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絶望の禁書迷宮  追跡編

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絶望の禁書迷宮  追跡編

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第3章 “メメント・モリ”のお茶会

 お茶の香りと、バラのアーチ。バラの華は血のように赤い。
「優雅さは忘れたくないよね、どんな時であっても。さすが、『姐さん』♪」
「それはあんたの趣味だろ。優雅でいられる時は短い……なんて、大方言い出すんだろうが」
「さっすが見抜いているねぇ♪ 参ったなぁ」
 白い屋外用テーブルとイス。その一つに魔道書『姐さん』が座っている。明るい屋外の茶会にはやや暗い、真紅と漆黒を交互に巻いたようなドレスを纏い、光の中にどこかすれた闇の香りを持ち込んでいる。そんな彼女にティーカップを運びながら笑いかける『ヴァニ』も、しゃれこうべを首にあしらった黒いゴスロリ調のドレス姿が、長閑な昼下がりの陽光の庭園の風景に何やらミスマッチだ。
「おっ、お茶会に似つかわしく、お客様もいらっしゃったよ。呼んだ覚えは一ミクロンもないけど♪」
 アーチの方を見たヴァニが、笑顔で言う。
 やってきたのは清泉 北都(いずみ・ほくと)クナイ・アヤシ(くない・あやし)、それに藤崎 凛(ふじさき・りん)シェリル・アルメスト(しぇりる・あるめすと)だった。

「これはこれはようこそ♪ お茶の準備は出来てるよ、ささ、席へ」
 何だかわざとらしいと思えなくもない明るい歓迎の言葉に迎えられ、一同は白いテーブルに案内される。
「あ、それじゃ、お邪魔させていただきます。あ、あの、ありがとうございます」
 椅子を引いてもらって、凛が少し恐縮したようにヴァニに礼を言うと、ヴァニは笑って、
「堅苦しい挨拶はいいよ。まずはお近づきのしるしに一杯」
 彼のその言葉とともに、執事服の人物が出し抜けに現れ、手にしたポットから慣れた様子で全員のカップに茶を注ぐ。
 ただその人物は、執事服を着た骸骨であった。客四人がぽかんとして見ている中、庭園の向こうに去っていく彼の足からはかしゃん、かしゃんと乾いた音が聞こえていた。
「悪趣味なのは奴の個性なんでね。勘弁してやってくれ」
 姐さんが全く動じた様子もなく、カップを持ち上げる。紅茶の赤に、彼女の唇がよく映えた。
「悪趣味だなんて。いい香りですね」
 クナイがカップから漂う湯気を品よく吸って、笑顔を浮かべた。ヴァニはそれに関しては何も言わず、謎の笑みを浮かべたまま、姐さんの隣に腰を下ろした。
 そうして一杯目は、穏やかな時間の流れの内にそれぞれに干された。
「先日はありがとう」
 ゆったりした口調で、口を切ったのは北都だった。
 突然の礼に意味が分からなかったのか、姐さんは眉を顰め、「何が」と訊いた。
「契約者の彼が助かったのは、結界を解いて彼の魂を解放してくれたおかげだから。
 そちらにはそのつもりがなくても、最終的に助かったのは間違いないんだから、お礼くらいは言わせてね。
 ――あと、美味しいお茶をご馳走様」
 落ち着いてそんな風に話す北都を、姐さんは値踏みでもするかのようにじっと見ていた。
「助けて頂いたお礼に、今度は僕達がキミ達を助けるよ。余計なお世話、って思うかもしれないけど」
 そう言って北都は、エルドの侵入で危険になったこの結界内から、蔵書を運び出すことを提案した。
「――なるほど。それを依頼するために、リピカが扉を開けたってことか」
「うん。それだけじゃないみたいだけど」
 二人がそんな会話をしていると、突然場違いな高い笑い声が起こった。見ると、ヴァニが立ち上がり、手を打って笑っている。
 テーブルに置かれた古風な高足の果物皿の上に、山と盛られた果物の中にしゃれこうべが混じっていたのを見つけた凛が、びっくりしてカップをひっくり返しかけたのだ。
「大丈夫かい、リン。零さなかったか」
「えぇ。もうほとんど入ってませんでしたから」
 心配するシェリルに、凛は苦笑して首を振って見せる。リンゴの赤、ブドウの暗い紫、洋梨の黄味がかった緑色といった色彩の間に、眩しいぐらいの白骨の白。
「これは、小さな骨ですね。成人のものではないのでしょうか」
 クナイが冷静にしゃれこうべを見て独り言のように呟く。
「これは……不思議な趣向ですのね」
 面白がるように自分を見ているヴァニに、凛は精一杯に微笑んで見せた。彼の笑顔にシニカルなものがあることには気付いていた。だがそれが、彼の書籍としての内容からくるものなのか、人間嫌いになるような過去がもたらした傷なのかは分からない。後者だとしたら悲しいと思っていた。
「ヴァニ…さん。あなたの、ご趣味なのですか……?」
 問いかける凛の目を、ヴァニは真っ直ぐに見ている。
 と、いきなり横に気配を感じて凛が見ると、骸骨が立っていた。驚く凛に、骸骨はまるで紳士のように慇懃に一礼した。
「可愛いお嬢さん、君と踊りたいってさ」
 ヴァニがからかうように言う。その目が踊っている。
 凛は椅子から静かに立ち上がり、骸骨に向かってぺこりと頭を下げた。
「リン……」
 やや心配そうに見るシェリルをよそに、凛は差し出した骸骨の手を取った。あまり気味のよくない演出だが、害意は感じなかった。
「上手く踊れるかどうか、心配ですが……よろしくお願いします」
 骸骨と手を握ると、どこからか音楽が聞こえてきた。洗練された舞踏曲というよりは、素朴な民族音楽のような軽快な曲だった。
 そして骸骨の踊りも、ホールドを組んで緻密なステップを踏むようなそれではなく、腕を伸ばしたり曲げたりして近づいたり離れたりしながら跳ねるように動く、何となくフォークダンスに近いそれだった。不思議なダンスだったが、リズミカルな動きが、いつしか凛は楽しくなっていた。
「あはははははは」

 突然、ヴァニの爆笑が響き渡り、骸骨はぽんっと煙のように消え失せた。音楽も消えた。
「あははは、おもしろ……だって、この絵に、そっくり……」
 ヴァニは笑い転げながら、テーブルに倒れ込むと突然、姿を消した。いや、一冊の本がそこにあった。
 華奢な少年姿のそれからは思いもかけない、かなり大判で厚みのある本だった。本はあるページを開いていた。凛も含む契約者たちはそれを覗き込んだ。
「あまり似てないと……思うけど……」
 北都が呟く。そこには、ヨーロッパあたりの昔の農民風の若者や少女が、骸骨と踊る版画の絵が載っていた。手足の描き方は、だいぶ大仰で滑稽だ。凛の踊りぶりは確かにこんなではなかったろうと、シェリルも思った。
「他のページを見ても、いいですか…?」
 そのことにはこだわる様子もなく凛が訊くと、≪どうぞ≫と声が聞こえた。
 同じような、骸骨と踊る人間の絵が何枚もあった。だが多くは、静物画であった。テーブルの上、盛られた果物の中や、積まれた本の隣、置かれた楽器の影や華やかな鎧の傍らに、頭蓋骨が描かれている、そんな絵ばかり。
 表紙には「画集『ヴァニタスの世界』」とあった。
「ヴァニタス絵画、って知らないかい?」
 姐さんが、不思議そうに見入る凛たちに声をかけた。
「中世ヨーロッパで興った静物画のジャンルの一つでね。物質的な豊かさを意味する静物の中に、人の命の儚さを暗示する骸骨や腐っていく果実を描きこむ。いわゆる『メメント・モリ』――死すべき運命を忘れるな、って意味のあれさ。その精神を表現する芸術だ」
「骸骨と踊る絵もありますけど」
「それもメメント・モリ的絵画。死の舞踏ってテーマだ。ただ単に虚栄のむなしさと死の恐ろしさを表すだけじゃない。死は貧者にも富者にも等しく訪れる、だから誰もが骸骨と踊る」
 分厚さは伊達ではなく、絵画の量は膨大だった。筆致や作風から見るに、様々な画家の絵を集めたようだった。
「骸骨が多すぎて気持ち悪くなったんじゃないか?」
 少しからかうような声を、姐さんは、画集を見る凛たちに投げかける。シェリルが顔を上げた。
「別に気分は悪くないが……なぜこの本が迫害を? 不気味に思う者もいるかもしれないが、そもそもそういうジャンルの絵なのだから」
「よく聞く話さ。それを読んでた中のバカな一人が、『この世は虚無だ』とか抜かして、世間を震撼させる凶悪犯罪を起こし、本がバッシングされた。無名な画家にまで手を伸ばした膨大な蒐集量も、却って災いした。悪評が立ってから、著作権のことでもめた作品もあったとか」
「……惨い話だ。受け取り方は人それぞれなのに」
 そう言って、シェリルは姐さんをじっと見た。
「君はずいぶん、落ち着いているんだね。絵画の知識もあるようだけど……君も、画集か何か?」
「あたし? まさか」
 姐さんはぷっと吹き出した。それから、何も恐れていないような、あけすけな口調であっけらかんと言い放った。
「あたしは『山羊髭夫人の茶会』ってもんだよ。内容は、まぁいわゆるゴシップ集ってとこかね。中世の有名な魔術師や錬金術師に特化した、ね」
 それから、同じ口調でとうとうと、その一例を話し始めた。年老いた黒魔術師が、パトロンの貴族夫人と一夜の儀式で何をしたか、宮殿に密かに抱えられていた魔術師が、呼び出した女性の姿を取る魔性を相手に……等々。余りにエログロな内容に、北都とクナイはぽかんと口を開け、シェリルは思わず凛の耳を両手で塞いだ。
「それは……すべて本当の話なんですか?」
 クナイに訊かれて、姐さんは「さぁ?」と鷹揚に首を傾げた。
「ゴシップだからね。読む方にとっては面白おかしければそれでいいのさ。けど、たまに本気で力のある魔術師に存在を消されそうになったから、中には本当の話も混じってたんだろうよ」
「それじゃあ、ずいぶん苦労したんだね」
 北都の言葉に、
「まあね。当局には風紀を乱す悪書指定されて焚書寸前までいったよ。両側から睨まれて、我ながらよく生き延びられたものだと思うね」
 かなり過酷であったろう過去を、さらりとハスキーな声で零して、姐さんは溜息をついた。溜息だけだった。


 最初よりは打ち解けてきた空気の中で、姐さんと、人の形に戻ったヴァニを相手に、凛は、灰の司書に関する話をした。パレットがリピカに出した指示のことも。
 パレットが己の滅びをも見込んだ指示を出していたことには、二人は一見表情を変えないように見えたが、動揺を隠しきれずに目を泳がせたのはヴァニの方だった。
「全く……あいつは全部抱えたがるねぇ。こと司書に関しては」
 ふーっと息をつき、姐さんは言った。
「お二人は、司書さんのことをどう思いますか?」
 凛の質問に、姐さんは少し首を傾げて考えた後、答えた。
「正直に言うと……大事な存在で、しかし同時に負担だ」
「大事、だけど負担……」
「特に、こんなことが起こるとね。司書を移動させたのはパレットだったから、彼に対しては常に自分一人に責任があると、パレットは考えているんだ」
「だからって、パレットが消えることなんか、誰も望んじゃいない。司書は……すでに骸骨と同じ存在かもしれないけど」
 思いがけず、すねたような口調でヴァニが言った。笑いの影は消え、望みのない反抗をする悲しい子供のような目をしていた。
「私にも、手伝わせてください」
 小さな拳をぎゅっと握って、凛は身を乗り出して言った。
「皆さんが安心してここに留まり続けられるように。
 エルドさんに納得して引き返して頂くには、表紙しかない本、その実物を見せるしかないのでしょう?
 なら私が行きます。表紙を持って、エルドさんのところへ。ですから、灰の間へ行く方法を探って頂けるよう、お願いします」

「いやいやいやちょっ」「待て待て」
 さすがに慌てた様子で、ヴァニと姐さんが口々に押しとどめる。
「気持ちは有難いが早まるな。今結界内は乱れ飛ぶ魔力でひどく不安定になっているはずだ。取り敢えず待て。灰の間もどうせすぐには開けないし」
 姐さんはそういうと、一方で、こちらの話を傍らで聞いていた北都とクナイに、
「蔵書を運び出したいって話だったね、そっちは?」
「うん」
「大切に扱わせていただきますし、ちゃんと安心できる場所まで運ぶと約束します」
 北都とクナイの返事に、姐さんは頷いた。
「…非常時だ、素直にお願いするとしようか。よろしく頼むよ。ヴァニ、蔵書の場所へ案内してやって」
 三人が庭園の柵の向こうに立ち去ると、姐さんは改めて、凛とシェリルの方を向いた。

「灰の間へ行く方法、考え付かないわけじゃあない。
 けど、それはどうしても、あたしらだけでは難しいんだ」