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月の蜜の眠る森

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第一章 禁じられた森 1

 禁じられた森は、まさしく死の森というにふさわしかった。
 あたり一面は黒く腐敗した草木で覆われ、並び立つ樹木たちも黒い枯れ木となって、周囲を埋め尽くしていた。瘴気に満ちた霧のようなものがあたりに立ちこめ、先の様子は見えない。
 そんな死の森に足を踏み入れたレイン・ハーブルたちは、慎重に歩を進めていった。
「ここが禁じられた森か……。なんだか、おっかないところだねぇ」
 蒼く輝く二つのチャクラムを後ろ手に持ちながら、永井 託(ながい・たく)がつぶやく。
 他の契約者たちも、それには同意せざるえないところだった。
「イルミンスールの隅にこんなところがあるなんて、思わなかったわ。みんな、はぐれないようにしてね」
 一行の中間ぐらいで、奥山 沙夢(おくやま・さゆめ)が呼びかける。一同はうなずいた。
「レインさんも、絶対に私たちから離れないでくださいね」
 遠野 歌菜(とおの・かな)が、後ろにいたレインにふり返った。
 大きなリュックサックの荷物を抱えるレインは、おっかなびっくりしながらこくこくとうなずいた。
 なんだか頼りない人だなぁと歌菜は思ったが、それは口には出さないでおいた。そのために、自分たちがいるのだとも、理解していたからだ。それに、レインは確かに戦闘には不向きで頼りなさげだが、熱心に地図を見ながら、仲間たちに声をかけていたのだから。
「この先にたぶん、湿地帯があります。そこを抜ければ近道じゃないかと」
「湿地帯か……。ローザマリアからの情報だと、森が死滅してから出来たものらしいな」
 月崎 羽純(つきざき・はすみ)が銃型HCを確認しながら言った。
 彼は横で、歌菜が悲痛そうな顔をしているのに気づいていた。心を痛めているのだろう、と羽純は思った。歌菜は、こちらが見ていてつらくなるぐらいに心優しい少女なのだ。森の傷ついた様子を見るたびに、胸が苦しくなっているのだろう。羽純はそれに気づいたからこそ、余計に、自分の心にも怒りのようなものを感じていた。
 湿地帯では腐った樹木が溶け出していて、異臭を放っていた。羽純が顔をしかめる。
「これが、人間のせいだっていうんだからな……」
 御神楽 陽太(みかぐら・ようた)が続けるように哀しげな顔で言った。
「あまり、信じたくない光景ではありますよね」
「でも、希望はあります。この奥地にある遺跡で、暴走している装置とやらを止めたら、もしかしたら森も元に戻るかもしれません。それに、そこにはきっと“月の蜜”だって……」
 レインが言う。
 すると、その言葉を聞いていた綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)が、気にかかったようにたずねた。
「ところで、レインさんはどうして“月の蜜”をそれほど欲しがるの?」
「どうしてって……」
 レインは困ったように言葉をにごす。
 大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)が両手を頭の後ろに回しながら言った。
「そやなぁ……いくら万病に効くとはいえ、薬草や。そこまでしてこだわる理由は気になるなぁ」
 そのために、こんな危険な森に足を踏み込もうというのだ。
 いくらレインが研究熱心だからといって、それだけで納得できるものでもなかった。もちろん、泰輔たちとて、無理に聞こうというつもりではないが。レインが口を閉ざすなら、仕方ないと思っていた。託や陽太たちも、レインを見つめる。
 レインはしばらく黙っていたが、やがて、ごまかすような苦い笑みを浮かべながら、口を開いた。
「妹が……病気なんですよ」
「病気? 死に関わるものとか?」
 さゆみがたずねる。
 レインは首を振った。
「いえ。でも、死んでいるも同然です。十年前に意識を失って以来、ずっと寝たきりですから」
「それってもしかして――植物状態とかいうやつか?」
 託がおそるおそる聞くと、レインはうなずいた。
「ええ。もう十年間ずっとです。命に別状はないですし、ちゃんと息もしてるんですけどね。どうしても医者の力では治せません。どこが悪いのかも、よくわかっていないんですから」
「そうか。だから、君は、医者とか医療じゃなく、薬草にこだわるんやな?」
 泰輔が言った。薬草なら、人間の手では解明出来ないような不思議な力を持っているものもたくさん存在する。それらを調べていけば、いつかは妹を治すことのできる薬草を見つけることが出来るのではないかと、そう、レインは考えているのだった。
「ちゅーても、独学はちょっと危険やないんか? どっかの師匠につけば、失敗談とか過ちも知ることが出来るし、自分の知恵も身につけられる。一石二鳥やないか。どうしてそこまで、独学にこだわるん?」
「別に、独学にこだわっているわけじゃないですよ。ただ、自分で探して、目で見て、実感していくほうが、僕の性に合ってるってだけです。どうにも、机の前は居心地が悪くて……」
 レインはバツが悪そうに頭をかいた。
「いや、その気持ちはよくわかるよ」
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)がうなずいた。
「俺は薬草じゃなくて植物の研究をしてるんだけど、やっぱり、直に体感したいって気持ちが強いんだよね。それはきっと自然と関わる研究家なら、誰もが抱く想いだと思う。ねえ、佐々木さん」
「ん?」
 周りの植物に気を取られていた佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は、エースに声をかけられてふり返った。
「あ、ああー……そうだねぇ。薬草と薬学。似て非なるものだけど、ワタシもその効能に興味がそそられる。薬学に使う材料となる、薬草や植物は、直にどんなものか見ておきたいし。やっぱり、実感と体感は大切だよねぇ……」
 うんうんと、弥十郎はうなずいた。
「はぁー……そんなもんかねぇ」
 泰輔は感心したようにつぶやく。が、さらにあきらめず続けた。
「でも、レイン。君が優秀な人材であることは間違いないはずや。薔薇学なら、その研究意欲や、実際に目で見て確かめたいっていうフィールドワークも、尊重してくれる。机にしばられた学問ではないかもしれんけど、机と向き合うのも大切やで。僕、君みたいな優秀な人が学校行かへんのなんて、納得いかんわ。どや? 君さえよければ、僕が薔薇学に口利きを……」
 泰輔はそう言ったところで、レインが首を振っているのに気づいた。
「やめとくよ。そりゃ、僕だって大久保くんの言うことはよくわかる。たぶん、それも大切なんだと思うし、学校に推薦してくれるっていうのも感謝してる。だけど、僕にはまだまだやることがたくさんあるからさ。わがままだろうけど、わかってくれないか?」
 レインにそう言われて、泰輔はしばらく残念そうに口をへの字に曲げていた。
 だが、決して物わかりの悪い泰輔ではない。やがて、よし、とうなずいた。
「……わかった。僕個人は、まだまだ残念やなぁって気持ちが強いけど、君の気持ちも尊重せんとな。でも気が変わったら、またいつでも言ってきて良いんやからね? 僕は待ってるで」
「うん、ありがとう」
 レインはほほ笑んで、泰輔もそれに笑った。