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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

リアクション

     ◆

 男は悠然と闊歩している。金色の髪を靡かせ、ぎらぎらと不気味な光を放つ瞳を見開き、顔に大きな傷がある彼は歩いている。

 ドゥング・ヴァン・レーベリヒ

 この騒動を起こした張本人にして、この騒動に参加する全ての存在の敵対者。病院に向けてゆっくりと歩みを進めていた彼はそこで、何かを見つけた。
「……人、か」
 彼の視界の先。病院の向かい側にある大きな公園の敷地内。普段では考えられない程の人の数を見つけた彼はそこで、意味深に笑みを浮かべる。と、突然に、彼の足元で声がした。
「ねぇ、おじさん。誰かのお見舞いに来たの? だったら病院には行かない方が良いよ」
 歳の頃にして、十歳前後の少女。パジャマの様な服装から見るに、おそらくは病院に入院している患者の一人だろう。目だけで彼女を見下ろしたドゥングはしかし、少女を認識するやわざとらしい笑みを浮かべてしゃがんだ。
「おじさん、はちょっとひでぇ良いようだな。お嬢ちゃん。で、どうしたんだい? どうやら患者さんまで外にいるみてぇだけど」
「あ、ごめんなさい……。えっとね、あたしも良くわからないんだけど、病院で何か大変な事が起こって、先生とママに逃げなさいって言われたの」
「そうかい」
 偽りが笑顔。
「お嬢ちゃんは何処か体の具合が悪いのかい?」
「わからないの。でもね、先生もママも、『すぐに良くなるよ』って言ってたの! だからあたし、良い子にしてるんだっ」
「そうかいそうかい、偉いお嬢ちゃんだね」
 偽りが笑顔。 それは少女の頭に手を乗せた。大きく、ごつごつとした手。
「えへへ。おじさん……じゃなかった、お兄さん、なんだかパパみたい」
「そうかい?」
 その手は未だに、少女の頭の上にある。
「うん。あたしのパパね。あたしが赤ちゃんの時に死んじゃったんだってー。会った事ないからわからないんだけどね」
「寂しい思いをしたんだね」
「そんな事ないよ! だってあたしにはママも、お友達もいるもん。寂しくなんかないよ」
「なんだ、君は本当に強い子だ。よし、じゃあお兄さんがそんな君にご褒美をあげようか」
「えっ! ほんとに!? あ、でも……ママが知らない人から物貰っちゃ駄目だって」
「大丈夫だよ」
 その手は未だに、少女の頭の上にある。
「物じゃないんだ。物じゃあ――ないんだよ」
 偽りが笑顔は、不気味に歪んだ。
「えっ――お兄さっ……!!!!!」
 少女の呼吸がそこで、停止する。体の軋む音。 少女の上に乗っているその手が、小さな彼女の首筋に降り、そしてみしみしと そしてみしみしと 少女の命を締め上げた。
本来地面を踏みしめていなければならない両の足は懸命に空をかき、小さな少女の手がドゥングの手を掴んでいる。
「君に恨みはないんだよ。俺はお嬢ちゃん、君を嫌いではないんだよ。でもね、俺にも時間がない。使える物は使わなくっちゃ。なぁ?」
「………きひっ……! ま、まま……」
 悲痛な叫びはしかし、のど元を締め付けられている為に声になってはいない。バタつかせる足は徐々に勢いを失い、少女の口からは泡が溢れだす。それこそ、少女の幼い命と共に。
「良かったなぁ、お嬢ちゃん。苦しいのは今だけだ。これからはそんな苦しみも何もない場所に行けるよ。ゆっくり休むと良い。君の死は決して無駄にはならねぇさ、何故かって? あのお人好しのウォウルの事だ、ここら辺にいる数人を殺せば、どうせあいつはやってくる。ノコノコと、自分で殺されにくるんだからよ」
「やめなさいよ! その手を離さないと貴方、死ぬわよ?」
 突然に、ドゥングの後ろから声がした。リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)の声がした。彼女の周りには公園にいた面々も揃っている。
「お? なんだよお前、そんな小さな子を殺すのか? 小っせぇ男だな」
 ベルクが怪訝そうな顔をしながら、本当に不快そうな表情をしながらに彼を蔑む。
「早くその手を離して。でなければ私は――私たちは貴女を殺す」
 フレンディスが冷徹、冷淡に呟くと、彼女の隣にいたアリッサが鎧となってフレンディスを包み、反対側ではレティシアが剣を向ける。
「面白みのなさそうな男だな。この人数居ればすぐさま決着はつこう」
「皆さん、油断しちゃ駄目ですよ……」
 淳二が構えを取りながら言うと、ドゥングは鼻で一同を笑う。
「俺を――殺す?」
 一瞬、全員が全員、たじろいだ。彼の瞳が変わり、彼によって今命を奪われそうになっている少女の呼吸がそこで停止する。
「………なんだよ、気配だけで死ぬより先に気絶しやがったか。使えないお嬢ちゃんだ。ほら、そんなに欲しけりゃ返してやるよ」
 ドゥングはそう言うと、一同に向けて少女を放る。
「……酷い……酷いです!」
「みーほ………」
「何の罪もない女の子をこんなにして、更には『使えない』!? 貴方一体何様の――」
「何でも良いよ」
 彼女の言葉はかき消された。
「俺が誰で、何様で、何であろうが構わねぇンだよ。そんな事はこの際どうでもいい。そこらへんの犬にでも食わせとけ」
 半身を向けていたドゥングは一同を正面に据えた。笑った表情を浮かべてはいるがその瞳は笑顔とは無縁のそれ。
「ならば弁明の余地、ないですね」
「その首、落とさせて貰うぞ」
 声色は平淡。抑揚なく、感情なく、フレンディスとレティシアが踏み込み、彼との距離を一気に縮める。一同が気付けばそれは、既に彼の命に手をかけていた。フレンディス、レティシアの両名が男の首筋に、胸に、武器の刃先をあてがっているのだから。
「早いっ!」
「おうおう、全員退いとけ! 一発派手なのぶちかますからよ!」
 二人の動きと連携し、唖然としていた一同を掻き分けてベルクが前に躍り出ると、何やら詠唱を唱え始めた。漆黒が彼の周りを覆い始め、そしてそれは一点に収束していく。
「惑えよ兄ちゃん。そして後悔するんだな、俺たちに仇名した事を。存分に!」
 彼の前、まるでビー玉か何かに見る、しかし漆黒の塊が急に天高く飛び去り、恐ろしい速度で空へと伸びあがったそれがドゥングの頭上目掛けて落ちてくる。同時に、フレンディス、レティシアが彼の体に刃を突き立てた。
「さようなら」
「ふん、他愛もな――!?」
 貫いた筈の刃が、しかして未だに彼の体に当たったままだった。手ごたえを覚えている手の感触に首を傾げる二人。
「レティシアさん、魔法……来ます!」
「ちぃ! 一旦退くぞ!」
 二歩、三歩と後ろに飛び退いた二人は、ドゥングを恨めしそうに見つめる。対して彼は、にやにやと見る者を不愉快にさせる笑顔を浮かべているだけだ。
「その余裕……いつまで続くかなっ!」
「駄目だよ。お前さん等だけじゃあ、足りないんだよ」
 不敵な笑みを浮かべそう言ったベルクの言葉に返す様に、ドゥングが笑う。
「それじゃあ俺は、倒せねーぞー」
 天から降り注ぐ黒の球体が、彼に当たる瞬間に大きく広がり対象を呑みこむ。堅そうに見えたそれは途端大きく拡大し、そしてドゥングの体全てを一瞬にして呑込んだ。
「……倒せました?」
 心配そうに、隣にいるベルクへと尋ねる恭介を見て、瑞穂は大きくため息をついた。周囲もこの呆気なさに言葉を失い肩を落としていると、ベルクが慌てて詠唱を始める。が――それも途中でやめてしまう。無論――詠唱以外を叫ぶために。
「クソっ! 間に合わん! 全員伏せろ!」
 咄嗟に体を屈めた一同の頭上、ベルクの放った漆黒の破片が飛び散って行く。
「はっははははははっ! おいおい、まさかこれで、今の魔法で、俺を後悔させようと!? 何の間違いだ? それにお姉さんたち二人も、どうしたよ! ほら、俺の首は、心臓は! まだこんなにもご機嫌だってのに!」
 わざとらしく両手を広げ、彼は天高らかに笑う。
「……あの男、どういう体の構造をしている…!」
「わかりません。確かに手ごたえはあったはずなのに……」
「ぼっとするな! 攻撃来てるぞ!」
 二人が懸命に考えているところ、後ろから淳二とベルクが二人の前に現れた。先程まで高笑いをしていたドゥングは、両の手を広げ二人との距離を縮めていたのだ。それこそ、彼の攻撃が届く距離まで。故に淳二とベルクが二人を庇って前に出る。
「ふん。『止まる』か? どうしてだろうな――」
 抱き寄せる様にして、ドゥングが広げた両手を中央に閉じる。閉じた腕をそのまま交え、反対側へと交差させると、その手に当たった淳二とベルクが飛んで行く。
「人は常に慢心する。自己の力を過信する。守れるものと――決めつける。だがそれは時として罪ともなる。何故ならば――生きる者は全てにおいて死を否定する事は出来ぬから。
ならば何をすればいい? 守りたいものを守れないならば、倒したい相手を倒せないならば。過信は慢心を生み、そして最後は死を作る。それは罪だ――」
「マスター! 淳二さん!」
「フレンディス! 来るぞ!」
 吹き飛ばされたベルクと淳二を心配している彼女に、レティシアは構えを取りつつ叫んだ。
「ならばもっと、懸命であるべきだ。戦う事、守る事、生きる事のその全てに! しかし、あれらは駄目だ。何せ生きる事をしていない。ならば死しても同じことだ。特に――ウォウルはいただけない」
 今度は片腕を振り払う為の予備動作。大してレティシアは刃先を彼に向けたまま、動こうとしない。
「レティシアさん。早く退きましょう。一度後退しなければ、この距離では――」
「下がりたければ下がれ! しかしそれは貴様だけにしろ。我は此処から動かぬ! この強者に……勝つ」
 フレンディスの前、彼女は立ちはだかる様にして剣を構える。
「ウォウル、とやらの何がいただけぬか、我は知らん。関係のない話だ。存分に来い。しかし刃先はそちらを向いている。構わず振り回せば貴様の腕も飛ぼう」
 そこで――フレンディスが疑問を抱く。彼女は、そんな事を言う様な性格ではない、と。言葉を交わすよりも、剣で会話をする人なのだ、と。彼女はそう認識ているからこそ、思わず動きを止めた。そして気付く。
「レティシアさん、ありがとうございます! 必ず……必ず……」
 一度にやりと笑って後ろを向き、しかし以降は物言わず、ただ構えを取る彼女。フレンディスは一足で一同の待つ場所までやってきた。
「皆さん、公園の人たちをもっと遠くに逃がしてあげましょう! レティシアさんが時間を稼いでくれている今の内に……」
「で、でも……」
「わかったわ!」
 言い淀む瑞穂の隣、リカインは苦しそうな顔をして頷いた。彼女とて、それが最善だとは思わない。が、しかし、今取るべき自分たちの行動は何か、となれば、答えはそこにたどり着く。
「淳二さん!!! 大丈夫かぁ!?」
「マスター……」
 吹き飛ばされた淳二に掛け寄っていた芽衣、ミーナが彼に声を掛けた。と、彼は立ち上がり、恐ろしい形相でドゥングを見やり、歯を軋ませる。
「クソ、クソっ! クソッタレ!!!! あの野郎、手加減なんざしやがって!」
「淳二さん、ちょ、ちょっと落ち着きぃや……そない怒ったかて」
 芽衣が慌ててなだめるが、しかし彼は既に言葉を聞いていない。
「ミーナ! 光条兵器!」
「え、あ! はいっ!」
 言われるがまま、ミーナが慌てて光条兵器を取り出すと、半ばひったくる形でそれを握りしめた淳二が叫び声共々にドゥングへと走って行く。
「畜生がぁ!!!! 手加減なんざ、しやがってぇ!」
「ほら、これだ」
 構えて彼の攻撃を待っていたレティシアも、その様子には一瞬眉を顰めた。しかしドゥングはその攻撃を避ける事も、守る事もせずに体で止める。
「どうして君らはそうまでして我を失う。手加減されたのだって、「良かった、これで生きていられる」とは何故思わんよ」
「そんな事考えられるか! そこまで俺は馬鹿にされてるって事だろうがよ!」
「馬鹿にする、しないではなく、生きていて助かったと思えばそれでいいのに……全く」
 三度、四度。力任せに彼の頭部を光条兵器の刃の部分で殴りつける淳二に対し、どうやらドゥングも何かを諦めたらしい。大きくため息をついてから、彼の持つ光条兵器『バルディッシュ』を握りしめた。
「そんなに本気が見たいのか?」
「………離せ! クソ離せ!」
「随分と勝手な言い分だな。ほら、お姉さん。これやるよ」
 握った武器ごと淳二をレティシアに向けて放り投げる。
「……」
 慌てて淳二を受け取ったレティシアは、何とか構えを取った。が、何故だろう、手が震えている。
「お前さんまで、まさかあいつと同じく生きる事を辞めるのか? 屍よりも死に体に成る気か? ならば、此処で望み通り殺してやるが?」
 返事はなかった。慌てて淳二の後を追ってきたミーナと芽衣が、二人の前に立ちはだかる。
「辞めてください。何故こんな事を……」
「ミーナ。あかんよ。そないな事聞いたかて、満足いく様な返事が返ってくる訳がないんや。聞くだけ無駄やって」
「何故こんな酷い真似をするんですか」
「何故――か」
 芽衣の言葉を余所に、彼はふとそう切り出した。
「そうだなぁ……ウォウルとラナロックを、殺す為だ。大勢を巻き込めば、あいつらも出てきやすかろうよ」
「そんな……」
「そうだよ。だからさ、お前さん等には怪我して貰う程度で良いんだ。な? 何でも良いんだ。右目でも、左足でも、両腕だって構わない。なんでもいいから、俺にくれよ」
 絶句した。
「頼むよ。な? 命まで取ろうって訳じゃないんだ。ただちょっと、死にそうになって欲しいだけなんだって」
 言葉を呑んだ。こうまで命を、生を、全てを事もなげに話す存在を見たことがないから。
まるでそれこそ人形か何かの話をしているが如く、彼は平然と述べるのだ。体の一部をよこせと。
「さて、じゃあ――誰でも良いだろ? とりあえずはお前さんらが死なない程度に――」
「うぉおおおおおっ!」
 言っている最中、彼の足目掛けて淳二がバルディッシュを構え、突き進む。低く低く、突きの姿勢のままに、一点目掛けて駆け込んでいった。
「淳二さん! そらあかんて!!!」
「くっ! また同じ目に合うぞ……」
 考えたままのドゥングは、彼の腕を掴んで持ち上げる。
「そうだな……まずはちょうどいい、足をくれよ。なぁ」
「――っ!?」
 今までは怒りがあった。今までは憎しみがあった。手心を加えられた事に対する怒り。呆気なく退けられた事に対する憎しみ。その感情が上回っていた。が、自分一人で倒せる相手ではないと、今になって気付く。冷静になって、わかる。一人では決して倒せない相手だと。そして思う。怖い物だと。思い出す――この男の目当ての物は。
「やめろっ! やめてくれっ!」
「はぁ……そうか。やめろ、か。じゃあ良いよ。仕方ないな。代わりがいるし、まぁ良いけどよ」
 至極詰まらなそうな顔で、彼は淳二を地面に下ろす。下ろした彼に――強烈な蹴りを一撃。
「ぐうっ………!!!!!!?」
「よし、決めた。じゃあ残り三人のお姉さんらから貰うとするわ」
 しかし、其処には誰もいない。
「ふん。やるねぇ……彼。ジュンジ とか、呼ばれてたっけ? やるじゃあねぇか。かっはは」
 そう、淳二は何も、怒りのみで単身突撃していた訳ではない。それだけならば、はじめの一撃を止められて以降、もっと別の事を考えている。が、彼は何度となく同じ行為をした。
それこそ、ドゥングが気になるまで。注意が退ければ、後はその場の三人が去る事は容易いと踏んだのだ。そして彼は、ドゥングの蹴りによって公園の方へと飛んで行く。
「……んで、そっちに向かってた三人がジュンジとやらを受け止める。と、そう言う訳だな。はぁ……良く考えたこった。ま、俺が公園行けば済む事なだけどよ」
 こうして、公園を守っている面々とドゥングの邂逅は終わる。そしてこれからが、本当の意味での戦いだった。
公園に向けて更に進行を進めるドゥングの目前。それは突然に落下してくる。 鉄がそれは、さながら棺の様であり、さながらそれは、乙女であって。

「貴方が――ドゥングさんですか?」

 そして鉄は喋り出す。 涼やかな声で。 麗しき音色で。
「如何にも。俺がドゥングだが。お前さんは誰だい?」
「私はしがない機晶姫ですよ。名乗る程のものではございません。ですが、貴方に用がありまして」
「用。ほう、なんだい?」

 鉄が開き、彼女はその身を現した。 そして更に言葉を続ける。

涼やかな声で。 麗しき音色で。

「貴方に恨みはありませんが、此処で貴方には退いていただきます。 素晴らしき、幕引きの為に――」


そう――メティス・ボルト(めてぃす・ぼると)は薄らと笑って言った。