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冬空のルミナス

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冬空のルミナス

リアクション


●一喜一憂もまたよし

 パートナーのノーン・ノートに絵馬のダメ出しをされた千返かつみはどうなっただろう。
 彼は積極的攻勢に出た……わけではなかった。石畳を蹴りつつ、鎮守の森を前にして考えごとをしていた。
 しかしそこで運命の導きか、偶然友人に遭遇したのである。
「この五角形の板に願いを書いて吊すのか……面白そうだな」
 と言うのはカールハインツ・ベッケンバウワー(かーるはいんつ・べっけんばうわー)だ。しなやかな肉食獣を思わせる切れ長の瞳に、猛獣というよりは猫のような好奇心の色を浮かべている。
「まあ、それだけのもんだよ」
 カールハインツの眼光に、ある者はたじろぎある者は反感を覚えるというが、かつみは至って平静である。彼がどんな男か、すでに知っており、好感すら抱いているからだ。
 カールは「なんとなく」という理由だけで参詣に来たという。人の多さに驚き、慣れぬ参詣に戸惑いつつ、散策の途上でかつみと出くわしたのだ。
 かつみはすでに、彼にここまでの経緯を話している。このときふと思った。
 ――そういえば、ソウルアベレイターとの戦いのときは、実はパートナーたちに内緒で参加していたから……ノーンのことをカールは知らないんだよな。
 たった一人で戦場に赴く。それはパートナーたちを守れるぐらい強くなりたかったという願いと、危険な所につれて行きたくなかったという保護意識があったからだが、いま考えるにあの選択は、独りよがりの考えだったように思う。
 少し反省する気持ちもあったが、いまはそこに拘泥していてもしかたない。やれやれ、と苦笑いするようにしてかつみは言った。
「その願いごとだが……どうしたものかな」
「思いついたことを書けばいい、と簡単にいけば悩まないよな。これはかつみに限らずオレもそうだが、意外に人間、自分のことは判らないもんだからな。
 だからまず考えてみたらどうだ? 『自分がなにを望んでいるか』ってことを」
「自分がなにを望んでいるか……か」
 カールから視線をはずし、この寒さでも緑をたたえる森を眺める。
 望みならある。無論、たくさん。
 独りよがりではなく、ちゃんとした意味で『強くなりたい』、とか。
 勉強とかだけではなく、漠然とではあるが『色んなことを知りたい』、とか。
 パラミタで得た様々な経験は、かつみに己の実力不足と、世界観の狭さを教えてくれた。否応なく。ある程度適応はできていると考えたい。だが、自分に厳しいかつみはなお『足りない』と考えている。
 ――でも、やっぱり願いごとって言われたら浮かぶのは一つなんだよな……。
「ありがとう、カール」
 カールに向き直った彼は、涼やかな眼をしている。
 『友人やパートナーみんながずっと笑っていられますように』
 かつみはそう書いた絵馬を手に、カールとともにノーンのところへ戻った。
「自分で決めた。やはり俺の願いはこれだ。そして、『願いごとを見つける』ことを今年の目標にする」
 ノーンにカールを、カールにノーンを紹介するもすぐに、彼はこう断言したのである。
 難色を示すかと思いきや、ノーンは、
「ほう……自分でそう決めたのであれば、それでいい」
 と言ってうなずいた。
 ノーンには充分わかっている。かつみが、自分を含むパートナーたちを大事に思ってるということが。だからこそこれから先は、少しずづ外へ目をむけてほしいと願ってあのときは厳しいことを言ったのだ。
 ――だが、自分でそう決めたのならいい。自身を客観視することもできたようだしな。
 それに、とノーンはカールを見上げた。
 ――友人もできたようだな。好もしい。
 ただしそんなことは口にしない。かわりにノーンは自分の絵馬を示した。
「あ、ちなみに待っている間に私のほうで、この絵馬を書いておいたからな」
 そこにはノーンの字で、『かつみがリア充になりますように』とあった。
「友達つくるのもやっとのお前が、リア充になるのはもはや神頼みレベル……」
 ふん、と鼻息(果たして彼に鼻があるかどうかはともかくとして)荒く言うノーンだが、それを言い切ることはできなかった。
「な、なにふざけたこと書いてんだっ! 願いごとで遊ぶな!」
「……いたたたたた、ぐりぐりするなー」
 と、額ぐりぐりの刑を受けてしまったからである。

「初詣ってのはな」
 ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)は腕組みして語った。
「年初の誓いを立てるという意味のセレモニーと言っていい。まあなんだ、思い立ったが吉日というが人間、そうそう急に一年の目標を定めたりはできんもんさ。だから元旦の初詣をきっかけにして誓いを立て、そこから一年、希望をつかむべくしゃかりきになる……悪い話じゃないだろ?」
「なるほど。主旨は理解できた」
 グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)は静かにうなずいた。それはいい。だが、
 ――顔に生気がない。
 抽象的に言うと生命の色が薄い……今のグラキエスに、そんな印象をゴルガイスは受けるのである。
 無論、これはグラキエスが偽りを言っているという意味ではない。彼は彼で普通に、そして誠実にやっているつもりなのはわかる。しかしその命の灯が、陰りつつあるのは誰の目にも明らかだった。
 アーモンド型した爬虫類の目を、ゴルガイスはウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)に向けた。
 わかっている、というようにウルディカは幽かにうなずいた。
 ――あれの状態は予断を許さない……なにかしらより良い方法を捜すべきだ。
 ウルディカの心にも焦りがあった。しかしグラキエスを寝かせたり、ずっと休息させれば改善とするというわけではない。その程度ではもう、緩慢だが確実な死が、近づくスピードを遅らせることはできないだろう。
 だから、とウルディカは思っている。神頼みというわけではないが、
 ――初詣……この行事になにか意味があるなら、その方法を見付けたい。
 藁にもすがりたい心境とはまさにこのことだ。グラキエスがどこまで認識しているかはウルディカにもわからないが、彼にとってはもう、一日一日が宝石よりも貴重なものになっているのである。
 しかし希望もある。先日、ウルディカとゴルガイスはある体験をした。
 それは未来視とでもいうべきものだろうか。『数年後』としかわからぬ時間軸の先、なおも生存し人為的に隔離された邸宅に暮らすグラキエスの姿を、あるきっかけによって二人は見ることができたのだ。ただしそれは、必ず訪れる未来というものではなく、可能性の一つとして提示されたものにすぎない。といってもグラキエスの生存が「ありえる」と知ったのは、彼らにとってはかけがえのない光明であったといえよう。
 その「ありえる」未来に続くきっかけを、このところずっとウルディカとゴルガイスは探している。
 ゆえに本日の初詣もまた、きっかけ探しの一つといってよかった。
 人でごった返す境内を、グラキエスは黙って歩いていた。どこかから煙の匂いがする。それはゴルガイスによれば、去年のお札やお守りを燃やす大きな焚き火(どんど焼き)によるものであるという。
 ――そういえば。
 グラキエスはふと思った。年賀状はΡ(『ロー』と読む。ローラ・ブラウアヒメルのこと)に届いただろうかと。
 ――年始の挨拶くらいはできればいいが。
 そう思うとなんだかいてもたってもいられなくなって、同行者二人に「いいか?」と断ってから彼はローラに連絡を入れた。
「あけましておめでとう!」
 あいさつもそこそこに、電話の向こうから元気な声が返ってきた。
「年賀状、ありがとね。ワタシ、出してなくてごめんよ。返事書くね」
「そうか。いや別に返事はなくてもいい。あれは探索先の遺跡から出したものだ」
 グラキエスの顔が少しほころんだ。なぜだろう、彼女と話していると心が温かくなる。
「それで、いきなりですまないが……会えないか。実は空京神社に初詣に来ていて……」
「奇遇ね! ワタシ、神社に来てるよ!」
 それから多少やりとりして電話を切ったグラキエスは顔を同行者たちに向けた。
「Ρだが……すぐ来るらしい」
 本当に、とウルディカが訊き返す暇もあらばこそ、すぐに太陽のように明るい彼女が三人の前に姿を見せたのである。
「いやあ、別の友達と約束してたけど、ワタシ、寝過ごしておじゃんになったね。アンラッキー! でも塞翁が馬、こうしてグラキエス、会えたからラッキー」
 身長が175センチに及ぶローラは女性としては長身だが、それより十センチ以上高いグラキエスと並べばちょうどいいくらいのバランスになる。
 突飛な服装の人間が多い空京とはいえ、黒く禍々しい鋼の魔鎧を着込んだグラキエスの姿は物々しい上に威圧的だが、ローラはまるで頓着していない様子だった。ただただ、彼と一緒にいられるのが嬉しいらしい。ゴルガイスにもウルディカにも、惜しみなく笑顔を振りまいている。
 そんな風にして軽々と心の壁を乗り越えてくる(というか見えていない?)ローラはウルディカには慣れない相手のようで、彼からローラへの口調はなんだかぎこちない。
 一方で、ゴルガイスは積極的にローラと話すようにしていた。
「そうか、学校生活にはなじんでいるようだな」
「うん。みんな、よくしてくれるよ」
 ゴルガイスには彼女への純粋な興味があった。以前はそうでもなかったが、考えを変えたのだ。
 ――兵器として扱われながら幸福をつかんだ者の存在は、グラキエスにも希望となろう。
 彼の見立てでは、彼女はグラキエスに惹かれているようだった。それが単純に男女としてのものなのか、互いの根底に似た悲劇を感じ取っているものなのかまではわからないが。
 ――それに、この娘と共にあるとき、グラキエスは楽しそうだ。
 このところ、グラキエスの精神状態は無意識のレベルで安定しつつあった。ただ、それが好ましいことかどうかはゴルガイスには分からない。なぜなら、その安定は彼にかつての冷酷さも呼び戻しつつあったからだ。無邪気が基本ではあるのだが……ときに、ゴルガイスからしてもぞっとするようなまなざしをグラキエスは見せることがある。
「Ρ、あれは?」
 しかし少なくともこのとき、グラキエスは少年のような眼をしていた。
「おみくじね。引いてみる?」
「おみくじというのは……?」
「いわば単純な占いだな」
 ゴルガイスはなるだけ朗らかに言うと、
「我らも試そう」
 とウルディカを誘った。
 結果はローラが『大吉』、グラキエスとゴルガイスも『吉』だった。
 グラキエスの手元を見て文面に、ゴルガイスは顔をほころばせている。
「おお、『健康 必ずよくなる。焦るべからず』か。吉兆だな。願掛けとして木の枝に結ぶといい」
 ――俺のいた世界は災厄に蝕まれ、このようなものに一喜一憂するゆとりもなかったな。
 これを眺めつつ、ウルディカは手元の包み紙を解いた。
「俺の結果は……」
 三人に読み聞かせようとして硬直する。
「……『大凶』……だと……?」
 目を疑う。すべての文面がまさしく最悪だ。『待人 決して来ない』『縁談 かすりもしない』『恋愛 失恋間違いなし』『引越 東西南北いずれに向けても失敗する』『健康 大病を患う』等々……。
 ウルディカは目眩を感じ、樹にもたれて額に手を当てた。血の気が失せて顔色は蒼白、倒れそうだ。
 ウルディカは孤独な人間だ。未来からたった一人、すでに亡きかつてのパートナーの形見たる水宝玉のイヤリングと、彼女から託された願いだけを伴とし、頼れるものはせいぜい縁起物しかなかった男だけに、こうしたものは非常に重視している。それなのに……よりによって……。
「ウルディカ、おみくじをそう悲観するな。意外と縁起を担ぐのだな」
 ゴルガイスが声をかけ、
「しっかりしろ」
「元気出すね」
 グラキエスとローラが口々に声をかけてくれるが、ウルディカの落胆は収まらなかった。
 大凶……大凶。ただの凶どころか、大凶!
「すまない。このあたりでお開きにしよう。ウルディカを連れて帰る」
 グラキエスはローラに言った。
「うん。友達、大切にね。気をつけて帰って」
「いや……しかし、俺は……」
 ウルディカは抗おうとするが、グラキエスは首を振るだけだった。
「構わない。俺は楽しい時間を過ごせた」
 逡巡するも、結局ウルディカは従うことにした。どうも、痛恨の一撃だったようだ。一人では歩けそうもなかった。
 ゴルガイスとグラキエスに肩を借りて、ウルディカは歩き出す。
 ――命が果てそうな男に体の具合を心配されるとはな。
 彼は自嘲気味にそう思った。
 去り際、わずかに振り返ると、グラキエスは静かな笑みを見せた。
「またな。Ρ」
「ばいばい。また会うね」
 手を振るローラの視界のなかで、グラキエスの赤い髪が小さくなっていく。
「ばいばい……」
 衝動的に彼のことを追いかけたくなったが、ローラはこらえた。