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冬空のルミナス

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●神社で思うエトセトラ。

 アルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)の腕に、ミーミル・ワルプルギス(みーみる・わるぷるぎす)が腕をからめている。カップルではなく親子だ。ダンディな父親と無垢な娘、そんな図式といっていいだろう。
 教育者でもあるアルツールは、
「自分は宗教が違うから初詣とかは関係ない」
 などとは言わない。空京神社は娘に異文化体験をさせるには近くて手軽かつわかりやすい、とむしろ積極的にミーミルをこの場所に連れてきていた。
「地球の多国籍の人間がひしめき、シャンバラ各国やニルヴァーナとの交流も増えている現在、異文化に触れておくというのはとても重要なことだ。
 文化の違いが争いの切欠になるなんてことは、良くあることだからな。
 ミーミルも、この機会に異文化触れるという体験をして見聞を広めておくといい」
 教育意義は大きいだろう。それにアルツールには、
 ――娘の晴れ姿も見ることができたしな。
 そんな、父としての喜びもあった。
「似合いますか……?」
 そう言って、はにかみながらミーミルは赤い振り袖を着たのである。有翼種族用の和服をアルツールが、貸衣装屋で借りてきたものだ。
 アルツールと並んで、懐手した司馬懿 仲達(しばい・ちゅうたつ)が歩いていた。普段はスーツの彼であるが、今日は祝いの日、長衣を着てこの場に臨んでいた。
「ま、ワシも本格的に祝うのは旧暦の正月のほうだが、これはこれでいいとしよう」
 とのことだ。そういう事情もあって、気分的には物見遊山の外国人観光客だと彼はいう。
 時間が進んだためか、かなりの人手だ。
「宗教施設に黒山の人だかりか……ふうむ」
 仲達としてはいくらか、思うところがあるらしい。
「司馬先生、なにか?」
「ワシが生きてきた時代は宗教とかの類には碌な思い出がないからのー。特に黄巾賊とか、黄巾賊とか。一応、張魯みたいなのもいるにはいたが。時代は変わった…一部ではいまだドンパチやっとるようだがの」
 ははは、とアルツールは笑った。司馬仲達の生きた時代から二千年近く経過してなお、人間の営みにはさしたる進歩がないと言えようか。
「おっと、そうだミーミル。忘れるところだった」
 鳥居をくぐり、歩み始めたところでふとアルツールは足を止めた。
「日本の正月にはお年玉というものがあってだな……」
「しまった。ワシは用意しておらんぞ」
 仲達がぎょっとするが、司馬先生のことを言ったわけでは、と彼をなだめて改めてアルツールは娘に向き直った。
「お年玉がわりだな。これをプレゼントしよう」
「これを私に? ありがとうございまーす♪」
 ミーミルは満面の笑みだ。それはコインリングだった。古いドイツの硬貨を加工して作った特製品である。綺麗に磨いてあるので豊かな光沢もあった。さっそく指にはめ、眺めてニコニコとしている。
「あっ、先生!」
 ちょうどそこに、小山内 南(おさない・みなみ)が姿を見せた。
「先生たちも初詣ですか? あけましておめでとうございます」
 ぺこっと頭を下げる南は、黒いダッフルコートにタートルネック姿だ。どちらもあまり高級品ではなさそうだが、女の子らしい可愛らしさがあった。
「ああ、Frohes Neues…いや、ここはせっかくだから日本風に『新年明けましておめでとう』と言おうか」
 ミーミルには父親……それも、ちょっと娘に甘い父親の顔を見せていたアルツールが、南に向き合うとたちまち厳粛な教師の顔となる。
「……そうか、蒼空学園のローラ君と会うのか。カジュアル化したとはいえここは宗教施設、はめを外しすぎないようにな」
 南の麻雀の師匠たる仲達はもう少し砕けている。
「おお、あけましておめでとう。南君も、今年もよろしく頼む」
 と、長衣を揺らして笑った。三国時代の彼も、正月はこのような様子であったろうか。
 さてこうして南はアルツールと邂逅を終えたわけだが、実はこのとき、彼女のトートバッグにカエルの カースケ(かえるの・かーすけ)が身を潜めていたことはここだけの秘密だ。
「ワイ、どーもあのセンセ苦手でなぁ……。あ、麻雀の師匠はんちゃうで、アルツールはんのほう」
 などと言っていたらしい。まあ、大した話ではないが。
 南を見送ると、ふたたびアルツールは父親となる。
「さあミーミル、行こうか」
「はい♪」
 きゅっと腕を組んでくるミーミルは親の欲目ぬきで可愛い。
 いつか彼女を嫁にやる日が来るのだろうか――そんなことをふと、アルツールは考えた。

 さてアルツールと別れた南であるが、ここでローラ・ブラウアヒメル(クランジ ロー(くらんじ・ろー))からのメールを着信していた。
「ごめん、ワタシ、すっかり寝坊、してしまったよ〜」
 今起きた、と実にすがすがしいくらい大きな寝坊のようである。
 だから先にお参りしてて、とのメッセージだったが、さてこれは想定外の事態ではないか。
 ただし南が途方に暮れるということはなかった。
「レジーヌちゃん!」
 ここです、ここ、と南は手を振った。やがて人混みのなかから、レジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)エリーズ・バスティード(えりーず・ばすてぃーど)が手をつないで姿を見せたのだった。
 黒っぽいひとだかりのなかに二輪の花が咲いた――そんな風に南には見えた。
 それくらい、華やかな二人の装いだった。
 二人とも晴れ着だ。
 レジーヌがまとうは、淡い桜色の着物。散りばめられた花弁の模様も新春らしくていい。その上に、寒さ対策にカシミアのストールを羽織っていた。きめ細かな白い肌とあいまって、レジーヌには水彩画的な印象があった。あるいは、一足早く春の妖精がおとずれたかのよう。
 レジーヌに比すと、エリーズは色鮮やかな着物だった。橙の地に、牡丹の花が咲き乱れている。ストールはレジーヌとおそろい、髪はまとめてアップにして、綺麗なうなじを際立たせている。
「素敵です! お二人とも」
 彼女たちの晴れ姿を、南は自分のことのように喜んでいる。
「ありがとうございます」
 恥ずかしくてうつむき気味にレジーヌは言う。エリーズは堂々としたものだ。
「待った? 着付けは自分でできないから、美容室で着付けてもらったんだよ」
 と腰に手を当てた。
「今年こそ自分で着付けができるようにしたいと思います……」
 控えめながら、そんな抱負を語るレジーヌである。空京になら日本料理教室や着付け教室がありそうなので、時間をやりくりして通いたいという。ただ、遠い上に忙しいのでなかなか通えないのがネックであるが。
「今起きたから先に行ってて、ってローラさんが」
「残念! でも仕方ないね、なら行こうか?」
 エリーズはそう言って歩き出すが、なんだか動きがぎこちない。
「着物って動きにくいんだよねー」
 と苦笑いしていた。しかしレジーヌはすっと音もなく歩いている。努力家の彼女は、しっかり着物姿での行動もマスターしてきたのだ。そればかりではない。
「神社では参道の中央を歩かないのがマナーなんですよ」
 とエリーズに教えている。
「えー、なんでー?」
「参道の真ん中は『正中(せいちゅう)』と呼ばれるもので、神様の通り道とされているからです。といっても、これほど混雑していたら正中を開けるのも難しいので、一応覚えておく程度でいいと思います。臨機応変でいきましょう」
「すごい、レジーヌさんってちゃんと勉強してきているんですね。私、知らなかった」
「た、たまたまです。すごいというほどでは……」
 頬を紅に染めるレジーヌだが、
「またまたー、しっかりマナーの本とか読みこんでたじゃない、このところー」
 ちゃっかりエリーズが、レジーヌの勉強熱心さをばらしてしまう。
 かくて連れだって三人は神社を歩んだ。南もレジーヌも、それほど積極的に話を振るタイプではないので、エリーズがうまくとりなしてくれる。
「去年食べたお菓子で、こーんな大きなアップルパイが……」
 と話していたエリーズの声を聞き、
「なんやて! アップルパイ!?」
 ひょいと南のカバンから、カエルのカースケが顔を出した。
「あ、カースケのこと忘れてました」
 南はころころと笑った。去年あたりから、わりとこういうとぼけた言動もするようになってきた彼女である。
「なんやもう、忘れんといてーや。まあ、オッチャンも寝とったから文句は言えへんけど」
屈託なくそんなことを言って、カースケはレジーヌとエリーズに気づいた。
「おー、お嬢ちゃんたち、おめでとうな」
「あけましておめでとうございます」
「おめでとー。カースケ、アップルパイ好きなの?」
「いやはや二人とも、可愛い着物姿やないのん。別嬪さんに囲まれて結構毛だらけやのう。そうそう、アップルパイ好物やねん。オッチャンはこう見えて割と甘党なんやで〜。あとで食べに行こか」
 もそもそと這い出したカースケは南の肩にちょこんと座る。ここでエリーズが言った。
「ね、カースケ、私の肩に乗ってみない?」
「ええのん? おっちゃんこう見えて重いで。ぬいぐるみやからなあ」
「いやもうカースケさんを乗せてると肩が凝って……って軽いでしょ! ぬいぐるみだから」
 南がなんだかノリツッコミしたりして、かくてカースケはエリーズの肩へと移ったのである。
「一度やってみたかったんだよねー、こういうの」
 エリーズはくすぐったいような表情を見せる。実際ぬいぐるみだから、カースケはとても軽いのだった。なんだかハムスターでも乗せているような気持ちだ。
 カースケを交えることで、ますます会話は活発になった。
「レジーヌさんの今年の目標は?」
「目標というか抱負は……」
 ここで言い淀みそうになるが、がんばって彼女は続ける。
「素敵な大人の女性に少しでも近づきたい、ということでしょうか」
 人見知りを克服し、男性との会話にも慣れ、きちんと任務をこなし、お友達を大切にして、人に優しく気配りができて周囲を明るく元気にさせる存在になりたい――この抱負にはそんな願いが込められていた。欲ばりすぎと言われるかもしれないが、今年レジーヌは、あえて欲ばりと言われるくらい頑張りたいという気持ちがあるのだ。
 なお恋愛については……自分が素敵な大人の女性になってから――と思っている。
「おお、それはええなあ。ワイも『オッチャン』て名乗ってるし実際おっちゃんやけど、中身が子どもでアカンから、見習いたいもんや。南も気張らなアカンでぇ」
「う……それを言われると耳が痛いです」
 ぽりぽりと南は頬をかいた。無意識なのだろうが南は、こういう仕草はよほど親しい人にしか見せない。
 やがて本殿に到達し、長い列に並んで待ってようやく順番が巡ってくると、エリーズの口調はわくわくとしたものになった。
「あれをガラガラっとやって、あそこにお賽銭を入れるんだっけ?」
「先にお賽銭のほうがいいですね」
 はい、とレジーヌは硬貨を彼女に渡した。
「よっしゃいくでー」
 エリーズの肩から落ちそうになりながら、カースケもコインを放り込む。
 カラン、カラン。いい音がした。
 ――昨年も無事、終わりました。今年も無事で平安な一年となりますように……。
 これが、レジーヌが手を合わせ念じた言葉。
 いや、それだけではない。
 ――南ちゃんの恋も成就しますように。
 こっそりこれも付け加えておいた。さっそく欲ばってしまったかもしれない。
 でもささやかなものだろう。なぜって、願いごとは、エリーズのほうがもっとずっと多かったから。
 ――もっとかっこいい機晶姫になれますように、それと美味しいお菓子がたくさん食べられますように。
「あと、あと、レジーヌや南やカースケやみんなと楽しく遊べる一年になりますように!」
 あんまり一生懸命願いすぎて、後半は口に出してしまっていた。これには南もカースケも初笑だ。
「ちょ、みんななんでそんなに笑うのよー! 真面目なお祈りなんだからねっ! これでも!」
 祈り終わって今度は、みなで絵馬を買うことにした。それというのも、
「絵馬に願いごとを書くと叶うの? じゃあ、書きたい!」
 立て看板を見たエリーズがやりたがったからだ。
「いいですね。南ちゃんもやりません?」
「やります!」
「おっちゃんもやるで〜、密かに結構絵が上手いのよ、ワイ」
「自分で言うかなあ……。私はカースケのイラストを描いてあげるね」
 達筆で丁寧に、今年の目標を書き入れるレジーヌ。
 やはり真面目に書く南。
 一方でカースケは、飄々としたタッチで干支たる龍の絵を、エリーズはそのカースケの姿を模写して絵馬を仕上げた。
 ならんで吊した四つの絵馬、ちょっと写真に残しておきたいような光景となった。
 おみくじも引いた。
「ぐわ! ワイ、『凶』やてどないしよ!」
「あはは、カースケってば大変、今年はずっと冬眠したほうがいいかもよー」
「そらないわエリーズは〜ん。で、そっちは?」
「私は『吉』ってやつね。内容はそこそこ。南はー?」
「『末吉』です。でも去年もいい年だったし、今年もこれくらいでいいと思います」
 そんな三人の賑わいを聞きつつ、レジーヌが開いたおみくじは、
「あ……」
 大吉であった。
「むぅ、レジーヌいいなあ。私のと替えてー!」
「いやエリーズはん、交換したかてアカンやろ〜」
 ほんのりとレジーヌの口元に笑みが浮かんだが、浮かれたりはしない。
「おみくじはおみくじ、凶でも大吉でも良いことも悪いことも書いてあります。いずれにせよ粛々と受け止め、今年一年きちんとした生活をして、教導団として人として恥ずかしくない行動を心がけたいと思います」
 口先だけの綺麗事ではなかった。そう語る彼女の目には凜乎として清々しいものがあった。
 嘘のない言葉なのだった。
 本年もよろしく。