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第三章 移ろいゆくとき 3

裏路地


 アルミナ・シンフォーニル(あるみな・しんふぉーにる)に誘われて、辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)はアムトーシスに観光にやってきた。
 最初こそは、いろいろな観光名所を回っていた。うずまき通りから始まって、砂糖菓子の館や、美術館、劇場、流れる雫の時計台、など……。ただそのうちたくさんの人たちの中に混じるのが疲れてきて、二人は大通りのベンチで休憩することにした。左右の橋の下には水路があって、水音がここまで聞こえてくる。刹那はそれだけでも穏やかな気分になれた。
 と、いつの間にか姿を消していたアルミナが、刹那のもとに戻ってきた。
「アルミナ? どこに行ってたのじゃ?」
「ねえねえ、せっちゃん。ちょっとこっちに来てみない? 良いところがあるんだって」
「良いところ?」
 刹那が聞き返すと、アルミナはまるでサプライズでも用意しているかのようにニコッと笑った。
「うん。町の人たちが教えてくれたんだ。ね、行ってみようよ」
 刹那の手をとって、アルミナは走りだした。
 アルミナが入っていったのは、水路を挟む街路からちょっと脇道に入ったところにある路地裏だった。左右上下にあるのは街の人たちの住宅地だ。吹き抜けの空には洗濯物がかけられていて、脇には花壇がちらほらと。見るからに、街の人しか入ることのないような場所だった。
「アルミナ。いったいどこに行くつもりじゃ?」
「もうちょっと。あと少しだから……あっ! あったよ!」
 その瞬間、空気が一気に広がった。風が吹き抜ける。
 そこは古びた住宅に囲まれた天然の公園で、柔らかい芝と色鮮やかな花が咲きみだれていた。一瞬、その美しさと風の心地よさに口がふさがらなくなる。刹那はしばらく惚けたようにそこに立ち尽くしていた。
「これは、いったい……?」
「街の人だけは知ってる『裏道の公園』なんだって。ていっても、領主様が公園ということで指定してるわけじゃないみたいだけど。なんていうか、自然と出来た憩いの場みたい」
 アルミナは楽しそうに言って、くるくると回りだした。
「ね、せっちゃんもおいでよ!」
 そのままダンスでも踊るかのように、刹那を手をとる。一緒にくるくると回った二人は、ばたんっと芝と花のベッドの上に寝転がった。
 アルミナはいつもよりとても嬉しくて幸せそうな笑顔をしていた。夢見心地みたいな気分だ。思えば、いつもは暗殺の裏稼業をしている自分の手伝いばかりをさせてしまっている。刹那は、こんなときに見られるアルミナの笑顔が、本当のアルミナの姿な気がした。
「――すまんな、アルミナ」
「ん? せっちゃん、なにか言った?」
 ぼそっとつぶやいた一言に、アルミナが首をかしげた。刹那はほほ笑んで、そっと首をふった。
「ううん、なんでもないのじゃ」


 非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)イグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)の四人は観光目的でアムトーシスにやってきた。
 初めてのアムトーシス。緊張と期待が入り混じった感情で街を訪れた。結果だけを言うなら、期待以上のものが見られたと言っていいだろう。アムドゥスキアスの塔から始まって、ピクトのお面や噴水広場など……たくさんの名所を回っていった。
 その度にユーリカは、可愛いものがあればさわいでいた。「きゃああぁぁっ、かわいいですわ〜!」と、アムドゥスキアスを見立てて彫ったという彫像にまで抱きつくしまつだ。観光客だけではなく、街の人からも視線を浴びるほど目立っていたが……まあ、楽しんでいるならそれで良い。イグナとアルティアもユーリカの勢いに巻き込まれて、目一杯街を楽しんでいた。
 そのうち、四人はすっかりくたびれてしまった。
 ちょっと張り切り過ぎたのだ。ユーリカはまだまだ元気いっぱいだが、それに付き合っていると体力がもたない。四人は街の灯がつくる日陰の場所にいって、すこし休憩していた。
「まったく、本当に元気だな、ユーリカは」
 イグナが呆れたように言った。当の本人のユーリカは、装飾品のお店で玄関先に並べられている商品を見ながら、はしゃいでいる。アルティアがくすっとほほ笑んだ。
「それだけ、楽しんでいるということで御座います。アルティアは、素直に心の内を出せるユーリカさんがとても羨ましいです」
「ああいうのは嫌な言い方をするとバカ正直と言ったりもするのだがな……。と、近遠。いったいどうしたのだ?」
「あれ……なんだか……向こうに呼んでるみたいです……」
 明後日の方向を向いていた近遠が見ていたのは、路地の脇道から顔をのぞかせる黒猫だった。
 アムトーシスにも猫はいるのか。と、感心している場合ではない。黒猫がすっと路地の中に隠れると、近遠がふらふらとそれを追っていった。
「ちょ、近遠。どうしたというのだ!」
「呼んでるみたい……。行ってみたいです」
 イグナとアルティアは急いで近遠の後を追った。途中、イグナはユーリカを大声で呼ぶ。ユーリカもそれに気づいて、あわてて三人の後ろをついてきた。
 黒猫はどんどん路地裏の奥に入っていった。近遠がまるでなにかに取り憑かれたように、それを必死で追いかける。三人も近遠を追いかけるのに必死になった。やがて、黒猫が見えなくなったそのとき、近遠たちの前に広がったのは小さな空間だった。
「これって――」
 そこは吹き抜けの空間で、どこかから吹いた風が通り抜ける場所だった。
 地面は芝が絨毯みたいに敷かれて、色鮮やかな花が咲きみだれている。そこにさきほどの黒猫を含めた猫たちが大集合していた。
「猫の、集会場かなにかなんでしょうか?」
 アルティアが誰ともなくたずねる。イグナが答えた。
「さあ、どうだろう。いずれにしても、あまり表通りには知られていない場所のようだが……近遠?」
 いつの間にか、近遠がごろんと芝に寝転がっていた。
「うわぁ……なんだかこれ、気持ち良いですよ……」
「あのだな。誰の敷地ともどことも知れない場所でそんな勝手に……」
「わーい! 近遠ばかりずるいですわー! あたしも寝るですわー!」
 イグナの話をまったく聞いていないユーリカが、近遠に続いてばさぁっと芝の絨毯にダイブした。ふかふかのベッドみたいだ。「柔らかいですわ〜」と幸せ気分でつぶやく。アルティアもうずうずしてきて、二人に続くように足を踏み出した。
「おいおい、アルティア! 貴公まで!」
「良いではないですか、イグナさん。この芸術の街アムトーシス。こんな一時の安らぎも『美』の一つではないのでしょうか」
「まるで詭弁だな……」
 アルティアはくすっと笑って、二人の横にそっと寝転がった。
 イグナは眉根を寄せた顔でしばらくそれを見つめていたが、やがて諦めたようなため息をついた。
「あれ−? イグナちゃん、勝手に寝るのはダメなんじゃなかったの?」
 ユーリカがからかうように言う。イグナは憮然とした顔でふんっと目をつむった。
「皆の安全を守るのが我の使命だからな。しかるに、行動を共にするのも我の使命。問題はない」
「きゃー、詭弁ですわ〜」
 ユーリカは楽しそうに笑う。イグナとアルティアも、ユーリカを見てほほ笑んだ。
 近遠はなんだか眠くなってきた。また、いろんな芸術を観に行きたいけど、いまだけは……。いまだけは、ちょっとそっとしてもらっていいかな。そんなことを、誰かに伝えたい気分だった。