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悪魔の鏡

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悪魔の鏡
悪魔の鏡 悪魔の鏡

リアクション

「ところが、そうは問屋が卸さないのが世の常人の常。……そこまでよ、止まりなさい」
 教導団の本拠地を最後に発ったルカルカ・ルー(るかるか・るー)が、騒ぎの渦中にある空京の町へ到着していた。
 団長から直接、鏡とニセモノの早期消滅を言いつけられている。先ほど受け取った淵からの電話でも計画の変更はないとの事。やはり、放置しておくわけには行かない。
「とりあえず、お二人さん。詳しいお話を聞かせてもらいたいわね。ちょっと一緒に町を歩きましょうか」
 繁華街で買い物を楽しんでいた蓮華と金(偽)を発見できたのは、偶然のことだった。一部で騒然とする街並みに異変を覚えながら捜索を始めていたルカルカは、ブティックから出てきた二人とばったり出会ったのだ。
 スーツにビシっと着替え、紳士のようにソフト帽をかぶった金(偽)を上から下まで見やって、ルカルカはクスリと微笑んだ。
「サラリーマン金ちゃん、再びってこと? やっぱり似合ってるわ、あなた」
「いえ、あのこれは……」
 蓮華は慌てて弁解口調になる。別に、自分の好みだとかスタイルを気にしたわけじゃない。人ごみに紛れるなら、やはり普通のサラリーマン姿が自然ではないかと思っただけだ。ちょっと一緒に食べ歩いたけど、これは作戦遂行に必要なのであって……。
 じっと見つめてくるルカルカの視線を気にしながら、蓮華はゆっくりと街中を歩き始める。なんとも言いがたい沈黙の中、一緒についてきた金(偽)はルカルカに言った。
「金ちゃんと呼んでくれ」
「そう……。私はルカルカ。ルカって呼んでくれていいわよ」
「ルカ、か。覚えやすい名前だ。……ところで、二人は知り合いなのか?」
 ルカルカと蓮華に交互に視線をやりながら、金(偽)は興味深そうに聞いた。
「……まあね。もちろん、金ちゃん。あなたの本物ともね」
 ルカルカは複雑な表情で答える。団長そっくりの人物が自分の事を初見なのは奇妙な気分だった。何も覚えていない、何も知らない真っ白な記憶に刷り込むような口調で、彼女は静かに告げた。
「……いいこと、よく聞いて。金ちゃん、あなたのこと、団長から消滅させるよう命じられているの」
「そのようだな。まあ、自分が彼だったらやはり同じ判断をするだろう」
 金(偽)は、戸惑った様子もなく淡々と答える。抵抗するつもりもないらしい。その潔さも落ち着きぶりも団長そっくりだ。そんなことできっこない、とたかをくくっている様子はなかった。自分を理解し、受け入れ、悟りを開いている口調で、彼は続ける。
「話は聞いているし、状況は把握している。後は任せるので、良いように対応してくれればいい」
「あなたにはいくつかの選択肢が用意されているわ。教導団に忠誠を誓い、国軍のために働く気があるなら、居場所くらいはつくれるかもしれないのよ……?」
 金(偽)のあまりにもそっくりな姿に、ルカルカは悩ましげな表情になった。
 団長はああ言ったし、彼女もその命に背くつもりはない。なのに、ここで彼を消滅させるのは惜しい気がした。ニセモノとはいえ、その能力は金鋭峰と同じだ。素行を改めさせ育成すれば、相当な人物になるだろう。英才教育で得た知識と給金を受け取った後は、自由に生きればいいと思う。その頃になれば、ニセモノとて市井で民衆のために役立ち社会に大いに貢献できるだろう……。
 しっかりとした監視をつけ教育することを約束するなら、団長も気が変わるかもしれない……。
「やっぱり……殺したくない。彼らも生まれた者よ、生きているのよ」
 ぽつり、とルカルカは呟く。蓮華も、同感と頷いた。
 葛藤する二人を見比べながら、金(偽)はポンと手を打つ。
「……とりあえず、考えても仕方がないから、盛大に遊ぶか。好きなところへ行ってくれていいぞ。この金ちゃんの奢り、どの店も顔パスだ」
「だから、それはダメだって!」
 ルカルカと蓮華はハモりながら突っ込む。すぐに、クスリと笑った。
「もう……本当に、仕方ないわね」
 二人は、半ば呆れながらも提案に乗ることにした。お代は彼女ら持ちになってしまうが、不満はない。言うことだけはいっぱしだが世間慣れしていない金(偽)を引き連れて、ルカルカと蓮華は目一杯楽しんだ。せめて、彼が生きていた証を残すように……。
「うん、こんなひと時も悪くない……」
 満足げな金(偽)だったが、ふと街角に視線をやり眉根を寄せた。
「どうしたの?」
 聞くルカルカに、金(偽)は人ごみに紛れて姿を隠そうとしていた一人の男を指差す。
「あいつ……。バビッチ・佐野だ……ニセモノの、な」
「……へえ、彼がそのなの? そういえば……、バビッチ・佐野が最初に鏡を作り出した時にニセモノが出現して鏡を奪って逃げたって聞いたけど」
 初めて見る噂の錬金術師の姿に、ルカルカは表情を変える。
「じゃあ、彼が悪魔の鏡の一枚を持っているって事? あれが、最初の一枚目、かぁ……」
 蓮華もその男の姿を視線で追った。金(偽)とのひと時の余韻に浸っていたのか少しの間ぼんやりとその姿を眺めているだけだったが、すぐに我に帰る。
「そうだ、捕まえなきゃ! 持っている鏡を破壊したら、事件は解決よ!」
「破壊じゃなくて、一枚目の鏡は持って帰りたいんだけど」
 いずれにしろ、ここで見逃すつもりはない。蓮華とルカルカはバビッチ・佐野のニセモノに駆け寄りかけて……。金(偽)を振り返る。鏡を破壊すれば、恐らく彼も消えてしまう……。彼は、どうぞお好きなように、と頷いた。
「悪いようにはしないから……」
 ルカルカは、彼のそう言い残す。
 少しの間、金(偽)には待っていてもらうつもりだった。コピー体とはいえ、バビッチ・佐野を見つけたからには少々荒事になるかもしれない。せっかくの金(偽)との間に作られつつあったムードをぶち壊したくなかった。
「覚悟しなさい、バビッチ・佐野……のニセモノ!
「!」
 相手は、全力で逃げ始めた。ルカルカと蓮華が、コピーバビッチを追いかけ始める。
「……ふむ」
 特にやることもなく、その場で二人を見送った金(偽)は、しばらくその場に佇んでいた。言われたとおり、二人の帰りを待つとしよう。
 ……。
 と……。
「あれれ、そこにいるのは金ちゃんじゃない。アタシは“サオリン”よ。また会ったね。よろしくね!」
 突然どこからともなく姿を現した少女が金(偽)を見つけて声をかけてくる。
 昨日出会ったばかりのドッペル仲間の“サオリン”だった。世間知らずのお嬢様風の可愛い女の子で、パンを咥えて走ってきた彼女とぶつかったのが縁で知り合ったのだ。しばらく、あの黒バイクで逃避行を続けた後、結局捜索の追ってを撒くために散り散りになってしまったのだ。再会に感激した彼女は、馴れ馴れしく金(偽)の腕を取ると、快活に微笑みかける。
「昨日は、あまりお話が出来なくてごめんね。お互い変な人たちに追いかけられていたもんね。でも、今日は時間たっぷりあるよね」
「俺は、他の女性と待ち合わせをしているのだが」
 金(偽)は、ルカルカと蓮華が去っていった方角へ視線を投げかけながら答えた。
「おお凄いね、金ちゃん! さっそくモテモテですか〜。ハーレムラノベの主人公みたいだね! でも、気にしない気にしない。彼女らだって、パートナーにオトコいるんだから!」
 サオリンは、ちょっとだけ皮肉げな視線で目をやると、言い含める口調になった。
「“オリジナル”には気をつけなきゃね。結局最後は裏切るんだから……」
 サオリンは、すぐに笑顔に戻ると金(偽)を引っ張って歩き始める。
「さあ、行きましょう! アタシが空京の町を案内するわよ」
「どうなんだろうか……?」
 金(偽)は先ほどまでいた二人を気にしつつも、主体性がないのかなすがままに連れられていく。二人は、そのまま繁華街の人ごみの中を歩き始めた。
「やっぱり、シャンバラ大平原で木こりになろう……」
「?」
 サオリンは一瞬怪訝な表情で首を傾げたが、すぐに別のことを思い出して聞いてくる。
「そういえば、金ちゃん。昨日乗っていたバイクはどうしたの? あたし、一緒にドライブしたかったんだけど……」
「ああ、あれならさっき灰になった。もう一台の愛車の“関羽2号”も道端に捨ててきた」
「……何よ、“関羽2号”って?」
「公園で乗っていたスケボーだ。個人的には気に入っていたのだが、蓮華はあまり好みではなかったらしい」
「そうなの……?」
 よくわからなかったが、サオリンは頷いた。細かいことを気にせず、今日は遊ぼう。
「だが、そうか……。ドライブをしたかったのか。なら心配はいらない」
 金(偽)は少し考えていたが、メインストリートに面した自動車ディーラーを見つけ、足を運んだ。店内には、不似合いな女の子が一人車を眺めているだけだ。金(偽)は店に入っていくと、店員に話しかける。
「車を一台ほしい。女の子を載せて走れるやつ」
「……!」
 店員は金(偽)の顔をまじまじと見つめると血相を変えて店の奥へと駆け込んでいった。代わりに、店長と思しき男が大慌てですっ飛んでくる。揉み手をしながら愛想笑いで擦り寄ってきた。
「こ、これはこれは、金さま……。このような店へ足をお運びとは光栄至極に存じます。……お車でございますか? ええ、もちろん極上モノをご用意させていただきますよ。どうぞこちらへ……」
「うむ、ご苦労」
 金(偽)は、様々な車が並ぶディーラーを物珍しげに見回しながら、一台一台物色していく。
「あ〜、あたしこれがいい。金ちゃんにも似合うし、これにしようよ」
 一緒に見て回っていたサオリンが、とんでもない値段のついた高級車を指差す。金(偽)も一目見て気に入ったようだった。
「そうか……。確かに良い作りだな。“関羽3号”と名づけよう」
「こちらでございますか。さすがお目が高い。金さまにふさわしいお車でございます。では早速……」
「キャンセル」
 残念ながら、店長の言葉は途中で遮られた。
 呆気に取られて目を見張っていると、もう一人、こっそり店内にいた女の子が、あっという間に金(偽)とサオリンを引っ張り出す。
 金(偽)とサオリンは、その女の子に導かれるままに街を走った。
「いい加減にしようよ。これ以上迷惑かけると、“本物”に殺されるって。いや、もうじき消滅させられるんだろうけどさ、それにしても……」
 しばらく逃げてから、息を切らせて彼女は言う。
 公園で別れた笠置 生駒(かさぎ・いこま)だった。あの後、やっぱり金(偽)のことが気になって、街中をうろうろしていたのだ。外が寒いので暖まっていこうと思ったのと、元々機械モノが好きなので、店員の冷たい目も気にせず車を見ていたのだが。偶然とはいえ捕まえることが出来てよかった、と彼女は胸をなでおろす。
「何よ、あんた……?」
 胡乱げな目で生駒を見つめるサオリン。
「笠置生駒。見ての通りの、迷子だよ」
 生駒はドヤ顔で言ってから、ちょっと休んで行こうと動物園を指差した。
「まあいいわ。デートにはぴったりの場所かもね。ねえ、金ちゃん一緒に入ろうか」
 サオリンは、とりあえず生駒の存在は放っておいて、動物園を楽しむことにしたらしい。
「大人三枚」
 これ以上ドッペルゲンガーたちにタダで買い物(?)をされては困ると、生駒は自分の財布から券を購入した。騒ぎに巻き込まれて痛いが、仕方がない。
「わあ……!」
 サオリンは動物園に入っていくと歓喜の声を上げた。彼女とて初めての体験だったのだ。
「あっちの可愛いの、触り放題だって。ねえ、一緒に抱こうよ」
 彼女は金(偽)と共にウサギを見に行った。
「……」
 動物園のベンチに腰掛けた生駒は、さてこれからどうしたものかと頭を抱えた。一緒に空京に来ていたパートナーは見つからない。おまけに成り行きでドッペルゲンガーまで引き受けてしまった。教導団に引き渡すのが筋だろうが、それはあまりいい気分ではなかった。
「……ん?」
 生駒は、今何か見覚えのあるものが見えた気がして顔を上げると、正面のサル山に視線を向けた。餌の取り合いでもしているのか、ボスの座をかけて決闘しているのか、サルたちが激しい取っ組み合いの喧嘩をしている。こちらの悩みも知らずにいい気なもんだ……。
「んん……?」
 生駒は目を凝らす。
「ウキキィ〜ッ!」
 そのサル山にいた一匹(?)が、生駒の姿を見つけて叫び声をあげた。
 自分そっくりのサルと喧嘩をしていたのは、彼女のパートナーのジョージ・ピテクス(じょーじ・ぴてくす)だった。ジョージは、生駒の太古のご先祖様で、類人猿時代の大賢者なのだ! パラミタに英霊として降臨していたが、どう見てもやはりサルだった。
「ウキキキキィィィ!」
 ジョージは、生駒に応援を頼んだ。知らぬうちに自分のコピーが現れて、追いかけているうちにサル山へと転がり込んでしまったのだ。縄張りを荒らされた動物園のサルたちは怒ってジョージとコピーを袋叩きにすべく襲い掛かっているため乱戦が繰り広げられていた。
「やれやれ」
 ようやくパートナーを見つけたと思ったら、これか……。生駒は腰を上げる。
 その時だった。
「見つけたわよ、追って!」
 動物園の雰囲気にそぐわない、物々しい軍勢がやってきたのがわかった。
「……!」
 生駒は、サル山に近づく前に表情を凍りつかせてその場に固まる。
 教導団憲兵隊。
 通報を受けた李梅琳が、部下を引き連れて生駒の目の前を猛然と通り過ぎて行く。空気が一変した。
 サオリンと動物で遊んでいた金(偽)を見つけた梅琳が近づいていく。
「お遊びもここまでにしておきましょうか」
「な、なによ、あなたたち……!」
 サオリンが驚きの声を上げた。あっという間に取り囲まれてしまっていたからだ。
「うん……、サオリのニセモノ、ね……?」
 梅琳は、金(偽)の傍のサオリンの姿を見て、ケータイを取り出した。葦原明倫館の生徒であるサオリ・ナガオ(さおり・ながお)に電話をかける。
「サオリ、今どこで何をしているの? ……団長に命じられて、教導団の事務所で延々と書類整理……。それはご苦労さんね。……いや、なんでもないわ」
 梅琳はケータイを耳に当てたまま、ふっと笑った。
「一つ確認しておくけど、昨日非番で空京に遊びに行ったわよね……? ……じゃあ、その時にというわけか。プライベートまで干渉するつもりはないけど、ほどほどにしておかないと、知らぬところで変な事件に巻き込まれていたりするわよ。疑われたくなければ気をつけることね……」
 受話器の向こうでは、状況のつかめていないサオリがまだ何か言っていたようだが、梅琳は構わず電話を切った。きっと今頃何事かと首を捻っていることだろう。
「さて、ようやく私も交通整理の職務から解き放たれたわよ」
 梅琳はケータイを手にしたまま、率いていた部下達に命じる。
「回収しなさい」
「回収してみろ」
 金(偽)は、腕を組んでずずいと立ちはだかる。
「ちょっと待ってよ! 何よ、“オリジナル”だからって偉そうに! あたしたちのことを放っておいてくれてもいいじゃない!」
 サオリンは、先ほどまでの楽しげな表情を完全に消して怒りを露にした。殺到してくる捕獲者たちに向けて遠慮なく【神威の矢】をぶっ放した。金(偽)の手を引いて反対側へと逃げ始める。追いかけてくる部下たち。
 梅琳はその様子を冷ややかに見つめながら、別の番号に電話をかけた。
「蓮華、聞きたいこと……いや、尋問したいことがあるの。直ちに憲兵科まで出頭しなさい」
 梅琳は無表情で告げる。留守番電話に、だ。蓮華は電話に出なかった。
「……いい度胸じゃない」
 ため息をついた梅琳は、空を見上げた。憲兵科に所属していながら己を見失うとは……、これが恋というものか……?
「本当に残念よ、蓮華」
 梅琳は呟くと、もう一度今度は教導団本部との連絡を取る。
「団長に繋いで。そう……董蓮華の処遇について。最悪の場合は……」
「……」
 生駒は、ジョージを連れ出すとこっそりとその場を離れる。観察して楽しんでいる余裕はなかった……。