそ暴れがちで、そのたびにアルコールを吹きかけるなどして昏睡させてきたものの、やがてあきらめたのか、今度は意気消沈するだけになってしまった。
 ローは捕獲直後、自爆装置や通信装置の類を教導団のメンバーに抜き取られていた。ローにとってはそれが不幸だったといえよう。死ぬに死ねず、救援を呼ぶこともできない。無論、雄軒たちからすればそれは幸いだったのだが。
 ローをこの祭に連れてきたのも、皆で話し合い、彼女の気を晴らそうと考えたためだった。
 今のところ効果は薄そうだが。
「謝っておかないといけないですね……」
 睡蓮はそっと、ローに顔を寄せた。
「本当ならΠ(パイ)も連れてくるつもりだったんですが、結局上手く行かず……こうやって一緒にお祭を楽しめたらよかったんですけどね」
「ううん。でも」
 ローは、静かに首を振った。
「もし、教導団、捕まってたら、もっと、あのユプシロンみたいな目、遭ってた、思う。さらし者にされたり、拷問されたり」
 睡蓮とてある程度、教導団の情報は知っている。実際はそこまで酷い扱いではないということも。
 迷ったが、そのことは告げずにおいた。
 むしろ、ローがこれだけ話すようになったことの意義の方が大きい。そこで睡蓮は、知りたかった情報を切り出したのである。
「そういえば、他のお友達……つまりクランジですね……や、生みの親についてはなにかご存知だったりしますか? いえ……パイのこともありますし、やっぱり皆を探し出して、会わせてあげたいとは思いますから」
「Λ(ラムダ)、Κ(カッパ)、怖い。仲良くしたくない。いずれどっちか、ワタシを、殺し来る。タイプI(ワン)以上、知らない」
「その、ラムダとかカッパという方は、どんな能力を持っているんです……?」
「残酷……」
「残酷?」
「Ξ(クシー)首、蜘蛛に取り付けたの、どちらか」
「技術者でもあるということですかね」
 雄軒も身を乗り出したが、ローは、
「怖い……」
 と震えただけだった。見ていることに堪えられず、ミスティーアがローを抱きしめた。
「大丈夫よ。カリスマたる私がついてるわ! その、かっぱ巻きだかラムソーダだかになんて、絶対に手出しなんかさせないから!」
「うん、ミスティ……」
 ローはしゃがみこみ、ミスティーアの胸に顔を埋めた。いつの間にかローは、ミスティーアを愛称で『ミスティ』と呼ぶようになっていた。
 雄軒は顎に手を当て、そこに髭がないことに違和感を感じた。
 それでも、さすりながら考える。
(「ローとて実力ではかなりのレベルです。それがあれだけ怖がる……? 単なる力だけの相手ではないようですね。彼女の頭を解剖して記憶装置を取り出し、調査したいところですが……」)
 それをやったら、ミスティーアは決して彼を許さないだろう。
 ならば仕方がない。少しずつ、探るとしよう。