蒼空学園へ

イルミンスール魔法学校

校長室

シャンバラ教導団へ

【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

リアクション公開中!

【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

リアクション

「お帰りなさいませ、旦那様」
 清泉 北都(いずみ・ほくと)の恭しい一礼。
 帰宅した旦那様のずぶ濡れのマントからは絶えず雫が滴り、絨毯に小さな水たまりができる。勿論受け取った彼の黒いスーツにも見る間に雨水がしみ込んだ。
 それを嫌なひとつ顔せず受け取る北都に、だが彼は――ジルド・ジェラルディは、詰問した。
「……あれは何の真似だ」
「と、申しますと」
「とぼけるな、あの焚火に気付かないとでも言うつもりか?」
 勿論北都はフェルナンの計画を知っている。焚火に使う木材について、煙が出やすいものを選んでアドバイスしたのは彼だ。
 雨天の夜中でも、窓からは焚火の明りと共に、もくもくと昇る煙がよく見えた。おかげで鼻のいい彼のパートナーは、しょっちゅう咳き込むはめになったのだが……。
 北都は恭しくタオルを差し出してジルドに一息つかせる。ジルドに続いて屋敷に亜璃珠が入ってきたが、こちらは別の使用人に任せる。
「レジーナ様は応接室にいらっしゃいます」
「……貴様やはり……!」
 カッ、と見開かれた眼は血走っていたが、北都は再び深々と礼をする。
「ご案内いたします」
 あくまで執事らしく。彼は普段通りにジルドを応接室まで案内し、扉を開けた。
 ジルドが立ち竦む後に続き、彼らの背後で窓をカリカリとかく番犬の狼の姿に、窓の鍵を外す。
「……ったく、鼻がバカになりそうだぜ」
 狼は――北都のパートナー白銀 昶(しろがね・あきら)は小声で愚痴ると、気付かれぬようさっと忍び込んでカーテンの背後に身をひそめる。
 予想通りというべきか、ジルドは殺気を発し、それ以上の数の殺気……というほどではないが敵対する意思が部屋のあちこちから向けられている。
 そのうちの一つは、ソファの陰から発せられている。宇都宮祥子――この事件の後では祥子・リーブラ(さちこ・りーぶら)となる女性だった。
(ひどい殺気ね。あれだけ大事にしていた娘を勝手に部屋から連れ出したんだから当然でしょうけど……)
 ジルドの姿は魔術師につきもののローブ姿で、背には飛行翼と荷物、腰には魔術の媒体でも詰まっているのか、膨らんだポーチが付いている。
 右手にねじくれた木の杖を持っているが、あれが武器だろう。
(ジルド自身が優れた術者なのは蛇やホムンクルス作成や死者蘇生を見てもわかる。下手に魔術を使われると厄介だし、集中をかき乱して捕らえるべきよね)
 ジルドが木の杖を振りかざすのを見るや否や、祥子は飛び出してその瞳を捕えた。“鬼眼”のひと睨みがジルドの動きを瞬間、止める。
(あまり使いたくはないけど……)
「“その身を蝕む妄執”!」
 祥子の術が見えない黒い悪夢となってジルドに襲い掛かる。
「もう抵抗はやめてください!」
 頭を振って悪夢を振り払おうとジルドが怯んだとみて、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)の“サイコキネシス”が飛んだ。
 強い力がジルドの手首にぶつけられ、手が緩む。掴みかけた杖は、再びの、別方向からの“サイコキネシス”に今度こそ弾き飛ばされる。小さな放物線を描いた杖は落下に入る前に、空中でぱしん、と受け止められた。
 美羽のパートナーのコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)が二種の翼を広げて飛んでいた。
 両手で顔を庇って悪夢を振り払ったジルドは、何を見たのか……やや憔悴した顔で、コハクをにらみ上げた。
 そのコハクが床に降り立つと、恋人をやや庇うように美羽が一歩進み出る。儀式に使用する道具かは分からないが、魔術にとって杖は欠かせないもののはず。
「儀式を止めて。レベッカさんのためにも、これ以上、罪を重ねないで」
 レベッカの遺体を一瞥して、再びジルドを見据える。
「レベッカが苦しむ……? もうすぐ苦しみが終わるというのに……!」
 今度は美羽を庇うように、コハクが前に出る。
「ジルドがレベッカを大切に思う気持ちは、わからないこともないよ……だけど! そのために多くの人たちの命を奪い、父親が自分のために罪を重ねたら、それでレベッカが生き返っても、当のレベッカが喜ばないと思う。レベッカを苦しませないためにも、こんなことはもうやめるんだ」
「パナケイアは私がレベッカさんに届けるから、罪を償って、これまでのことを話して、島を止めて」
「信用できるものか。貴様らにレベッカの何が分かる!」
 吼えたジルドに、殆ど黙っていたシェリル・アルメスト(しぇりる・あるめすと)が静かに口を開く。
「あなたの娘として初めに生まれてきたレベッカさんは、ずっと言っていたよ……あなたを止めて欲しいって。でも、彼女は自分では動けない。それはあなたが一番よく知っているよね?」
「レベッカがそんな……話せるはずが……!」
 ――そんなことも、気付いていなかったのか。或いは、助けを求めたあの時に、奇跡でも起きたのか。
 シェリルは内心思いながらも、横にいるクローンのレベッカに視線を移して、
「……だから、その役目もここにいるレベッカさんが引き継いだって訳さ」
 父を止めるのは娘の役目……ってね。
 シェリルはそう思ったのだろうが――そのシェリルの瞳を、クローンは見た。そうして、混乱しているように凛を見る。
「違う、私は……! 違うっ、違うっ!!」
 喉元をかきむしるような仕草をしてから、彼女は立ち上がると、ジルドへ向けて突進した。獣のような動きだった。
「それを……寄越しなさいっ……!」
 その手の中に、魔法の光があった。


「死んで終わりなんてさせねぇぞ!」
 手でその魔法を至近距離で打ち込もうとするレベッカのクローンと、ジルドとの間に、一体の黒い塊が飛び込んできた。
 “神速”で飛び出た昶が、魔法を全身で受けた。腹をえぐられるような衝撃にもんどりうって倒れたが、数回転してすぐに起き上がる。
「……寄越せっ……!」
 自身も衝撃で弾き飛ばされながらも、レベッカは手をジルドの懐に伸ばす。
 ジルドはそれを空いた左手で払うと、右手を突っ込み、自ら取り出した。
(あれはヒュギエイアの杯に間違いない)
 亜璃珠は死者の島の上で見たのと同じ、鈍色を放つ杯を目に捉える。どういう原理なのか、杯の中ではあの禍々しい黒い液体がまだ揺蕩っていた。
 そしてそれを、あのクローンも見ていた。魅入られたように。
(……殺す気、満々だね)
 ソファに座っていた桐生 円(きりゅう・まどか)が心中で呟きスワロウアヴァターラ・ガンのグリップを握った。
 馬車を追ってきたのは、これを防ぐためだ。もしかしたら、彼女はジルドを利用するだけかもしれない。例え死んだとしても。
 もっとも、この父と姉妹を引き合わせた、舞台を整えたのは契約者だったが……。
(ボブ、そっちの様子どーだい?)
 外の様子が気になって、彼女は“テレパシー”を今度は市街地に飛ばす。
(すごくムシムシするんですけど。……あ、雨がひどくなってます。視界は不良ですが罠は順調ですよ)
(無茶すんなよ! どじっこなんだから!)
(ありがとうございます。しかし一度くらい水も滴るイイ男とか言われてみたいんですが)
 このまま会話を続けると気が抜けそうだ。順調ならそれでいい、用事も終わったしと会話を打ち切った。
(一番警戒すべきなのは……このレベッカ……!)
 レベッカが動こうとした時、“ディメンションサイト”で空間を把握すると、円は一瞬でクローンの横に現れた――“ポイントシフト”。
「悪いけど、今ジルドに死なれると困るんだよね」
 覚悟を決めて、円はトリガーを押し込んだ。
 パン、パン、と二度の銃声とともに、クローンは両膝から血を吹きだして床に転がった。
「……この出来損ないめが……!」
 それを冷たい目で見下ろし、ジルドが足を踏み出す。
「――マリカ!」
 亜璃珠は彼女のパートナーの名を呼んだ。
 その瞬間。
 “召喚”されたマリカ・メリュジーヌ(まりか・めりゅじーぬ)が、ジルドの正面至近距離に姿を表すと同時に、弾幕の煙が二人を包み込んだ。
 ジルドが咄嗟に放った黒い光が煙を切り裂くが、それを神獣鏡で跳ね返し、マリカは指に挟んだ破邪滅殺の札を、晴れた視界を味方に突き出した。
 杯を取り上げられると思ったか、振り上げたジルドの腕――魔法陣の刻まれた腕にそれがマリカの手刀がぶつけられ、杯が細かな雫を散らしながら転がり落ちる。
 コロコロと床を転がるそれを、そっと取り上げたのは亜璃珠だった。
 腕を押えてうずくまったジルドの、その腕は邪悪なるものであったのか。既に人の肉ではなかったのか、深くひび割れていた。
「……先に始末しておくべきだったな」
「そうね、私が見るのは裁かれるまで。さて……アスクレピオスの子は何人だったかしら。でも愛されなかった娘は歪むわよ」
 マリカはジルドから注意をそらさず、主人を護るように彼女の前に立ち、
「お嬢様を失った悲しみがあれば同情いたします。しかし悪魔として申し上げるとすれば、相手に魅力的な提案をする者はそうおりません」
 使用人の一人との立場から丁寧な言葉遣いではあったが、冷ややかな響きが含まれていた。
「……これは亜璃珠様からの受け売りも入りますが……冥府へ行かずに妻を救えたオルフェウスなんているわけがない。これは愚者への罰ではないかと、私は考えます」
 一方で転がったままのレベッカは、契約者たちに手当てを受けていた。
「落ちついて、って言っても無理か」
 酷く取り乱して叫びだした様子に、ヨルが“ヒプノシス”をかけると、彼女は眠りに落ちてぐったりとソファにもたれかかる。
 緊迫した空気が満ちる室内、ジルドの動きを契約者の全員が注視し、次の行動に備えている。
 血は既に流れた。次は捕えられるか、はたまた殺し合いになるのか。
 誰もが行動を探り合う中に――のんびりとした声が響いた。
「清良川エリス、お屋敷のメイドとして、しかとお屋敷の秩序は護ってみせます。ご主人様でもお客様でも、お屋敷荒らすお痛は許しまへんえ!」
 誰だ、と思って一同が見ると、そこにはメイド服をきっちり着込んだエリスが妙な貫録と共に立っていた。もういっぱしのジェラルディ家のメイドさんのつもりである。
 というより。潜入捜査のはずが「い、壱与様、重要な話が有ります。う、うちメイドの仕事に夢中なりすぎて事件の事よう考えてへんかった……」と、パートナーの邪馬壹之 壹與比売(やまとの・ゐよひめ)に泣きついてしまうくらいメイドさんになってしまっていたわけで、ある意味開き直ったと言えるかもしれない。
 実際事件のことよりも、メイドの仕事が上手にできてなかったということに悩んでしまって、メイドとして名誉回復のチャンスだと張り切っていた。
 壹與比売はそんなエリスに軽い眩暈を覚えたが、そんな不真面目、いや物凄く真面目なパートナーを遠くで見守ることにしている。
「どないな理由があってどないな思惑があっても、一先ず腰を据えて話してみたらどうでっしゃろか」