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21


 その日、レン・オズワルド(れん・おずわるど)はフィルの店にいた。
 ケーキを食べに、ではない。
 情報屋としてのフィルに仕事の依頼をするためである。
「メティスから連絡が入ってな。機晶技師としての勉強もそろそろ佳境に入り来月には戻るそうだ」
 そう切り出すと、電話口で彼女から聞いた話をそのままフィルに説明する。
「――というわけなんだが」
 説明の後、レンはフィルを見た。できるか。目で問うと、フィルは口元に笑みを湛えたまま、「中々難しい依頼を持ってくるねー、きみは」と言った。
「お前ならできると踏んだ」
「あは。俺ってば評価高いのねー、光栄☆」
 屈託のない笑顔。この笑顔は肯定と取って良いのだろう。
「それにしても面白いことを考えるね、彼女」
「そうだろう。あいつは面白い奴だ」
 フィルの言葉に相槌を打ったのは、ザミエル・カスパール(さみえる・かすぱーる)だった。ザミエルは鞄からファイルを取り出し、フィルの前に置く。
「これはメティスから送られてきた資料だ。これを参考に探してくれ」
 受け取り次第、フィルはファイルの中身を確認した。ぱらぱらとめくっていく。読み終わるまでさほど時間はかからなかった。ファイルを閉じ、「本当に難しそうだ」と楽しそうに言う。
 指摘してやると、「たまにこういう面白くて難しい仕事がしたくなるんだよね」と笑った。ご機嫌なのだろう。普段から笑みを絶やさない人間だが、今日は本当によく笑う。
 しかし乗り気になってくれたなら良かった。それだけで頼もしい。
「レン同様、私も協力は惜しまないつもりだ」
 ザミエルも、こう言ってくれる。レンだって精一杯のバックアップをするつもりだ。
「恐らく、残された時間は多くない」
 それは、最近の様子を見ていればわかること。
 あとどれくらいの猶予があるのかは定かではないが、早いにこしたことはなかった。
「結構やる気なんだよねー。だから任せてよ♪」
「ああ。任せた」
「進展があり次第連絡するから。これ、緊急時の連絡先ね。登録しておいて」
 名刺を渡されたので交換しておく。これでお互いに連絡が取りやすくなった。
 ご依頼ありがとうございました。フィルは一礼して、先に部屋を出て行った。
「間に合うといいな」
 ザミエルが言った。
「間に合うさ」
 レンは、そうであってほしいという願いを込めつつ断定的に言う。
「間に合わないという悲劇なんて起こさせやしないさ」


 レンとザミエルが、またこそこそやっている。
 メティスからの電話だって、ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)には代わってすらもらえなかった。そのためノアはご立腹である。
「……だからって、良く食べたねー」
 フィルが呆れたような感服したような声で、ノアの前に積まれた皿を見て言った。既に食べたケーキの数は十を越えている。
「レンさんがご馳走してくれると言ってくださったので! ショーケースの右から順に頼んでいってます!」
 どや! と胸を張って言った。ちょっとむしゃくしゃしているので、今日は全種類制覇する所存である。
「食べすぎじゃないー? 平気? 胃もたれとか」
「平気です! 私、ケーキは別腹なんで!」
「体重とか」
「食べても太らない体質なんでどんとこいです!」
「あはは。じゃあどうぞ、好きなだけご賞味ください♪」
「そのつもりです! ……あ、そうだ」
 フィルが去っていこうとした時に、言いたいことがあったのを思い出した。フィルさん、と呼び止める。
「ん?」
「このケーキって、誰が作っているんです?」
「うちの専属パティシエさんだけど。それが何か?」
「いえ、大したことではないのです。とても美味しかったから、もしよろしければレシピを教えていただけないかなーと」
 だって。
 もうすぐメティスが帰ってくるのだ。
「ご馳走したい人がいるんです」
 食いしん坊の彼女だから、これだけ美味しいケーキを作って出迎えたらきっと、喜んでくれることだろう。
「……だめでしょうか?」
「どうかなー。訊いてみないとわからないや。だから少し経ったらまたおいで? 訊いといたげるから☆」
「はいっ」
 良かった。前向きに検討してくれるようだ。教えてくれるといいなあと考えながら、ノアはケーキを口に含んだ。


*...***...*


 レオン・カシミール(れおん・かしみーる)は、衿栖の工房を探して歩き回っていた。
 しかしこれが中々難しい。
 立地や交通はもちろんのこと、なによりも工房と言う場所なのだからスペースが必要だ。
 人形工房だけでなく、併設して機晶技術を扱えるスペース――言うなれば機晶工房を作りたいのだから、なおさら。
 レオンは、パラミタにやってきて機晶姫や機晶技術に触れた。そして、その研究に使える場所が欲しいと思った。元々レオンは職人肌だ。凝り始めると止まらないのは性ともいえる。
 ある程度目星をつけ、候補を絞って一段落した帰り道。
 ふと看板が目に付いた。衿栖や朱里が好んでちょくちょく出入りしているケーキ屋だ。
 ――せっかくだから挨拶していくか。
 そう思って、ドアに手をかける。
「いらっしゃいませー」
 声の主に目を向ける。衿栖や朱里から聞いていた特徴の店員がいた。あの子がフィルか。
「はじめまして」
 初対面なので、まずは挨拶から。突然の挨拶に、フィルは疑問に思った様子もなく「はじめまして」と返してきた。
「私はレオン・カシミール。茅野瀬衿栖のパートナーだ」
「衿栖ちゃんの。へー、貴方が。なるほどー」
「何か」
「衿栖ちゃんが言ってた通り、頼りになりそうな人だなーって♪」
 そんなことを言っていたのか。悪い気はしないが、少しばかり気恥ずかしい。
「今日はたまたま通りがかったから寄ってみた。また、衿栖なり朱里なりが来ると思う。その時はよろしく頼む」
「いつでもどうぞって伝えておいてー。二人とも元気?」
「ああ。特に衿栖は新しく工房を持つ、と精力的に動いている。やる気に溢れているな」
「あはは。衿栖ちゃんらしー。工房が開いたらお祝いに行くよって伝えておいて。伝言、二つになっちゃったけど」
「構わないさ。……そうだ。衿栖たちが好きなケーキ、一つずつ包んでくれないか?」
 今日、特に衿栖は頑張っているだろうから。
 寄ったついでだ。お土産を買っていこう。
 優しいねー、とフィルは言い、手際よくケーキを詰めた箱を渡してくれた。
「それじゃあ」
「またねー。今度はレオちゃんも食べて行ってね♪」
 呼ばれ慣れない呼称に苦笑しつつ、ああ、と頷いて店を出た。
 太陽は落ちはじめ、空はうっすらと暗くなり始めていた。