校長室
【Tears of Fate】part1: Lost in Memories
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ぐっと身を下げ、アサシンダガーの一撃をかわす。 刃物が空気を掠め生じた冷たい風が、首筋を撫でるのがわかった。ぞっとするが、不思議と心地良い感覚だ。 同時にアキュート・クリッパー(あきゅーと・くりっぱー)はゴッドスピードを発現していた。 クランジΚの懐に飛び込んだ。 滝が逆流するように下から上に斬り上げる。右腕の『ティグリス』、この刃はドラゴンの鱗。 されどΚも速い。鱗は彼女の髪の毛すら切ることは叶わなかった。 しかもΚは左手の銃で至近距離から発砲した。 一瞬、耳が馬鹿になるほどの轟音。 チィイン――という耳鳴りを覚えながらなおもアキュートは無傷だ。彼はアクロバティックに仰け反り、銃弾が顔の前を横切るのを見た。銃弾の軌跡すら網膜に焼きついたように感じた。 「相変わらずやるねえ」 思わず笑みがこぼれた。全力でやりあえる相手を得られたのは幸運だと思う。 予備動作はない。そこから彼は疾駆した。 Κの脇をすり抜け……られない。 超反応に対するもまた超反応。Κの肘がまともに顔面に入ったのだ。 剣や銃で受けたダメージでは決して聞こえない音、めきっ、という衝撃がアキュートの頭の中を駆け抜けた。 アキュートに格闘技の経験がなければ、一発でノックアウトされていてもおかしくないほどの打撃だ。 しかし彼はヒットの瞬間、わずかに体を滑らせダメージを半減させている。 顔面でΚの肘を弾き、同時に背中を取る。 強引に胴に腕を回し裏投げ。 Κの柔らかな胸の感触が腕に伝わった。 だが加減する気はないしできる相手でもない。 全力で、ブン投げた。 どさっとΚが落下した。一度跳ねる。転がって追撃を避ける。 「多分ねーちゃんのようだが……。殺し屋ってのは楽しいかい?」 吹き出た鼻血を手の甲で拭いながら、アキュート・クリッパーは仮面の戦士を睨め付けた。 「女だ。クランジΚと呼んでもらおう。しかし、自分が女だからと言って舐めてかかれば死ぬぞ」 黄金の仮面の下が涙目になっている。さっきの投げは効いているとアキュートは悟った。 「舐めてかかってなんかいねえよ。俺のほうはアキュートだ。元神父」 「元?」 ふわふわと、二人の周辺にマンボウが浮き出した。……幻覚ではなく本当に空飛ぶマンボウ、その名も守護天使ウーマ・ンボー(うーま・んぼー)だ。ウーマは厳かに告げた。 「アキュートはな、神父を退職したのであるよ。信仰を捨ててな……まったく、なげかわしいことではある」 「ウーマ、少し黙っててくれねえか。緊張感が弛む」 「アキュートよ。そのような無粋を申すと治療せんぞ」 ぷくーと膨れる相棒を放置し、アキュートは円を描くように歩みを進める。 Κも同じだ。アキュートとの距離を一定に保ちながら歩む。 図書室通路。二人が遭遇したのは数分前のこと。 雪山で戦った好敵手との再会に、アキュートの魂は燃えていた。 「それで、殺し屋が楽しいのか、って質問だが?」 「答える必要はない」 「たしかにエリザベート校長は要人だ。だが年端もいかん女の子でもある。いくら命令だからって、子どもを淡々と殺すのは感心しねえな……」 この挑発が、まさかの本音をΚから引き出した。 「自分はエリザベートとやらに興味はない。貴様らにもだ!」 おっ、という顔になったウーマだが、騒ぐと台無しかと思って、そっと光学迷彩を発動して姿を消した。 「だったら標的は誰だ」 アキュートの左、こちらにも刃、ユーフラテスの鱗だ。 Κはかわす。かわしながらダガーでカウンターする。彼女は叫んでいた。 「裏切り者シータ!」 ダガーも命中しなかった。際どいが再度引き分け。 ぱっ、と二人はまたも距離を取った。 「シータ(Θ)? ギリシャ文字だな、そいつは塵殺寺院のクランジか?」 「塵殺寺院の上に『元』を付けてもらおう。やつは他のクランジを語らって我らから独立したのだ。始末せねばならん。パイの後を尾行すればシータを見つけられると思った……それを貴様らが邪魔して……」 まるでその台詞を待っていたかのように、 「両者そこまで! そこまでにせよ!」 命知らずもいいところ、無防備で両者の間に割って入った大胆な男があった。 「おっと何者?!」 姿を隠しているにも関わらず、ウーマは思わず叫んでしまった。 それを待ってましたとばかりに、 「ふははははっ! 魔王の命令であるっ!」 勝手に名乗ったものではあるが、名乗った者勝ちの称号『魔王』をひっさげ、颯爽、登場した彼こそは、他に比類なきジークフリート・ベルンハルト(じーくふりーと・べるんはると)であった。風もないのにバタバタとマントをなびかせながら魔王は言う。 「俺は欲望に忠実で貪欲な男だ。それでいて、ちょっぴりおセンチでシャイなあんちくしょうでもある! 魔界の好感度ナンバー1!」 「自分で言うか……」 Κも気圧されたか、あるいは単に呆れたのか、武器を下ろした。 一方アキュートには、ストロングで黒マッチョな好漢が話しかけていた。 「アキュートさんとおっしゃりましたか。いやあ、まれに見る好勝負、最後まで見届けたかったのですが、あのままではどちらかが命を失いかねない。いずれも亡くすには惜しい逸材です。無粋とはいえお邪魔させていただきました」 ルイ・フリード(るい・ふりーど)と申します、と好漢はスマイルした。白い歯がやけに眩しかった。 「いやあ、難儀しましたなあ。まさか携帯電話が思いっきり通じないとは。しかしジークさんのお見立て通り、Κさんもこの地にいらっしゃいましたな」 とルイが言うように、彼とジーク、そしてそれぞれのパートナーシュリュズベリィ著・セラエノ断章(しゅりゅずべりぃちょ・せらえのだんしょう)、メフィストフェレス・ゲオルク(めふぃすとふぇれす・げおるく)は、この事件にΚ出現を予感し、最初から捜索対象を彼女に絞ってその身を求めていたとのことだ。 「ふぅん、君が河童もといΚちゃんだね。スタイルいいね! セクシーだね!」 セラエノ断章はΚを見ることができて嬉しいらしく、くるくるとその周辺を回る。Κは困ったような目をしていたが邪魔はしなかった。 「残酷で悪いクランジだって聞いてたけど、それってΚが人付き合いの仕方を知らなかっただけって気がする。セラと仲良くなってくれないかな? そしたらいっぱい学べるし、セラだって、自分と違う価値観や考え方、知識が増えるもん♪」 「まあ、Κくんの標的がエリザベートちゃんじゃなかったのは朗報。話をまとめてみると、どうやら共通の敵がいるということになりますね」 メフィストフェレスはタキシード姿で、しゃなりしゃなりとΚに近づいた。 「そこで今回は我々と手を組み、その黒幕シータというのをとっちめて打ち上げをラーメン屋で行うというのはいかがでしょう?」 「貴様ら本気で言っているのか。自分は塵殺寺院だぞ」 疑いの視線でΚは一同を見るも、にわかにジークフリートが呵々大笑した。 「ふはははっ、俺を誰だと思っている! いずれザナドゥの魔王すら凌駕する軍団を作り上げ自分の国を起こすジークフリートだぞ。塵殺寺院といってもいずれこの魔王軍に吸収合併されてその一部門になる予定の団体、ユマも貴様も、先に魔王軍に入っておくほうが出世が早くなっていいぞ!」 まったくもって揺るぎなく、自信に満ちた口調で彼は言うのだ。さらに、 「そもそも!」 びしっ、とジークフリートはΚを指さした。 「Kよ、貴様はなぜ戦う? なぜ殺す? それが上からの命令だからか? 今回の任務に失敗するとお前は破壊されるだけだろう。そんな薄情な上司の下について楽しいのか? 貴様にはそういう生き方しかできんのか? 他人の命令に従ってしか生きることができないと……それならそれで良いのだ……今はな。貴様は仕えるべき主を間違っているだけなのだからな!」 大言壮語といえばそうだろう。しかし自分でもこの言葉を信じ切っているジークに、迷いの色は皆無だった。 「貴様を人形だと言ってしまうのはたやすいが、その言葉で片付けるのは俺もお前も思考停止しているだけだ。Kよこの世に生を受け、意思を持ってしまったのならば、自分の意思で何かを成してみせろ! 生きることを楽しんでみせろ! ありのままの素顔をみせろ! やり方がわからんというのならば、あるいは、助けが必要ならば黙って俺についてこい! 俺が貴様に新しい世界を見せてやろう! ふはははっ!」 「どこから……そんな自信が湧いてくるのだ」 Κは救いを求めるようにアキュートを見た。クランジは、あまりにも予想外の言動をする者には徹底的に弱いという性質があるのだ。 「魔王のにーちゃんが言ってることの大半は確かにトンデモっぽいが」 アキュートは苦笑気味に言った。 「ところどころ良いこと言ってるぜ。自分はどこの所属だから、とか、そういったことに捕らわれるのは思考停止だわな。黒幕退治に手を貸すってんだから素直に受けとけ」 「目から鱗、目から鱗であるのう」 調子を合わせるように、マンボウのウーマがまた姿をあらわして、キラキラと鱗を降らせた。舞い散る鱗が雪のよう……と書けばロマンチックであるが、フケのようにも見えるということも併記しておく。 「そういうわけですな。ささ、思考停止した脳筋肉をマッチョ体操でほぐしましょうぞ。はははは」 ルイもそんなことを言って筋肉美を披露しはじめたので、Κは仮面を外した。 「おっ、ついにΚくんの素顔がお披露目ですか!?」 メフィストフェレスは瞬時、色めきだったが、 「違う。これがシータの顔だ。覚えておけ」 Κはシータに姿を変えただけだった。ちょい、と彼女は眼鏡の位置を直した。