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 神殿から、ギターの音が響いていた。単純なアルペジオの繰り返しだが、不思議に気持ちの落ち着く響きだ。
 しかし、別にこれは気持ちを落ち着ける為に弾いている訳ではない。ギターの音の反響で、神殿内に不自然な空間がないかを確認しているのだ。
 それが、ふいに止まる。
 ギターをつま弾いていたカンナが顔を上げて、目の前の壁を見つめた。
 拳でコンコンと叩いて、耳を澄ます。
「んー、こっちは異常ないなぁ……ローズ、そっちはどう?」
「えっ」
 ぼんやりとギターの音を聴いていたローズが、飛び上がりそうな様子で振り返った。カンナはため息をついて、ローズを睨みつける。
「壁に空洞がないか調べてみてって、言ったよね?」
「あ、うん、そうだね……えへへ」
「えへへって……どうしたのローズ、ちょっと変だよ」
 妙におどおどして、いつものローズとは様子が違う。
 カンナ自身の感覚の異変は、意思の力でねじ伏せている。何であれ、自分の精神を何かに左右されるのは我慢のならない性質なのだ。
 だが、ローズも何かの影響を受けているのかもしれない。
 カンナにじっと見つめられ、睨まれたと焦ったのか、更におろおろと周囲を見回す。
「あの、あのね、カンナ……壁はわかんないんだけど……」
「じゃあ、何。床?」
 カツンと踵で床を蹴って、カンナが短く聞き返す。ローズはますます焦ってかぶりを振ると、俯いて、小さな声で呟くように言った。
「なんか、その……変、じゃない?」
「だーから、何が!」
「……祭壇……」
 思わず軽く声を荒げたカンナを上目遣いで見て、ローズはおそるおそる言った。
 調子が狂う。
 こんな引っ込み思案の女の子みたいなローズが相手では、どうにも調子が狂う。
 しかし、こんなことで苛立つ自分自身も、何か調子がおかしい気がする。
 カンナは気持ちを落ち着けるように目を閉じて大きく息をつくと、ローズの示した祭壇に目をやった。
 安っぽい模造品に過ぎなかった祭壇が、今は見事に磨き上げられた大理石に変化している。奥に見える壁も、周囲と同様に立派な天然石だ。
 しかし、それはとうに確認していることだ。
「……別に、変なところはないけど」
「でもね、ええっと……」
 いつまでもはっきりしないローズに、また苛立った声を投げようとしたカンナの口が、ぽかんと開いたまま固まった。
「変……だよね?」
 おそるおそるローズが聞く。
 確かに、変だった。
 祭壇にある筈の、聖ホフマン像。パンフレットによれば2.8メートルあるという巨大な立像が、ない。
 思わずカンナは頭を抱えて呻いた。
「なんで気づかなかったんだ……どうしちゃったんだ、あたし」
「大きすぎると、見えなかったりするよねぇ」
 あはは、とローズが笑う。
 そのとき、どこからか声が聞こえた。

「もふもふー!」

 カンナとローズは顔を見合わせる。
「今のは?」
 ローズの問いにカンナが口を開きかけると、もう一度聞こえた。
「もふもふー!」
「ひ、引っ張るなぁぁっ」
 声は上からだ。
 二人が同時に顔を上げると、ホフマン像のあった辺りの空間が不自然に歪んだ。そして……
「うわああぁぁっ」
「も。もふもふっ」
「レキっ」
「危ないっ」
 派手な騒ぎで、中空から数珠つなぎになった人間が落っこちて来た。
 先頭はセフィー・グローリィア。うつ伏せに床に落ちると、その見事な胸がクッションのように大きく震え、もふっとくぐもった音を立てた。
 そのセフィーの纏った白大狼の毛皮の外套の端に、レキ・フォートアウフがしっかりとしがみついている。空中から落ちて来たショックにも動じず、その毛並みに顔を埋めるようにして、「もふもふ」と幸せそうに繰り返している。
 その襟首を掴んだカムイ・マギ、そのドレスの裾にブーツが絡めとられたオルフィナ・ランディ(おるふぃな・らんでぃ)が続いて床に転がる。
「……きんのがちょう?」
「いや、どちらかっていうと……おおきな、かぶ?」
「ああ……うんとこしょ、どっこいしょ……みたいな?」
 間の抜けた会話をしている二人の前で、団子になっていた4人がようやく起き上がった。
 もっともレキだけは、相変わらずセフィーの毛皮をもふもふしたまま離れようとしないのだが。
「痛たた……ああ、ゴメン、あんたのドレスに引っ掛けちまった」
「いえ、どう考えても悪いのはこちらですから」
 ブーツを外しながら詫びるオルフィなに、カムイが冷静に応じる。
「レキ、ほら、放してください」
「ええー、でも、もふもふが……」
 不満げなレキに外套の裾を引っ張られながら、セフィーは床に座り込んで苦笑した。
「こんなに熱烈にモテたのは初めてだ……そっち側が、さ」
 確かに、こんな状況でなくともふるいつきたくなるようなセフィーのナイスバディを前に、外套をもふもふするバカ……いや、変わり者は中々いまい。
 僅かに目を細めて、意味ありげな目でそんなセフィーを見ていたオルフィナが、はっと我に返った。
「……エリザベータがいない」
「何だと?」
 顔色を変えて腰を浮かせたセフィーに、ふいに声がかかった。
「……かぶのお姉さん、お手柄だよ」
「誰が”かぶ”だよ!」
 思わず反論して振り返ると、カンナが傍らの床に屈み込んで、何やら調べていた。ちらっとセフィーに目をやって、また手元に目を戻す。
「……じゃ、ガチョウのほうがよかったか? ここ、何か仕掛けがある」
「仕掛け?」
「……見せてください」
 カムイが歩み寄って、カンナの傍らに膝をついた。
「ああ、隠し扉ですね。待ってください、今ピッキングで……」
 呟いてから、隠し扉が開くまでには数秒しかかからなかった。
 微かにカチッという音がして、床の一部に凹みができる。カムイがそこに手を掛けて引くと、1メートル四方の溝が現われ、そこが扉になっていることが見て取れた。
「かしてみな」
 オルフィナがカムイをそっと遮り、凹みに手を掛けて力一杯持ち上げた。
 石の擦れる音とともに、扉が開く。
「……階段?」
 カンナがつぶやいた。
 扉の下には細い石の階段が、地下に向かって真っ直ぐに伸びている。灯の届く範囲には何もなく、その先は闇に沈んで見て取れない。
「さて……どうしようか、ローズ」
「えっ」
 黙って様子を眺めていたローズが、また驚いたように声を上げる。
「だからさ、調査に行く? やめとく?」
 カンナに重ねて聞かれて、困ったように階段に目をやった。

 オルフィナも顔を上げて、どうする? というようにセフィーを見た。
 エリザベータを探しに戻るか、ここに調べに入るか。
 セフィーは即決した。
「行こう。エリザベータは心配ない……あたしやあんたより、ずっとね」
 ニヤリと笑ってそう言うセフィーに、オルフィナも笑みを返す。
「どういう意味だよ、そりゃ」
 
「レキ?」
 確認するようにカムイはレキを見た。レキは頷く。
「もちろん、行くよ。この先に何かある……気がする!」
「……女の勘、ですか」
「うん。当たるよ?」
 根拠のない自信で微笑むレキに、カムイも頷いた。
「わかりました、つき合います。ただし、慎重に。それから、その手は放すように」
 まだセフィーの外套のもふもふをしっかり握りしめたままの手を一瞥されて、レキは悲し気に呟いた、
「うう……ごめん、もふもふ……生まれ変わったら一緒になろうね……」

「で?」
 カンナがもう一度聞いた。
「う、うん、私は邪魔にならないように後からついていくね」
 どうやら、行くということは最初から決まっているらしい。内心少し安心したカンナは、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「それはどうかな。ローズには、光術を使って先に立ってもらわないとね」
「えええ」
 情けない声を上げるローズの肩をポンと叩いて、カンナは笑った。