校長室
雨音炉辺談話。
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23 ドアベルが鳴って、フィルは「いらっしゃいませ」の声と共に視線を向けた。 「こんにちは」 立っていたのは、ハル・オールストローム(はる・おーるすとろーむ)。穏やかな笑顔を浮かべ、フィルに向けて綺麗な礼をした。 「未散くんにリンスくんの誕生日ケーキを買ってくるように頼まれましてね」 ショーケースのケーキを眺めながら、ハルは言った。リンスの誕生日は六月六日で、もう過ぎている。が、そんな野暮なことは言わない。そっかー、と相槌を打ちながら、ハルがケーキを選ぶのをただ、待つ。 しかし、一分二分と経ってもなかなか注文は決まらない。 「悩んでる?」 「ケーキについてはよくわからなくて……いやはや、お恥ずかしいですな」 「普段食べない人ならそんなもんだよー」 でもそうか、そういうところは疎いのか。と内心留めつつ、「リンちゃんならねー」とケーキを選ぶ。 「あ、ていうかそもそもホール? それともいろんなの詰め合わせ?」 「特に指定はございませんでした」 「じゃ、ホールかなーやっぱ。誕生日ケーキっていったらさー」 リンスがよく買って行くケーキは、チョコレートがベースのもの。こってこてに甘い、けれど生クリームは少なめで、スポンジはわりとしっかりしたものを好んでいた、から。 「これならばっちりだと思うよ♪」 「おお、さすが店長さん。選ぶのが早いですなぁ」 「リンちゃんの好みに合わせたから、他の人の好み度外視だけどね!」 まあ、リンスの誕生日を祝うというならそれで間違いはないだろう。 箱を組み立て、保冷剤とケーキを入れて。 ろうそくもつけちゃえー、といろいろつめている最中に。 「この間はありがとうございました」 礼を言われた。一瞬黙り、すぐに思い出す。公園で受けた相談事のことだ。 「店長さんの言葉で、わたくしも少しだけ積極的になれるような気がしました」 「そう? それはよかった♪」 本当のところ。 あれだけの言葉で、自分の行動方針を変えようと思うのなら、それは元々自分の中にあった『もの』だと、フィルは思う。 だから、別にフィルは何もしていないのだ。 ただ、思ったことを言っただけ。 ――ま、言わないけどねー。感謝されてて悪いこともなし。 「……未散くんも悩んでいると思うんです」 フィルの内心は知らず、ハルは静かに近況報告を続ける。 「ですから、今はもう少し待ってみようかと」 「寝過ごさないように気をつけてね」 「ははは。肝に銘じておきまする。 ……それでその、店長さんの大切な人のお話が聞きたいなと思いまして。聞かせていただけませんでしょうか?」 フィルにとって、大切な人。 あの扉を開けた先にいる、可愛い可愛い人。 ハルは、彼女の話をするに値する。 けれど。 「今日はダメー☆ 誕生日パーティ、遅れちゃうよ?」 はいどうぞ、と箱をハルに手渡した。 「……あ」 「また次ね。俺、ハルちゃんのこと結構好きだから。ハルちゃんになら色々話してあげるよ」 「わかりました。では、また」 ケーキの箱が、フィルの手から離れる。 少し名残惜しそうにしつつも、ハルは店を出て行った。 さーじゃあ次会ったら何から話そうかなー、と考えながら、フィルはフォークを磨いた。 なんだかんだ、時間を見つけてリンスとは会っているけれど。 若松 未散(わかまつ・みちる)が工房に来るのは、実は久しぶりだった。 「あんまりはしゃぎすぎるなよ、みくる?」 工房までの道を歩きながら、未散は若松 みくる(わかまつ・みくる)に釘を刺す。みくるは人形が大好きだから、リンスの工房も必然的に好きなのだ。 工房のドアを開けると、見知った顔がそこにいた。 「レイカ」 「未散ちゃん」 友人の、レイカ・スオウ(れいか・すおう)だった。 工房のことは、普段からレイカに話して聞かせたりはしていたけれど。 「まさか会うとは思わなかったよ」 「ですよね。未散ちゃん、いつも忙しそうですし。本当に偶然。……あ、この子がみくるちゃんですか?」 「うん。あ、そっか、まだ会ったことはなかったっけ。みくる、自己紹介」 人形が並んでいる棚の前に走っていこうとしたみくるを呼び止め、レイカの前に立たせた。みくるは人形が気になっているのか、少し落ち着きがなかった。早口で、「若松みくるですっ」とレイカに言う。自己紹介としては、あまりよくない出来だ。 「ごめんなー、人形気になっちゃってるみたいでさ。みくる、もういいよ。見ておいで」 「うんっ」 手を離すと、すぐに駆けていってしまうし。 「微笑ましかったですよ。みくるちゃん、お人形が好きならユノウとも仲良くなれるかも」 ユノウ。ユノウ・ティンバー(ゆのう・てぃんばー)のことか。話には聞いていた。 今日来ているらしい口ぶりだったので、工房を見回すと……いた。リンスばりの無表情で、クロエの傍に立っている。 「へー、ああいう子なんだ。いい子そうじゃん」 「変わってますよ、かなり。みくるちゃんは、未散ちゃんとよく似て可愛い子ですね」 一方、レイカはみくるを見て言った。自分ごと褒められたようで、なんだかくすぐったい。 「そうか? 生意気盛りだよ」 「そういうところも可愛いんじゃないですか……」 レイカの言葉が、途中で減速していった。どうした? と彼女の視線を追う。 みくるの手元。 ぎゅっと握られた、未散ちゃん人形。 そこに、レイカの視線は釘付けとなっていた。 「お、おい? レイカ?」 「みくるちゃんが持っているお人形って、まさか未散ちゃんの人形……!」 「ああ。衿栖が作ってくれたんだ」 おもむろに、レイカが座っていた椅子から立ち上がった。つかつかと、向かうは作業をしていたリンスのところ。なんとなく嫌な予感がして、未散はレイカの後を追った。 「リンスくん」 「?」 「未散ちゃんの人形って、作ってもらえませんか!? も、ものすごく可愛くて……私、私っ……!」 「はっ!!?」 驚きに、『は』しか声にならなかった。幾度か深呼吸して、顔を上げ。 「わ、私の人形……って。正気か……!?」 「嫌、ですか?」 レイカが、捨てられた子犬のような目で見てくる。卑怯だ。そんな目をするのは、卑怯だ。 「嫌っていうか……その、……は、恥ずかしい……」 恐らく今、顔が真っ赤になっているに違いない。 両手で頬を覆って、「あー」と意味のない声を漏らす。 「みくるちゃんが持ってるなら、前に作ってもらったことあるんでしょう? それでも照れる?」 よくわからない、といった風にリンスが言ったので。 「おまえって。……おまえって、うん、そういう奴だよな」 思わず、息を吐いた。その時、 「人形……」 音もなく、ふっと後ろからユノウが現れた。今度は息が止まりそうに驚く。 「主だけずるい、ワタシもこンナ人形をひトつ欲しイ……!」 驚く未散に見向きもせずに、ユノウは胸からパンダまんを取り出した。 「胸からパンダ……?」 「……変わっているでしょう?」 「ああ……変わってる」 リンスはというと、胸からパンダまんが出てきたことにも驚かず、ただ淡々とパンダまんを観察していた。 職人だから驚かなかったのか、それともリンスだからか。恐らく後者だな、と思っていたら、 「みくるも新しいお人形ほしい!」 みくるまで、便乗。 こんなに全員でほしいほしいと押しかけたら、迷惑になるのではないか。未散はレイカと顔を見合わせ、リンスを見た。 「みくるちゃんはどういうのが欲しいの」 「えー、えへへ。好きな人のお人形!」 「未散?」 「ううん、未散の人形はもう持ってるから、この人! 写真あるよ、これ!」 「へえ。かっこいい子だね」 「でしょー! かっこいいだけじゃないんだよ、優しいんだよ!」 見た感じ、嫌そうな様子は微塵もない。レイカと二人、ほっと胸を撫で下ろした。 ――……いいなあ。 ふと、未散は思う。 皆が皆、リンスに人形を作って欲しいと頼んでいる。 ――私だって、欲しいな……・。 だけど、なんだか上手く言い出せなくて。 どうしよう、どうしようと思っていたら、リンスが未散を真っ直ぐに見た。 「未散は?」 「へ?」 「ないの。作って欲しい人形」 「あ……あるっ! あるよ!」 リンスは本当、鈍いくせに。 たまにこうして鋭いから、嫌になる。 「何がいい?」 「リ……リンスの人形」 「俺の?」 「うん。私の人形はまた今度作ってもらう約束だしさ! ……だ、駄目かな……?」 駄目と言われたらどうしようか。代わりに欲しいものなんて、すぐに思い浮かばない。いっそハルの人形、とか言っておこうか。 「いいよ」 しかし、心配は杞憂に終わった。自分を題材にされたりすることが好きじゃないように思えたから、意外だ。 「……あ、そうだ。リンス、誕生日だったろ?」 幾日か、過ぎてしまったけれど。 「祝わせてくれよ」 「誕生日を?」 「そう。おまえが生まれた日。ケーキならハルが買ってきてくれるからさ」 今頃、ハルはこっちに向かっているだろう。 だから、それまでに未散たちはお茶を淹れて、ちょっとした準備をしておくのだ。 もちろん、主役を乗り気にさせなければいけないけれど。 「祝ってもらうほど、立派な人間じゃないけれど」 「あーもう、おまえは」 「でも、ありがとう。おねがいします」 ぺこりと頭を下げて、薄く笑って言うものだから。 「一生忘れられない誕生日にしてやる!」 「もう過ぎたけどね。誕生日自体は」 「野暮だな、おまえ!」 「ねえクロエ、リンスのために一緒にお茶淹れてみない?」 と、みくるが言った。手には、茶葉が入った缶を持っている。ユノウには見慣れぬものだった。 誘われたクロエが、可愛らしい笑顔で「うん!」と頷く。キッチンに立つ二人についていって、 「お茶、淹れルの手伝ウ」 ユノウは、手伝いを名乗り出た。 「手伝ってくれるの?」 みくるの問いに、こくり、頷く。 「ワタシだけ何モしナイのは不公平ダからね」 「そういうこと、きにしなくていいのに」 「ソレに」 それに、手伝うことで二人と仲良くなれたら、と思って。 ――二人とモ、可愛イ。可愛い、好キ。 だから。 「……なンデモない。とニカく、手伝ウ」 「わかった! じゃあユノウ、ティーカップ用意して!」 「そこのたなにはいってるわ」 「ン」 棚の中から、カップを取り出す。隣の棚にスティックシュガーが見えたので、一緒に用意しておいた。カップは一度温めておく。 湯が沸いて、みくるがティーポットに茶葉を入れた。お湯を沸かし、ポットに注ぐ。 「なれてるのね!」 「みくる、お家でも料理したりするもん」 「すごーい!」 「でもハルの方が上手なんだ……大きいから、重いフライパンも持てるし。みくるも早く大きくなりたいなぁ。 あ、クロエはどうしてるの? クロエも料理してるんだよね? 未散が言ってたよ、リンスのご飯はクロエが作ってるって!」 「わたしは、いがいとちからもちなの」 「そっかー」 「うん」 何か助言できないか、とユノウが考えている間に会話が終わってしまった。ポットの中の紅茶も、良い感じだ。香りがこちらまで届いている。 「不思議な香リ」 「紫陽花の紅茶なんだって、未散が選んでくれたんだ!」 「珍しイ」 ポットとカップの乗ったトレイをユノウが持って、キッチンを出る。 「お茶、入ったよー!」 部屋にはいつの間にかハルもいて、既に全員揃っていた。 美味しいケーキに美味しい紅茶。 素敵な時間を、過ごさせてもらっている。 だから、だから。 ――気付かれちゃ、いけない。 ティーカップを持つ手が震えることを。 身体に起きている、異常を。 カップを持つ手が震えそうになったから、紅茶を飲むのをやめた。小さく分けたケーキを口に含み、バレないように誤魔化す。 ふと、未散と目が合った。悲しそうな目をしている。……ああ、そんな顔をしないで。笑っていて。私なら大丈夫だから。そう笑ってみせたが、逆効果だった。余計に辛そうな顔をさせてしまった。 「レイカ。ちょっといいか?」 未散が席を立つ。この場には、何も知らない人が多すぎるからだろう。 工房を出て、軒先で。 「その手、さ……」 「…………」 二人きりになってすぐ、未散は話を切り出した。レイカはただ、頷く。 今まで。 今まで、色々な人に心配されてきた。 それでも、使役することをやめなかった。 だって。 「私には、『これしかないから』」 身を削ることでしか、大切なものを護れない。 「……レイカのヴァイオリンの音色、私は凄く好きだよ」 静かに、未散が呟いた。 「だから、聴けなくなっちゃうのは嫌だ」 「…………」 「生きていくには戦うことは避けられないかもしれない……でも、そうじゃない生き方だってあると思うんだ」 「……それでも」 「わかってる。否定はしないよ。ただ……ただ、無理しないで……。 自分にはこれしかないなんて悲しいこと、言わないでくれよ……」 未散の頭が、レイカの胸にぶつかった。感覚の麻痺した右手では、未散を抱きしめてやることもできない。 「……あのね、未散ちゃん」 「……?」 「『これしかない』って言う私が、私の中に居ます。 だけど、同時に、『それでいいのか』って囁く私も、いるんです」 その瞬間、大切なものを護れるのならそれでいいの? それは、本当に『護った』ことになるの? 本当に、本当に、相手を想って『護る』なら――。 「……答えはまだ、出ません。でも、考え抜きたいと思います」 大切な友達に、未散に、心配をかけたくないから。 そう微笑むと、未散も笑ってくれた。 「あ。見ろよ、レイカ。雨……上がってる」 ちょっと外に出たら、雨が上がっていたので。 「虹、見に行かないか?」 未散はリンスに手を差し伸べた。 「見えるの?」 「わかんないけどさ。見えるかもしれないじゃん」 「そうだね」 行こうか。あっさりと、リンスが頷いて席を立つ。 レイカやハルは、いってらっしゃい、と見送ってくれた。留守番は任せておけ、ということらしい。手を振って、工房を出る。 「紫陽花のさ。雨粒に濡れた姿って、私、凄く綺麗だと思うんだ」 濡れたことで、色鮮やかになったように感じる。きらきらと光る雨の雫は、それらをさらに引き立てて。 「本当だ。知らなかったよ」 「出かけないからなー、おまえ」 「雨、あまり好きじゃないしね」「 「いろんな発見あるから、嫌いだって遠のけない方がいいよ。同じ作り手として、アドバイスな」 「肝に銘じておくよ」 言ってから、なんだかそんな話ばかりよくするなあ、と未散は思った。 よく。いつから? 最初に会ったのは、確か。 「一年前か」 「?」 「出会ってから。もう一年経つんだな、って」 一年前の自分は、どんな風だっただろうか。 友達も少なくて、人見知りで。 姉のことを引きずっていて……。 「ぷっ」 「何、急に笑って」 「いや、一年前の自分思い出して。今じゃ考えられないよなー、って」 前向きになれた。明るくなれた。やりたいことを、『やりたいから』やっている。 「リンスと会ってから、私は前に勧めた」 ぽつり。 言葉を零すと、リンスが未散を見た。未散も、リンスを見る。嘘じゃないし、誇張でもないと瞳に込めて。 「リンスは……?」 ――私と会ってから、前に進めた……? わざとなのか、なんなのか。 彼は、その場から動かない。 そりゃ、少しは変わっているけれど。 色々、変わっているけれど。 「……これ以上距離が開くのは嫌だ」 自分ばかり、前に進んで。 振り返らないと、リンスはいない。 「……一緒がいいよ」 ――だって、私は。 「リンスのお陰で、変われたんだから」 「…………」 「……ごめん。人には人のペースがあるって、わかってる……けど……」 不安に、なった。 もしかしたらこのまま距離が開いて、そのうち会わなくなってしまうんじゃないか、って。 リンスは何も答えない。 答えを出しあぐねているのか、また別の理由なのか、未散にはわからなかった。