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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

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第7章 愛は両手を広げた。それは繋ぐ掌。抱きしめる腕。喉を狙う指。突き破る爪。


「お目覚めになったのですね!」
「お待ちしておりました」
 黒薔薇姫の矢を服から抜き去り、走り寄って祝福の言葉を投げかけてくる臣下を前に、巫女王アルマ──になりきった師王 アスカ(しおう・あすか)は優しく微笑んだ。彼女もまた、契約者でありながら病気に罹った一人である。
「今までさぞ辛かったでしょう。よく戦って生きていてくれましたね」
 労ってから、疑問を口にする。
「他の者は……?」
 今、巫女王の目の前にいるのは、たった二人の臣下だけだった。
 百合園の生徒に転生した、巫女王の守護戦士セレンセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと))とセレナセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす))だ。
 言いにくそうに、セレナが答える。
「神官が儀式をしに奥へ。……後の者は……大怪我をしているか、既に敗れ斃れたか……」
「そうですか……」
「ご安心を。今度こそ必ずお守りいたします」
 セレンの言葉には力がこもっていた。前世に於いて、その命に賭けて巫女王を守り抜くとの誓いを果たせず無念の内に死を迎えた彼女は、現世でその誓いを果たすつもりでいる。
 セレンの同僚セレナもまた、巫女王をある男から庇って命を落とし、巫女王を最後まで守り抜けなかったことを後悔し、二人は役目を全うする誓いを新たにしていた。
 巫女王とて、正直臣下が二人で不安ではあった。しかし今一人を思い出し、
「そういえば、もう一人いましたね」
 自身の纏う白基調の聖職服と、銀色の篭手を見下ろした。疑問を顔に浮かべるセレンとセレナ。
「もう一人、ですか?」
「この衣装は、私が先代の巫女王から賜った、祝福の込められた意志あるもの。きっと守っていただけるでしょう」
(ん……アスカ?)
 その声に、魔鎧──ホープ・アトマイス(ほーぷ・あとまいす)は長い眠りから目を覚ました。
 ザナドゥ育ちに、地上から新幹線、地球への長旅は退屈だしめまぐるしかったらしい。すっかり地球にいることも忘れてしまっていた。おまけに悪いことに、アスカが知らないうちに得体の知れない病気に罹ってしまったことも知らなかった。
(何言ってるんだ、祝福どころか魔鎧だぞ。魂を悪魔が鍛えたんであって、まかり間違っても巫女の祝福がどうとかじゃ……)
 それからホープは、“眼”で周囲を見回した。周囲に漂う異様な雰囲気、具体的には倒れている人たちとおかしな衣装と、その他もろもろに、流石に彼も押される。
(何だここ。どこだよ、地球に行くとか言ってたけど、えーと……な、なんか寝てる間に可笑しな状態になってないか?)
 今度は耳を澄ます。聞きなれない言葉に意識を集中させた。
「感じます。魔王が目覚めました。それから他に力が二つ、私たちに迫っています。ひとつは魔王の妹、そしてひとつは私の兄……」
(アスカもなんかいつもと雰囲気というか得体のしれない触れてはいけない危ない人に……)
「あの男が目覚めたのですか!? 我らを裏切り巫女王を奪おうとし、私を殺したあの男が!」
「兄君のことをそのように……、失礼いたしました。……ですが私もセレナに同感です。必ず、討ち果たしてみせます」
「無理はしないで。この輪廻でもう辛く悲しい思いをすることはありません。私のこの聖書での浄化を試みます」
(それは聖書じゃなくてスケッチブックだろ! ん? でもこの台詞って思いだしてみたら、今ハマって読んでるライトノベルに似てないか??)
 ホープは、それから自分に言い聞かせた。別名現実逃避ともいう。
(そう思うと……実写版を見ていると思えば平気かも。う、うん! そう思うんだ俺!!)
「──さあ、お客様がいらっしゃったようですよ。参りましょう」
 巫女王はセレンとセレナを伴い、城の頂上、物見台へと登って行った。

 暮れていく晴天の夕陽は、今静かに沈もうとしている。そのオレンジ色を背景に、一人の少年が、物見台に立っていた。
 年頃は高校1、2年生くらいだろうか。黒い詰襟の制服を着た彼は、静かな雰囲気をたたえながらも、絶対的な威圧感をまとっていた。
 それこそが魔王であった。
 側にいて、彼にまるで絡みつくように話しかけているのは、銀の髪に、禁の瞳。蒼水晶で飾られた杖に、漆黒に裏が青地のマントを纏った、吸血鬼を思わせる少女だった。
 魔王の妹・イスラ(本名は璃紗シオン・エヴァンジェリウス(しおん・えう゛ぁんじぇりうす))だ。
「お目覚めのご気分はどう、にぃさま? まだぼんやりしてるかしら?」
「大丈夫だよイスラ。少し寝すぎただけだ……」
 頭を片手で気怠そうに抑える魔王に、心配そうに、楽しそうに、甘えるように、イスラは話しかける。
「あぁ、待っててねにぃさま。ワタシが今、憎き巫女王の首を持って行ってあげるから♪」
 イスラは姿を現した巫女王に向き直ると、愉快そうに笑った。
「……フフッ……刻は来た……。闇の煉獄で幾度この魂が侵蝕(ヤカレ)ようとも潰える事の無かったこの怨念(オモイ)……。螺旋の意思(サダメ)よッ、 今ばかりはアナタに感謝するわッ♪」
 イスラは魔王に対し、一般的な兄弟を超えた愛情を注いでいた。
 それ故に魔王を封印した巫女王に対しての憎しみも深かったのだ。
仮面狂想曲(カプリチオ・ザ・ダークネスゾーン)! さぁ、踊りなさい……その衝動(ペルソナ)のままにっ♪」
 それは、周囲の人の心の闇の領域”ペルソナ”(衝動)に働きかけ思うがままに操る大幻術であった。
 大幻術で、「あった」。発動しようとして、だが──。

 何も起こらない。

「……くっ……まだ闇力(ネクロム)が足りないのかしらっ?」
 けほけほ咳き込みながら、イスラは地面に座ると、突然瞑想(に見えなくもない休息)を取り始めた。
 彼女は体が弱く、そして強大な魔術を扱う故に、その魔力の補充にも時間がかかるのだ。
「……フフッ……待ってなさい巫女王……貴女を愛する者そして貴女の愛する者達の手で貴女を冒し尽してあげるわ♪」
 どこからどう突っ込んでいいのか、巫女王やセレン、セレナは茫然とする。
 そのうち、イスラの執事クロード(本名、璃紗の執事・月詠 司(つくよみ・つかさ))が、彼女を息を切らせて追ってきた。
 新手を警戒し、武器を構えるセレンとセレナ。
 ──だったが、彼はこちらにも目もくれなかった。

「姫様っ! お体が弱いんですよ! いくら魔王様の為とは言えすぐ無茶をするっ!?」
(大体魔王様も魔王様ですよっ! アレだけ分かり易い好意を抱かれておきながらあの無関心っぷりっ!)
 しかも、気づいていないどころか邪険にしている。ほら、姫様の腕を振り払った!
 そんなシーンを見てしまったら、彼は、憎しみが魔王に向いてしまうのを最早止められなかった。
(……チッ……コレは最早、我が闇黒眼であの愚鈍王を螺旋深淵(ハデス)へッ!)
 彼の暗黒眼は、螺旋天秤(ディスティニーリーブラ)を発動させることができる。
 普段は特製のメガネで封印している呪われし闇黒眼、これは、ある一つの未来を代償とする事で別の望む未来を引き寄せる事が可能だと言われている。
 ……ただし、保有者は生まれつき光に拒まれる運命にある、という。それだけの能力なのだ。
(……いや、しかし……我が麗しの姫君に絶望の雫を流させるわけにはッ……私は一体どうしたらッッ!!?)
 クロードは、自身の眼鏡を外しかけたその指を、何とか押しとどめた。自身の心に問いかけてみる。
 適当な未来を代償→魔王死ぬ→自分嬉しい
 魔王死ぬ→姫悲しむ→自分も悲しい
 どちらも不幸だ。……だが、もし別の事を願ったらどうだろう。
「私が望む最上の未来(ディスティニー)……それはっ……」
(適当な未来を代償→お城でずっとお嬢様ときゃっきゃうふふ!)
 クロードは自身の妄想に浸ってしまっていた。顔がだらしなくにやけている。拳銃を二丁腰に下げてはいるが、もはや飾りといっていい。
 セレンとセレナは呆れ果て、リアクションに困り。それから一気に彼を始末するべく、飛びかかろうとして──、
「全く、姫様はいつも飛び出されるんですから〜」
 足を止めた。
 更にもう一人、イスラの教育係マリー(璃紗の姉で本名真理創世ノススメ ~出逢イ儚ク~(そうせいのすすめ・であいはかなく))がのんびりイスラを追ってきたのだった。
 しかも、来たかと思ったら急に立ち止まる。
「……ハッΣ 今のはヤツの気配(マナ)ッ!?」
「ああ遅かったわね、マリー。で、どうしたの?」
「以前お話した私のカタキです!」
 魔王の腕に再び絡みつき、しなだれかかりながらのイスラに聞かれ、マリーは自身の武器である杖を握りしめた。握りしめ、杖の先を巫女王に突き付けた。
「今度こそこの手でッ……あの忌まわしき螺旋交差(クレイジーナイト)の決着をッ!!」
 螺旋交差と本人が呼ぶ過去の日の夜のこと、マリーは家族を殺されたのだ。
 彼女がイスラの教育係として、蒼角殿の戦に赴く魔王と離れようとしないイスラに伴って蒼角殿を訪れた時、魔王の親衛騎士であった彼女の家族もまた、封印されたのだった。
 封印した人間が誰なのか、今日までずっと気にかかっていた。それが他ならぬ巫女王であったとは──!
「申し訳ありませんイスラ様、これだけは譲れません……」
 マリーは誰の制止も聞かず、イスラの前に、巫女王の前に飛び出ると、問答無用で彼女の秘術を解き放った。ポニーテールを結んでいたゴムが弾け飛ぶ。
「此処が全ての決着(ラストターン)ですっ……覚悟ッ!! 禁術<時空境界線(タイムホライゾン・オブ・タブー)>!!」
 自身の魂に刻む事で、時間と空間の狭間を移動可能にする禁術だ。彼女の姿は瞬時に掻き消えたかと思うと巫女王の背後に現れた。
 巫女王が振り向く前に、彼女は魔法の杖から雷を放つ。
 ──必殺の一撃かと思われたが、だがそれは彼女の纏う聖職服に弾けて消えた。
 そして、巫女王やセレンが反応する前に、彼女は……。
「マリー!」
「無念です。イスラ様、またお会いできる日を楽しみに……」
 この禁術は……術者はその反動で、他人とは異なる時間の流れを生きる事になる。マリーの姿はイスラの前で、すうっと朝もやのように掻き消えてしまった。
 たった、数秒のあまりの出来事に、巫女王は同情心を抑えられずに、イスラに話しかける。
「……イスラさんもマリーさんも、さぞ私を憎んでいるのでしょうね」
「あ、当り前よ! にぃさまを長い間封 印しておくなんて! それにマリーまで……」
 言い返すイスラに巫女王は悲しげな表情で応じる。
「何故、私達は争わなくてはいけなかったかしら……。元は同じ『ヒト』なのに……運命の歯車は私達を争いへと誘った。だから……もう終わりにしましょう」
「な、何をいきなり──」
「貴方がたに魂の安らぎを……愛しているわ……『ヒト』の子よ……」
 巫女王が開いた聖書の上に、一枚の羽根が舞い降りた。



 これより少し前のことだ。
 螺旋階段を降り、小部屋に入った神官アーホルン・ティイルゼ・フジワラ(いるぜ・ふじわら)を待っていたのは、一人の中世的な少年(本名ゴンザレス・伊藤シュピンネ・フジワラ(しゅぴんね・ふじわら)))だった。
「人の体はやはり馴染まないな……どうだい、そっちは? 転生して良かったかい」
 抑揚のない口調で彼が問う。アーホルンも静かに頷いた。
「巫女王様に再びお仕えできると神に感謝いたしました」
「転生する条件は覚えているね?」
「ええ、忘れていません」
 前世で、魔王軍との戦いで重傷を負い死を待つばかりの彼女の前に現れたのが、この少年だった。
「私は、世界意志と取引し、世界の遍く知識を管理する役割と引替えに転生する契約を交わしました。それは来たる巫女王と魔王復活の日のためでしたが……」
 得た知識を、巫女王を始め転生した戦士達に伝えることが出来ない呪いに捕われていた。
「そう。管理する役割だ。残念だったね、汝が巫女王に僕の蓄えた英知を伝えることが出来なくてね」
 少年は皮肉げに微笑した。
「不服かい? 世界の意志……人は神と呼ぶが、契約の対価に大いなる英知を得るが、その英知はみだりにひけらかすものではないのだよ。わかるだろ?」
 アーホルンは再び頷き、決意を込めた瞳で少年を見た。
「みだりにひけらかさなくとも、たった一度だけ、伝えることのできる契約だったはずです。──私はこの助言のために転生してきました。対価は支払ってでもお伝えします」
 対価とは、使用者の魂を差し出し、本の知識に加えられるというものだった。魂を差し出す故に、どのような秘術をもってしても、二度と転生が出来なくなる。
「対価を支払うか……いいだろう。汝の生きた経験、得た知識、DNA……そして、魂を捧げよ!」
 少年の姿が声と共に掻き消える。
「今こそ、真実の姿を見せよう。秘密の領域と至高の神秘の天使の名を持つ、座天使ラジエルが持つ英知の書の姿を!」
 風が渦巻いたかと思うと、彼女の前に一冊の本が浮遊していた。
『無限知識の書(セファー・ラジエール)』……」
 アーホルンはそっと本を手に取る。一説には石版だとも言われた、分厚い、白い革張りの表紙に金の箔押しがされたその本は神々しささえ感じるものだった。その通り、世界意志が人の世界に与えたこの本には、世界の遍く知識、出来事が記してある。書の厚さからいって物理的にはあり得ない、あまりに膨大な量の知識が。
「全てを記した無限なりし天使の書……契約により英知を示せ……」
 彼女は表紙に指をかけ、本を開いた。同時に、ふわりと彼女の髪が重力を失うように浮遊した。髪だけではない、かけていた眼鏡は消え去り、服は白く清らかな布へと変わり、背に純白の翼が生えた。
「私の名は、神託を託されし者(ノウレッジ・カーディナル)。私の意志の元に全ての秘密は白日の下に晒され暴かれる……」
 まるで「秘密の領域と至高の神秘の天使」司るラジエルのような姿となった彼女は、その頭に流れ込んでくる膨大な知識の中から、それを見つけ出した。
(さようなら……皆様。いつか見た夢で……)
 穏やかに微笑みながら彼女は、その手に得た知識を、魔王の弱点を、世界の秘密の一端を巫女王に伝えるべく、一枚の羽根となった。



 今この瞬間まで、巫女王は、イスラとクロードを無力化した上で、魔王との決戦に挑むつもりだった。
 魔王は、全力を傾けて倒そうとして、尚賞賛の見込めない相手だった。
 ──だがここで、知り得るはずのない知識が彼女に与えられたのだ。世界(原作)を超えた、一般に知りうる者のない知識である。
「そうだったのですね……」
 羽根を手にした巫女王は知った。かつて彼女が戦い相打ちに終わった魔王の真実を。
 それを知った時、彼女の勝利への願いは確信に変わっていた。
 転生した魔王には、既に在りし日の力などない。それどころか──。

 彼女は長い詠唱を始めた。
 言葉が紡がれると共に、魔王、イスラ、そしてクロードの足元に清き光の魔法陣の線が描かれていく。
「──<神が与えし運命の聖奠(テラ・オブ・ミスティリオン)>──」
 囚われまいと抵抗しようとイスラが杖から放った魔力の一撃は、だが巫女王に届かずに霧散した。
 代わりに、繋がれた魔法陣の交点から、聖剣が生まれ出でて彼らの体を貫く。
 イスラは来る痛みに思わず悲鳴を上げかけ、──それから、自身の体を見た。痛みはなかった。血すら出なかった。代わりに黒い闇がどくどくと吹き出し、それも魔法陣から放たれる光に霧散していく。
 秘儀が完成するまでに受ける浄化は七つの洗礼。洗礼は聖剣となって悪しき者の体を貫くが、流すものは血ではなく悪しき者の罪、すなわち傲慢・嫉妬・虚偽・色欲・怠惰・強欲・憤怒の七つの大罪であるという。
 イスラをクロードを、そして魔王を貫いた剣は、身体を突き通すと、その反対側から出た剣先が翼に代わっていた。
「巫女王よ……これは何事だ……!」
 やっと口を開いた魔王に、巫女王は告げる。
「許されし者は運命の輪に封印され安寧の時を得る……これでこの悲しき争いは終わりです……」
 七人の天使が彼らの頭上に舞い踊り、上空からも光を降らせた。白き光に包まれた彼らの耳に、どこからか聞こえるのは、教会の鐘の音。そして絶え間なき讃美歌が頭の中を満たしていった。

 ──全てが、終わった。
 全身の魔力を使い果たし、床に崩れ落ちる巫女王に、セレンとセレナが駆け寄って身体を支えた。
「ご無事ですか!?」
「え、ええ……大丈夫です」
 そう言いながらも、彼女は自身がまだ無事でいることを信じられずにいた。
(この魔術に唯一欠点があるとするなら、代償は私の命が必要なことだったのに……。でも……)
 神官アーホルン・ティがもたらした天使の知識は、その命を守る祝福を与えてもくれたのだった。