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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

リアクション

「何がどうなってるのか分かんないけど、加勢するわね!」
「セレン! そのモンスターは触れると浸食されるそうよ!」
 追いついたセレアナが警告を発する。しかしセレンフィリティの強気の笑みは崩れなかった。
 保守的なカナンに合わせて着ていた上品な上着をばっと脱ぎ捨て、彼女の戦闘服、メタリックブルーのトライアングルビキニへと姿を変える。そしてそれは裸拳を使用するのに最も適した姿でもあった。
「触れなければいいんでしょ!」
 両手にまとわせた朝露の顆気の闘気、そして繰り出す攻撃のあまりの速さゆえにこぶしの周囲に生まれる風で影を散らしていく。
 セレアナの光術による支援を受けながら戦っていたセレンフィリティは、ふと、視界の隅にウァールを見た。
「あーっ! いた! そこの少年!!」
「……え? おれ?」
 セレンフィリティに大声で指をさされて、ウァールはぴたりと動きを止める。
「あんたよ! ひとの焼きドーナツをだいなしにして! 謝りなさい!!」
「……え?」
 ウァールにとってセレンフィリティは逃げる際に押しのけた人の1人で、全く記憶には残っていない。しかし、セレンフィリティを挟んだ向こう側でセレアナが口をぱくぱくさせて「いいからここは謝っておきなさい。でないとあとあとうるさいから」と忠告してくれているのを見て、意味が分からないながらもとりあえず
「ごめんなさい」
 と謝ってみた。
「よし! じゃあ助けてあげるわ!」
 セレンフィリティは満足して鷹揚にうなずくと、ますます攻撃の速度を上げる。
 彼らの攻撃は影を散らして、それはセツの元へ向かおうとするのを阻むなど一定の効果を上げていたが、影を完全に消滅させることはできていなかった。
「どうしよう……」
 転がった先、柵の間から溝へ落ちてしまったのを見て、セツは声を震わせる。今にも泣き出してしまいそうなその声を聞いて、霜月たちがモンスターと戦っていることに気づいてからゴッドスピードをかけるなどして後方支援をしていた鬼龍 貴仁(きりゅう・たかひと)が、そちらへ近づいた。
「どうしたんです?」
「キーが……」
 セツはそこまで口にして、はっと何かに気づいた表情で口を手で覆った。いかにも「しまった!」という仕草だ。
 貴仁はそれと気づかないふりをして、柵越しになかを覗く。溝自体の深さはそれほどなく、お昼時ということもあって上から差し込む光でなかは明るかった。また水もなくて、たまった砂に半分突き刺さるような形でそれらしい金属が落ちているのが分かる。
「ああ、あれですね。ちょっと待ってください」
 フェンリルの爪を垂直にかまえ、貴仁は石でできた溝の蓋を止めたネジを壊した。重い蓋を持ち上げ、下から3センチ程度の棒のような金属を取り出すとセツの手に落とす。
「はい」
「ありがとうございます……! ありがとう……!」
 ぎゅっと両手で握り締め、体を前後に揺らしてお礼を言うセツの頭から、ぱさりと帽子がはずれた。
 セツはとっさにキーを握った手で額を隠したが時遅く、貴仁はうす紅色をした4枚花弁の刺青を見たあとだった。セツは額を隠したまま、硬直してしまっている。見られてしまったことをおびえているようだ。
 とてもきれいで、ファッションで入れているのかと思ったが、この様子だとどうも違うらしい。何やらいわくありげだが、到底それが何かも聞けない雰囲気に、貴仁は少し考えたのち、厚手のバンダナを取り出して差し出した。
「これ、使いますか? 帽子より、きちんと隠すことができますよ?」
 セツは少し呆然とした表情で、差し出されたバンダナと貴仁を見たが、すぐに首を振って、落ちていた帽子を拾って目深にかぶり直した。
「……こっちの方が、いいんです……。顔も隠せるから……」
 最後のつぶやきは小さすぎて、貴仁には聞こえなかった。
「セツ! 大丈夫か!?」
 真司との話を終えて、ようやく彼らが何者で、影とは無関係で善意から自分たちを助けてくれているのだと納得したウァールがセツの元へ駆けつける。
「うん。もう平気」
 彼の手を借りて立ちあがったセツがある程度回復しているのを見て、真司は視線で貴仁と同じ考えであることを確認する。そして影と戦っている者たちを振り返った。
「みんな、もう少し足止めを頼む! 俺たちがいなくなって、適当に時間が稼げたら撤退してくれていい! 合流場所はリーラたちが知っている!」
「了解!」
「分かりました!」
 影と戦いながら全員が返事を返すなか、真司はヴェルリアを見た。ヴェルリアはこくっとうなずくと、真司たちと自分たちの間にアブソリュート・ゼロによる氷壁を生み出す。そびえ立つ氷の表面が光を反射して、見えにくくさせている間に真司たちは貴仁のゴッドスピードでその場を離脱していった。
 ヴェルリアはさらにPBW3機を発動させるとレーザー攻撃で影の頭部を狙って散らしていき、さらなる攪乱を図る。
「皆さん、今のうちに各自撤退してください!」
 ある程度時間が稼げたと思ったころ、ヴェルリアが全員に指示を出した。最後の1人が間合いから出た瞬間、レーザーを最大出力で放ち、氷壁による乱反射も手伝って影を無数の光線で散らしている隙に自分も撤退を図る。しかしこの光線の乱舞を抜け、その先の空間で再び集束する影がいた。
 影は1つの手となり、彼らを逃がすまいと、ぐうんと伸びる。
「おかーさん!」
 それまでじっと距離をとって戦いを見守っていた深優が、もう我慢できないというように我は射す光の閃刃を飛ばして、クコの背後に迫っていた影の腕を切り落とした。
「深優!」
 クコの前、深優はくるんと回転して黒狐に変身すると、切り口から枝分かれするように伸びてきた小さな手を躱す。そして身軽にぴょんぴょん飛び跳ねてクコや霜月の元へ戻ると「こっちこっち」と言うように先に立って走り出し、真司たちのあとを追ったのだった。
 



 
「あ、あのっ。
 助けてくださって、ありがとうございました!」
「ありがとうございました」
 集合先の料亭で無事全員再会を果たした彼らに向かい、セツとウァールは開口一番お礼を言って頭を下げた。
 いざこうして面と向かって、あらためて礼を言われると、なんとも面はゆいものがある。
「いや、うん、まあ」
 と言葉を濁したあと、とにかく何か食べようということになり、全員でテーブルを囲って遅めの昼食となった。すでに昼食を終えていた者は、デザートとジュースを頼むことにする。
「おれはウァール・サマーセット。ジャタの森の端っこにあるイルギス村から来たんだ。ここの町から浮遊島行きの船が出るって聞いたから、浮遊島の出身らしいセツを送るついでに何か向こうでめずらしい商品を仕入れてくる予定」
「セツ。きみは浮遊島の生まれなのかい?」
 樹月 刀真(きづき・とうま)からの質問に、セツはパンにかぶりつこうとしていた手をとめて刀真の方を向くと、控えめに小さくうなずいた。
「……たぶん」
「たぶん?」
「セツは落下のショックで記憶がないんだよ」
 ウァールが補足する。
「そうなの?」
 重ねての問いに、セツは少し居心地が悪そうに体を揺すって刀真の視線から体を少しはずした。そしてウァールの影に隠れるように身を寄せる。室内でも帽子をかぶっているため、つばで顔の上半分が隠れて表情は読めない。
 人見知りなのか、それとも何か後ろめたいことでもあるのか。この短時間ではセツのひととなりも分からず、まだどちらとも判断がつかない。考えあぐねているうち、ウァールが気づいてセツを自分の後ろにかばいこむように腕を回し、刀真の視線をさえぎった。
(少し長く見つめすぎたか)
 少々警戒させてしまったようだ、と思う。だがこれで、どちらが狙われていたのかおのずと知れた。
「なんだよ?」
 まっすぐ見返した彼の視線に刀真がゆっくりと笑みを浮かべたのを見て、ウァールはとまどった顔で訊く。
「いや。なかなか勇ましいなと思ってね。
 あんなやつらに追われた直後でありながら気概を失わないのは結構だが、しかし実力が心もとないのが難点だな」
「なんだって?」
「追われて、逃げるしかなかったんだろう。だがそうやっていつまでも逃げ切れる相手ではなかった」
 刀真の指摘にウァールはすぐさま反論の口を開いたものの、閉じ、ぐっとあごを引く。そんなウァールの横顔を見て、セツがうなだれた。
「ウァール……ぼくのせいだね……」
「セツのせいじゃない!
 あんたもだ! 勝手なこと言うな!」
 怒るようにセツに向かって言ったあと、腹を立てているのを隠そうともせず刀真をにらむ。しかしその虚勢も易く突き破られた。
「そうやって怒ればあの影が来ても追い払えると思うのか? それともまた逃げるのか?」
「……どうしろって言うんだよ」
 刀真の言いたいことはウァールにも分かっていた。しかし彼は機械工見習いで、鉄板を溶接したり、旋盤を扱うことには慣れていても、戦闘はしたことがない。せいぜいが友人とふざけて木の棒を打ち合うくらいだ。
 ウァールは霜月やリーラたちと影の戦いを見ていた。それはウァールには目の覚めるような戦い方で、彼らの動きを目で追うことすら困難だった。それでも影を相手に苦戦していたのに。戦うなんて、不可能だ。
 ウァールが何をどう考えたか、刀真には手に取るように分かった。少しでも骨のある男ならそう思って当然だ。ウァールの頭が結論に達するまで待ち、おもむろに告げる。
「まだ出航まで時間がある。まず、きみが扱いやすいナイフを買おう。次に、島へ着くまでの間にナイフの扱い方と最低限の型を俺が教える」
「えっ……?」
「一緒に、行ってくれるの?」
「もちろん」
 どこか呆けたようなウァールとセツの顔を見て、くつりと笑う。
「俺たちはもともと浮遊島へ行くことが目的でここへ来たんだ。あの影がまたきみたちを襲うと分かっていながらここで分かれて、そのままというのは寝覚めが悪い」
 ウァールはテーブルを囲った者たちを順々に見た。だれも刀真の言葉に異議を唱えようとしない。
 彼らが一緒なら、それは心強い。だけど、それでも自分が応えるのは間違っている気がして、セツを見た。セツは驚き、とまどい……そして悲しみにすみれ色の瞳を曇らせるとうつむいた。
「……わたし……ぼくにも、それを教えてください……」
「そうね。追われているのはあなただものね」
 そう言ったのは、いつの間にかテーブルへ戻ってきていた漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)だった。
「月夜。何か分かったのか?」
「あの影の正体については何も」
 月夜は肩をすくめて刀真のとなりの席へ座る。
「そうか。正体がつかめれば、何か攻略のヒントになるかと思ったんだが」
「ねえ。あなた、本当にあれが何か知らないの?」
 質問に、セツは首を振って答えた。じっとセツを見つめていた月夜は、それが嘘偽りでないと見て「そう」とつぶやく。
 そして刀真に向き直り、調べてきたことを報告した。
「あの影や浮遊島の人々についての話は特になかったわ。ただ、今思うと、というのはあったみたい。伝承的なものね。たとえば、この町でささやかな祭りが開かれる。踊りの輪のなかで、知らない人間が混じっている。あるいは、見物客のなかに。きっとだれかの知り合いだと思う。でも、翌日捜してもだれも知らない。
 また、ある月のない夜、魚を買わないか? と男が訪ねてくる。めずらしい色のウロコをした大きな魚が何匹も入ったトロ箱を見せる。代金を受け取って男は帰って行くが、だれもその男について知らない。男は決まって月のない夜に現れる」
「地球でもそういった類いの伝承はあるな。ほとんどがおとぎ話だが」
「ほかにもあるけれど、どれも共通しているのは、だれもその人物を知らず、どこから来たかも、どこへ行くのかも知らないということ」
 月夜はメモ帳をぱらぱらめくりながら話す。
「今思えば、ああいったのは全部浮遊島からの人だったのかもしれない、って」
「つまり、昔から浮遊島の者はちょくちょくカナンを訪れていたということか?」
「ちょくちょくというほど頻繁ではなかったみたいだけど。そうね。彼らはカナンの通貨を手に入れて、何かを仕入れて、持ち帰っていたみたい。カナンの通貨を島へ持ち帰ったところで意味はないでしょうから、お金が目的ではなかったと思うわ。まあ、個人単位なんて規模が小さいから、単に来訪して、土産物を買うのにあてていたのかもしれないけど。ああ、それと――あの雲海には、巨大な龍が生息しているみたいだ、って」
「雲海の龍!」
 ウァールが目をきらきらさせて、身を乗り出した。
「やっぱりいるんだ! 見間違いじゃなかった!」
 反対に、対照的なまでに血の気を失い、一瞬で蒼白したのがセツである。
「……ウァールは、雲海の龍が、見たいの……
 のどから搾り出すような声。そのことにも気づかず、興奮したウァールは満面の笑顔で「うん!」と答える。
 セツは何度もつばを飲み込み、ますます小さく肩を縮こまらせて「そう……」とだけつぶやいた。