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リアクション
●There’s a Riot Goin’ On(2)
来た。この場所に。
渦中の空京市街。周囲には火の手が上がっている。目の前、大通りの中央には暴徒鎮圧のため黒いホバーが到着地し、そこから大量の黒い量産機が溢れ出ていた。さらに、ホバーから出てきた隊長格らしき軍服の女性が、レジスタンス側と思われる女性剣士と激しい切り結びを展開している。運動能力の高さからして、双方クランジないし戦闘用の機晶姫と思われた。
後悔はしていない。
水原ゆかりは、ここに来たことを後悔していない。
この場所に来るまでの道のりで、すでにゆかりは戦いを経験していた。自分との戦いだ。
かつて自分も籍を置いたレジスタンスが、空に浮くエデンを落としたとの報……それを耳にしたとき、ゆかりの心の中で何かが激しく揺れた。部屋全体が、あるいは都市全体が、熱したプラスチックのようにぐにゃりと変形するの彼女はたしかに感じた。その感覚は刃のようで、まるで、自分の心の弱さを責め立てているようだった。
レジスタンスに戻るべき。戻って、戦いに身を投じるべき――ゆかりの心の声はそう告げていた。
ゆかりは声を無視しようとしたが、すでにそのとき同時に、これ以上は逃げることすら叶わぬことも悟ってもいた。
だからゆかりはまず、長らく使っていなかった銃の手入れを始めた。
パートナーであるマリエッタ・シュヴァールにとって、ゆかりの選択は大いに歓迎すべきことだった。一時は自傷行為、いや、自殺行為そのもののような日々を送っていたゆかりが、エデン陥落をきっかけに、自我を取り戻そうというのだから。
だが、マリエッタはゆかりの母親ではない。むしろ父親的にゆかりの変化を認めた。
「今のあなたが助けに行っても足手纏いだし、自己満足で勝てるほど状況は甘くないのよ!」
突き放すように言い放つと、そこからマリエッタはゆかりを鍛え直したのである。事実、なまりきったゆかりの体は、そのままでは兵士として使い物になりそうもなかった。
ゆかりの淫蕩に付き合いながらも、決して自身を律することを忘れなかったマリエッタだ。教官としては申し分なかった。とても短い時間しかなかったが、その間、マリエッタはゆかりに激しいトレーニングを課した。なにより精神面の充実を重視した。肉体だけ強くなっても心がそのままでは話にならない。
マリエッタは弱音を吐くことを許さず、ゆかりもまた、決してマリエッタを失望させなかった。
そして今、戦士の冴えを取り戻した水原ゆかりがここにいる。
「マリー、私たちの役目は陽動、いいわね?」
獲物を追う鮫のようにゆかりは言う。マリエッタの返事を耳にとらえるや、黒いクランジたちに向かっていく。
当然のように迎撃を受けるが恐れないし足を止めない。二人は散開し、暴動で発生した炎を巧みに使って敵に急迫し、一撃離脱の戦法で銃弾を叩き込んだ。
倒すのが、目的ではない。混乱させるのが目的。
だから甚大なダメージはなくていい。敵一体ごとに喰らわせるものは最小限にして、その分多数を巻き込んだ。
ゆかりとマリエッタはDNAの二重螺旋構造のように、離れそして交差する。交差する瞬間、ふたりは視線を交わしていた。
ゆかりの眼に生気があることをマリエッタは目撃した。
涙が出るほどに嬉しかった。我知らずマリエッタはつぶやいていた。
「……今度こそ守り抜く」
守るのはゆかりか、自分たちの誇りか、それとも未来か。
そのどれなのかは、マリエッタもすぐには説明できないだろう。
ゆかりが戦いに身を投じたのと同様、影野祥一も自分のやり方で戦いに身を投じていた。
非契約者の彼だ。老年はもちろん壮年にもまだ遠いが、それでも若いとは言えない年齢ということもある。それに戦いを好まない性格でもあり、祥一は前線に赴き銃を奪うというような過激な行動には出なかった。
しかしだからといって彼は逃げたり、隠れたりすることを選んでいない。善悪はさておき空京は自分の生活の場だった。いつか壊れることはわかっていても、そこに愛すべき人たちがおり、彼らの人生があった。
「レジスタンスが空京を奪い返す、そのこと自体には賛成だよ」
祥一は家を出るとき、妻の栞に言った。
「だけどできるだけ、犠牲は出したくない」
この日、つまりレジスタンスが行動を起こす日を予期し、これに備えて祥一は準備をしていた。
レジスタンスにとっても総督府にとっても重要度の低い場所、すなわち戦場になる可能性が低く一般市民の人々の避難場所に適している場所の特定、そこに至る非難ルートの構築など、空京に暮らしているからこそできる準備を徹底的に行っていたのだ。
栞もそれを助けた。彼女はいつも祥一を支えてくれている。祥一個人が活動することは命の危険こそあれ、決して何か利益を得ることにはならないというのに。息子が、つまり陽大がいても同じことをしたでしょうと栞は言って祥一を送り出してくれたのである。
炎に包まれ銃声が飛び交う空京を、祥一はひた走った。
「こっちだ! みんな! 市立の体育館は知ってるよな!? 大通りを避けて体育館に非難するんだ!」
大きな声で道すがら、住人たちに呼びかける。市民階級でも非市民でも区別はしない。機晶姫であっても非武装者である限り差別はしない。そうして呼びかけながら、自身は反対にどんどん渦中へ向かっていく。そこに、まだ助けを必要とする人たちがいるに違いないから。
途中祥一は、よく廃品集めに立ち寄った小屋の前を通りかかった。顔なじみの老人の名を呼び、探したが返事はなかった。
「すでに避難した……と考えたいですね」
丁寧な口調にぎょっとして祥一が振り返ると、そこには見知らぬ青年の姿があった。見ない顔だ。最近の流入者か、それとも……
「戦部小次郎と言います。レジスタンスに協力しています」
祥一が誰何するより先に戦部小次郎は答えた。
「我々とて元は国軍、非戦闘員を巻き込むことは本意ではありませに」
住人の避難先導を協力させて下さい、と小次郎は言った。
これが総督府の罠でないとは言い切れない。そもそも、レジスタンスと接点を持たぬ祥一には、レジスタンスという組織が、本当に小次郎の言う通りの性質を持っているかどうかすら定かではなかった。
しかし祥一は小次郎を信じた。信じるに足る人物と、一瞬で判断したのだ。
「判った。手を貸してもらおう」
この選択で仮に、死ぬことになろうとも後悔はすまい――祥一はそう決めていた。
最悪の結果になったところで潔く受け入れよう。なぜならそれは、自分自身で決めた行動の結果なのだから。