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リアクション
盛夏祭の気配を感じながら
8月5日夕暮れ時。
薄っすらとかかった雲のせいか、あたりはオレンジ色の紗がかかったようになっていた。
その分、暑さはやわらいだが夜になるにつれ雨の気配が濃くなっていくように思えて仕方がない。
それでも、空京にあるこの大型結婚式場は、ルペルカリア盛夏祭を楽しみに来た人達で賑わっていた。
そんな彼らに少しでも多く愛の女神の加護をと、来訪者に天然石をあしらった指輪を渡している真城 直(ましろ・すなお)。
彼の抱える籠から自分で気に入った指輪を選ぶ人もいれば、恋人に選んでもらう人もいる。
ごく稀にだが、直に選んでほしいという人もいた。
三井 静(みつい・せい)もその一人で、三井 藍(みつい・あお)に誘われて来たはいいが、どの指輪にしたらいいのか迷いに迷っている。
藍のほうは特に迷う様子もなくショールトルマリンのを選び、人差し指に通していた。
直は仮面の向こうの瞳をやわらげると、悩む静に各指輪の石にまつわる効果を簡単に説明した。
「……後は、どの指につけるかで相乗効果が期待できる──かもしれない」
茶目っ気たっぷりに最後に付け足された台詞に、静の口元にようやく笑みが浮かぶ。
「どうしても決まらないなら僕が選ぼうか? うん……これはどうかな?」
籠をあさり、直が静に差し出したのはハウライト。全体的に白い石だ。
受け取ろうとした静だが、しかし指輪は彼の手をすり抜けて、傍らでずっと様子を見ていた藍へ。
「ここには静かでゆったりした庭もあるよ」
二人を見て、賑やかなところは好まないかもしれないと思った直は、少しお節介をやいてみた。
それに藍が黙って頷き、静を促して歩き出す。
急いで藍についていく静だったが、ふと振り向いて直にお辞儀をし、また慌しく藍を追っていった。
藍がここに静を誘ったのは、このお祭りが平和そうだったから。
もし、荒っぽいお祭りだったら、出かけようなどとは言わなかっただろう。
二人は今、広々としたヨーロッパ風の庭園のベンチに並んで座っている。
時折吹く風が心地良い。
この庭を見つけた藍にお礼を言いたかった静だが、いい言葉が見つからない。
ちらりと隣を見やれば、いつも通りどことなく睨んでいる感じの藍。けれど静は、それが不機嫌によるものではないことを知っているし、口数が少ないのも静といるのが退屈だからというわけではないこともわかっている。
でも、もしかしたら本当は心の底で……。
普段なら、ここでマイナスの方向に向かいがちな思考も、何故か今は落ち着いていて。
この庭園を見つける前、藍が指にさしてくれた指輪にそっと触れる。
小指用のそれは、不思議と指になじんでいた。
周りに人も少ないせいか、とても静かだった。
静かで、夕暮れのゆるやかな日差しと涼しいそよ風が眠気を誘う。
──たとえ、自分の願望でできたパートナーだったとしても、何よりも大切に思っているよ。
静にとって、藍の隣はとても安心できてどこよりも安全場所であった。
同時に、ここに来てからずっと気になっていることがある。
(主にカップル向けのお祭りって知ってて誘ってくれたのかな?)
聞きたいのに、睡魔のほうが勝ってしまった。
ふと感じた重みに藍はそちらを窺うと、静が気持ち良さそうに寝息をたてていた。
盛夏祭は規模のわりに訪問者は騒がしくないので、静かな場所ならなおさら眠くなってしまうのも頷ける。
(カップルが多いのが気になったが、祭りなんてそんなもんだろう)
一人納得すると、藍は眠りこけるパートナーにそっと声をかけた。
「おい、風邪ひくぞ」
声をかけても起きる気配はなし。もっとも、本気で起こそうという声の大きさではなかったが。
「楽しかったか……?」
『外』の世界を怖がり、閉じこもりがちな静に少しでも楽しんでほしくて連れ出したが、もし頷いてくれたらこんなに嬉しいことはない──返事を求める相手は眠っているけれど。
しかし、その寝顔はとても穏やかだから、心配することは何もないと思えた。
自分は静のためにここにいる。それは本能に近いもので。
静の願いなら何でも叶えてあげたい。
そのためにグラップラーの修行も始めた。
他にも必要と思えばどんな技術でも身につけたい。
だから何でも言ってくれと、藍は思うのだった。
会場内をエリオ・アルファイ(えりお・あるふぁい)と共にゆったりと歩くルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)。
「すっきり晴れていないのが残念だね。今日見る天の川は格別なんだが」
「織姫と夏彦からすれば、野暮な真似はするなってところかな」
不安定な天気を惜しむルドルフに、エリオが薄く笑って返す。
その内容に、ルドルフは珍しいものを見たように立ち止まった。
遅れて足を止めたエリオへ、ルドルフはからかうように口の端をあげる。
「おや。お堅い君も、ようやく恋人同士の心の機微というものが理解できるようになったようだな。その調子で短冊に何か書いてみたらどうだい?」
「……俺の心は石ころというわけじゃないんだけど」
拗ねたような目をするエリオへ小さく謝罪し、ルドルフは散歩を再開する。
と、そこに、ルドルフを探していたのかやや足早にヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)が近づいてきた。
「こちらにいらっしゃいましたか──ルドルフ校長」
話し方や呼ばれ方が変わったからといって感情まで変わったとは限らない……限らないが、ルドルフの纏う空気がわずかに硬くなる。
エリオも、ヴィナがどういうつもりなのかわからず、黙って二人を見守るしかなかった。
ヴィナは、これは今までと変わらない落ち着いた微笑みで、ルドルフを天体観測に誘った。
「急な校長就任でお疲れでしょう。今日くらい息を抜いてはどうですか? よかったら俺も一緒できたら嬉しいですけれど、お一人でゆっくりなさりたいようでしたら、ちょうど良い場所へご案内しましょう」
「今夜の星空はさぞ見ごたえがあるだろうと思うが……あいにくの空模様だ、せっかく良い場所へ案内してくれても、天気が意地悪をしそうだな。それに、もうじき始まる式の参列に呼ばれているんだ。わざわざ探して来てくれたのに申し訳ないが……」
「ああ、いいえ。気にしないでください」
言って、ヴィナは苦笑する。
この人は、本当に人から慕われているのだな、と。
もちろん自分もその一人で、そうしていつも見ているからこそ心配していた。
とても勤勉な性格の人だから、新たなイエニチェリが決まるまで全て一人で抱え込んでしまうのではないかと。
行き詰ってしまう前に彼を助ける存在は自分でありたい。
ヴィナは、そう思っている。
それを面と向かって言うのは、誇り高いルドルフを傷つけてしまうから言わないけれど。
そんなことを考えていると、ところでとルドルフが話し出した。
「何かあったのか? 君にそんな態度をとらせるようなこと、何かしたかな」
変わってしまったヴィナの態度。
彼の表情から嫌われたわけではないということはわかるが、居心地が悪いのは否めない。
戸惑うルドルフに、ヴィナは何かを堪えるような笑みで答えた。
「わきまえるべきところをわきまえなければ、示しがつかないでしょう? 俺は一般生徒ですよ」
そんなこと、と言ってしまえばそれまでだが、ヴィナのように学生の頃からルドルフと付き合いのある者達ならともかく、新入生の目には無礼な態度と映ってしまうかもしれない。
その気遣いにルドルフは自嘲じみた吐息をもらした。
「僕はまだまだ校長としての自覚が足りないようだ。だが、これまでと同じ態度でいてくれると嬉しいのだが?」
親しい相手と堅苦しい態度で話すのは肩が凝る、とまでは言わないが、ルドルフの雰囲気はそう語っていた。
それにヴィナのこの誠実な姿勢は、そうしてくれることを望むには充分だった。
そして、ルドルフのほうからそう言ってくれたことで、ようやくヴィナも態度をゆるめる。
彼とて、恋愛感情を抱いている相手とよそよそしい話し方で接したいわけではないのだ。
ホッとしたルドルフは、一度空模様を見てからヴィナの最初の誘いに改めて返事をした。
「もしこれから雲が晴れたら、もう一度来てくれないか? 星を見よう」
「了解。その時は一番良く見える場所へ招待するよ」
約束しあい、二人はいったん別れた。
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