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第4章 素直な気持ち

 12月24日の夜。
 橘 美咲(たちばな・みさき)は自室にいなかった。
 だけれど、思いの人であるファビオ・ヴィベルディ(ふぁびお・う゛ぃべるでぃ)に連絡を入れることも、訪ねることもなかった。
 彼女は自室の窓の鍵を開けたまま。
 どこかに出かけてしまっていた。
 シャンバラに戻ってきてから、まだ美咲はファビオと顔を合せてはいない。
 彼が無事であることも、居場所も聞いてはいたが……連絡を入れることさえもしていなかった。
 ただ、1通だけ。
 部屋に手紙を残してきていた。

「風が強いです……」
 美咲は自分を抱きしめるように白いコートを押さえた。
 大きな赤いリボンで結んできた髪も、風の仕業で随分と乱れてしまった。
「こんな時間に、なにもないこの場所に来る人なんていませんよね」
 彼女がいるのは、ヴァイシャリーのはばたき広場にある、時計台。
 その屋上展望台に1人、佇んでいた。
「でも……」
 彼が、来てくれると美咲は信じていた。
 彼――ファビオと2人きりで出かけたことは、そう多くはない。
 その中で、一番印象に残っているのが、ここで過ごした僅かな時間だった。
 美咲はファビオに抱えられて空を飛んで、この場所からヴァイシャリーを見たのだ。
(ここは、ヴァルキリーの彼が見ている景色に少しでも近付きたかった場所)
 そして今は、彼が追いかけて来てくれると信じて待つ場所だった。
 日が暮れてからずっと、美咲はこの場所にいて。
 体はすっかり冷え切ってしまった。
 でも、帰ろうとは思わなかった。
 クリスマスが終わるまで、何時間でも1日でも待ち続けるつもりだった。
(ファビオさんから積極的に誘ってくれることって、ないですけれど……。彼は寂しがり屋さんですから)
 美咲の事を気にして、様子を見に来るだろう……見に来てくれるだろうと信じて。
 美咲は部屋に『あの場所で待っています』とだけ書いた手紙を残してきたのだ。
(ファビオさん……)
 彼女の首には、彼にもらった赤いマフラーがあった。
 手を当てて抱きしめて、彼を想いながら美咲は待っていた。

「……美咲、ちゃん」
 控え目な声が響いたのは、民家の明かりが消え始めた頃、だった。
「待って、ました」
 美咲の寒さで固まっていた顔に力を籠めて、笑みを浮かべる。
 現れた彼は、綺麗な光の翼を広げてはいなかった。
 飛んできたのではなく、階段を上ってきたようだった。
「……」
 彼――ファビオは美咲に近づくと、纏っていた紫色のマントを外して、美咲を包んだ。
「ありがとうございます。……それから。
 ……『頑張ったね』」
 と、美咲はより強く笑顔を浮かべた。
「キミが危ない時に、助けにいけなくてごめん」
 ファビオの言葉に、美咲は強く首を左右に振った。
「わかってますよ」
 彼が命をかけて守ろうとした人の中に、自分もいたということが。
 聞かなくても、聞けなくても分かる。
「手紙、ありがとう。随分と無茶な事をしたんだね」
 ファビオは手袋をとって、美咲の冷たくなった頬を両手で覆って温めた。
「頑張りました!」
 ファビオと会えなかった期間。
 美咲は友達と共に生きる為に。皆と生きて帰る為に――自分も含め、多くの人達の命を守るために頑張ってきたことを、ファビオに話した。
 美咲の話を優しい目で聞いて、美咲と同じようにファビオは「頑張ったね」と美咲に微笑んだ。
 ファビオの両手で温められた美咲の顔にも、普段と同じ明るい笑みが浮かんでいた。

 ファビオが美咲から手を離した途端。
 美咲は背伸びをしてマフラーを片側を、彼の首に巻きつけた。
「……?」
 ぐいっとマフラーを引っ張って、不思議そうな顔をしている彼を自分へと近づける。
 そして。
 美咲は、ファビオの唇に自らの唇を重ねた。
「く、クリスマスプレゼントです」
 頬を赤く染めて俯き、美咲は言った。
「ど、どもってしまったのは、寒いからで……」
 それは美咲にとって男性と交わした初めてのキスだった。
 恥ずかしくて恥ずかしくて消えてしまいたい衝動に駆られながら。それでも彼とこうして結ばれていたいと思って。
 マフラーで繋がったまま。間近にある彼の顔を見つめて美咲は言った。

「好きです」

 言い終わらないうちに、ファビオの顔は見えなくなってしまった。
 彼の両腕が美咲を攫って。美咲の身体は彼の身体に包み込まれてしまったから。
 美咲はファビオの頬を、耳に感じた。

「ありがとう」

 優しいと息が、耳に触れた。