校長室
雨音炉辺談話。
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17 『世界すてき発見』というコミュニティがある。 このコミュニティにはメンバーの集まる家があり、今日も、神凪 深月(かんなぎ・みづき)はそこに来ていた。 家主は生憎、外出中で居ないようだが構わない。勝手知ったる人の家。深月は気にせずリビングに入り、ソファに腰掛けた。三味線を取り出し、音を確かめる。梅雨期の湿度で変わった音を直してやって、弦を弾いてもう一度確認。これでよし、と頷いた。 「やっぱり、深月様でしたか」 三味線の音に、別室にいたらしいベル・フルューリング(べる・ふりゅーりんぐ)が誘われてきた。ベルの後ろには、瀬乃 和深(せの・かずみ)と瀬乃 月琥(せの・つきこ)の姿もある。 「久遠様もいらしていたのですね」 久遠・古鉄(くおん・こてつ)を見止めたベルが、楽しそうに言った。ベルの笑顔に、古鉄が「はい」と頷く。 「マスターと練習をしようと思いまして」 「うむ。三味線とギターのセッションじゃ。ベルも混ざるか? 音が二つだけではつまらぬからの」 「はい、是非!」 ベルが、深月と古鉄の傍にやってきた。混じる気配のない和深と月琥を見、「おんしらはどうする」と深月は問う。 「俺たちは見てるよ」 「うん。聴かせてもらってるね」 「そうか」 まあ、三人いれば十分だろう。撥を握り、べん、と鳴らし。 それを合図に、演奏は始まった。 穏やかな雨の日に相応しい、激しすぎない静かな旋律。 ――じょんがらも良いが、こういうのもたまにはいいじゃろ。 奏でる曲に、統一性はない。 ふと、思い出した曲を弾く。 気まぐれに、遊ぶように。 古鉄はギターを弾くのをやめ、代わりにベルが澄んだ歌声を響かせる。 歌に、歌を重ね。 雨音に、耳を傾け。 このひと時を大事に過ごすような、演奏をする。 他愛のない日常だ。 なんてことのない、ただの、一日。 だけど。 大切な仲間が隣にいて、笑い合えて、好きなことができて。 そんな日常は得がたいもので、とても大切なものだと深月は思っている。 ――これが。 ――これが、わらわの欲しかったもの。 素直に、そう思えるような。 素敵な一日になってくれたことに感謝しながら、弦を弾いた。 ――深月さん、楽しそうだな。 演奏を見ていて、和深は思った。 彼女はいつも、温厚で。いつもよく笑っているけれど、今日の笑顔はその『いつもの』とは違う気がした。なんとなくではあるけれど。 ベルも、伸び伸びと歌っている。あの子も実に楽しそうだ。途中で弾くのをやめ、聴衆となった古鉄はどうなのだろう。穏やかな雰囲気は伝わってくる。 素直にいいなと感想を零し、演奏に耳を傾けていると。 「…………」 じっ、とこっちを見られていることに、気付いた。隣に座り、勉強をしている月琥からだ。 なんだろう、とちらり様子を窺うと、慌てた様子で目を逸らされた。たぶん、勉強を見てほしいのだろう。察することはできたが、あえて気付かないふりをした。するとまた、ちらちらとこちらを見てくる。苦笑してから、 「どうした?」 一応、訊いてみた 「! べっ、別に……!」 月琥はばっと顔を背けてしまったので、それ以上は突っ込まないことにする。 ――プライドが高い……っていうのとは、違うかな? たぶんこの子は、兄の前ではできる妹でありたいのだ。 だから、わからない問題に直面しても、安易に力を借りようとはしない。……それでもこっちを見ていたのは、無意識だろうか。 ――あの反応だと、そうだろうな。 妹の自立心に感心しつつ、なら干渉するのは失礼だと知らんふりした。 しばらくしてから、 「…………」 隣から、ため息。 詰まったのだろうか。横目で見ると、その反対だった。開かれていたページの問題は全て解き終わっている。 「お疲れさん」 声をかけると、ばっ、と月琥が和深を見た。達成感からか、明るい表情をしている。 ざっと問題集に目を通した。恐らく満点。人に頼らずよく頑張ったなー、と月琥の頭を撫でた。 「ちょ、ちょっと兄さん。何するんですか!」 「んー、別に?」 「別にって何ですか、別にって……」 抗議を無視して、ただ撫でる。 頑張った妹にこれくらいしてやっても、別に構わないだろう? 月琥は、頬を赤くして和深の手を払おうとしている。が、払う手に力はほとんどこめられておらず、形だけの拒絶だということはすぐにわかった。微笑ましいなぁと笑って、まだ撫でる。 「兄さんったら!」 「はいはい。いいこいいこ」 「子ども扱いして! もうっ、知りません!」 可愛らしい反応に、また笑った。 さて、そんな面々のやり取りを、サズウェル・フェズタ(さずうぇる・ふぇずた)はずっと見ていた。 雨と紫陽花にインスピレーションを刺激され、友人のいる風景を描こうと思ってやってきていたのだ。 キャンバスの前。エプロンを身に着け、髪を括り。 片手にパレット、片手に筆で、キャンパスに絵の具を塗っていく。 心から楽しそうに、穏やかに三味線を弾き、時には歌う深月を。 深月の演奏に合わせ、どんな歌でも歌いこなすベルを。 ギターを手に、けれど演奏には混じらず、一番近くでセッションを聴く古鉄を。 少し離れたテーブルで、勉強を頑張る月琥を。 その妹の様子を見守る和深を。 水彩画の、淡いタッチで描いていく。 水彩を選んだのは、賑やかなのに穏やか、というこの日常を描き表すのに一番合うと思ったからだ。その目論見は正しかった、と完成を間近にしてサズウェルは思う。 「雨、止んだみたいですね」 と、ベルが零すのが聞こえた。一同が、窓に向かう。 「あ、虹……」 との発言は、月琥のものだった。「虹?」「虹!」と、よく見ようもっと見よう、と外に出て行く。 全員が外に出て行ってから、サズウェルも窓に寄って外を見た。 空にかかった見事なアーチ。それはとても綺麗なもので。 「綺麗な虹の下には素敵な宝があるというけれど」 ふと、呟いた。 「ありきたりなことだけど。友人ほどに勝る宝なんて存在するのかね」 仲良くしてくれる人がいて。 好意的な感情を向ければ、好意で返してくれる人もいて。 だから今日も、いやいつだって、笑っていられるのだから。 「どんな宝でも、この日常には敵わないものかもしれないねぇ……」 しみじみと呟いてから、まさか聞かれてはいないだろうなと辺りを見回す。……大丈夫そうだ。 もう一度、窓の外に視線をやった。 空が、眩しい。 降ってくる光に目を細め、サズウェルは皆を呼びに、外に出た。 「ねぇ、絵ができたんだ。みんな見てよ」