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●総合格闘技トーナメント大会(4)

 一回戦最終試合は武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)と、飛び入りという蒼学生クリス・シャーウッドの闘いとなった。
 といってもこのクリスという青年は、割合ハンサムだが肉の付き方が格闘家のそれではない。せいぜい男性モデルがボクサーのポーズをしているようにしか思えなかった。
 クリスは手数こそ多かれど、その攻撃はいちいち稚拙だ。パンチは迅いが軽い。ポーズが独特すぎて、毎回「これから殴りますよ」と宣言してから拳を出しているようなものだ。位置取りも完全に牙竜の影響下に入ってしまっている。牙竜ならば目を閉じていてもよけられそうである。
(「ある程度喧嘩慣れはしているようだが、正直、実力不足だな……」)
 牙竜は攻撃をかわし、受け流しつつ内心溜息をついていた。まともにやれば数秒で倒せる相手だ。圧倒的実力差を見せつけて叩きのめすのも薬になっていいかもしれないが、わざわざ相手に恥をかかせる必要もないだろう。
「牙竜……」
 セコンドの龍ヶ崎 灯(りゅうがさき・あかり)も同意見らしく、「やりすぎないで」という視線で牙竜を見ていた。
「わかっている」
 と、彼女に告げ、これまで防戦一方に見えた牙竜が出し抜けに動いた。
「えっ!?」
 クリスは息を呑んだ。
 牙竜は彼のタックルを受ける振りをして、鋭い足払いをかけて転倒させたのだ。
 クリスは勢い余って場外に突っ込んでしまった。これなら怪我ひとつないし、「運悪く転んでリングアウトになった」という名目も立つはずだ。
(「こんなものだろう」)
 ヴァーナーからの勝者宣言、そして観客の祝福を受けつつ牙竜は息をついた。汗ひとつかいていなかった。

 わずかなインターバルを置き、つづいて準決勝へと移行する。

 準決勝第一試合はイングリット・ネルソンとマリカ・メリュジーヌのカードだ
 両者の名前が読み上げられるや、大会開始時より明らかに増えた観衆は大きな歓声をあげた。
 イングリットは閑かに歩み来る。
 それ以上に音もなく、マリカもマットに乗った。
「さぁて、期せずして百合園同士のカードになりましたね」
 マリカの耳に唇を寄せ、セコンドの崩城亜璃珠はくすくすと笑った。
「マリカ、あなたには事前に私が指示した通りに戦ってもらうわ。だからあなたが負けてもそれは作戦負け、私の責任ね」
「ご主人様の仰せのままに……」
 やや潤んだ目でマリカは告げた。彼女が亜璃珠の言いなりになって行動するのは普段通りだから、あまりそのことにこだわったり悲しんだりしてはいない。ただ、マリカにはこういう幸薄い表情がいつの間にかしみついてしまっているだけなのだ。
「あなたは、イングリットの力を測るつもりでいってらっしゃい。私は知りたいの、あの子を。この闘いは私と、あの子の会話のようなもの……いい声を聞かせてもらってきてね」
 それだけ告げて、亜璃珠はマリカの耳朶を優しく噛んだ。
 亜璃珠の目は、掌中の玉を見るような視線と化している。
(「あの子が自分の戦いしかできないのであれば、なんとなく勝敗は見えますわ。何のために力を振るうかは、そのまま対応力に直結するもの……是が非でも勝ちをとるか、特定の型に執着しすぎるか。失望したくはないものね」)
「私の期待に応えて頂戴ね、イングリット」
 亜璃珠は呟いた。
 試合開始の銅鑼が鳴った。
 マリカの目はイングリットの足元を捉えている。その軸足を、見極めんとする。
「参ります!」
 イングリットの切り揃えられた前髪が、一瞬、浮かんだ。
 惚れ惚れするような掌底。マリカは咄嗟にガードしたが手が痺れた。
 ローキック、コンパスで描いたような綺麗な円をイングリットの足が描く。
「せいっ!」
 さらにイングリットはタックルに来た。強引に組んで投げ技を狙うか……!
 ふわりとマリカの身体が浮いた。ずんと背中から叩きつけられる。いわゆる一本背負い。
 柔道ならここでマリカの負けが決定だ。しかしこれは無差別格闘、
(「バリツならば、ここでマウントを取りに来る……!」)
 咄嗟の判断でマリカは転がり、間一髪で難を避けた。イングリットの腕を逃れ立ち上がった。
 今までのイングリットの攻撃は、まだこちらの力量を見るためのデモンストレーションに過ぎまい。
 そんな気配が感じられた。逃れるのが楽すぎたから。
(「一回戦とは違って、最初から全開ではないというわけですか……あの、七刀という選手に何か教えられたのかもしれませんね」)
 だがそれだけにマリカは怖さも感じた。
 次、イングリットのほうから当て技ないしタックル、あるいは組み技にくれば、今度は全力で来るかもしれない。
 ならば迷うことはない。
 こちらから、攻めるまで。
 イングリットが腰を落としたのを見るや、より姿勢を下げてマリカは突進した。
 掴みに行く、と思わせてフェイント、マリカの長く魅力的な右脚は、ぐんと飛躍してイングリットの軸足、すなわち軽く引いた左足を狙ったのだ。
 戦いに特定の「型」が存在するのなら――これがマリカの出した結論――その機能を阻害するのが肝要。
 バリツの根本である投げ技……蹴り技も含め、一連の動作には軸足が非常に重要とマリカは読んだ。
 このとき100分の1秒にも満たぬ時間でイングリットは、マリカの認識に追いついていた。
(「心は熱く、頭は冷静に……師匠の言葉!」)
 七刀切と闘う前のイングリットであれば、焦って跳び上がったり、体勢を取り直そうとしたことだろう。
 跳べば、宙に浮いた無防備な状態でマリカから、追い打ちの正拳、蹴り、あるいは掴みで好きに料理されたに違いない。
 体勢を取り直そうにも、虚を突かれた格好でそうそううまくできるものではない。むしろ逆効果に終わったはずだ。
 だがイングリットは正反対の行動に出た。
 蹴らせたのだ。
 もちろん軸足を。
 バランスを失って倒れて、自分より低い位置にあるマリカに覆い被さった。
 そして万力のような力でマリカに絡みついたのである。
 そのままグラウンド戦となった。
 逃れんとするマリカ、
 捕まえて絞めを狙うイングリット、
 その様、絡み合う二匹の軟体動物のよう。
 イングリットの長い髪が解け、マリカの髪と絡まった。
 イングリットの髪は桃色、マリカは暗い赤。ふたつの肉が混ぜられているようにも見える。
 剥き出しの腿と腿が触れあう。そして擦れあう。くんずほぐれつ、二人は指でも争った。押しのけようとし、捕まえようとした。
 はあはあという互いの息づかい、体温を感じながら、二人の少女はベッドで愛をかわすかのごとくもつれ合うのだ。一瞬でも気を抜けば終わりだ。打撃戦とは違う。濃縮された寝技の応酬は一見地味だが、息詰まるほどの緊張に満ちていた。
 瞬時、マリカが上になった。
 だが最初からグラウンド戦を狙っていたイングリットが、たちまちこれをひっくり返した。
 イングリットの柔道着がはだけ白いTシャツが現れた。それをぐいとマリカがつかんで、ついに下着までが白日の下にさらされた。
 だがイングリットは気にしなかった。汗でぐっしょりになりながら、マリカを組み伏せるべくがぶった。ブラの紐が濡れ、布生地までもが汗をかいているようになる。
 本来、バリツの試合でもここまではしない。タイムアウトになる。だがこの試合にそんなルールはないのだ。イングリットは疑念すら抱かなかった。もはやイングリットは、バリツの使い手にとどまらぬ戦士なのだ。
(「投げと蹴りだけ攻略すれば勝機はあるかと思っていましたのに……」)
 マリカは奥歯を噛みしめた。
 イングリットはバリツを極めたいのではない。強さを極めたいのだ。
(「そうなれば雑念の多い私が、不利……」)
 と思ったそのとき、マリカの身はグイと起こされ、マットの上に座らされていた。
 粘着質の寝技でついにマリカの背後をとったイングリットが、腕を首に巻き付けてくるのが判った。
 裸締め。バックチョークだ。基本的ながら完成度の高い技である。
 必死でマリカは抵抗したが、イングリットの腕は巌のように動かない。
 極まった。
 息が詰まる。このままでは、頸動脈が締まって『落ちる』のは時間の問題だ。
 視界が紅白に明滅しはじめた。そのときマリカの目に、亜璃珠が微笑んでいるのが見えた。目の前にいるかのように近くで。
(「ご主人様……こんなに近く……? あっ」)
 亜璃珠はリングに踏み込んでいた。そして、マリカの敗北を宣言したのである。
 しかそれをマリカが知ることはなかった。すでに彼女は意識を失っていたからだ。

 亜璃珠はマリカに活を入れ、意識を取り戻させた。
「あの子、特定の型に執着しているのかと思いきや、あなどれませんわね」
 彼女を立ち上がらせながら、亜璃珠はどこか満足げに言った。
「ご主人様……申し訳ありません……」
「マリカ、なぜ謝るの? 最初に言った通り、この敗戦は私の責任。だけどいい試合でしたわ」
 亜璃珠の口元には満ち足りたものが浮かんでいた。『いい試合』と言ったのは決して世辞ではないのだ。
 マリカが復したのを確認すると、手を放して亜璃珠は笑った。
「大会なら最後まで私が見届けておきます。マリカは少し休みなさい。さ、こんなところで悶々としていないで皆と一緒にカレーの一杯でも食べてくるといいわ」