リアクション
● 道化師は笑っていた。 「あらよっと」 彼女がひょいと投げたトランプは、まるで散った花弁のようにひらひら舞う。その雄大な舞いに、目の前にいた客は驚く。だが、道化師が舞ったトランプの中から掴み取った一枚の絵柄を見て、客はそれ以上の驚嘆の声をあげた。 「どーだい、これがあんたの選んだ一枚だろ?」 「おおおぉぉ……」 道化師の名は、ナガン ウェルロッド(ながん・うぇるろっど)といった。女性の身でありながら、気紛れで飄然とした道化の人形を演じる彼女は、その後も様々なマジックを披露する。 当初はおかしな奴が路上でなにか始めやがった――と、訝しんだ顔をしていた街の住人も、そのマジックの腕前に次第に心を許していった。ある意味で、アムトーシスではそいつが何者なのかは関係ない。『芸術』に興味がある者ならば、他人であっても進んで受け入れてくれる気質があるのだ。 「なかなかいい衣装だろ?」 マジック以外にも、ナガンは自分のご自慢の道化衣装を見せびらかす。そんなことをされては、アムトーシスの住民の職人気質が騒ぐというもの。住民たちはそれぞれに自分のご自慢の衣装をもってきて己が作品をアピールした。 ついでに――その場で衣装の買い付けを行うのは、彼らが職人として生計を立てているためか。 面白い現象だな……と、ナガンは薄くほほ笑んだ。 ところで、彼女は何処に行ったのか? きょろきょろとあたりを見回すナガン。その視線がある一点で止まった。 「どうやったら悪魔になれるのー?」 「どうやったらって……そんなん知るわけないだろー。むむっ……ていうか、そんなことを聞くなんて、おまえ、人間か?」 「人間じゃないです〜夢魔です〜」 「……夢魔ってなんだ?」 「……さあ?」 「お前も分かってないのかよ!?」 きょとんとした表情で魔族の青年にツッコまれていたのは、パートナーのビスク ドール(びすく・どーる)だ。どうやらナガンに言われた『悪魔って夢魔より強いんだろ? 悪魔になれるように頑張ってみろよ』という言葉を鵜呑みにしたらしく、必死こいて魔族たちに悪魔になれる方法を聞いている。 まあ、また同じ道化の格好をしているだけあって、ナガンの仲間だと思われているのが幸いか。犬やジャガーなどのペットを傍に引き連れたまま、魔族の青年と漫才らしき掛け合いをしている彼女を、ナガンはとりあえず見守っておくことにした。 (それにしても……) 気になることを、先ほどのトランプマジックの客に聞く。 「この辺の連中は、戦争にはみんな関心がないのか?」 「あー……あんた、そういや旅芸人だったな。……このアムトーシスの街の住民は、『芸術』に没頭している連中が多いからね。街を治めてるアムドゥスキアス様が戦うっていうなら、そりゃあ戦う覚悟はあるけども……正直言うと、そんなことせずに平穏に暮らしていきたいんだよ、みんな」 そう言って苦笑する男。彼は続けた。 「ま、それはきっとアムドゥスキアス様だって同じことさ。あの人は昔っから戦争があんまり好きじゃない。『芸術』に没頭して生きていくのが何より嬉しいんだよ、多分。そんなあの人だからこそ、ここにはそんな芸術家たちが集まってくる。…………それでもあの人が、たぐいまれな魔神としての力を持っているのは、皮肉なもんかもしれないけどね」 きっとこの街の者たちは、アムドゥスキアスのことが好きなのだろう。 ナガンはそんな気がした。 (ヒトも魔族も、そんなに変わりゃしないのかもしれないな) そして道化師は、誰の表情でもない道化の微笑を浮かべた。 ● 運河を渡るゴンドラに揺られながら、レイカ・スオウ(れいか・すおう)は考えていた。 なんでも噂によると、黒騎士の鎧を着た旅人が街にやって来たらしい。 ――シャムスだ。 もともと、南カナン軍がこのアムトーシスの街にやってくるということは聞いていた。彼女がどのような行動をとるかは懸念していたところだったが、結果的には彼女もまたアムトーシスを『知ろう』と歩み出したのだろう。 それは、レイカも同じことだった。 静かに揺れる水面を見ながら、彼女は思い起こす。シャムスたちが来るよりも先にアムトーシスにたどり着いた彼女は、魔族たちに話を聞いていた。 曰くそれは――彼らがこの戦争をどう思っているか? 魔族の青年は彼女にこう答えた。 『戦いねぇ……まあ、俺たちだって魔族だ。そりゃ、もちろんアムドゥスキアス様が戦うってならそれに従うだろうけどよ。でも……戦わないで済むなら、それに越したことはねぇよな』 芸術家の壮年は答えた。 『アムトーシスは俺たちの街だ。地上の連中に恨みはないけどな……この街の芸術品を潰そうってなら、俺たちも打って出るぜ? 俺たちにだって譲れないものはある。そいつは、地上の連中も俺たちも、同じことだろ?』 記憶の中で言葉は渦巻く。ぐるぐると回り、レイカを悩ませる。 もしかしたらアムドゥスキアスは、本当は戦いたくなかったのだろうか? 地上で見た彼のことを思って、そんなことも思った。無論、それは不確かで、単なる予想でしかない。しかし望むべくは……血を見ないことだ。 レイカは、水面に浮かんだ自分の顔を見つめる。まるで意思を確かめるように軽く頷くと、彼女は前を見た。 ゴンドラはもうすぐ目的の場所に着くころだった。たしか、ここから階段を上がっていけば、辿りつくはずだ。 岸辺に着いて、レイカはゴンドラから降りた。 「ありがとうございました」 「いえいえ…………あ、そうだお嬢さん」 「はい?」 「無理は禁物だよ。たまには趣味に身を投じて、時を忘れてみるのもいいんじゃないかね?」 そう言って、ゴンドラの主人はピンッ、と指先で何かを弾いた。レイカは胸元に飛んできたそれを慌ててキャッチする。それは、アムトーシスの街の風景が彫られた一枚のメダルだった。 「これは……?」 「俺のお手製のメダルだ。そいつを作ってるときは幸せなもんさ。そんなときは誰とだって仲良くなれる。そんな気がするね」 ゴンドラの主人は笑ってそう言い残すと、運河を渡って去っていった。 ――幸せな時間。 それを壊してしまうこともまた、彼女たちには可能性としてある。レイカには、それがひどく哀しいことのように思えて仕方なかった。 ゴンドラの主人が去った運河から身を翻して、彼女は階段をのぼりはじめた。 目指すは一軒の宿屋。南カナンの領主――シャムスが寝泊まりしているという、宿だった。 |
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