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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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第7章 正午、ヴォルロス港


 その日の朝のことだ。
「おはようございますー。よく眠れたみたいですね?」
 キッチンから、セレスティア・レイン(せれすてぃあ・れいん)がお玉をもって顔を出した。
「今すぐ用意しますから、座って待っていてください」
「ふあああああ……」
 眠い目をこすりこすり、アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)が席に着く。彼が隣の椅子を引くと、肩からアリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)がぴょんと飛び降りて、椅子の上に着地した。
「遅かったではないか。砲撃音で嫌でも起こされるとか言ってたのはアキラじゃろう?」
 食後のお茶をすすっているルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)が言う。アキラはちゃんと起きたよ、と答えて、セレスティアの用意した朝食に手を付け始めた。
「上から見てたよ、花火みたいだったなー。朝飯は魚かー」
 向かいのミャンルー隊も、食事を終えてすっかりご機嫌だった。このホテルを借りた時、お魚を腐らせるくらいなら食べ放題でいい、と言ってくれたのだ。
「んん、たっぷり寝たから体調は万全さー」
 アキラだけでなく、他の三人もミャンルーも、決戦に備えて睡眠を取っていた。
 そしてアキラがお茶をコトンとテーブルに置くと、彼らは準備を整えて港へと出発していった。

 正午、アキラたちは港湾地区で再度花火を――機晶船からの砲撃を見ることになった。
 激しく振っていた雨も今はかなり小降りになっており、雲の黒も灰とのまだらになっていた。かなり見通しが改善している。
「砲撃再開。弾切れまで撃ち込むソウヨ」
 すっかり熟睡したおかげか、本部との通信を報告するアリスの声は普段以上にきびきびしている。
「“ウロボロスの抜け殻”はご覧の通りネ、すっかり縮んでるワ」
 港湾地区の民家の屋根の上で、アキラの構える天神鳳燕弓につがえたティファレトの矢の矢じりは、蛇に向けられている。光の加護を受けたこの矢は、先ほどまで、アキラから先行するルシェイメアが追い込んだアンデッド、撃ち漏らしたアンデッドを次々と射抜いていた。
 一度は森林地帯周辺まで押し寄せたアンデッドは、逆に契約者たちによって押し返されて波止場周辺まで追い込んでいる。砲台の奪還ももう少しだ。
 その抜け殻……蛇だったが、こちらは昼前に突然身を震わせたかと思うと、くねらせ、のたうち回った。
 波止場、そして波、あちらこちらにぶつかるうちにその身を少しずつ縮めていき、今では10メートルほどの長さになっている。同時に、蛇の棲家であった幽霊船の島も崩壊していき、沈み、波間に漂う材木の破片となっていった。
「……契約者は優先シテ蛇に当たって欲しいミタイ。ジェラルディ家でも、魔法を使える人が儀式をしてるみたい。ワタシは情報収集に行くワネ」
 契約者たちが取り戻した苗木と絵画。これを利用して、ジルドの研究を手伝っていたレベッカのクローンが、どうしてだかある儀式を、ジルドに代わって行っているらしい。彼女曰く、手に入れようとしたもののある場所を壊したくないということだが……。
「おーけー、ルーシェ、ちょっと移動しようか」
 アリスはパートナーに注意を促すと、アキラの肩からぴょんと屋根に着地、パタパタとスカートの埃を払った。
「アキラ、そこは罠があった方ヨ。避けてネ」
 それから背中のワイバーンウイングをはためかせて空に舞う。空から見た彼我の状況を収集して全員に通信で伝える。
 追い返されるアンデッド、押し返す契約者。死者の島が沈んで余裕ができたのか、海軍の兵士の姿も見える。怪我人は屋根の上、議会の城壁の中にあり、そこに誘導をしているセレスティアの姿もあった。彼女の後に続くのは担架に乗ったミイラ……いやいや、包帯でぐるぐる巻きになった怪我人を運ぶ、四匹のミャンルー隊と一緒だ。
 アキラとルシェイメアは屋根の上を渡って波止場に駆けている。
 ルシェイメアや、そして他の契約者が、細い道に氷の壁を立ててアンデッドを誘導し、分断している。おかげで間もなく周囲のアンデッドは全滅するだろう。
 しかし……。
「……アキラ!」
 振り返ったルシェイメアの声が飛ぶと同時に、彼女の“真空波”が蛇の鱗を切り裂いた。
 アキラの続けて放った矢を、「口」を開けて飲み込んだ蛇は、速度を上げてアキラに食いつこうとする。
「うわっ」
 アキラは慌てて屋根を蹴ると、背後に飛んだ。飲み込まれそうになった直前に、風を感じた。翼の靴で空中で半円を描いて、方向を変える。一回転して着地。
「……あぶねーあぶねー」
 蛇は、アンデッドと住処を失ったためか、急に好戦的になったように見えた。そして、本物の蛇のようになったように見えた。黒い瘴気の塊は、近くで見てももう隙間がなく実体を伴っていた。
 アキラが再び蛇を見上げれば、沈む死者の島から蛇を追ってきた四人の契約者が追うところだった。
 アキラは倉庫の屋根に飛び移って、矢を放つ。鱗に突き立った矢が、蛇をくねらせ、四人への一撃を逸らせた。


「なぁに? シーマちゃん今忙しいんだけど……」
 呼び止められた牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ)は、シーマ・スプレイグ(しーま・すぷれいぐ)を振り返った。
 真面目な機晶姫は真面目な顔で、面倒くさそうなアルコリアに、
「蛇に立ち向かうつもりだな。……アレを使うぞ」
「えー? 使うの? 大人気ない……」
「『大人気ない』じゃない!持てる最大戦力だろうっ!!」
 シーマの叱咤に、全力を尽くすって決めたし仕方ないと、やれやれと肩をすくめてから、アルコリアは手をピシッとあげた。
「全員傾注! ユニオンリングを使う!」
 ユニオンリング。他者と合体するためのアイテムだ。四人の指にはそれぞれこの指輪が嵌っていた。
「イエス、マイロード! ラズンいきますわよ」
 ナコト・オールドワン(なこと・おーるどわん)ラズン・カプリッチオ(らずん・かぷりっちお)に声を掛け、ラズンは笑って受ける。
「きゃはは☆ 永い苦役を楽しもう」
 二人がユニオンし、一人になった。金髪に黒髪のメッシュいれた髪と、青と金のオッドアイ、ちょうど二人の色を合わせた姿になった。
 アルコリアとシーマも、ユニオンする。シーマの銀色を長い髪に宿した。
「何かを滅ぼすってことは、自分も滅ぼされる覚悟をしたと言うことですよ。最後まで、笑っていましょう」
 針龍【シェリダー】に跨ったアルコリアの声がそういうと、二人となった四人は、蛇に突撃して行った。
「大量な蘇り損ない引き連れて、生ってそこまで素敵なモノだったかな? ……“潜在解放”、来い! 龍の壁!」
 アルコリアの腕から、鋼龍翼壁によってドラゴンの翼の幻影が出現する。
 蛇の吐く瘴気を翼で受けながら尚突進する。
 そうしながら、三つ首の龍とシェリダーを“サモンオリジン”で本来の姿に戻し、ブレスを放たせた。三つ首の龍の炎と氷、そして電撃のブレス。全身を強烈に発行させたシェリダーが全方位に放った高速針は、“マレフィキウム”の力を得て、蛇にぶち当たると同時にその力を吸い上げようとする。
 その間にもアルコリアは“イヴィルアイ”で弱点を探す。
「……あっ!?」
 蛇は二体の龍の攻撃を受けながら体を旋回させると、アルコリア向けて突進する。
 翼と手にした光条兵器で受けようとして、彼女の身体はシェリダーから弾き飛ばされ、錐もみしながら地面に叩きつけられた。
「マイロード!」
 慌てて彼女の元に飛翔術で駆けつけたナコトは、魔法で彼女の身体を癒す。
「我等は【諦め】と戦いに来た、倒せる筈が無い…そんなモノと戦いに来た、故に死力を尽くすまでですわ」
 癒しながら見上げて、口を開けて襲い掛かる蛇をにらみつけた。
「誰かの為というのは、客観を大事にしているからですわね……善悪は客観が決める故に。我等が我等であるために……“覚醒”! 我が主の為に道を開く」
 再び飛ぼうとしたナコトを、アルコリアが引き留めて、立ち上がった。
「蘇りは禁忌。何故か?亡くした者が時折願う奇跡の何がいけないのか。蘇れなかった者の近しき者にかける言葉が無いからだと、思いますよ」
(特別だから許される? 私は私を許しませんよ。故に死と舞うのですよ)
「蛇の核とやらを狙いましょう」
「我が主よ、共に参ります」
 二人は共に立ち上がり、蛇の咢を両側に飛んで避けた。アルコリアが、魂繋がるシーマを迎えに来たシェリダーの上に着地する。彼女のローブが、“ゾディアックフロー”を受けて、風圧に逆らって持ち上がっていた。布の先に、震魂槍スピリットドライブを持ち上げた。
「天より降り注げ、柱の炎よっ!! 瘴気の靄を切り裂け!」
 核を狙って、槍と強化されたナコトの天の炎がうち落とされた。
 ひどい音を立てて蛇は頭から地面に突っ込む。路面が裂けて弾け飛び、土煙が立ち込めた。そして土煙を割って、煌めく壁が二枚、打ち立てられる。
 誰だ、と思って二人が顔を上げると、空に翼を広げる匿名 某(とくな・なにがし)結崎 綾耶(ゆうざき・あや)が、二度目の“アブソリュート・ゼロ”を解き放つところだった。


「厄介な相手がいるならそっちに人を割いた方がいい」
 某は、まず鳥形態のフェニックスアヴァターラ・ブレイドの背中にデジタルビデオカメラを括り付け、周囲を偵察させていた。ビデオカメラから送った映像を綾耶のノートパソコンに送り、戦力、アンデッドの流れ、地形などの街の状況を把握。
 敵の多いところに飛び込んでは、某が囮になって綾耶の指示通りに誘導し、氷の壁で妨害し、閉じ込めては空から一網打尽にする、という地道かつ効果的な作戦を取っていた。
 その後、ここまでやって来た。
「相手がなんだろうと構わない。止められるならここで止めてみせる!」
 蛇の隙を狙って、蛇の頭上に舞い上がって、“真空波”や“ショックウェーブ”を打ち込んだ。そのたびにもうもうと煙が立った。
「……やったか……?」
 目を細めた某が煙を見透かすように、動きを止める。……と。某の首にかかった虹のタリスマンが小さな光を放った。
「避けてくださいっ!」
 綾耶の顔がさっと青くなった。彼女の“禁猟区”が危険を感知したのだ。
 もしもう一瞬対処が遅れていたら、某は蛇のエサになっていただろう。鎌首を持ち上げ、体をバネのようにして飛び上がった蛇から、某は間一髪、“ポイントシフト”で避けた――つもり、だった。
「某さんっ!?」
 綾耶の悲鳴が聞こえた、かと思った時、某の視界は反転していた。鱗に引っ掛けられ、重力に逆らって跳ね上げられた身体を、彼は空中で回転して体勢を立て直そうとする。
(ここはどこだ……海、か?)
 視界に入ったのは、海の青だった。反重力アーマーの力を借りて、手にしたフェニックスアヴァターラ・ブレイドをぐっと握りこんで――某は、蛇と共に海中に没した。
 アルコリア・シーマと、とナコト・ラズンの二人はそれを追って海面の上で待ち受ける。
 彼女たちが波間に姿を現した蛇に、魔法を放つ。
 アキラが、波間に見える鱗に、矢を放つ。
 追い立てられた蛇は円を描きながら海に没しては浮き上がり、またトビウオのように飛んだ。
 綾耶が心配になって追ってくると、その視界に映ったのは、蛇に剣を突き立てて耐えている某の姿だった。
「今行きますっ」
 しかし、某の頭の中を満たす音は蹴立てられた波と水の音。特に水中に入っては息が詰まり、音も隔てられ、綾耶が何かを言っている、くらいしか聞こえない。
(実体化してる……か……)
 蛇を倒すための儀式が上手くいった、ということだろうか? そんなことを思いながら、某は剣を引き抜き、突き刺し、蛇の身体を登って行った。
 彼の腕に付けた金属の腕輪が光の粒となって拡散する――“ヴィサルガ・イヴァ”だ。これでパートナーに、外部に、伝わっただろうか。
 “潜在解放”した某は、次に蛇が陸地に顔を出す瞬間を狙って、術を放った。同時に、水と氷の冷たさに、手足が震えた。
 “アブソリュート・ゼロ”の氷の壁が、彼の周囲にできた。某のだけではない、綾耶のものだ。
 二度、三度。二人の“アブソリュート・ゼロ”が多重に展開され、蛇をUの字に囲う。某は次に足元が水上に上がった時、鱗を蹴り、空に飛んだ。
「いきますよ、“グラビティコントロール”です! 少し静かにしててくださいっ!」
 彼の頭上で、聖詩篇を宿した綾耶の指先から放たれた重力の力が、地面にめり込んだままの蛇の頭部を押さえつけた。
 押さえつけられ、崩れかけの死者の船に頭を突っ込んだ。蛇がうねった。蛇が、しかし、出られない。自分の巣に、自分から引っかかったのだ。
 反動で、半身を水中から突き出す。
 ――核を狙え、とアルコリアが言った。
 その場にいる全ての者が、ありったけの力を核に撃ち込む。


 そして。やがて。一同は放心したように、それを見ていた。
 黒く渦巻いていた瘴気の塊は、徐々に薄くなり、散り散りになって風に流されていった。
 空から一条の光が差し込んだ。
 誘われるように空を見上げると、雨はもうすっかり止んでいた。あれだけの雨を含んでいた黒雲が千切れ、霧散していく。
 晴れ渡った空に、太陽が昇っている。当たり前だ、もう昼過ぎだったのだから。
 誰からともなく、お腹が空いたな、と言った。
 きらきらと虹がかかっており、それは静かな波に映っていた。それはまるであの蛇が円環を描いたように見えた。
 静かだった。
 海から吹き付ける潮風と、波の音がかすかに聞こえるだけだった。
 その波の音に混じって――何処からか、歌が響いているような、そんな気がした。