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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

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■第 4 章


 時を同じくして、レシェフのほぼ中央に位置する町役場の玄関前で、町役場をぐるっと囲むように植えられた花壇の段差に腰を下ろしたソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)は、ほおづえをついてぽつっとつぶやいた。
「退屈です」
 その小さなぼやきをしっかり聞きとって、となりで壁にもたれていたエレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)は思わずくすりと笑う。
 役場職員を相手の堅苦しい話は幼いソフィアには退屈だろうから、との配慮から一緒になかへ連れて入らず外に残したわけだが、こうして外で待つだけというのはやはり退屈そうだ。
「どこかその辺をお散歩して、時間をつぶしますか?」
 エレナの提案に、ソフィアは首を振った。
「ジナマーマがここで待っててって言ったのです。ここで待ちます」
 そう言うと思った、というように、エレナはふっと笑んだ口元で息を吐いた。おもろむに、エレナは後ろ手に持っていた袋から取り出したボールを差し出す。
「はいどうぞ。さっき3人でお土産屋さんに入ったときに見つけた物ですわ。ソフィアに差し上げますから、これで遊ぶといいでしょう」
「いいんですか?」
「ええ。あなたに差し上げようと思って買った物ですから」
 ぱああと表情を明るくして、ソフィアはお礼を言って受け取ると、さっそく少し離れた所でてんてんと玉つきをして遊び始めた。
 最初からこれを渡さなかったのはエレナなりの配慮である。もしここで待っていてと言われた直後にあれを渡していたなら、今ごろソフィアはボール遊びに飽きてしまっていただろう。
 楽しそうなソフィアの様子を見ることができて、エレナは満足そうに息をつく。そして、中断していた周囲の人々への観察へと戻っていった。
 役所は人が集まる場所。国交を結んだ今なら、浮遊島からの訪問者もここへ来る可能性があると見たからだ。はっきりとした外見的特徴があるかどうかまでは分からなかったが、おそらく服装や身に着けた装飾品からして、カナン人かそうでないかくらいは分かるに違いないと。
 たぶんそれがいけなかったのだろうと、あとでエレナは己のうかつさを何度も責めることになる。
 もっとちゃんと見ているべきだったのだ。気づいたときにはソフィアは転がるボールを追いかけて、役場の敷地内から外へ出ていく所だった。壁に阻まれて姿が見えなくなる。
「ソフィア?」
 そのまま、いつまでも戻ってこないことに胸がざわついた。おかしい。エレナはソフィアの名を呼びながら、ソフィアが消えた壁の向こうへ向かった。


「エレナ? ソフィア?」
 役場での用事を終え、玄関から出た富永 佐那(とみなが・さな)は、そこに2人の姿がないことを不審に思って眉を寄せた。
 何か理由ができてここを離れるにしても、エレナであれば携帯などで佐那に連絡を入れたはずだ。ソフィアだって、黙っていなくなって佐那を心配させるような子ではない。
「やはり置いていくべきではなかったのでしょうか」
 むしろ、ここへ来るべきではなかったのかもしれない、と佐那は先ほどの職員とのやりとりを思い出してため息をつく。
 佐那はまず観光を担当する窓口へ向かい、浮遊島へ渡航するに際しての危険や、気を付けるべき点についてまず質問をした。応対に出た職員は若い女性の佐那が不安がっていると思ったようで、にこにこ笑いながら、見知らぬ場所に対する旅行の心得を話した。全く危険のない場所というのはないけれど、十分気を配っていれば危険は避けられるものだ、暗い脇道へは入らず、見知らぬ地で夜中に歩き回ったりせずホテルにいなさい、とか、ツアーコンダクターからよく聞く類いの注意事項だ。佐那はさらに突っ込んで訊いてみた。
「壱ノ島現地固有のことで、何か危険はありますか?」
 それに対して返ってきた返答は、
「フレアスカートはあまりお勧めしませんわ。高度がありますから、風がとても強いんです。島の端の方では上昇気流がそれはそれはすごいそうですよ」
 というものだった。そしていかに壱ノ島が風光明媚な場所で、美しい島か、という話を始める。
 このあたりで佐那はあきらめた。ただの旅行客として得られるのはこの程度のアドバイスだろう。そもそも、観光窓口が危険な話ばかりをして、旅行客の気を変えさせるようなことをするはずがなかった。
 そこで窓口を離れ、今度はそこそこの年齢の男性職員を選び、話を聞いてみた。
「以前、ヒラニプラの上空に出現した浮遊島の話はご存じでしょうか? あのとき、浮遊島を取り巻く一連の事件でシャンバラには重大な危機が発生しました。その浮遊島との関連があるかは不明ですが、何分にも初めて行く地ですから、用心はしておきたいのです」
 しかしその男性職員は佐那の言っていることに首を傾げた。事件自体知らないようだ。カナンでもこんな南の僻地の小さな町の役場職員が、シャンバラでの事件に関心を持つはずもない。「この人は何を言っているんだろう?」という顔をして当然だ。
 佐那は失望のため息を押し殺し、最後に訊いた。
「この浮遊島との国交樹立は、シャムス氏の意向によるものなのでしょうか?」
 男性はこれについても顔をしかめて見せ、こう告げた。
「わたしどものような一役場職員が国の政やご領主さまのお心内を量ることなど到底できませんが、北カナンの神官長さま方と一緒に領主さまのご使者も何度かこの町へご来訪いただいておりますことから察するに、特に問題にはなってないのではないでしょうかね」
 そこで佐那は礼を言い、役場を出た。そしてエレナとソフィアの姿がないことに少し途方に暮れることになったわけだった。
「エレナ?」
 名を呼んだとき、壁の向こうで何か人が争っているような声が聞こえた気がした。
 まさかと走り込んだ先。佐那は気を失って男に抱きかかえられているソフィアと、やはり2人がかりで男に羽交い絞めにされ口をふさがれているエレナの姿を見つけた。
「ソフィア! エレ――」
 ガツン! と重い衝撃に頭が揺さぶられた。振り返り、かすむ視界で棒を握った男の姿を見た気がしたが、それも定かでなく。佐那は地面に倒れ込んだときにはもう、意識を失っていたのだった。




 日暮れが間近に迫ったころ。
 綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)の2人は、レシェフの入り組んだ路地の一角で、すっかり途方に暮れていた。
「一体ここ、どこなのよ〜〜〜っ」
 衣装の入った大きめの旅行カバンに腰を下ろし、抱きかかえたひざにあごを乗せ、さゆみは声にならない声でうなる。
 2人は今日、コスプレアイドルデュオ<シニフィアン・メイデン>PV撮影のためにこのレシェフの町を訪れていた。撮影の方は順調に進み、ひととおり映像に収めることができた。なかなかの出来だったと思う。町の人々は協力的だったし、風景も異国情緒にあふれていて、編集すればきっとすばらしいPVになるのは間違いなしだとこれまでの経験から分かっていたさゆみは、ものすごく満足していた。
 ただ、そのあとまでもつつがなくとはいかなかったようで。
「こんなのおかしいわ!」
 さゆみはもらった町の地図を見つめる。そこには撮影で知り合いになった町の人に教えてもらった、おいしい料理を出す店が名前とともに記されていて、丁寧に目印にする物も描かれている。
「ちょっと近道しようとしただけじゃない。この通りへ出るならこの道をまっすぐ行った方が近いでしょ。なのにどうしてこうなってるわけ!?」
 道1本それただけなのに、もう1時間は迷っている。一向に目的の店にはつかない上、描きこまれた目印らしいものも一切見えず、自分がこの地図のどこにいるのかも分からない。
「大丈夫ですわ、さゆみ」
 アデリーヌがその絶望的な気持ちをなぐさめようと試みる。
「道1本はさんで歩いてきただけです。いざとなれば、元来た道を戻ればいいだけですわ」
「駄目よ! どうせまた道を間違うに決まってる! 歩いても歩いてもたどり着けないの! そうなる運命なのよ!」
 さゆみの絶望は深い。なにしろこれまでの過去というものに裏打ちされて、変な自信を持ってしまっている。
「きっと一生この暗くて寂しい路地から抜け出せないまま、ここで短い花の人生を散らすのよ!」
「そんな、さゆみ」
 大げさな、と思うが、それを口に出したらますますさゆみはパニックをこじらせてしまうだろう。
 ふう、と息をついたそのとき、前方の十字路を男性が通り過ぎるのが見えた。
「ああ、人がいました。待っていてください、今道を聞いてきますから」
 地図を手にアデリーヌはそちらへ向かう。見失ってしまわないようにと駆け出した彼女は路地を回った直後、待ち伏せしていた男にナイフを突きつけられてしまった。
「動くな」
 切っ先はアデリーヌののどに触れ、かすかに肌を押している。
(しまった。すっかり油断していました)
「……アディ……」
 力なくさゆみの呼ぶ声が聞こえた。路地を回り切らずに足を止めてしまっているアデリーヌの様子を不思議がっているものではない。状況を理解し、危険を察知している声だ。
 今の状態ではそちらを振り返ることはできなかったが、こちらへ駆けつける気配もないということは、さゆみもまた、アデリーヌと同じか似たような状況に陥ってしまっているのだろう。
「何が目的です。お金なら財布ごと差し上げますから、わたくしたちを放っておいてください」
 できるだけ穏便にすませようと、アデリーヌは落ち着いた声で交渉を始めようとする。
 しかしそれですまないだろうということは、アデリーヌにも分かっていた。目の前の男は顔を隠していない。標的をただ放置していく強盗とは違う。目的の物を洗いざらい奪い、殺す類いのやからだ。
 さゆみも同じことを考えたのだろう。背後で、さゆみが抵抗する気配がした。いちかばちかの勝負に出たのだ。
「……こいつ……っ!!」
 いまいましげな男の声がして、がつんという壁にぶつかるような音、そして小さかったがさゆみの悲鳴がした。
 その瞬間、アデリーヌはのどに食い込んでいた刃先も忘れて振り返った。
「さゆみぃっ!!」
 直後、容赦なく振り下ろされたナイフを持つ岩のようなこぶしがアデリーヌの後頭部を打ち、アデリーヌをその場に昏倒させた。
「この女、とんでもねえことしやがる」
「さっさと箱に詰めろ。女だが、もう選り好みしてる暇ぁねえ。アニキが戻ってくるまでに、数だけでも揃えとかねぇとな」
「なんで町のモンさらわないんです?」
「旅行者の方が消えてもアシがつきにくいからだとよ。いいからさっさと箱持ってこい」
「へい」
 そんな会話を最後に、さゆみの意識は深い闇へと沈んでいった。