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あなたと未来の話

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2025年、秋


 世界の危機が過ぎ去って、一年と少しが経った。
 その間パラミタ、そしてシャンバラ各地では大小の事件が散発的に発生しているものの、概ね日々は平和に過ぎていった。
 契約者でも、そうでない者たちも、日が昇ると起きて朝ご飯を食べ、仕事や学校に出かけ、夜には安心して布団に潜り込める何気ない日々が、何気なく繰り返されていた。
 そんなある日、百合園女学院から一通の招待状がアシュリング家に届いた。
 博季・アシュリング(ひろき・あしゅりんぐ)は妻・リンネ・アシュリング(りんね・あしゅりんぐ)と共に、そうして何気ない日々の非日常としてお茶会に参加したのだが……。


「……ん……」
 リンネが身じろぎをする。
 何度目だろうか、今度の動きは大きかった。
「だ、大丈夫かなリンネさん。体調悪い?」
 隣席の博季は慌てて問いかけるが、リンネはふるふると首を横に振るだけだった。
「どうかされましたの、リンネさん?」
 ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)がそう訊ねたほど、彼女の顔色は悪く肌は白く染まっていた。口元を抑え必死に何かを堪えているようだった。
 リンネと談笑していた校長桜井 静香(さくらい・しずか)は博季に目配せをすると、さっと近寄って小声で訊ねた。
「保健室に案内しようか? それとも……」
「いえ、医者に診せに行きます。折角ご招待頂いたのに済みません、今日は失礼します」
「ううん、気をつけてね」
 博季はリンネの身体を抱きかかえるように支えながら、百合園女学院のお茶会の会場を後にする。
 ゆっくりと廊下を歩き、入り口に向かいながら博季は悔やんでいた。
 楽しいお茶会になるはずだったのに、こんなことになるなんて。
(リンネさんの体調管理には万全を尽くしていたつもりだったけど……。くっそー、まだ精進が足りないか……。勉強しなきゃなぁ……)
 もっと早く気付いていたら。こんなになるまで気が付かなかったなんて。普段の彼女なら辛くてもすぐに「大丈夫だよ!」と笑顔で答える筈なのに。
 お茶会が始まってすぐは、いつも通りのリンネだと思っていたが、今思い返せば普段より食欲がないようだった。
 それに、ラズィーヤさんには悪いことをしたな、と思う。……せめてもっと違う形で、早く退席できていたら。
「ごめんね、リンネさん。明日からちょっと色々考えるからね」
 百合園女学院の入り口で箱型馬車を拾い、リンネをゆっくりと座席に座らせて、御者に医者まで急がせる。ヴァイシャリーは細い道が多いので馬車が車代わりであり、雰囲気の演出に一役買っているのだが、今はそれがもどかしい。
「今、お医者さんの所に着きますからね」
 背中をさすりながら言うと、やっとリンネは顔を上げて薄らと微笑んだ。
「だ、だいじょうぶ……だよ」
「大丈夫って、何か悪い病気だったら……」
「……あの……病気じゃないよ」
 リンネは夫の胸に頭を預けながら、大丈夫だよと繰り返す。
「病気じゃないって、ここのところずっと疲れやすそうでしたし……よく診て貰った方がいいですよ」
「あ、あのね」
 心底心配している博季を安心させようとしてか、リンネは口を開いた。が、あのねと言ったきり次の言葉は出てこない。もごもごと口を動かすだけだ。
 普段の元気なリンネならスパッと言ってしまいそうなものなのに。
「……どしたの? 何かいいにくそうにしてるけど……」
 促され、リンネは博季に身体を預けたまま、そっと片手を自分の腹部に伸ばした。
「この前その……具合が悪いなって思って、病院に行ってきたの。あ、あのね、どこか悪いところがあったんじゃないよ。
 えっと、それでね、先生が……妊娠、してるって」
 顔を赤らめてぽつぽつと話すリンネは、反応を窺うように上目遣いで博季を見上げる。
 じっと妻に見つめられて、けれど、博季はぽかんと口を開けた。
「……へ? に、妊娠? え……ってことは……ぼ、僕の……子供……?」
 ――妊娠。
 つまり。
 お腹に赤ちゃんがいるということ。
 自分とリンネの。
「……あ、あはは……。そっか。子供が出来たんだぁ……」
 自分でもなんだか妙な笑い声をあげてしまう。
 急なことによる驚きと、不思議な感じ。嬉しさと、実感がじわじわとやってきて胸を満たす。それは、あったかくて博季を笑顔にする。
「僕、パパになるんですか……。……へへ。嬉しいですね!! えへへ。やったねリンネさん! 僕達、パパとママになるんですね!!」
「うん、そうだよ」
「リンネさーーん!!」
 感情の昂ぶりを抑えきれずに、ぎゅーっと思い切り抱きしめる博季。
「も、もう。ちょっと、博季くん!」
「僕ら、パパとママになるんですよ!! 凄いなぁ。凄いですよ!!」
 ここが馬車の中じゃなかったら、リンネが身重じゃなかったら、多分手を繋いでリンネをくるくる振り回していたかもしれない。いや、持ち上げて、自分がくるくる回っていたのかも。
 博季は顔と、それ以上に目を赤くしながら――目尻に涙が浮かんでいた――今度は優しく抱きしめる。
「……ありがとう。リンネさん。本当に、僕の幸せは、全部リンネさんのおかげなんだよ。
 リンネさん……。お腹の子も、リンネさんも……。僕、絶対幸せにするからね。絶対、護ってみせるからね。愛してるよ。リンネさん」
 リンネはそんな博季にくすぐったそうに微笑んだ。
「大げさだなぁ、博季くんは。もうリンネちゃんは幸せになってるのに。お父さんとお母さんが幸せなら、赤ちゃんもきっと幸せなんだよ」
 博季はしばらくリンネを抱きしめていたが、はっと気付いたように身体を放すと今度はわくわくした顔で。
「今から、出産のときの勉強始めないとなぁ」
「博季くんも勉強するの? 出産の時って……」
「……え? やだな、僕も立ち会うに決まってるじゃないですか。僕の子だし……。僕もリンネさんと一緒に、頑張りたいから」
 ああしようかこうしようか、どの病院がいいかな、とか。
 性別のこととか、女の子だったら男の子だったらこんな部屋にしようかなとか。
 まだ性別は分からないけれど、二人は何となく女の子のような気がしていた。
 喜び語る博季をリンネは愛おしそうに見やりながら、お腹を優しく撫でながら心の中で語りかける。
 ――赤ちゃん、お父さんはこんなにあなたとママのことを愛してますよ、と。