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第9章 ヌシと広間の真実


「だいぶ奥まで来たのー。こんなに奥まで続いてるなんて凄いのー!」
 探検隊(?)の先頭を切って進む翠のテンションは、始まりとほとんど変わっていないが、
「翠……ちょっと休みましょうよ……」
 ミリア以下2人は歩き通しでかなり疲れていた。
 だんだん湯が熱くなってきて、召喚獣のリヴァイアサンが少し疲れた様子だったので、休めさせるために一旦戻した。幸い、湯の外になだらかに続く土の上の道があり、「ずっと湯の中を進んでいると足がふやけちゃうから」と説得して、しばらくそちらの道を歩くことにしたので、水中の危険からは遠ざかることができた。
「……あ!」
 突然、翠が足を止めた。
「何? どうしたの!?」
「あそこの陰に何かいるのー!」
 岩陰を指差し、翠は言った。
 こちらからは影になった場所に、確かに何かがうずくまっている気配がある。サリアが光術の光度を上げると。
「犬さんなの!」
 その姿を見るや、翠は声を上げ、彼女が駆け出していくのを追いかける形で皆はその犬に駆け寄った。
「……犬さん、ぐったりしてるの。元気ないの」
「でも〜、どうしてこんなところに、犬さんが〜?」
 舌を出して大きく息を吐きながら臥せっている犬を見て、どうしたものかと考えているところへ、新たな人影が現れた。
「あ、ここにいた」
 陽一だった。
 犬は、陽一の使う軍用犬だった。先行して走っていったのを追いかけて、ようやく追いついたというところだった。
「この犬さん、元気ないの」
「氷嚢の氷が解けたんだな。かなり暑いところを抜けてきたみたいだからね」
 首にくくりつけた氷嚢を触って、陽一は頷いた。
 陽一は少女たちから少し離れた所でアブソリュート・ゼロを使い、新しい氷を作って氷嚢を替えてやった。
「悪いな、もう少しだけ頑張ってくれよ」
「! 何かいるの……!」
 急にサリアが、驚いたように声を上げ、軍用犬の足の横を指差した。
「あっ、本当!」
「トカゲ? 蛇かしら?」
 氷嚢を犬の首に括りつけ終えた陽一が手を伸ばし、そっと捕まえる。逃げようとも抵抗しようともしないそれは、やはりどこかぐったりした様子で、捕まえられるままになっていた。
「顔がちょっと怖いの。ドラゴンっぽいの」
「ふわぁ……ちっちゃい羽が生えてますぅ〜」
 目を丸くして少女たちが見つめる中、陽一は手の中のそれを持ち上げていろんな角度からじっと見て、
「もしかしたらこれが、パラミタリンドヴルム……」
 呟いた。ミリアが驚いて、
「それ、ヌシとか言われている大蛇? こんな……小さいの?」
「いや、これは多分まだ成獣じゃないね、子供だな」
「ヌシさんの子供ー! ヌシさん、お母さんですのー!?」
「……もしかして、弱ってるの?」
 どこかぐったりして見える仔パラミタリンドヴルムに、少女たちの声も心配そうになる。陽一も少し懸念げに眉を顰めた。
 偶々手に入れた鱗と思しきものを軍用犬に嗅がせたところ、犬がそれを追ってやがて走って姿を消し、見つけた時にはすぐ傍にこの仔がいた。犬がこの蛇の仔を追っていたことを確信したが、そのために仔は弱ってしまったのだろうか。怪我はしていないようだが……
「暑さで参っているんじゃあ……」
 ミリアが言う。それだったら、涼ませてやれば回復するかもしれないが、陽一が少し気になるのは、パラミタリンドヴルムが元々この洞窟に生息する種なら、暑さには強いのではないかという推測だった。下手に冷やすと却って体を害することになるのではないか。パラミタリンドヴルムの生態がまだ詳しく判明していないだけに、迂闊な方法はとれないと考え、取るべき手がすぐには分からない。
 軍用犬が、頭を起こしてふんふんと鼻を鳴らして仔パラミタリンドヴルムを嗅いだが、ふいっと顔を背けた。それを見た陽一は、小さな鉤爪に気を付けながら仔パラミタリンドヴルムを顔の傍に寄せてみた。
 と。
「? 酒の匂い……?」
 竜のように厳つい頭をくたっと曲げてぐにゃんと手の中に垂れ下がる仔パラミタリンドヴルム。
 まさか、酔っている……?
「入浴客が飲んでいるのでも失敬したんだろうか」
「【完全回復】を試してみるわ」
 ミリアが申し出た。 




「もしかして、これって」
 調査活動もひと段落した頃、思い出したようにカーリアが、途中の岩壁で採取した緑色のものを取り出した。
 それを、水底から拾ってきた鱗と並べると。
「……似てるような、似てないような」
「こっちの方が柔らかいし色も薄いでふね」
 リイムも2つを見比べてそう言う。
 鱗は温泉成分で化学変化をきたすようだが、途中で採取したこの葉のような緑色の花びらのようなものは、湯から突き出た岩肌に付着していた。化学変化による違いとは考えにくい。鱗ではないのか。
「あっ!! あそこ!!」
 と、その場に、ルカルカの声が響き渡った。
 湯が落ち来る天井の孔の付近に、何かが浮かんでいる。
「ヌシ……!」
 金色の目を見開いた、体長は2メートル弱程かと思われる、有翼の大蛇が浮かんでいる。
 コウモリに似た薄い翼が、音もなく宙を叩いて、その体を浮かべているのだ。
 大蛇はゆっくりと、その高い位置から滑空するように、岩盤の突端を目指して下りてくる。
 緊迫感が広間に張り詰める――

 その中、ダリルが一歩進み出た。




「わー、元気になったのー」
 ミリアのスキルで、どうやら仔パラミタリンドヴルムは体力を回復したらしい。ぺたぺたと2本の肢で岩の上を這い歩き、頭を上げてふんふんと空気を嗅ぐような仕草を見せる。
「成功して良かったわ。――それで、この後はどうしたら……」
 ミリアの問いに、陽一はしばらく考えて答えた。
「もしかしたら、親が探しに来るという可能性がある。
 その時にあんまり人間が近くに群がっていると、親を刺激するかもしれないからな……」
 しかし、この小さな個体はいかにも弱そうで、放してほったらかしにするというのも心許ない。
「あ、飛んだの」
 サリアの声に、見ると、その言葉通り仔パラミタリンドヴルムは、小さな羽をはばたかせ、空中に浮かんでいる。
 そしてゆっくりと、奥の方に向かって飛んでいる。
「――少し距離を置いて、追ってみるか」
 陽一はそう結論し、君たちはどうする、というように翠たちを見た。
「私たちも行くのー」
「そっか、遠くから見守るんだね……私も行くの」
 翠とサリアがすぐさま応じ、ミリアとスノゥも頷いた。

 そうして、一同は、頼りなくパタパタと飛ぶ小さな有翼の蛇の後を、少し間を開けてついて歩き始めた。
 陽一と、翠たち4人、プラス軍用犬にセントバーナードにペンタという、何やら不思議な一団で、ぞろぞろと。





 【万象読解】。
 それは、物に宿る情報をサイコメトリのように読める他、あらゆる言語を未知の物であれ「理解」して「使用」できる能力――
 そのスキルを駆使して、今、ダリルがヌシ――パラミタリンドヴルムの前に立つ。

 しばし、沈黙があった。
 それはヌシもまた、思考し、伝うべきことを吟味しているかに思えた。
 そして、唸るような鳴き声と共に最初にダリルが受け取った言葉は。

(今は夏だ)
 ……一瞬「?」とならざるを得ない、まさかの気候の言葉だった。

(ゆえに、我は大目に見る)
『どういうことだ』
(これが冬なら、我はそなたら人間と戦わねばならん)
(我が子らを守るため)


 そしてダリルは知る。
 この『広間』は、ヌシが冬の間、寒さを避けて潜みつつ仔を卵から孵し、育てる場所であると。
 ゆえに、夏の間はほぼ空になるも場所。
 しかし冬には戻る場所。


『ならばなぜ、今貴方はここにいる?』
(我が子を迎えに来た)


 本来なら春先には、親と共にここから出ていくまでに成長するはずのパラミタリンドヴルムの仔。
 しかし、1個だけ孵化が遅れ、春が来てもなかなか卵が割れなかった。

(そなたの目には分かりにくかろうが、我ももう年だ)
(もうこの冬には卵は産めまい。あれが我の最後の子となろう)
(ゆえに力が足りなかった。弱かった。孵化が遅かったのはそれゆえ。よって普通より時間をかけて育てねばならぬ)


 外界よりは敵も少ない、温かな洞窟内に置いて、時折戻ってきて様子を見ながら成長を待った。
(しかし、もうそろそろ、その時だ)
(人間が湯を訪れるようにもなったし)
(あれを連れていく)


 その時。
 ぱたぱた、ぱたぱた、という頼りない羽音と共に、湯気の向こうから飛んできた小さな影があった。
 それは、ようやく岩盤の上まで飛んでくると、ダリルのすぐ傍で、ペタリ、と落ちるように岩の上に降り立った。
 小さな蛇。
 ヌシの仔だ。


(人よ)
(我は、人がこの洞の湯を使うことを咎める気はない)
(物見でこの広い湯溜まりを訪れるのも構わぬ)
(――夏の間は)
(冬だけはここは我らの場所としたい)
(我がいなくなっても、次の主がここで子を育てる)
(代々ここはそういう場所だった)
(冬の間だけは静かに我と子らが暮らせる場所としたいのだ)


『分かった』

 ダリルが答えた時、仔は、そのすぐ傍で、岩の上に体を擦り付けていた。
 小さな緑の鱗が何枚か、岩の上に剥がれて残る。
 それを見たヌシは、いきなり急降下してきて仔を片手でつまみあげると、全員が呆気に取られたことには、ぽいっと湯の中に投げ込んだのだ。

(我が子よ。それは湯の中でやるがよい)
(湯の中なら楽に剥がれる)

『マーキングか』
(それもあるが、元来我らは同族よりも鱗の抜け替りが頻繁な種)
(湯水を巣に取り入れるは、古い鱗を剥がしやすくするため)
(ここの底の我ら代々の落し物の有様にはさぞかし呆れたであろう)
(掃除してくれても構わんぞ)

 最後の言葉にだけは、少し茶目っ気があった。
 ヌシは、湯の中で岩壁を使って鱗を落として気持ちよさそうに泳いでいる仔を再びつまむと、翼をはばたかせて浮上した。
(そなたらを信頼する。頼むぞ)
 しばしの間、ダリルに何か言葉を送った後、そう締めくくった。

 そして、あっという間に仔と共に、元来た天井の孔から飛び去ったのであった。



 その様子は、仔パラミタリンドヴルムを見守りながらついてきた陽一、翠たちも見届けた。
「なんか1回ぽいっとされてたけど……お母さんに会えてよかったのー!
 それにここ、キラキラしてて綺麗なのー!」
 翠はにこにこ笑ってはしゃいだ。