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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

リアクション

 さまざまな店が軒を連ねる大通りを見て、枝々咲 色花(ししざき・しきか)はつぶやいた。
「おいしそうなのです」
 どこを見てもパッとしない家並みで、普段は質素な港町に違いないのだが、この降って湧いたような浮遊島特需にわれもわれもと乗っかったか、どの通りもみっちりと、さまざまな物を売る店が並んでいる。なかでも一番多いのが、やはり食べ物を売る店だ。
「そこ行くお嬢ちゃん! これなら列に並びながらでも食べられるよ! ひとつどうだい?」
 あきらかに通り過ぎようとする色花に向けて差し出されたのは、棒つきの揚げ菓子である。揚げたてほこほこ。湯気とともに、まぶされた砂糖の甘いにおいが漂ってくる。
 くるっと90度回転してそちらに向かおうとした色花の肩を、あわてて八草 唐(やぐさ・から)が掴み止めた。
「待って待って。ストップ!
 違うだろ? ここへは情報収集に来たんだろ?」
 早くも目的を忘れたんじゃないだろうな? と疑いの目で見てくる唐を、色花はぼんやり見上げる。
「でも、おなかが空いたのです」
「さっきそう言ってお昼食べたばかりじゃないか!」
「スイーツは別腹なのです」
 淡々と無気力口調で言われ、唐は一気に脱力した。
「……分かった。買ってやる。だから情報収集しような?」
「…………」
 こくっとうなずく色花。
 しかし揚げ菓子を受け取った直後、彼女の足が向かったのは通りの反対側の『ベルゼン市名物・焼きドーナツ! 本日限りの出張販売! なくなったら終わりです!!』とののぼりが立った店だった。
「こら、戻ってこい色花!」
 支払いをしながら唐が呼ぶが、色花の足は止まらない。
「兄ちゃん、大変だな。そんな若いころから恋人に振り回されてると、将来苦労するぜ」
 釣り銭を渡しながら店の親父が訳知り顔でがははと笑ったが、唐は気疲れしすぎてもはや説明する気にもなれなかった。
(あれは恋人じゃなくてご主人だっての)
 しかし厄介さでは、別れたら終わりの恋人より主人の方がよほど上ではなかろうか。
(まだ島へ着く前からこれで、俺大丈夫かな……)
 色花の名誉のために少し触れておくが、色花とて、この通りへ来た目的は頭に入っている。浮遊島へ行く前に、ちょっと現地の人から昔話なり何なり、情報を仕入れようというのが目的だ。
 ただ、さすが異国。店先に並ぶ菓子は素朴ながらもどれもシャンバラでは見ない焼き菓子や揚げ菓子で、まぶされているドライフルーツもカナン特産の物らしい。待っている間の試食にと差し出されたナツメヤシの砂糖漬けもおいしかった。この通りにはまだまだいろんな食べ物を扱う店が並んでいる。きっとそれらもおいしいだろう。どんな味がするのだろう? おいしいスイーツ……。
 色花の頭のなかで、どんどん本来の目的が小さくなって、スイーツの占める割合が大きくなっていく。
「……カナンでカードは使えるんですかね?」
 一体どれくらい買い込むつもりなのか、唐が聞いたら真っ青になるようなことをつぶやいて、ちょっと首を傾げつつ順番を待つ。
 焼きドーナツの店は売り子が2人いて、2列で対応していた。
「はいお待たせ! お客さん、何にしますか?」
「……その、チョコがかかったものを――」
「ショコラをちょうだい!」
 色花の声と、となりで注文をする女性の威勢良い声が重なった。
 2人が指さしたチョコのかかった焼きドーナツは1つしか残っていない。色花が指を追ってとなりを向いたとき、ちょうど向こうも色花を見返していた。
「あら?」
 同じコントラクターだとすぐに気づいて、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)が笑顔をほころばせる。
「お客さま、申し訳ありません」恐縮そうに店の売り子が言う。「これはもうこの1個だけで、在庫はないんです」
「……ああ、じゃあ」
「こっちの子にあげて」
 色花よりセレンフィリティの言葉の方が大きく、早かった。色花は最初、断ろうとしたが、セレンフィリティが屈託ない笑顔で「ん?」と見返してくるのを見て、口を閉じる。
「……ありがとうございます」
「んーん。あたし、前に食べたことあるから! いいのいいの。
 じゃああたし、こっちのコーヒー味のやつね。それと、オレンジジュースを2つずつ」
 焼きドーナツの入った袋と飲み物を両手で器用に持って、セレンフィリティは通りの向こうで待ってくれているセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)の元へ向かう。
 人の間を縫いながら通りを渡っていたときだった。
 どんっと背中を突き飛ばされたセレンフィリティは、2歩3歩とよろけた。
 突き飛ばした力自体はそんなに強くなく、むしろ押しやろうとした感じだったので、セレンフィリティは足をもつれさせた程度ですんだ。しかし、両手に1つずつ飲み物のカップを持ち、さらに焼きドーナツの入った袋を吊っていた手の方はそうもいかず、不安定な袋の口が指からはずれて開き、焼きドーナツはボロボロと道にこぼれてしまった。
 しかも何も知らない人が、それを踏んづけていく。

ああーーーーーーーっ!!! あたしの焼きドーナツがっ!!」

「ちょっと、どうしたの? セレン」
 突然大声を上げてへたり込んだセレンフィリティの姿にこそ驚いて、セレアナが駆け寄った。
「あたしの……焼き、ドーナツ……が……。
 くっそー!! これを手に入れるのにどのくらい並んだと思ってんのよ!! 絶対許さないっ!!」
「セレン?」
 ゴゴゴと燃えて握りこぶしで立ち上がったセレンフィリティは、自分を突き飛ばした相手を求めて通りを見渡す。それらしい相手はすぐに見つかった。混雑した通りで、前をふさぐ人を押しやりながら走っている。人に邪魔されて姿は見えないが、絶対あいつだ。
「見つけた!」
 叫ぶなり神速で走り出したセレンフィリティにふうと息をつき、セレアナもその後ろについて走り出した。

 


 人の波に逆らって走る2人の少年の姿は、ほかの者たちの目も引いていた。
「霜月、ちょっとあれを見て」
 騒ぎを聞きつけたクコ・赤嶺(くこ・あかみね)が、つま先立って人の頭の山を越えてそちらを覗き見る。
「どうかしたんですか? クコ」
 呼ばれて、娘の赤嶺 深優(あかみね・みゆ)とともに露天商の販売する土産物を見ていた赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)が、身を起こして妻の見ている方へ目を凝らした。
 同じく、時間つぶしのショッピングのあと、オープンテラス席で休憩をとっていた柊 真司(ひいらぎ・しんじ)たちも騒動に気づく。
 ただ少年2人が人にぶつかりながら走っているだけだったなら「ひとの迷惑をかえりみないやつらだな」で終わっていただろう。町の子どもたちが悪ノリしてふざけているだけだ。しかし霜月や真司たちはすぐ、ことの重要性を飲み込めた。
 少年たちにはしゃいでいる様子はなく、後ろを気にしながら走っている。
「どうやらただごとじゃないみたいだな」
「真司、あそこを」
 ヴェルリア・アルカトル(う゛ぇるりあ・あるかとる)が少年たちの視線を追って、違和感に気づいた。
 昼時の今、太陽はほぼ真上。人の影は足元にできなければいけないのに、建物の壁に伸びている。しかもやけに細部までくっきりとして、まるで真夏時のもののようだ。
 数体の影は壁を泳ぐように動いて、少年たちを追っている。あの動きはあきらかに意識的なものだ。
「何がどうなっているのか……とにかく追おう」


「ごめん! 急いでるんだ! ちょっと通して!」
 ウァールは前方の人に声をかけながら走っていた。大抵の人は、意味が分からずきょとんとなりながらも前を譲ってくれるが、とっさのことで対応できない人もいる。そういう人は、悪いけれど押しのけさせてもらって、強引に前からどいてもらった。
 人通りの少ない裏路地を走ればいいのかもしれないが、人目のつかない場所を走るのはなんだかやばい気がした。
 あのなぞの影は人目につかないようになどと一切考慮せず、とにかくウァールやセツを見つけたらまっしぐら、周囲の状況などおかまいなしに追ってくるので、どうせ表を走ろうが裏を走ろうが関係ない。ただ、自分たちが危険な気がしたのだ。人目につかない場所でやつらに取り巻かれ、捕まりでもしたら、本当に終わりだ。
「……ウァール……わたし、もう……」
 切れ切れのささやきがした。セツが苦しげにのどを押さえている。ずっと走り続けて、限界がきたのだろう。ウァールの手を掴む力は大分前から失われていて、汗ですべってするりと抜ける。足をもつらせて、その場に両手をついた。
「……ごめ…………なさ……」
 ヒューヒュー笛のような息をしている。考えもなしに走らせた結果だ。セツは女の子なのに。
「……くそっ」
 あせりながら、周囲を見渡した。どこか隠れてやりすごせそうな場所はないだろうか?
 ここへ来る道中、何度か見つかっては逃げるを繰り返した結果、あの影はあまり目が利かないことが分かった。あの真っ黒な頭部に目があるのかも疑わしいし、どのくらい離れていればやりすごせるのかは分からないが、とにかく今は身をひそめる場所さえあれば……。
「セツ、歩ける? もう少しだ。あそこへ隠れよう」
「う、うん……」
 とは答えたが、セツは立てそうになかった。肩を貸して、店の軒下にあるシートのかけられた木箱の山へと向かう。しかし遅かった。影は壁からにょきっと姿を現して、遅れてその存在に気づいた人々があわてて逃げる隙間から、きょろきょろと辺りを見回して頭を振ったあと、2人の姿を見つける。
 その伸び上がった体から、矢の形をした影が飛んだ。2本同時に撃ち出された矢は、まるで追尾式ミサイルのようにあり得ない動きで逃げ惑う人を避け、正確に2人の背中を捉えている。
 このことにウァールとセツは全く気付いておらず、無防備な背中に突き刺さるかに思えたそのとき。
 人の間から飛び出した霜月の孤月が振り下ろされ、箆(の)の部分を一刀両断にした。
 影の矢は真っ二つに割られた瞬間、霧散する。
 しかしそれで安心してはいられなかった。
「霜月!」
 クコの鋭い警告の声に、霜月ははじかれたようにその場から跳ぶ。次の瞬間、別方向から飛んできた影の矢が次々に霜月の立っていた空間を通過し、道に突き刺さった。そして影の矢はゆらりと揺れて消える。
 霜月が着地するより早くクコが影に向かって炎のルーンカードから呼び出した炎の天使を放っていたが、炎は影の表面を流れて散っていった。
「効かない?」
 蒼白の燐火が灯ったこぶしをふるっても、砕けるのは壁で、影自体はするりと道へと流れ、そこでゆらゆら立ち上がる。すぐさま回し蹴りを放ったが、何の感触もなくすり抜けた。
 それどころか、触れた瞬間クコの方に精神的なダメージが入る。怖気、吐き気、そういったものが凍えるような寒気とともに触れたかかとから伝わってきて、クコは硬直してしまった。
「クコ!?」
 クコの動きが鈍くなった。そのことに気づいた霜月は急ぎそちらへ向かおうとしたが、2体の影が間に立ち上がっていた。そして影の矢を飛ばしてくる。
「どきなさい!」
 矢を躱すと、どこが急所か分からないまま、霜月は人であるなら首の位置へ向かって横薙ぎをかけた。だが何の手応えもなく孤月は影をすり抜ける。影は2つに分かれた次の瞬間には互いにくっついて、1つの影に戻ってまた影の矢を飛ばしてきた。
「霜月、その影に触れては駄目よ! 闇に浸食されるわ!」
「――く!」
 孤月で全て散らし、影を剣風で吹き飛ばす。次に影が集束したとき、その手には孤月そっくりの形をした影の剣が握られていた。
「!? こいつ……?」
 影は影の剣をふるい、霜月へ斬りかかってくる。振り下ろされた刃を押しとどめ、霜月はつぶやいた。
「……一体、あなたたちは何者なんです」
 しかし影に答える様子は全くなかった。口のある位置にはただただ闇があり、光はきらめきすらそこには存在していなかった。
 他方、ウァールとセツだが、彼らは霜月やクコが割って入ったのとほぼ同時にそこから消え去っていた。再び現れたのは数十メートル先の地点で、ポイントシフトを使用した真司に両脇に抱きかかえられた姿である。
「え? 何?」
 何がどうなったのか、ウァールもわけが分からず、目をぱちぱちさせて自分の腰に回された腕の持ち主、真司を見上げた。
「くそっ! またかよ! 放せ!」
「よせ。俺は敵じゃない」
 ウァールが今にも噛みつこうとしているのを見て、真司はぴしゃりと言う。が、ここに来るまでたびたび襲撃されてきたウァールには、いきなり現れて不思議な技を使う人間は、自分たちよりもむしろあの影にこそ近い存在に見えた。
「そんなことどうして分かるんだよ! いいから放せ!」
「いいからおとなしくしろ! ……ったく、こんなことしてる暇はないというのに」
 再び暴れ出したウァールを抑えるため、真司は両手を使わなくてはならなかった。
「あらあら。めずらしく真司ってば手を焼いてるわね〜」
 その光景にリーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)が影への攻撃の手を止めてくすりと笑う。しかしすぐ、やはり彼女の武器である両手のドラゴニッククロウを模した爪で攻撃を仕掛けられ、そちらの迎撃へと集中した。
「まったく、その格好といい、人真似が好きな子ね〜」
 何度かの打ち合いで、触れれば闇黒に浸食されることにすでに気づいていたリーラは、爪にかからないよう避けたりはじき飛ばしたりしながらドラゴニッククロウで影を掻き散らしていく。
 一方で、真司の手をはずれたセツはぺたりとその場に両手とひざをついた。よほど我慢をしていたに違いない。疲労が限界を超えてしまっているのか、息が戻らずふらふら揺れている。ぐらりと大きく傾いだとき、彼女の胸元から何かが飛び出した。
 吊っていた古い紐が緩んでほどけて地面に落ち、チンッと金属の音をたてて跳ねる。
「あっ!」
 きらりと光をはじいたそれは、あわててセツが伸ばした手をすり抜けて、2度3度と道を跳ねながら転がっていった。
 その音を聞いた瞬間、6体の影すべてが同一の反応をした。音のした方へ向き直り、戦いを放棄して音のした位置へ向かって移動を始めたのだ。
「行かせては駄目です!」
 霜月は直感的に影の目的があの金属にあると悟って叫んだ。しかし彼の刀もリーラの爪も影を部分的に散らすだけで、影はまたたく間に集束して元に戻ってしまう。
 そのとき。
「どっかーん!!」
 そんな言葉とともに影を横から蹴り飛ばす勢いで貫いて、セレンフィリティがこの場に到着した。