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一会→十会 —雌雄分かつ時—

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【転送先 某所】


 転移を可能にしている古代文字『楔』。
 その文字列に組み込まれていたのは、サヴァスの逃亡を阻止するのと、転移先への融和性を深めるための意味を持った、一万年前という長い時に失われた筈の古代魔術の文字である。
 澄んだ高い音が響き、発動する文字達の輝きに視界を焼かれていたサヴァスは、眩む目を何度も瞬かせ、光り焼けが収まり視界の確保ができた瞬間、異変に気づいた。
 そこは、先程まで居た蒼空学園の屋上ではなかった。
 薄暗く、片付けでもしている最中だろうか、書物や薬品のようなものがどこか雑然と積み上げられ、魔力が自然に空気に満ちているその室内は、自身の本来の居場所である魔法世界を髣髴とさせる。故に、サヴァスは送り返されたのか? と言う疑念に反応が鈍ったのだ。
「いや……ここは……!」
 直ぐにそこがイルミンスール魔法学校の一室であることを悟ったが、その僅かな判断の隙間は、致命的だった。全身を空気の圧力のようなものが包み込んでいて、押しつぶそうとするようにどんどんそれが重くなって動きが鈍る。結界か、と察したところで漸く、サヴァスはその室内に人間がいることに気がついた。
「ようこそ、破名の客人。そしてさようなら、だ」
 この部屋の主、ディミトリアスだ。錫杖を掲げ、よく見れば部屋全体を覆っている魔方陣の中心と思しき場所に立つその男が、結界の主だと直ぐに判ったが、誰が来るのかを既に知っていた、と言わんばかりの結界は重たく、輪郭を固定されてただちの脱出も反撃も出来そうに無い。しかし、サヴァスは僅かな焦りの浮かんでいた顔に、余裕の笑みを取り戻した。
「この程度の結界…………」
 発動する融解の力が、自身の周囲から結界を溶かしていく。結果の力を周囲の魔力に溶かして分解していく、という、解除や破壊とはまた違う様子に、自身の結界が薄れていくというのに「それが例の力か」と、ディミトリアスは面白がるように低く笑った。サヴァスがそれを訝しんだ、次の瞬間。
「っぐ……っ、何だ、これは!?」
 破れた結界の隙間から、どろりと流れ込むようにして身体に別の冷たい何かが絡みついた。邪悪とは違う、夜を思わせる闇の魔力の塊だと気付いたが、溶かそうとすれば、何故かそれがそれがそのまま自身の方へ侵食しようとするおぞましさに、サヴァスの顔色がはっきりと変わる。
(闇と水の属性……? 純粋な魔法力を、魔法として形作らないで使う術が、この世界にあるというのか……!?)
 現代の洗練された魔法とは違う、原始的な形態を残すディミトリアスの古代魔術は、魔法世界の人間には特に理解しがたいものだろう。そうしている間にも、溶かしきれていない結界はぎしぎしと身体を軋ませるのだ。不測の事態はどんどんその冷静さを失わせて、恐怖に似たものをその中に芽吹かせる。
 その様子に、くく、と喉を笑わせる音がした。
「折角ディミトリアスが結界で留めておいてやったものを。自分の力に自惚れるから、そういうことになる」
 ディミトリアスの双子の兄、アルケリウスの、全く同じ音を持った声が、別方向から聞こえるのに、サヴァスは慌てて振り向こうとしたが、それも叶わない。そこでようやく自分が魔力の水槽の底へ落とされていたのだと気付いた。先程まで自分を包んでいたのは空気の泡のようなもので、それを破った瞬間魔力と言う水が襲い掛かってきたのだ。それを融解させて周囲に溶かそうとしても、水を水に溶かそうとしているようなものだ。かといって結界をそのままにしておけば、膨れ続ける魔力に圧されるその圧力で肉体の方がやがてへし折れるだろう。サヴァスははっきりと、自分が狩られる側へ変わってしまっていることを感じた。
「聞けば……あんたは俺の友人に、随分な真似をしてくれたそうだな。自分が侵食される気分はどうだ?」
 増幅の魔方陣の中心で、ディミトリアスは目を細めた。サヴァスは与り知らないことだが、部屋に満ちている魔力の内、ディミトリアスのものはサヴァスの中心から直径1メートル程度しかない。ディミトリアス自身は、魔法世界との繋がりを維持し続けるのに殆どの魔力を使っているためだ。残る魔力は、その量だけならば弟を上回る兄、アルケリウスのものだ。増幅の魔方陣によって底上げし、更にそれを手元の槍へと圧縮しながら、その口元は、檻の中の獲物を見つめて獰猛に笑う。
「生憎と弟は忙しい。嬲られないだけ慈悲だと思え」
 瞬間、その槍はディミトリアスの魔力の層を器用に貫いて、恐怖に顔を歪めたサヴァスの心臓へと抉り込むと、自身の魔力全てを一瞬で雷と炎そのものへと変え、内側から塵も残さず燃やし尽くしたのだった。


 * * * * *



 破名の転移が音の無い呆気無いものと知っている契約者達は、光った事にも驚いたが、やはり、先程までの激しさが嘘のように綺麗さっぱり無くなっていることに、それぞれが釈然としない表情を浮かべていた。
 狐に摘まれたような、転移にはいつもそんな感覚があるが。今回は相手が相手なだけ違和感がある。
 上手く行ったのだろうか、と疑問が沸き立ってしまう。
 そんな中、ヴォロドィームィルが平然とした顔で破名に近づいた。
「手筈通りというところですか」
 問いかけに、ミリツァが破名を見た。
「上手くいったのかしら?」
 最後まで手を繋いでいてくれたミリツァに、破名は一度「ありがとう」と礼を述べてから、続けた。
「向こうの術式を組み入れたから必ず転送されるし、発動するはずだ。あっちも忙しいだろうから、奥の手としてという話だったが、驚かせないように合図も送ってるし、邪魔にはならんだろ」
 確認するヴォロドィームィルに破名は答える。
「なんにしろ、状況が奴が有利なままというのは、な。全く異界人というのは勝手が違って処理に手間取る」
「そうですね。旅団長のお師匠様に最後お任せするかたちになったのは、大変心苦しいですが……
 犠牲者が増える事を天秤に掛けるのであれば、我々が小突かれる事など取るに足らない事ですから」
 笑顔を見せるヴォロドィームィルに、破名も軽く破顔する。豊美ちゃんとアレクは様々な状況に合わせて対処出来るようにそれぞれの関係者に綿密な連絡を取り幾多の策を立てていた。そのひとつに設置(結界)型の罠があり、転移の能力を持っている破名には何かあればそこに突っ込んでおけと指示が来ていたのだ。そしてそれを実行しただけである。
 しかし幾つものうちの一つであるそれは、契約者には伝えられていなかった。
「――あの、サヴァスは?」
 気になったのだろう、ゆかりが会話している彼等に近づく。
「飛ばしたのよね?」
 次いでリリア、
「サヴァスはどこに行ったのかな?」
 メシエに聞かれ、破名は一度ヴォロドィームィルとミリツァの顔を見てから、サヴァスがどうなったのか疑問を抱く契約者達に紫色の目を向ける。
 奴なら、と口を開いた。
「俺が知っている中で一番激しい獣の元だ。食い散らかしもせず一滴残らず『飲む』だろう」