イルミンスール魔法学校

リアクション

●深夜〜早朝の空京神社

　秋と比べて、どれだけ進んだかと問われると自信がない。
　だが、昨年の今ごろと比べるなら、着実に進んだと思う。
　それが、ザカコ・グーメル（ざかこ・ぐーめる）が考えるアーデルハイト・ワルプルギス（あーでるはいと・わるぷるぎす）との関係である。
　今日も、彼はアーデルハイトを初詣に誘うことに成功していた。他には人もない。いわばデート……と言ってもいいのではないか。（アーデルハイトは否定するかもしれないが）
　初詣といってもまだ夜中、大晦日があと数分というところ。つまり、本当の意味での年明けはこれからなのだ。
　二人は、手をつなぎながら鳥居をくぐった。
「流石に年越しの神社は混んでいますね……まぁ、これに並ぶのも楽しみの内ですかね」
「その気持ちもわからんではない。だが私は眠いな。並んでいる途中で眠ったら許せ」
　ふわあと遠慮なく彼女はアクビをした。いつも自然体、それが彼女とエリザベートの共通しているところではないか。
「あ……すいません。参詣は昼のほうがよかったですか」
「いや別に、これも趣があってよかろう。それにな、ザカコ、おまえが望むならこれくらい喜んで付き合うぞ」
　さりげなくドキリとするようなことを言ってくれる……これは子孫に受け継がれなかったアーデルハイトの特徴かもしれない。
「ありがとうございます」
　胸を高鳴らせザカコが言葉をつげたそのとき、わっと周囲から歓声があがった。
　年が明けたのだ。2024年のはじまりだ。
「あけましておめでとうございます！」
「おう、おめでとう。今年もよろしくのう」
　2023年最後に聞いたアーデルハイトの言葉が嬉しいものであったこと、覚えておきたい。
　さて新年の賀をかわし合ったところで、粛々と列は進みはじめた。
「ザカコはなにを祈る気じゃ？」
「自分は去年も一年無事に過ごせたことへの感謝と、今年も一年皆が平和に過ごせるように、ですかね」
「模範解答で大変よろしい。私もそう祈るつもりじゃ」
「あとは」
　と、ここでザカコはいくらか緊張気味になる。
「アーデルさんが笑顔で幸せでいられるように、と」
「ふふ……今すでに、笑顔じゃし幸せであるぞ」
　すっと眼を細め、アーデルハイトは彼を見上げた。
　眠いせいだろうか、今日の彼女はいつもよりドキドキさせてくれる。
　赤面しているところを見られたくなくて、ザカコは前を向いて言った。
「祈りといっても自分は神様を信じていないので、祈りやお願いというよりは決意表明って感じですけどね」
　ザカコは口を閉じた。本当はもうひとつ、付け加えたいことがあったのだ。
　――できればもっと関係を深めてもいきたいですが……。
　さすがにここまで言ったら心臓が爆発しかねない。
　お参りがすんだのち、すみやかにおみくじを引いた。
　結果は『吉』、悪くないだろう。『恋愛　自分を信じよ』とあったところは特に覚えておきたい。
「私は『末吉』。文面がしかし嫌じゃな。『職業　前途不安あり』とか『待人　来たらず』とか……」
　ちょっとふくれ面のアーデルハイトなのである。しかしザカコはすぐに言った。
「良い結果なら気休めに、悪い結果なら戒めに。どんな結果でも気の持ち方で前向きになればいいんですよ。ものは考えようです」
「上手いこと言いおるのう……ザカコといるといつもほっとするわい」
　またまた意味深な彼女の発言だ。彼は思う。
　――それって、『いつも一緒にいてもいい』って意味でしょうか。
　だったらこれ以上嬉しいこともないのだが。
　寒くなってきたのでそのまま帰路についた。彼らとは逆に、神社に向かう人出ばかりの道を、やはり手をつないだまま歩いていく。
「うちに寄って帰りませんか。なにか温かいものでもご馳走しますよ」
「おう、その言葉に甘えるとしよう」
「お雑煮かお汁粉でも作りましょう。どちらがいいですか？」
　しばらく考えてアーデルハイトは、「正月なら雑煮じゃが……ここはあえてお汁粉！」と言った。
　またここで彼女はアクビを洩らした。本当に眠いらしい。
「……やれやれ、今日くらい寝正月にしたいもんじゃが、一応は一族の長でもあるわけじゃし、一寝入りしたあとは挨拶回りなど面倒な行事が目白押しじゃ」
「校長にお年玉もあげないとですし……お休みでも忙しいですね」
「まあな。じゃが、これも宿命と思ってあきらめとるわい」
「今年も色々あると思いますが、改めてよろしくお願いしますね」
　そうじゃな、とアーデルハイトは言って、ちょっとイタズラっぽく笑った。
「ところでザカコよ、お前にもやろうか……お年玉？」
「え！　そんな、自分がもらうわけには」
「私からすれば、エリザベートもザカコも同い年のようなもんじゃ。これから馳走される予定じゃし、ただ食いというわけにもいかんじゃろう」
「いえいえそんなことは！　自分はアーデルさんとすごせるだけで……」
「なんじゃ若いのに遠慮しおって……ここは、『お金は結構ですから、お年玉としてほっぺにチューをいただきたい』とでも言えばいいのに」
「いえいえいえそんなことは！」
　慌てふためき両手を振りながら、それでも、ザカコは思わずにはいられないのであった。
　――その手があったかー！
　と。

　まだ暗いにもかかわらず、早朝の空京神社はすでに多くの人で賑わっていた。
　めでたいこの日、にもかかわらず東雲　秋日子（しののめ・あきひこ）が、この空のように微妙に暗い顔をしているのはなぜだろう。
　――夏に、要から告白されたんだよね……。
　ちらりと要・ハーヴェンス（かなめ・はーう゛ぇんす）を見る。どうも要は彼女の視線に気づいていない様子だ。
　――延ばし延ばしになっていたけど、『その返事をこの初詣デートでしよう！』って決めてたのに……。
　実を言うと秋日子は、口にする言葉も用意していた。
『私も要のことずっと好きだった。これからもよろしく』だ。
　一年のはじまりの日から恋人同士になる……なかなか素敵なシナリオではないか。
　なのに、それなのに。
　――なんで遊馬くんたちまでついてくるのー！？
　叫び出したい気持ちだった。いや本当に叫んだりはしないが。
　すなわち本日の初詣は四人連れなのだ。秋日子と要、それに遊馬　シズ（あすま・しず）とフィーネ・アスマ（ふぃーね・あすま）の。
　自分の事情をいったん脇に置くとしても、シズとフィーネが同行しているのはやはりおかしいのではないか。今日子はそう思わずにはいられない。
　フィーネがシズのことを慕っているのはすでに公然の秘密だ。シズだってわかっていないはずはない。それにそもそも、シズだってフィーネのことをにくからず思っているのも伝わってくる。
　だから、
　――フィーネさんのためにも、本当は遊馬くんはフィーネさんと二人きりになるべきだし……私たちも二人きりになるべきなのにー！！
　と、二重の意味でフラストレーションが溜まっている秋日子なのだった。せっかくこの日のために用意した新しい振り袖を着て歩いているというのに、心はまったく晴れやかではない。
　石畳を踏みながら考える。どうもおかしなことだらけだ。
　なぜってシズが話しているのはずっと要なのだ。ぴたっとくっつくようにしている。まるで隣に、フィーネが並ぶことを拒否するかのように。
　しかも彼はフィーネとは、まるで話そうとしていなかった。フィーネが、
「にーさま、あのね……」
　と話しかけても「ああそうか」「それは興味がない」簡単にあしらって、
「要サン、それで、空京神社の由来だが……」
　などと要との会話ばかり続けようとしている。
　フィーネとシズの間になにかあったのだろうか？　いやそんなことはなかったと今日子は思う。
　だとすれば、シズもフィーネのことが好きというのは彼女の見立て違いで、本当は嫌っているとか……？
　――いや、そんなはずない！
　今日子は自分の考えを即座に否定した。
　やっぱりおかしい。おかしいのだ。
　――遊馬くんってばフィーネさんのこと嫌いじゃないくせに、なんで冷たくするんだろ。わけわかんないよ。
「秋日子くん、そろそろ本殿ですよ」
　普段通り、いたって平然と要が言った。
　彼のこのマイペースぶりが、今日はちょっと恨めしい今日子である。なぜって要は今朝、「神社か。目的地が一緒だな。それなら行動も一緒させてもらうぜ」と言い出したシズに対し、ごく涼しい顔で「自分はかまいませんよ。大勢のほうが楽しいですからね」と言い放ったのだ。
　あのとき、「いえ、今日は今日子くんと二人きりにさせて下さい」とでも言ってくれれば……！
　いやでも、その優しさが要の魅力ではないだろうか。あそこで嫌そうな顔をしたり、狭量なことを言っては要ではないような気もする。
　――だったらこれでいいってことだよね……ああ、でも釈然としない……！！
　でも、せめて神前では穏やかな気持ちでいたいものだ。今日子はここで肩の力を抜き、穏やかな表情で賽銭を取り出した。
「はい、これフィーネさん用の小銭ね。要と遊馬くんも準備はいい？」
「ありがとうございます」
　シズに結構冷たくされているのにフィーネは明るい。にっこりと小銭を受け取った。
「ええ、それではみんなでお祈りしましょう」
　要は小銭を賽銭箱に放った。
「ああ、そうしよう」
　シズも続く。
　四人は手を合わせた。
　――みんなと一緒に楽しく過ごせますように。
　今日子が祈ったのはこのこと。
　要と一緒に楽しく……でも良かったのだが、シズとフィーネもいてこその自分だという自覚はある。やっぱり、みんな大切な仲間だ。
　――うーん、「無病息災」ですかね。
　これは要の祈りである。要らしいといえば、らしい。
　――にーさまとずっと一緒にいられますように。
　フィーネは祈った。一心に祈った。今日、シズの態度は冷たいが、実のところ彼女はそれほど気にしていない。一生懸命要と話している彼を眺めるのもフィーネは好きなのだ。
　ところでシズはといえば祈りどころではなかった。自分の右隣で手を合わせる今日子と要を盗み見て、すまない、と心中で謝罪した。
　――恋人のデートの邪魔しちゃって申し訳ないと思ってるよ。俺たちはいないものと思ってくれてかまわないから……。
　といってもずっと要を占有する格好になったここまでを考えると、そうはいかないかとも考えたりする。
　この日、シズがフィーネに冷たくしていたのには理由があった。
　実は彼は、今日子が考えている以上にフィーネのことを意識していたのだ。
　暴露してしまうと、好きだった。
　それならフィーネが思いを寄せてくれるこの状況、相思相愛で結構と言いたいところだろうがそうではない。
　――フィーネさんは、恋に恋しているだけだろう……。
　恋愛そのものに憧れているだけ、その時期に、たまたま自分がそばにいただけ――そう考えているのだった。
　だから自分は距離を置くべきだ、そういう結論に、彼は今朝到達したのだ。とてもつらい、選択ではあるが。
　巻き込んでしまって申し訳ないという感情は、今日子に強く感じる。
　――今日子サン、あまり楽しそうじゃなかったな……でも恋人同士ならいつでも、睦まじくできるだろーに。
　いや、待てよ。
　――まさか、まだ恋人同士ではないとしたら……！
　それどころかこの初詣をきっかけに、今日子は要との距離を縮めようとしていたのだとしたら……。
　――だとすればつじつまが合う！
「要サン、要サン、ちょっと来てくれ……！」
　シズはいくらか青ざめて、要の肘を引っ張った。
「どうしたの？」
　要ではなく今日子が訊いたが、
「すまん、男同士の話だ。遠慮してくれ今日子サン……！」
　などと無茶を言って、五十メートルほど今日子たちから離れる。
「なんですか男同士の話って？　自分、なにかしちゃいましたか？」
「いや違うんだ。要サン、教えてくれ」
「知っていることであれば、なんなりと」
「もしかしてひょっとして、勘違いだったらすまないが、秋日子サンって要サンに返事してなかったのか？」
「返事？　ああ、夏に自分が告白した件ですか。それなら、おっしゃる通りです」
「つっても、アンタらどーみてもそういう関係じゃ……」
「いえ、まだ返事はもらっていません。気長に待つつもりでいますよ」
　要はふんわりと笑うのだがシズは平静ではいられない。
　――やっぱりかーー！
　予感的中。雷がズドンと、頭に落ちたような気持ちであった。いま、シズは本気で、穴があったら入ってフタをし、息を潜めていたいくらいだ。
　疾風のように今日子たちのもとに戻ると、シズは荒い息とともに言った。
「ホント悪いことしたみたいだな。あとはフィーネさんと二人で行動するから、秋日子サンは頑張りなよ」
「急にどうしたんでしょうか？」
　要が首をかしげた。（シズとしては彼を、五十メートル彼方に置き去りにしたつもりだったのだが、当たり前のような顔をして要は目の前に立っている）
　それにはこたえず、
「フィーネさん、行こう」
　シズはフィーネの手を取って歩き出したのである。
「屋台でも見るか？　それとも、境内を一通りめぐってもいいが……」
　フィーネはにっこりと笑った。その様子は白百合のようである。握られたままの手を意識しつつ、
「秋日子さんと要さんを二人きりにさせてあげようだなんて、にーさまってば気が利くんですね」
「ん……まあ、そういうことだな」
　ふっと、花のような香りがシズの鼻孔をくすぐった。腕に温もりも感じる。
「私もにーさまと二人きりになれて嬉しいです」
　フィーネが彼の腕に寄り添ったのだった。
「そ、そうか……」
　心の中の声はだめだと言うのだけれど、それでもシズは、喜びと胸の高鳴りを否定できなかった。
　だから、
「にーさま愛してる。これからも私と一緒にいてくださいね」
　と言う彼女に、つい、
「ああ……」
　と答えてしまったのだった。
「……じゃないと、縊り殺しちゃいますから」
「うん？　なにか言ったか？」
「なんでもありません♪」

　さて一方。
　こういう事態を、まるで想定していなかった今日子である。
　唐突に本殿の前、二人きりにされてしまってさあ大変だ。
　――遊馬くんたちいきなり！　気を利かせてくれたのは嬉しいけど、っていうかそれなら最初から同行しないでほしかった……っていまはそんな場合じゃない！
　今だ。
　今こそ、言うときだ！
　――ええい。女は度胸！！
「えっとね。要！　私、要に言わないといけないことが！！」
　声が裏返ってしまった。
「秋日子くん……怒ってます？　やっぱり自分、今日なにかしちゃいましたか？」
　要が怪訝な顔になったのも、当然といえば当然だろうか。
「あの時の返事してなかったなって思って」
　さすがに要もはっとなったようだ。
「うかがいます」
　真面目な表情で、彼女の言葉を待った。
「あ、あの、私……。私も要のこと好きだよ。ずっと、ずっと好きだった。これからも、私とずっと一緒にいてね？
　うわー、言えた？言えたよね？？
　めっちゃ緊張した……………！」
「あの……心の声、丸聞こえですよ……」
「え？　きゃ！　後半なし！　なし！」
「なにいってるんですか、そこが、今日子さんの素敵なところですよ。自分にも他人にも嘘がつけなくて、頑張り屋で……」
　要の声が詰まった。
「ごめんなさい……まさか今日、秋日子くんから返事をもらえるなんて思ってなかったので……」
　照れたように自分のうなじに手をやり、それでも、喜びに声を震わせながら彼は言ったのだった。
「ありがとう。俺は幸せ者だな。これからも、よろしくお願いしますね」
「うん」
「じゃあ……あの……」
　そして彼は軽く咳払いして、言ったのだった。
「デートでもしますか、これから」
　二人の頭上の空を、一羽の白い鳩が羽ばたいていった。