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第11章 二人きりで過ごしましょう


 29階、銀座の十二星華綾香の店に一歩入った綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は、一流ホテルのレストランのようなフロアに思わず息を飲んだ。
 ──中流家庭出身者には敷居が高い……!
 二歩目を踏み出すのをためらっているさゆみだったが、連れのアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)は何ら気にすることなく、案内の従業員についていっている。
 ふだんは綾香一人で切り盛りしているスナックだが、今日だけの特別バージョンのために人手を増やしていた。綾香が厳選した従業員は、どれも品の良い者ばかりだ。
 さゆみは慌ててアデリーヌの後を追いながら、彼女は吸血鬼の貴族だったことを思い出していた。
 案内されたテーブルは半個室になっており、明るすぎない照明の効果もあって二人きりの空間を演出している。
 さゆみは給仕が持ってきたメニューを広げたが、文字を読むことはできてもそれがどんな料理なのかはさっぱりだった。
 さゆみはちらりとアデリーヌを盗み見た。
 背筋をピンと伸ばして座る彼女は、メニューをきちんと理解しているようで、じっくり選んでいる様子だ。
 そして、何とかというコースを注文した。
「あなたは決まりましたの?」
 ぼんやりと見つめていたアデリーヌから不意に話しかけられ、さゆみはハッとした。
 これ以上メニューを見ても意味はなさそうなので、勘で選ぶことにした。
 給仕が去った後、アデリーヌがかわいらしく笑った。
「そうですわよね。特別な日にこういうお店に来たんですもの。思い切り楽しまなくては損ですわ」
「え、あの……?」
「あら、もしかして偶然? あなたがオーダーしたコース、一番高いメニューでしたわよ」
「ええ!?」
 思わず大きな声を出してしまったさゆみに、アデリーヌはくすくすと笑う。
「ふふっ。きっととてもおいしいですわよ」
「……アディは、あのメニュー表の内容を理解してたみたいね。私はもう何が何やら。呪文みたいだったわ」
 さゆみはため息をつき、苦笑した。
「前から感じてたけど、アディってとても品が良いよね。立ち居振る舞いも洗練されてて。それに、すごく綺麗」
 生まれながらに高貴な血筋であることはわかるが、さゆみにとってそれは憧れでありコンプレックスでもあった。そして、大切な恋人に劣等感を抱いてしまう自分を、いやらしいとも思ってしまうのだ。
「わ、わたくしは別に、綺麗ではありませんわよ。あなたのほうが可憐で素敵ですわ」
「い、言い過ぎだよ」
 二人は何となく照れてしまい、ごまかすように水を飲んだ。
 そんな空気も食事が始まれば楽しいおしゃべりに変わる。
 話の内容は、主にこの店に落ち着くまでに遊んだ場所についてだ。
「アディがくれたぬいぐるみ、大切にするね」
「喜んでくれて良かったですわ。わたがしもおいしかったですわねぇ」
「うん。久しぶりに食べたよ」
「ピザ屋のチョコピザは衝撃的でしたわ。世の中には、ああいう食べ物もあるのですね。あれも日本の食文化ですの?」
「あ……あれはどうかなぁ」
 さゆみも初めて見る食べ物だった。
「でも、あなたがいなくなった時は胸が潰れる思いでしたわ。どうやったら治るのかしら。良いお医者様を見つけたほうがいいのでしょうか」
「もう、あんまり意地悪言わないでよ」
 口を尖らせるさゆみに、ごめんなさいと言いながらも笑うアデリーヌ。
 さゆみもつられるように笑顔になっていく。
 そこに先ほどため息をついた時に見せた淡い憂いはない。
 そのことにアデリーヌは安堵していた。
 さゆみには、いつも笑顔でいてほしい。
 そして、隣には自分。
 幸せな時間がこの先も変わらずに続きますようにと、アデリーヌは願った。


 成田 樹彦(なりた・たつひこ)の案内で訪れた場所に、仁科 姫月(にしな・ひめき)はきょとんと目を丸くさせた。
「どうかしたのか?」
 そんな姫月の顔を不思議そうにのぞき込んだ樹彦に、彼女は照れ笑いを返した。
「行きたいところがあるって言うからどこかと思ったら……私と同じところだったんだなぁって」
「そうか。それは良い偶然だったな」
 樹彦は淡い笑みを浮かべると姫月の手を取り、従業員の後に続いた。
 突然あたたかい手に包まれてドキッとした姫月だったが、それは胸に押し込んでおく。
 バレンタインは女の子ががんばる日だけれど、こういうのも悪くないなと思った。
 ──でも、チョコを渡すのは私!
 これだけは譲れない、とつないでいないほうの手をぎゅっと握りしめる。
 去年も一昨年もチョコをあげたのに、この緊張感はやわらぐことなくやって来る。
 テーブルに案内され、メニューを見ている間も、姫月の心はチョコを渡すタイミングをはかっていた。
 食事の前がいいか後がいいか。
 ──後回しにすると、料理の味がわからなくなるかも……じゃなくて、プレゼントの出し渋りは何かケチくさいよね。
 そんなわけで姫月は料理が来る前にチョコを渡すことに決めた。
 バッグから樹彦が好みそうなデザインの箱を取り出す。
「兄貴、ハッピーバレンタイン! いつも助けてくれてありがとう。──大好き」
「助けてもらってるのは俺のほうだ」
 樹彦は嬉しそうに頬をゆるませてチョコを受け取った。
 しかし、その表情はすぐに消えてしまい、何か考え込むように手の上の箱をじっと見つめだす。
 もしかして迷惑だったのかと、姫月は不安になった。
「どうしたの? もしかして気に入らなかった?」
「いや、そうじゃない……」
 即座に否定したものの、樹彦の表情は変わらない。
 それから何かを言おうとして口を開いたが、それは言葉になる前に飲み込まれていった。
 不安に満ちた姫月の目に気づいた樹彦は、少し慌てたように言いあぐねていたことを話した。
「なあ、一昨年まで渡されたチョコレート、しかたないだとか、一応兄貴だからとか言って渡されたあれって、義理じゃなくて……やっぱり?」
「あ、当たり前じゃない。あれは、その恥ずかしかったし、それに妹からので本命なんて言えるわけないでしょ。……それを考えてたの?」
 樹彦は静かに頷いた。
 姫月はチョコが嬉しくなかったわけではないとわかって安心したが、同時に彼を悩ませた原因を作った過去の自分の行動を恥ずかしく思った。
 さんざん悪態を突いたり罵詈雑言を浴びせながらチョコを渡したことを……。
 樹彦への申し訳なさと自身への恥ずかしさで、姫月は頭を抱えたくなった。
 目の前の樹彦もため息をついている。
「……そうだったのか。だったら、もっと味わって食べておくんだったな」
「え、そっち?」
「ん?」
 ため息は姫月への呆れではなかったようだ。
 ホッとしたような照れくさいような、そんな思いが姫月の胸に満ちていく。
 そして、こんな自分を受け入れてくれる樹彦に愛しさがあふれてしかたなかった。
 姫月は席を立つと樹彦の横に立ち、抱き着くようにキスをした。
 驚いている樹彦と目が合ったとたん、姫月はハッと我に返った。
「きょ、今日はバレンタインだから特別!」
「ああ、わかってる」
 微笑む樹彦に、これからはどんなに天邪鬼な態度をとっても全部気持ちは筒抜けなんだろうな、と姫月は恥ずかしさにそっぽを向いた。


 できるだけ静かな席を、と遠野 歌菜(とおの・かな)が従業員に頼むと、半個室のテーブルへ案内された。
 仕切りに囲まれた空間はゆったりとしている。
 途中、他のテーブルに客がいるのがちらりと見えたが、このテーブルの両側には誰もいないようで静かな良い席だった。
 どうやっているのか、大きな窓の外には美しい夜景が広がっている。
 入れ替わりにやって来た給仕にさっそくコース料理を注文し、次に現れたソムリエにワインを頼もうとしたのだが、彼は申し訳なさそうに歌菜を見て言った。
「未成年の方にはソフトドリンクとなっております」
 歌菜の向かい側に座る月崎 羽純(つきざき・はすみ)が小さく笑う。
 歌菜は少し頬を赤くしてソムリエに言った。
「私、成人してます」
「本当ですよ」
 羽純も歌菜を援護したが、いまだに笑いの虫は治まらないようだ。
 ソムリエのほうは落ち着いた様子で「失礼しました」と一言詫びた後、丁寧に注文を取って去っていった。
「もう羽純くん、いつまで笑ってるの?」
「ごめん。悪気はないんだけど」
「悪気があったら困るよ……」
「若く見られてよかったな」
「何か納得いかないなぁ」
 歌菜は口を尖らせるが怒っているわけではない。
 羽純もそれをわかっているので、穏やかな様子で歌菜を見ている。
 やがてワインが運ばると、歌菜は笑顔になって羽純へグラスを傾けた。
 ガラス同士の触れ合う澄んだ音が耳に心地よい。
 その後の食事もいい雰囲気で進んだ。
 高級ホテルのレストランのような店に釣り合った料理は、二人の舌を飽きさせず会話も途切れさせることはなかった。
「もし歌菜が外で食事しようって言わなかったら、俺から言い出してた」
「そうなの? じゃあ、羽純くんの想いが通じたのかな?」
「そうかもしれないな」
 プラ(メイン料理)、フロマージュ(チーズ)が終わり、アヴァン・デセール(メインデザートの前の料理)もあっという間に食べ終えてしまうと、後は最後のデセール(デザート)を待つのみだ。
 ──今、渡そう。
 そう思った歌菜が背のほうに置いたバッグに手を回して羽純を呼んだ時、
「これを歌菜に」
 目の前にふわりと薔薇の花束が現れた。
 反射的に受け取りながらも、歌菜の目は驚きでいっぱいだ。
 思った通りの反応に、羽純の頬がゆるむ。
「綺麗! でも、どこから出したの?」
 驚きの表情から一変して笑顔になった歌菜は、ふと、花束に刺してあるカードに気がついた。

『歌菜といると、笑顔が絶えない。いつもありがとう。
 そして、これからもよろしく。
 愛してる』

 羽純からのメッセージに、歌菜の頬がみるみる赤く染まっていく。
 つられるように羽純も照れくさくなった。
 愛してる、なんてふだんはなかなか言えない言葉だ。
 それなら文字にして……と思ったが、歌菜の表情を見てやはり照れてしまう羽純だった。
 もしかしたら、歌菜はもっと照れていたかもしれない。
 さっきからドキドキとうるさい心臓の音が羽純に聞こえてしまうのではと、静めようとしてもうまくいかないのだ。
 歌菜はゆっくり息を吸い込むと、まっすぐに羽純を見つめた。
「ありがとう、羽純くん。私も……その、愛してます。先を越されちゃったけど」
 と言って、歌菜は手作りのチョコを差し出す。
「はい、チョコレート。いつまでも、一緒にいようね」
 羽純はやさしく微笑んで、チョコレートごと歌菜の手を包み込んだのだった。

担当マスターより

▼担当マスター

川岸満里亜

▼マスターコメント

種もみの塔のバレンタインイベントにお越しいただきありがとうございました。

執筆の担当は
1、5、8〜12、14、16〜18ページ 川岸満里亜
2〜4、6〜7、13、15、19ページ 冷泉みのり
となっております。

 
■川岸満里亜
 いつもありがとうございます、マスターの川岸です。
 書かせていただいた方以外のアクションも全て楽しく読ませていただきました。ご参加ありがとうございました!
 さて、ゼスタと優子の勝負ですが……カウントの結果。
 人数の勝者:優子
 数(ポイント数)の勝者:優子
 となり、優子の勝利という結界になりました。

 ただし! 義理チョコ(アイテム名)の多さでは、ゼスタが圧勝でした。テロルチョコの多さも。
 なんですか、このチョコは……皆さんどこで手に入れたのですかー!?
 ちなみに、ゼスタが貰った「義理チョコ」の数46! 優子は1個でした。

 沢山のチョコレートありがとうございました。
 後程改めて、マスターページに結果と感想を書きたいと思っています。
 この結果により、こちらの勝負のエピローグの優子のお返しキャラクエを、ホワイトデー近くに出させていただく予定です。

 貴重なアクション欄を割いての様々なメッセージありがとうございます。
 個別のお返事がなかなか書けず申し訳ありません。大変励みになっております。

■冷泉みのり
 こんにちは、冷泉みのりです。
 シナリオにご参加いただきありがとうございました。
 愛情たっぷりのアクションはこちらまであたたかい気持ちになりました。
 川岸マスターの優子とゼスタの勝負もおもしろい結果になりましたね。

 それでは皆様、ハッピーバレンタイン!