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リアクション
【カナン・7】
(…………)
戦闘が始まって以来、アユナ・レッケス(あゆな・れっけす)は幸せの歌を口ずさみながらだれにも気づかれない上空で下の様子を観察していた。
地上ではあちこちで無数の剣げき音が響き、無数の火花が散っている。特攻隊を含む大部分の人手が、金剛人形たちを押し戻し、契約者とイシドールの戦闘の場に闖入させない戦いに割かれていた。しかしそれでもイシドールに対し、常に複数の契約者が攻撃を仕掛けている現状にあって、いまだ決定的な一打が生まれず、決着がつかないことは驚異的なことのようにアユナの目には映った。
それは、刃を寄せつけない金剛の皮膚と呼ばれる強靭な肉体のせいばかりではない。イシドール自身がそれに頼りすぎず、格闘のセンスを磨いてきているからだった。感情を読ませない笑顔の下で、常に敵の攻撃の先を読むことを心がけ、避けられない攻撃は受け流すかカウンターでの相殺を図る。
本来ならば、フェイミィの大斧は素手での格闘家には有効な武器だ。間合いが違いすぎる。遠心力で振られる大斧は寄せつけることなく敵を打破することが可能。さらにフェイミィはその使い手で、まるで己の手の延長のように自在に操って攻守を同時に行う。それで連打を浴びせられては、ただ皮膚が硬いことだけが取り柄では、とうに雨のようにその打撃を受けてしまっていたはずだ。しかしイシドールはそれを避け、受け流している。さらに攻撃を強めないところわみると、フェイミィもそれによってイシドールを常に動かし続けることでスタミナ切れを狙っているのだろうが……。
(このままでは難しい、ですね)
まったく息を切らしている様子のないイシドールに、アユナはそう結論した。初めて相対する相手、底がどこなのかも見当のつかない相手だ。
(竜造さん)
アユナは足下の屋根で、同じようにイシドールを観察している竜造を見つめて指示を仰ぐ。彼女の歌う幸せの歌が途切れたことでそのことに気づいた竜造は面を上げ、問いかけるような彼女の目に、うなずきで答えた。
再びアユナはイシドールを見る。ちょうど彼は肩口で水平に振り切られたバルディッシュの刃の腹を掌打で弾き飛ばしたところだった。
アユナの奈落の鉄鎖がイシドール目がけて飛ぶ。右のふくらはぎにずしりと絡みつく何かを感じてイシドールがそちらに目を落としたときだ。
「金剛石のようなボディを持つとは実に実に実に実にッッ、きょぉぉぉぉぉぉおおおおみ深い!」
興奮したゼブル・ナウレィージ(ぜぶる・なうれぃーじ)が両手を広げ、背を反らして感極まった声で叫んだ。
「これはぜひ研・究!」
広げられた両手が前に戻ってがしりと組み合わさる。
「まずは我が【ラブ・デス・ドクトル】展開!」
セブルのフラワシラブ・デス・ドクトルが召喚された。視る力を持つ者であれば、手術着姿の巨大な老いた赤子の姿が彼の背後に視えただろう。そして千切れた手術着と赤黒いナニカを下半身があるはずの場所にぶら下げながら浮遊する姿に吐き気をもよおしたに違いない。
「小手調べにぃ【悪疫】を散布! 細菌の洗礼を受けよぉ!」
ラブ・デス・ドクトルはゼブルの命令に従って、周囲に病原菌をばら撒き始める。その姿が視えなくとも、ゼブルの言葉を聞けば何が行われているかは瞭然だ。
「みんな、退け!」
ざっと波が退くようにイシドールを囲っていた契約者たちは背後に飛びずさり、高所へ上がる。もちろんイシドール本人もその場にとどまってはいない。
ゼブルの攻撃はまだまだ終わらなかった。
「フラワシよ、業火の産声を上げよ!」
嬉々として嵐のフラワシの残虐性で火炎攻撃をさせるが、フラワシ本体は見えなくとも火炎そのものは見えるため、やはりこれもまた、イシドールには避けられてしまった。
「まだまぁぁああだぁぁぁあ!」
ゼブルの強気は揺らがない。このころにはイシドールも、あのうるさい枯れ木のような男を倒せば攻撃は止まるとの予想がついていた。
イシドールがゼブルへと向き直る。そのとき、松岡 徹雄(まつおか・てつお)に対してイシドールは完全に背中を向けていた。
(いまだ)
疾風迅雷で接近した徹雄はイシドールが気づくより早く、彼の影に影縫いのクナイを突き立てた。
「ぐっ……」
イシドールのうなじにナイフを突き立てられたような痛みが走る。反射的、ナイフを抜こうと後ろに手をやり、そこに何もないことに驚くイシドールを、徹雄はニューラル・ウィップで打った。これもまた、打つことで相手の痛覚に直接刺激を与える武器だ。
金剛の皮膚自体にいくら攻撃をしても無意味だ、するならその内側だと考えたのだろう。
体内を直接攻撃されるという初めての感覚に、イシドールは顔をしかめたものの、痛み自体は軽微でどうということはない。鞭を掴み止め、ぐいと引いて徹雄をこちらへ引き寄せようとする。徹雄はアッサリ鞭を持つ手を放した。
(あんな筋肉隆々の化け物に、引き合いで勝てるわけないからねぇ)
後方へ退く徹雄に合わせて、竜造が動いた。
屋根の上に残像を残し、竜造の姿が掻き消える。ポイントシフトを使った彼が次に現れたのは、イシドールのすぐ横だった。錬鉄の闘気がその身から発散されている。
「おまえのせいでカインをデートに誘う機会が潰されちまったんだ。だから詫びにその首もらうぞ」
耳ざとくそのセリフを聞きつけたカファサルークが振り返り、むっとした顔で竜造の背をにらむ。が、当然竜造は気にしない。イシドールに意識を集中したまま、神葬・バルバトスを振り上げイシドールの脳天目がけて振り下ろした。
「うおおおおおおおっ!!」
攻撃をかわせないと見たイシドールがカウンターを仕掛けてくるのは読めていた。ゼブルの鉄のフラワシが竜造を守っている。
(防御の甘くなったてめェの頭、粉々に砕いてやるぜ!)
だが――、観察していた彼らもまた、イシドールの力を完全には掴みきれてはいなかった。
至近距離から繰り出されたイシドールの全力の左フックは鉄のフラワシの防御を貫き、竜造のみぞおちに深々と食い込んだ。
「……ぐ……ぁ……っ」
1秒にも満たない世界で、イシドールの攻撃がわずかに早かった。竜造はみぞおちを押さえてよろめく。
同じく、イシドールもまた、
竜造に届く手前で何か鉄のような物を殴った感触がイシドールにもあった。それごと強引にたたきつけたわけだが、威力はかなり衰えていたらしい。そして、あの瞬間に起きた不思議な腕の痛み。思い出し、眉をしかめつつ痛みの走った個所をさする。それがゼブルの合図で上空のアユナが放ったシュレーディンガー・パーティクルだとは夢にも思わないイシドールだった。
鉄のフラワシによる防御、アユナの魔法攻撃。もしそれがなければ竜造は背中まで貫かれて即死していただろう。だがそれでもイシドールの一撃は人間には十分すぎる威力だ。竜造の様子に、彼はもう戦えないと見たイシドールは注意をよそに向けようとする。
「……ケッ。まだだ!」
竜造は血の混じった唾を吐き捨て、口元をぬぐって神葬・バルバトスを再度かまえた。
ゼブルが炎を放つと同時にポイントシフトでその炎にまぎれて突撃をかけた。
「うぉらああっ!」
エナジーコンセントレーションの光が宿る腕で剣を振り抜いた後、切り返してからの袈裟斬りや逆袈裟など、連続で斬撃を叩き込む。
それを見たゼブルがポイントシフトでイシドールの背後へ移動し、鉄のフラワシを背中に叩きつけて固定しようとしたが、イシドールは竜造の猛攻を受けていてもしっかりゼブルを意識からはずしていなかった。気配を読み、かわしたイシドールはそのまま両手が地につくほどしゃがんで竜造に足払いをかける。イシドールの足技は強烈で、まともに受けた竜造の足に激痛が走った。為すすべなくバランスを崩したところにさらにイシドールが殴りかかろうとしているのを見た徹雄が煙幕ファンデーションを投げ込む。
広がる煙幕のなか、足の痛みにひざをついていた竜造を回収し、徹雄はその場を離脱した。