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「瑠奈、ちょっといいかな」
 その声が響いた途端、風見 瑠奈(かざみ・るな)の表情が一瞬凍りついた。
「……あ、うん。ちょっと行ってくるわね」
 しかしすぐに彼女は淡い笑みを皆に見せた。そして、声をかけた人物――樹月 刀真(きづき・とうま)と共に、テーブルを離れた。
 刀真と瑠奈は、瑠奈からの申し出で、半年間の期間限定で去年まで恋人として付き合っていた。
「……結局、俺は自分の身勝手な振る舞いで君を苦しめてばかりだった」
 校舎裏。人の目の無い場所で、刀真は瑠奈と向かい合って話し始めた。
「元旦に君から貰ったメールの話だって本来は俺から言うべきで、それを俺が不甲斐ないばかりに君から言わせてしまった」
 刀真も瑠奈も互いの顔を見ずに、やや下方を見つめていた。
「互いの成長の為にって付き合ったはずなのに、結局俺は大して成長をしてなかったんだろう」
「……」
「ただ君が恋人になってくれた半年間は得難い物だったよ、俺が今まで経験した事のない想いを抱ける日々だった」
 刀真の言葉に、瑠奈の体がぴくりと反応した。
 だけれど、彼女は何も言わなかった。
「この気持ちを月夜達に向けられるかは分からないけれど、先ずは意識してやってみる事から始めてみるよ」
 刀真が瑠奈の顔に目を向けると……彼女は軽く俯いたまま、僅かに首を縦に振った。
「君が俺が友人として誇れる程のいい女になるって言うのなら、俺も君が友人として誇れるようないい男になってみせる」
「……はい」
 瑠奈は返事をして、少しぎこちない笑みを見せた。
「あの……」
「ん?」
 刀真と瑠奈の目が合った。
 瑠奈は刀真を見つめながら何かを言いかけて――首を左右に振った。
 そして「ありがとうございます」と、目を伏せた。
 彼女の目に、涙が浮かんでいた。
 伸ばしたくなる手を刀真は握りしめて抑える。
 瑠奈は一歩、後ろに足を引いた。
「今までありがとう、ごめ……いや、なんでもない」
 そして、優しい声で、だけれどはっきりと刀真は言う。
「またな」
「はい」
 瑠奈の目から涙がぽたりと落ちた。
 だけれど、彼女は微笑んでいた。
 嬉しそうな笑みに、見えた。
 半年間、何よりも大切にした彼女に背を向けて、刀真は歩き出す。
(今、胸の辺りで何かがなくなった気がする……たぶんこれは何をしても埋められなくてずっと残るものだろう)
 刀真は大きく息をつき。
(そうなるほどの人と出会えて、そう思えるほどの時を過ごせて……良かった)
 そう思いながら、振り向かずに前へ向いて歩いていった。
(……樹月さん)
 瑠奈は刀真の後ろ姿を見ていた。
(私がお願いをしたから仕方なく、じゃなくて。……半年間。特別に、私のことを好きでいてくれたって……信じていても、いいよね)
 しばらく胸に手を当てて、息を整えて。
 それから、風見瑠奈も歩き出す。友達の下へと。

「お疲れ様でした」
 会場に戻ってきた瑠奈を、白百合団副団長のロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)が呼び止めて、自分達のテーブルへと招いた。
「中学高校の皆様が教師の方と一緒に、お菓子を作ってくださったんです」
 そのテーブルには、百合園の生徒達が作ったお菓子が沢山並べられていた。
 ケーキには『調査お疲れ様でした』と、チョコペンで描かれていた。
「お疲れ様です」
 冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)が皆にも振る舞っているティセラブレンドティーで、お茶を淹れ、カップを瑠奈の前に置いた。
「ありがとう」
 瑠奈と小夜子の目が合った。互いに少し不自然な笑みを浮かべていた。
 小夜子も異世界に行きたい気持ちがあった。
 でも、自分が行くことを快く思わない人がいるかもしれないと思って、行かずにシャンバラで亡くなった人々の冥福を祈っていた。
「なんだか懐かしい味がしますわ」
 そう言ったのは、小夜子の恋人の泉 美緒(いずみ・みお)だった。
「あ、そういえば昔、美緒と個人的にお茶したときも同じお茶でしたわね。懐かしいですわ」
 言って、小夜子は今度は不自然ではなく、柔らかな表情で美緒と微笑み合った。
「そういえば、風見団長は百合園を卒業して、進学するんだよね?」
 桐生 円(きりゅう・まどか)が茶菓子を食べながら瑠奈に問いかけた。
「え……うん」
 こくりと頷く瑠奈の表情は明るくなかった。
「4月からいろいろ変わって行きますよね」
 ティーカップを口に運びながらロザリンドが言った。
「みんなは卒業したらどーするの?」
 円がテーブルに集まっている皆に問いかけた。
「そうですね。……私も今年で卒業ですね。どうしようかしら……」
 小夜子はまだ少し迷っていた。
「百合園の短大に行くのも手だけど……」
 そう言い美緒を見ると、美緒は少し驚いた顔をしていた。
「短大に進学されるのだと思ってましたわ……」
 短大生の美緒は、このまま一緒に小夜子と百合園で過ごせるのだと思っていた。
「そうですね。貴女が百合園にいるのなら、私も百合園にいるわ。美緒の手助けをしたもの。
 勿論、美緒の手も借りたいのだけど」
「はい。将来の事はまだ決めてませんが、今年もまた小夜子と一緒に百合園で過ごせたら嬉しいですわ」
 美緒はほっとした表情になった。
(私はどうしたらいいのかな)
 ロザリンドはティーカップを手に、考え込んでいた。
「なんだかんだと今までズルズルと経ってしまいましたが、これからの身の振り方を考えませんと。
 専攻とかも終わってますし、空大に行くべきなのか、それとも警備団に行ってみるべきなのか」
「結婚、しないの?」
 突然の瑠奈の言葉に、ロザリンドは紅茶を吹き出しそうになる。
 百合園生の主な就職先は、見合いによる結婚――永久就職なのだ。
 ロザリンドにはそれなりの期間お付き合いをしている人もいる。
「いえそれはもごもごもご……」
 スコーンを口につっこんで、誤魔化して。
 紅茶を流し込んで飲み込むと、ロザリンドは話を続ける。
「先々は宮殿での女官か、ラズィーヤさんの秘書グループの一人として力になれたらいいのですが、警備団も含めそれも今の私で行けるんかどうかも不明ですが。
 ……パワードスーツ部隊は警備団にあるでしょうか?」
「分からないけど、女官も警備団もセリナ副団長は推薦で受かると思うし、パワードスーツ隊も申請したら、通ると思うわ」
 苦笑しながら瑠奈はそう答えた。
「ラズィーヤさんの秘書についてはどう思います?」
「……どうでしょうね。セリナ副団長の得意分野では、ないのですよね?」
「そうかもしれません。先を見据える力が無いのが本当に悔しいですね。白百合団での活動でもずっとそうです。何かやらなければ、やるべき事があるはずだと気負っているのに、振り返れば後悔する事や、無知をさらけ出すばかりで」
 瑠奈も、友人達もロザリンドの話を、茶化すことなく聞いていた。
「ただ、それは悔しい事ですが、無駄だったとは思えません。
 自分の力で何とかしようとした事が大切で、その中に何かが生まれていくと思います」
 そして、ロザリンドは瑠奈を見て言葉を続ける。
「だから、団長には申し訳ないのですが、組織を存続させたい、団長をやりたいという人がいるなら、続けるべきだと思いました。
 その結果重い十字架を背負う場合もあるかもせれませんが、それでもなお花咲けるのが百合園生だと思います」
「今のままではなく、時代に合った形で続くといいわね」
 瑠奈のその言葉を、ロザリンドは否定しなかった。
「……円さんはどうするのです?」
 お茶を一口飲み、小夜子が尋ねた。
「ボクは今年で百合園短大卒業でもいいかなって思ってる」
「結婚、ですか?」
 ロザリンドが円と、円の隣にいるパッフェル・シャウラ(ぱっふぇる・しゃうら)を少し羨ましげに見た。
「んー、パッフェルがロイヤルガード卒業まで待つのもいいなぁ。
 いずれにせよ、すぐサバゲショップ開くための準備はやっておこうね」
 円がパッフェルを見ると、パッフェルはこくんと首を縦に振った。
「場所はー、どうしよ。住み慣れてるから、ボクはヴァイシャリーでもいいかなって思ってるんだけど?
 パッフェルは何処を候補地に考えてる?」
「ヴァイシャリー、で、いいと、思う……。あとは、いつか、円の家がある……地球にも」
「うん、2号店か3号店か、地球にも出せたらいいね……っと」
 円は近くのテーブルについた、知り合いの姿に目を留めた。
「システィじゃないか、調子はどーだい? パッフェルは知ってる? ボクの恋人!」
 円が声をかけると、その人物――システィ・タルベルトは軽く会釈をした。
 取り巻き達と一緒で、近づき難い雰囲気だった。
「円さんや歩さんも卒業なんだなぁ……。少し寂しくなりますね」
 小夜子は円や、別の席で後輩達と会話をしている七瀬 歩(ななせ・あゆむ)を見て、呟いた。
「……百合園も世代交代の時期なんですね。
 未来の百合園に私のような選択を迫られるような人が出なければ良いですね」
 そして小夜子は、そっと目を閉じた。
(……愛菜さん、冥福を祈るわ。私は貴女の事を忘れないわ)
「小夜子?」
 優しい声が、響いた。
「ん?」
 目を開けると、心配そうに美緒が自分を見ていた。
「何でも無いわ」
 言って、優しく小夜子は美緒の頭を撫でた。
 美緒はそっと、小夜子の背に腕を回して、温かく優しくぽんぽんと小夜子の背中を叩いた。