校長室
【原色の海】アスクレピオスの蛇(第3回/全4回)
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第9章 願い 小型飛空艇から島へと降り立った関谷 未憂(せきや・みゆう)と二人のパートナーは、それぞれベルフラマントの胸を合わせ、身と、なるべく気配を隠して残骸の島中央部へと進んでいた。 彼女たちから漂う“生”の匂いは隠しきれずにアンデッドたちの関心を引いたが、殺気を感知することで隠れ、やり過ごす。 しかし、視界が悪いのはこちらだけのようだ。 ゾンビはともかく、スケルトンの落ち窪んだ目に視神経が通っているとは思えないが、不思議に霧も雨も彼らの視界を妨げていないように見える。 のっそりと歩くゾンビが通り過ぎるまで、じとじと湿った遮蔽物に埋もれるようにして身を隠すのは不快だ。 「マント着ておいて良かったねー。身を隠すっていうより、雨避けで」 リン・リーファ(りん・りーふぁ)が小声で未憂に言った。 島の中央部に近づこうとしては、瓦礫で遠回りをしていて、なかなか進んでいる実感がしない。ただ雨は少しずつ強くなってマントの表面を叩いていた。 瘴気がうっすらと広がっているためか、それは死が彼女たちの身体に侵入して仲間に取り込もうと、ノックしているように感じる。 「雨も蛇さんが呼んでるのかなー」 「蛇、ですね。フランセットさん曰く『ウロボロスの抜け殻』ということでしたけど、ウロボロスと言えば自身の尾を食べて輪になっている蛇の姿。循環とか完全とかのイメージですね。その『抜け殻』と呼ぶのは、何か意味を込めての事なんでしょうか……」 幾つか想像をめぐらせては見るものの、これとぴったりくるようなものは見つからない。 「……頭で考えていても、わからない事なら、自分の目で確かめましょう」 「うん」 彼女たちは休憩の後、再び歩き始める。 不安は募ったが、上空では海蛇が契約者たちと戦い、どこかで風が巻き起こり、或いは砲撃が地面を揺らす度に、一人ではないと感じた。 見つかればアンデッドに神聖な光や炎を浴びせて進む。 無口なプリムの小さな唇から放たれた“咆哮”が、ビリビリと空気を震えさせ、アンデッドたちをひるませた。 「誰かの望んだ何かのついでにここにあるものも全部、ナラカから引っ張り出されちゃったのかなー」 その合間に、リンがいつもの栄養満点スープ――ギャザリングへクスを飲み干して、高めた魔力を掌に集める。 「自分の意思で来た訳じゃないのに、殴られたり燃やされたり踏んだり蹴ったりだねー」 「……見て」 そのうちに、プリム・フラアリー(ぷりむ・ふらありー)がくいくいと袖を引いた。 美憂と、つられてリンが上空を見上げると、一匹の小型のドラゴンが地上に降り立つのが、うっすらと見えた。 崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)がレッサーフォトンドラゴンの背から見下ろしているのは、残骸の島とアンデッド、そして――。 「先日の幽霊船の志向性があるかのような動き、その目標であった苗木を巡る一件、穢れと蛇を引き寄せる原因になる魔術……」 半ば確信があった。 殺人事件と、苗木の盗難を追っていた友人たちが“テレパシー”でそれぞれ教えてくれた情報は、彼が鍵を握っていることを示していたから。 そして、先ほど入った最新情報は、執事が彼の行先がここであると、確信を裏付けてくれた。 「……一度くらいは顔を拝んでおきたいものね」 さて、では彼の動機は何か。娘たちは本当は何者だったのか。 執事はレベッカ、と言ったらしい。 (まさか車椅子の子は入れ替わりなどでなくレベッカ本人で、寧ろレジーナが……? フフ、どっちにしろアナスタシアちゃん、ドンピシャかもよ) 彼女の近くには、亜璃珠の友人を含め、百合園の生徒たちがいるはずだ。 そちらは任せるけど気を付けてね、と彼女は願ったが――それよりもこっちもまた、ドンピシャ、だったらしい。 亜璃珠はドラゴンの首筋を叩いた。ドラゴンとしては小型のこの種は、光のブレスも備えており、今回の“仕事”には都合が良かった。 「……行って」 彼女の意思を汲んだドラゴンは下に向けてブレスを吐きかけて付近のアンデッドを一掃すると、不安定なその場所に降り立った。 黒いフード付きマントを目深に被った彼は、こちらを見上げると、亜璃珠が悠然と踏み出すのを待っていた。 死者の島にあって意思がある者、といえば生者である。顔など知らなくとも見慣れぬ人物であれば、彼だと特定は容易だった。 「穢れのたまり具合は絶好調。あなたの目的も近い筈……そうじゃない? ジルド・ジェラルディ」 そう言いながらも、彼女はコンスタントに友人から送られてくる“テレパシー”に、ジルドの発見を報せた。 契約者と非契約者、まともに戦って負けるわけがないが、ここは彼の仕事の結果だ。油断はしないに越したことはない。 “護国の聖域”を自身に展開し、いつでも“ライトブリンガー”が発動できるように備える。 同時に、ジルドを注意深く観察した。 マントにバッグパックを背負った、旅の魔術師と言った風体。片手に杖を持っている以外に大型の武器は携帯していない。マントの下に何も隠していなければ、だが。 「今ここにいるということは、来ることを見越していたというわけか。それとも執事が話したか」 ジルドの声は、落ち着きの中にも感情の昂ぶりが感じられる。 「どちらにせよ、儀式の達成は間近。誰にも邪魔はできん……ほう、新手か」 ふと横を向くと、走ってきた三人の人影があった。 それは亜璃珠の知っている契約者たちだった。 「あの方向から宝の存在を感じます――」 と、パートナーたちに話しながら先頭に立っているのは、未憂だった。彼女は対峙する二人の姿を見て、足を止める。 「……これで1対4になったわね」 亜璃珠はそう言って笑みを浮かべて見せたが、それはジルドも同じだった。 「時間が経てば経つほど、瘴気に絡めとられ、アンデッドは生者を求めてやってくる……」 確かに、遠くから材木を踏みしめる音、転がる音、カラカラとなる骨の音がかすかに聞こえてきた。 亜璃珠は美憂に注意を促す。 「彼はジルド・ジェラルディよ。ところで、宝って何のこと?」 「魔術の媒体に価値があるものなら、分かるのではないかと思ってきたんですが……そちらの方向に、丁度ドラゴンが見えましたから」 「ということは、やっぱり何か隠し持っているという訳ね?」 「価値があるものが魔術の媒体、とは限らないが」 彼女たちの言葉に、ジルドは返す。返して、話題を強引に変えた、のか。 「大金をばら撒いて探させ、大金を積んで手に入れた。そして人の幻想によって無価値となる金などではなく、この上なく価値のあるもの……」 「で? それを使って何をしようというのかしら」 危険だと感じた亜璃珠は踏み込んで、龍殺しの槍を突き出した――が、それはジルドに当たる事が無く、表面を滑るように空気を切り裂いただけだった。 「魔法円……魔法陣は、術者を守る結界として使用された例が多い。魔法陣の外の円は障壁だ。 魔法陣と聞いて召喚魔術を思い出すものは多いだろう? 障壁がなければ、呼び出した悪魔が術者をあっという間に殺して外の世界に出てしまう。 そう、魔法陣は扉。……多くの力を与えることができれば……より多くの見返りが得られる」 ジルドの声に不穏なものが混じり始める。 彼は、大規模な悪魔を召喚できるほどの魔術師ではない。もともと錬金術師であり、死者を蘇らせることに執着したのは最近だ。 「この海域はうってつけだった。一定期間で濁りがたまり、復活する。その濁り……つまり材料は死者だ、簡単なことだ。新たな死者を捧げれば、蛇は失われた“魂”を連れてくる」 「初心者に優しい怪物なんてぞっとしないわね」 その取り戻したい失われた魂というのが、娘なのだろう。だが、その魂が完全なものとは到底思えない、と彼女は思った。 寧ろ蛇が蘇らせたアンデッドに魂らしきものがあるかどうかすら疑わしいのに……。 「あ……」 未憂は、ただ一つ、忘れていたことを思い出した。フランセットはその名を付ける前、海底で言っていた。蛇が「輪廻を捨て口を開けた」、と。 「ところで、魔法陣を描くのに必要なモノは知っているかね?」 ジルドは杖を振り上げる。それは、苗木ではないが、立派なものだった。貴族ともなれば金にあかせて手に入れることができるのだろう。 「高位の魔術師となれば不要とも言われるが、そう、ペンとインクと紙……そう、場所、だ」 そういえば、ジルドの足元には、障壁となる魔法陣が描かれていない。 いや。 ジルドが振り上げた手、めくれたマントと衣服から覗く腕に、それは描かれていた。赤黒い、まるで血のような――いや、血そのもので描かれた魔法陣。 そしてもう一方の手に、古びた杯がある。 その中に、透明な液体が溜まっていた。 「……パナケイア……!」 空から――いや、上空をうねる黒い長大な海蛇から、どうやってか杯の中に滴り、積もっていくその液体を、彼は万能薬(パナケイア)と呼んだ。
▼担当マスター
有沢楓花
▼マスターコメント
こんにちは、有沢です。 シナリオへのご参加ありがとうございました。 私信にほとんどお返事できておらず、済みません。全て大事にいただいています。 第三回、事件の真相もほぼ明らかになりました。これから最終決戦へと続きます。 次回は、8月下旬以降、発表させていただく予定です。 では、また次回、最終回でお会いできますと嬉しいです。