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リアクション
●総合格闘技トーナメント大会(1)
野点が、文化の学舎(まなびや)としての百合園女学院を象徴するものだとすれば、こちらはまるで異種、その靱(つよ)さを象徴するものであろう。
総合格闘技トーナメント大会。
百合園女学院生イングリット・ネルソン(いんぐりっと・ねるそん)が提唱し、このほど実現の運びとなったものだ。
素手での戦い限定。頭部への拳ないし蹴り攻撃、目突きを含む急所攻撃は禁止とされている。
だが、逆に言えば制限はそれくらいだ。
男女体重階級の区別は一切ない。
倒れた相手への攻撃は有効。絞め技、関節技もすべて有効。
プロレスにおけるフォールや、柔道における一本の類は存在しない。
相手がギブアップするか、気絶などの形で戦闘不能と判断されれば終了という、いたってシンプルな世界だった。
一辺が六メートルの正方形に仕切られたマットのみがフィールドとなるので、ロープブレイクの類は当然存在しない。しかし一方で、このリングから出てしまえばリングアウトということも決められた。
リングサイドには多くの観客が詰め寄せていた。外部の人間も多いが、百合園女学院の生徒の姿も少なくない。彼女らも、『闘い』に対し血潮を熱くしているのだ。実際、この学校は柔道の強豪校でもある。文化の学舎であることと、靱さを求めること、それは矛盾しない。
客席は沸いている。一種、異様なほどの興奮に包まれている。
すでにその、第一回戦第一試合は始まっていた。
事前の抽選で決定されたカードは、イングリット対七刀 切(しちとう・きり)。
ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)は志願して、大会の進行役を務めていた。
それはレフェリー役を果たすという意味もある。
「はわわ、すごいですよ〜。イングリットおねえちゃんもすごいし、切おにいちゃんもすごいんですよ〜」
しかしそのヴァーナー自身、息を呑んでいた。闘う二人の間に入り込めないでいた。
それほどに激しい攻防であったから。
打つ。
打つ。
打つ打つ打つ打つ。
蹴る。
そしてまた打つ。
嵐のような攻めだ。息つく間もなく攻めまくる。
だが、攻めているのはほぼすべてイングリットなのだった。
イングリットが習得する格闘技の名は『バリツ』。あえていうなら柔道の親戚たる格闘技だ。なぜなら柔道もバリツも、大きな意味では『柔術』の一派だからである。投げて仕留める格闘技、という意味では共通している。
しかし、スポーツや教育、精神修養の意味も大きい『柔道』とは『バリツ』は違う。その意味合いからして違う。
ある説によれば『バリツ』は、柔術発祥の地日本から遠く離れた西洋の地、イギリスで発展した格闘技だという。
帝国主義の時代、覇者として世界中に植民地を持っていた大英帝国だが、逆に言うならば、当時の英国紳士は世界中で危険にさらされていたということになる。あらゆる世界で未知の人種から攻撃されたときでも対応できるよう、英国人たちは徹底した護身術を学ぶ必要が生じた。
そのとき、日本から渡英したTなる人物が紹介したのが柔術だというのだ。柔よく剛を制すという。素手で、しかも小兵でも大男を倒せる柔術は一部に熱狂的な支持者を獲得した。
Tの柔術はやがて、帝国の拡大政策と呼応するように、護身を目的とした防衛的なものから攻撃的戦闘的なスタイルへと進化を遂げていった。言葉も通じぬ異国の地の戦士が、投げ飛ばされただけで降参するか? 否。腕を折る、あるいは、絞め技で落とさねば負けを認めまい……というわけだ。
ゆえにTの柔術は、組み手に入る前の過程、すなわち蹴りと掌底による『当てる』攻撃を有効とした。また、綺麗に投げたところで『技あり』程度の評価しか得られない。それよりも投げた後、グラウンドの相手をいかに効率的に戦闘不能にするかに高い有効性を認めている。したがってこの柔術では投げ技よりも、転ばせた相手に跨り、俗に言うマウントポジションを取って集中攻撃を行うことに重点を置く。同じ理由から、絞め技、関節技についてのバリエーションも柔道を凌駕している。
いつしかTは自身の柔術から『柔』という文字を取り去り、これを単に『武術』と称するようになった。『ブジュツ』が訛って『ブリュツ』、そして『バリツ』へと変化したというわけだ。
――と、いうのはあくまでひとつの説なので、読者よまともに信じないでほしい。
閑話休題。
そのバリツ流の掌底の連打、加えて基本は下段、ときに中段を混ぜた蹴りでイングリットは激しく切りを攻めていた。
あまりの疾さ、手数の多さに、その残像が見えるほどだ。
なのに切はこれをほとんど喰らわない。かわすか、右の掌底には左手、左の掌底には右手で、内側から外側に流すように対抗打を放って受け流した。
蹴りもまず、ガードする。リズミカルに膝を上げてダメージを受けなかった。
無論、まったく喰らわないというわけにはいかない。
だが体勢を崩されたときは崩された状態に逆らわず、足を相手の足に引っかけてまとめて体勢を崩し、攻撃を受ける前に立て直す。こうすれば勝負はすぐに振り出しに戻るのだ。
イングリットの狙いを、切はとうに見抜いていた。
組みたいのだ。たとえば右の掌底が入れば、左手で切の襟なり腕なりを掴み、柔道で言う大外刈りのような投げを使って切を転ばせ関節技に行く……あるいはダイレクトに絞め技を狙うのだろう。蹴りであろうと同じこと、得意パターンに持ち込むためのいわば『前戯』だ。
ゆえに切としては、得意パターンへの道標をイングリットに与えず、逆に彼女が焦るのを待った。
そのための専守防衛だ。これは待ちなのだ。
(「といっても、いつまで待てるか、ということは考えてないけどねぇ」)
時折、予想外にいい打撃が来る。うっかりイングリットのパターンに持って行かれることもありえる。思った以上に彼女にはスタミナがあった。
転機は、しかしすぐに来た。
切が踏み込みを誤ったのだ。
「せあっ!」
瞬間、イングリットの左の掌底が豹のように彼の肩を撃つ。
ぱぁん、と乾いた音がしたと同時に、彼女の右手は鋭い軌道を描いて切の襟首を、
掴めなかった。
「イングリットさん、焦れたねぇ」
ふっと切の口元に笑みが浮かんだ。
イングリットの右は、決定的になるはずだった右の掴みが、あまりに大振りだったのを切は瞬時に見抜いていたのである。
即座、彼は腰を回し正拳突きをイングリットの水月に撃ち込んだ。
彼女にとっては、隕石が衝突したような一撃であったに違いない。身が一度、くの字に折れ曲がった。
だが瞬間、イングリットの右手は切の襟を握っていた。
「まだやれる……!」
「それはどうかねぇ?」
すでに勝負はついていたのだ。
切は正拳突きした拳を止めず腰をさらに回転させ、裂帛の気合いとともに左足を、稲妻の如き回し蹴りとして蹴りだす。
しかり彼の足の甲は、イングリットの側頭部に触れる寸前で止まった。
イングリットには触れていない。しかし、彼女のうぶ毛の感触が足には伝わっていた。
「あちゃー、反則しちまったねぇ」
切は苦笑いして、大の字になりマットに転がった。
「えっ……と……」
ヴァーナーは目を白黒させているばかりだ。
「頭部への蹴りさ、わいの反則負けさねぇ」
切の呼吸は荒かった。それだけ、渾身の一撃だったと言うことである。
しかし彼の顔は笑っていた。ひょいと身を起こすと切はヴァーナーに告げた。
「コール、頼めるかぃ?」
「はいです〜、ただ今の試合、七刀切選手の反則攻撃により、勝者、イングリットおねえちゃんです〜!」
どっと客席から声が上がった。いま一歩のところで反則負けとなった切を惜しむ声、逆に彼の反則を非難する声、様々だ。
リングを降りたのは切が先だ。それをイングリットが追った。
「待って下さい。今の試合は私の……」
「いや、ルールはルールさ、不満はないよぅ」
ただ、と、瞬間的に真顔になって切は彼女に告げた。
「闇雲になるな、腹を立てるな、手はキレイに、心は熱く、頭は冷静に……これ、どこぞの白黒さんの言葉だけどさ、自分はそれをできてるかぃ?」
イングリットが凍り付いたように硬直したのが判った。
すると、そんな彼女を溶かすかのように、ふたたび切はあの、魅力的な笑みを見せたのである。
「まぁ考え過ぎずに心の片隅にでも置いといてくれよ。そんじゃ健闘を祈っとくぜぃ」
軽く手を振ると、彼は飄然と姿を消したのだった。
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