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●本当に若いのでご心配なく

「ラズィーヤさーん」
 別の毛氈から呼び声がする。
「なにかしら?」
 と顔を上げたラズィーヤは、桐生 円(きりゅう・まどか)が自分に向かって手を振っているのに気づいた。
 円は黒い和服だ。銀色の線でハイライトを入れ、赤いリボンでキュートさを演出しており、ややもすると喪服になりそうな黒という色で、自分らしさと晴れの日を演出していた。
「今大丈夫ですかー? お茶の作法とか教えてー」
「大丈夫かと言われますと……」
 ラズィーヤはエメラルド色の眼を走らせた。
 静香は一生懸命、ユマに茶の点て方を教えているところだ。賓客たる鋭鋒、ルドルフらには気を配らなければならないし、茶菓子を出すなどの雑用もある。要するに、大変忙しい。
「あら静香さん、慌ただしくなってきましたわね♪」
 なんとなく嬉しそうな口調でラズィーヤは言う。
「うん。だから」
 ラズィーヤさん手伝って――という静香の言葉より先に、
「だから、もっと頑張って下さいまし☆」
 と言い切ってラズィーヤは席を立った。
「可愛い生徒が呼んでおりますの。少し顔を出して参りますわね。円さん、ただいま参りますわ〜」
「はあう、ラズィーヤさんの意地悪〜!」
 という静香の恨みがましい目をさりげなくスルーして、軽やかにラズィーヤ・ヴァイシャリーは移動した。そして、シャム猫が移動するように音もなく、円の前に座ったのだった。
「お茶、いただきに参りましたわよ。円さんの学習の成果、見せてくださいましね」
「えっ、成果!?」
「はい」
 えへへ、と舌を出して円は笑って、
「いやぁ、作法とか知ってたら、教えてって言わないよー」
 おやまあ、百合園の生徒たるものが……などと口では呆れ気味ながら、その実楽しそうに、ラズィーヤは円の手を取り作法を指導してくれた。
「いいですか、今日は本格的な茶会ではありませんが、これくらいはしていただかないと……」
「あ、そういや茶筅の使い方ってこんなんだったっけ。忘れてた……」
「あらまあ、いけない子ですこと。まあ、多少なら忘れていても、こういう小手先の技術でごまかすことができますわよ。いち、に、さん、と、こうです」
「いち、に、さん、とこう?」
「そうそう」
「さすがラズィーヤさん、年の功ですね−」
「また『やっぱり三十路は技術が違うよね』とか言わないでしょうね?」
 はっ、と円はラズィーヤを見上げた。
 そして見た。彼女の笑顔を。
 ――顔は笑っているが目は全然笑っていない。
 黒い。
 黒い黒い。
 溶かしたタールの海に落ちた鴉のように黒いラズィーヤの笑みであった。
「あ、いや……そんなつもりは、全然」
「ならいいのですけれど」
 黒いものが、すっ、とラズィーヤの顔から去った。
「ラズィーヤさんって、普段息抜きとか何してるのかな? 同年代のお友達と、お忍びで遊びに行ったりしてるの?」
「同年代、といいましても、円さんと二、三歳しか違いませんけどね……」
 いちいち言うところを見ると、やはり年齢の件はけっこう気にしているらしい。ラズィーヤは肩をすくめた。
「あまりそういったことにはご縁がありませんわ。わたくしには学校運営の仕事がありましてね。ひとつひとつは小さい仕事でも、処理すべきことをこなしているうちに時間なんてあっという間になくなってしまいますもの」
 ふう、と彼女は溜息をついた。あまり他人に弱みを見せないラズィーヤであるが、円には素直になれるらしかった。
「認めるのは悔しいですけれど……わたくし、あの御神楽環菜さんのように天才的に仕事ができるわけではありませんから……」
 なんだか円はラズィーヤが気の毒になった。優雅に湖水をゆく白鳥の、水面下を見たような気になる。
「もちろん、必要な事だからやってるのはわかるけど。それにボク達が甘えて、一人だけが責任背負うってのもおかしな話だと思うんだ」
「そう言ってもらえるだけでありがたいですわ。されど、これがヴァイシャリー家当主たるの天命ですの。円さんがお気になさる必要はありませんのよ」
 と言って微笑むラズィーヤの、憂いと決意、誇りが渾然一体となった表情は、これまで円が見たどんなラズィーヤよりも美しかった。胸の奥に痛みを感じさせるほどに。
「じゃあさ」
 点てた茶を置いて円は言った。
「今度お忍びで皆で遊びに行こうよ、着替えとかこっちでチョイスするからさ。無駄に俗っぽいことやって、カラオケとか、地球の大学生的な事して遊ぼうよ! もちろん、たまった仕事はみんなでお手伝するから」
「ふふ……いつか、ね。さあ、できたお茶をいただいてみませんか」
 円は一礼して茶を取った。そしてゆるゆると口にして……、
「にがっ!? 砂糖とかある?」
 がくっ、とラズィーヤが前のめりになったのが判った。

 ラズィーヤは移動し、朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)の前に座した。
「お待たせしました。千歳さん、ごきげんよう」
 ところが千歳はこれが聞こえていないようで、上の空でなにやら呟いていた。
「女性言葉女性言葉、お上品にお上品に……『何々なのよ、何々ね、何々だわ』……女性言葉女性言葉、お上品にお上品に……目標をセンターに入れてスイッチ……」
 若草色の着物に身を包み、綺麗な姿勢で正座して、それでも心、ここにあらずといった体だ。
 千歳は普段、男っぽい口調なのを最近気にしているのである。母から小言を言われたのが効いたようだ。一生懸命口調を変えるべく努力しているのだが、やはり急なことなのでどうしても噛んでしまう。今日は、とりわけ言葉が上品なラズィーヤと話すというので、到着してからずっと緊張し頭の中で言葉使いの練習を繰り返しているのだった。
 ある程度事情を察し、ラズィーヤは千歳をそっとして、そのパートナーイルマ・レスト(いるま・れすと)に視線を移した。
「ええと……イルマさん?」
「は、はい!」
 イルマは普段通りメイド姿、それでいてきっちり正座して、いつの間にやらラズィーヤの真横、それもくっつきそうな位置に控えていた。
「わたくしの正面にいたほうが話しやすいのではなくって?」
「いいえ、いいのです、わたくしごときがラズィーヤ様の真正面につくなど分不相応です。それと、申し遅れましたがラズィーヤ様の着物姿、大変に素敵です。本日は千歳も様になっておりますが……でも今は断然ラズィーヤ様です」
「まあ、そうおっしゃるのであれば構いませんが……ずっと正座されているのでしょう? そろそろ足が痺れてきたのではありませんこと?」
「そんなことは……ありません……」
「あら? そうですの?」
 ラズィーヤは狐のような目をして人差し指で、つーっ、とイルマの膝をなぞった。
 無論、イルマの言葉は(「ラズィーヤ様の前で無様な姿を見せられません」)という心がもたらした強がりだ。
 駆け抜けた。
 ラズィーヤの官能的なまでに白い指によって、ビリビリというかズッキュゥゥゥンというか、名状しがたき効果音と共に光の速度で電流が駆け抜けた。
 電流は脊髄を通り、脳天が突き刺されたような衝撃をイルマは感じた。
 痛みが九十九パーセント、しかし残り一だけは、奇妙に甘い感覚だった。
「あっ……!」
 手に口を当てイルマは声が漏れるを耐えた。大和魂はなくとも、シャンバラ魂はある彼女なのだ。
 ラズィーヤはそんな彼女にしなだれかかるようにして、ややしらじらしく言ってみる。
「おや、イルマさん、なにやら聞こえたような?」
「そ、空耳ですわ。ヘイスティングズ君もそう言ってます……」
「そう、ヘイスティングズさんが……って、誰ですの、それは」
 つい、可愛らしい子には意地悪したくなるラズィーヤなのであった。しかしこれ以上いぢめるのは可哀想と思ったか、
「ところで、正面から写真部の方がいらっしゃいましたけど、このままの姿勢でいると、わたくしとイルマさんのツーショットが撮影されることになりそうですわね?」
 と、示してみせる。まさしくそうで、くりっとしたおさげの百合園女学院生が、カメラを構えて二人の前に立っていた。彼女の腕章には『写真部』と書かれてあった。実はこの写真部員はイルマが根回しして呼び寄せたものだった。
「ええ、写真を撮らせてもらって、私の秘蔵のコレクショ、ではなくて、ラズィーヤ様ファンクラブの会報の表紙にしようかと思いまして」
「おや、それは嬉しいお言葉。でもわたくし、そろそろ行かなければ」
 やはりSっ気がでてきたか、わざとラズィーヤは立ち上がろうとした。すると、
「ああっ、お待ちを……」
 イルマはこれを追わんとして、またもや足に甘美なる電撃ショックを味わい、涙を浮かべてしまうのだった。
「それほどまでわたくしを慕って下さるものに、あまりつれない態度をとるものではありませんわね。さあ、写真に収まりましょうか」
 くすくすと笑ってラズィーヤは座り直すと、かくて涙目のイルマと二人きりのツーショットに収まった。
 ここで千歳が我に返り、今初めて二人を見たような顔をした。
「あ、ラズィーヤさん……と、イルマ……は、なんだか様子が変だけど……」
「…………ご心配なく……」
 そろそろ足が麻痺して感覚がなくなってきたイルマは、青菜に塩をかけたような様子で力なく笑った。
 茶道華道は厳しく仕込まれてきた千歳だ。一度動き出せば体がすべて覚えている。スムーズに茶を出しつつ彼女はラズィーヤに問うた。
「ラズィーヤさんは、日本文化に造詣深いようだし、茶道の心得があるなら、他もできるのか……いや、できるのかしら? 日舞や琴とか」
「ある程度は学んでおりますけれど、お茶以外は本格的ではありませんわ。ダンスといっても、いわゆる社交ダンスの程度ですし」
 へー、と相づちを打ちそうになり、慌てて「そうなの」と千歳は言い直した。
「ラズィーヤさんには、ドレス姿の社交ダンスが似合ってる気はするけど、琴の調べにのって舞う和服姿のラズィーヤさんも見てみたい気もするぜ……じゃない、気もするわ」
「ふふ、でしたら千歳さん、わたしくに個人レッスンして下さるかしら? 興味はありますのよ。和服で舞うということに」
 ラズィーヤのこの言葉が、再びイルマの心に火をつけた。
 イルマは想像する。
 紅葉の舞う中、美しく舞うラズィーヤの姿を。
 その美しいシルエットを。魅惑の肢体を。襟足を。
 これでじっとできるはずがない。
「でしたら私も一緒に……!」
 と言いかけてまた立ち上がろうとして、三度目の電気ショックにまたも言葉を失うイルマであった。