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幻夢の都(第1回/全2回)

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第2章 黄金都市の霧 4

「相手にとって不足はなさそうだね!」
 燃え立つような赤い髪を後頭部で束ねた女は、目の前の竜を見据えながら言い放った。
 霧の中である。〈黄金の都〉に足を踏み入れてしばらく、散策中に突如として出てきた白い霧から、竜の影――邪竜アスターが姿を現したのだ。
 女はアスターを求めていた。
 戦いだけが女の求める全てだった。
 赤い髪の下には無邪気な少女の面立ちがあったが、その瞳の奥には殺し合いだけを生き甲斐とする戦闘者の意思が見え隠れしている。これはもしや、自分のその欲望が生み出した幻かもしれないと考えられたが、そんなことはどうでもよかった。
 大切なのは、今目の前に、アスターがいるということ。
 それを全力で叩きつぶすということだけであった。
「陽子ちゃん! いくよっ!」
「――はい」
 緋柱 透乃(ひばしら・とうの)の呼びかけに、隣にいた緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)が答えた。
 艶やかな黒髪に儚げな顔立ちと、一見すると大人しい清純な娘に見える。しかし、その心に眠っているのは透乃と変わらぬ戦闘意識であった。
 冷たい微笑を浮かべた陽子は、相手に恐ろしい幻覚を見せると言われている魔法を放った。『その身を蝕む妄執』は、白い霧の中の竜に黒い霧となって襲いかかる。二つの霧が混ざり合う中に、透乃が飛び込んでいった。
 握りしめられた左の拳は炎のごとき闘気を纏っていた。赤い閃光となって霧を突き進む透乃に、竜が反撃の吐息を放つ。が、透乃はそれを避けようとする身振りすらしなかった。
 吐息が肉体を包んで焼き尽くされそうな痛みを猛烈に感じながらも、透乃はむしろそれに幸福を見いだし、笑みを浮かべていた。
 痛みこそ至上の喜びである。
 竜の爪や吐息で服がぼろぼろになりながらも、透乃は一直線に霧を割り、ついには相手の目の前に辿りついた。拳をその勢いのまま、叩き降ろす。
 竜の悲鳴のごとき雄叫びが響き渡った。
 トッと、地面に降り立った透乃はたしかな手ごたえを感じていた。竜の影も地面に沈む。しかし、ふいに、霧が霞んで消え始めた。
「あちゃ〜……やっぱりかぁ」
 透乃は残念そうに片手で頭を押さえながら嘆いた。ある程度の予想はあったが、霧が消えたときにアスターの姿はなかった。
「逃げられたのでしょうか?」
「ううん……もともと戦ってたのが幻だったんじゃないかな」
 傷だらけになった身体についた汚れをパンパンッと、叩いて落とし、透乃は言う。陽子は透乃が肩を落としてないかと心配そうな目を向けたが、当の本人はあっけらかんとしていた。
「残念じゃないんですか、透乃ちゃん」
「残念だよー……でも、それ以上に、また戦えるかもってほうがワクワクする」
 透乃はにやりと笑いながら言った。
 それでこそ透乃かもしれない。陽子は嬉しそうに笑った。
「さっ、他も見て回ろうか。まだまだモンスターはいるかもしれないしね」
 透乃はほっぽり出していた荷物をからって、遠足にでも行くような何気ない口調で言った。



〈黄金の都〉に足を踏み入れた数々の契約者達の影の中で、ひときわやる気がなく、喚き散らすものがいた。
「あ〜、やだやだぁっ。暇だし、何も事件は起こらないし、眠いし、お酒はないし……邪竜アスターとかいうのはどこにいるってのよぉ」
 普段はのほほんとして眠たげに周りを観察しているだけのリーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)は、前方にいる男に向かってそう言い散らかした。
「そりゃ、ここの親玉みたいなものだろ。そう簡単に出てくるかよ」
 男は振り返って、呆れるような口調で言った。
 端整な顔立ちだが、どこか愛想のなさが目立つ気だるげな若者だった。
 その左右には三メートルはあろうという竜が二匹ほどいる。リーラが体内から解き放った竜型機晶生命体である。二匹の竜は我が主人であるリーラを眺めやっていた。
 一人と二匹の視線を受け止めながら、リーラはぶすっと頬を膨らませた。
「そんなこと言って、時間が経てば経つほどこっちは危ういってことを、真司は理解してるのかしらね〜」
「どういうことだよ?」
「後ろを見てみなさいよ、ほら」
 リーラが言って、振り返った先には、二人の少女がいた。
 一見すると、見た目はまったく一緒に少女達だった。長い銀の髪に白い肌と、細身の身体から細面に至るまで、まるで双子のようにうり二つである。唯一違うのは、瞳の色と、その身に纏っている羽みたいな光輝のオーラだった。
 一方は赤いオーラだが、もう一方は青いオーラである。それは瞳の色と同色で、まるで青と赤で少女らを区別しているようだ。服装も同じで、一方は青の線が入った服を着ているが、もう一方は赤い線が入った服を着込んでいた。
 金銀財宝で出来た街は物珍しく、二人の少女はきゃっきゃと騒ぎながら黄金都市を楽しんでいた。
 柊 真司(ひいらぎ・しんじ)は頭を掻きながら、
「おい、お前ら、はしゃぐのはいいけど迷子になるのだけはやめてくれよ」
 二人に言うと、一方の赤い少女が心外だというように真司を見返して、
「酷い言われようね。ヴェルリアじゃないんだから、そう簡単に迷子になったりは……」
 反論したが、ふとヴェルリア・アルカトル(う゛ぇるりあ・あるかとる)を見ると、当の少女はうるうると涙を浮かべてフレリア・アルカトル(ふれりあ・あるかとる)を見ていた。
「ヴェ、ヴェルリア、そんな悲しい目でこっちを見ないでくれる」
「だって、フレリアお姉ちゃんが酷いこと言うから〜」
「その『お姉ちゃん』っていうのやめなさい。言われるこっちが恥ずかしいのよ」
 顔を赤くしてフレリアが言うと、ヴェルリアはしょぼんとなり、
「…………はい、分かりました」
 肩を落としながら明らかに意気消沈して言った。
 リーラや真司の非難めいた目がフレリアに注がれる。ぐっと息を詰まらせたフレリアは、慌ててヴェルリアの背中に声をかけた。
「ま、まあ、たまにならいいけど、ね」
「ほんとですかっ! フレリアお姉ちゃん!」
「たまにならよ、たまにならっ! こら、抱きつかないのっ!」
 ヴェルリアをぐいーっと引っぺがそうとするフレリアを見やりながら、真司はくすっと笑って、前に向き直った。リーラがにやにやと見ている。
「……なんだよ」
「べっつにぃー。お子さん二人を抱えたお母さんは大変そうだなぁって思っただけよぉ」
「からかうのはよせよ。別にそういうんじゃないんだから」
 真司は言って、リーラの視線から目を逸らした。
 本当に、何か特別な意図があったわけではないのだ。ただ二人が仲良くしているのを見ると嬉しくなっただけだ。二人が生まれたのには数々の経緯があって、それを乗り越えて、いまの二人が存在している。共に、生きる者として。
 そのことを嬉しく感じつつ、真司は何気なく歩き、曲がり角について、
「二人とも、いつまでも遊んでないで、さっさと――」
 振り返って、二人を呼ぼうとした。
 しかし、リーラの頭の更に向こう側――それまで二人がいたはずの場所には誰もおらず、風だけがぴゅううぅぅと過ぎ去った。
「……おい、まさか」
 リーラも後ろを振り返り、向き直ってから、間を置いて肩をすくめた。
「案の定、ね。お母さん」
「だから言ったのによ……ったく……」
 いつも通り迷子になった二人に、真司は今は嘆くしかなかった。