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リアクション
3.声が聞こえる
黒い壁は、まるで沸騰するように内側から無数の気泡を浮かびあげている。
その様はまるで、獣の断末魔の叫びを上げるかのようだ。
「……効いているのか!?」
武尊は目を見張る。スライムもどきをコントロール、あるいは騒動を阻害できればと考えていたが、予想外に効果があったようだ。
「よーし、じゃあ二曲目いっちゃいましょうか」
詩穂は手の中のオルゴールのゼンマイを巻く。つややかな唇から、効くものすべての心を穏やかに静めていくような歌がこぼれる。
「よっしゃ、まだまだいくんで夜露死苦ぅ!」
又吉は勢い込んで音波銃を黒い壁に向け、引き金を引き絞る。
黒い壁の内側から次々と浮かぶ泡は、よりその勢いを増している。
スライムの壁に対して、別のアプローチを試みる者たちがいる。
桜田門 凱(さくらだもん・がい)。ハンチング帽にグレーのコートという、掲示のコスプレじみた格好の若い男だ。
「なるほど……情報通りか」
凱は携帯電話から視線をあげる。彼の携帯電話はカメラモードになっている。
黒い壁を構成するスライムもどきは、カメラに写らないという情報を聞いていた。
凱が試しに携帯電話に内蔵されたカメラを黒い壁に向けてみると、予想通りに黒い壁はあたかもはじめから存在しないかのように見えない。
携帯電話の画面には、クレーター状にえぐれた地面とその中心に立つねじれた赤黒い音叉が写っている。
凱は携帯電話を動かす。すると、おもしろいものが見えた。
黒檀の美しき乙女像。まるで重力を無視するように空中に浮かんでいる。そう見えるのは携帯電話の液晶画面の中だけのことで、乙女像は黒い壁の中にとらわれているのだろう。
乙女像を見つけた凱の口端がつりあがる。
「うわはははははは!!!!」
凱は乙女像を指さしてあざ笑う。乙女像の名はヤード・スコットランド(やーど・すこっとらんど)。凱のパートナーである。その外観から想像されるとおり、機晶姫である。
ヤードはパートナーである凱に無断で第一次調査隊に参加していたのだ。操縦していた飛空挺ごとスライムもどきの中に落下したらしい。
「くくく……実に間抜けだな!」
凱は携帯電話の画面で見ると、宙に浮かんでいるように見えるヤードを指さして笑う。
「平行世界を観測することで、すぐ隣にある別の世界を引き寄せることができる! 俺はこの黒い壁の存在しない平行世界を召喚する!!」
凱は携帯電話をのぞき込んだまま前へと進む。
「わはははは、むぐわ!」
凱は黒い壁に飲み込まれた。携帯電話の液晶画面のなかで、ヤードが軽蔑に充ち満ちた視線を向けた気がした。
「おやおや、なんだか賑やかなですねぇ」
ラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)は冒涜的な笑みを浮かべて頷く。
あたりには詩穂の歌声、又吉の音波銃の発する音、シューベルトの奏でるアコースティックギターの音が響き渡っている。
ちょっとした野外コンサート状態だ。
「ごはんたべRRRRRRRRRRR」
り・り・しょごす(りり・しょごす)は不定形の黒い体をねじる。り・りの姿は、黒い壁を構成しているスライムもどきによく似ている。り・りの顔(?)である仮面を剥いでしまえば、スライムもどきとり・りを見分けることはパートナーのラムズですら見分けることはできないだろう。
「はいはい、ちょっと待ってくださいね」
ラムズは抱えていた角笛を口元にあてがう。大きく息を吸い込んで、思い切り角笛を吹き鳴らした。大気すべてを鳴動させるような音。吹き鳴らしているラムズですらめまいを感じるほどの音量だ。
ラムズの吹く滅びの角笛の効果なのか、それとも単純に大音量に当てられたのか、黒い壁はもがくように震える。その表面に浮かび上がった無数の泡がはじける。
泡がはじけた部分に、眼球が浮かび上がってくる。
「いただきまS」
り・りは大きく身震いすると、無数の眼球の浮かぶ黒い壁に向かって突進していった。
り・りと黒い壁は、まるで解け合うように一つになる。り・りの仮面も黒い壁の中に沈み込む。
しばらくすると、黒い壁の一部が白くなっていく。
「おや? 何でしょうね」
ラムズは角笛を吹くのをやめて、首をかしげる。
黒い壁の表面に浮かび上がった眼球の一つが内側からはじけ飛び、その内側に詰まっていた液体がラムズのコートに降り注ぐ。コートから白煙が立ち上る。
「ふむ……」
やがて、白く変色した部分は、まるでかさぶたのように黒い壁から剥落した。
白い固まりの中には、黒い何かがいる。
ラムズが白い固まりを蹴りつけると、たちまちの内に砕け、中に閉じ込められていたり・りが出てくる。
「同じ味で飽きちゃっtttt」
り・りは仮面を体の表面に浮かび上がらせると小さく身震いした。
「……まるで抗体反応のようですね」
ラムズは眉を寄せる。そんな彼の真横を通り過ぎる者があった。
「今だ、一気に押し込むぞ!」
パラ実の武尊だ。手にした灼骨のカーマインと禍心のカーマインを交互に使いながら、スライムもどきで構成された壁に穴を穿とうとする。
詩穂も武尊たちをサポートするために幸せの歌を歌う。
「ボクたちも援護するよ!」
レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)もスライムもどきに対して攻撃を仕掛ける。スプレーショットで広範囲にわたって射撃を仕掛ける。
「効いてるのかよく分からないアルね」
チムチム・リー(ちむちむ・りー)はパートナーのレキとは対照的に、一点に攻撃を集中させていく。
攻撃を続けていたレキは、スライムに絡みつかれている学生を見つける。
「チムチム、スライムに捕まっている人がいるよ!」
チムチムはレキの指さす方を見ると、もこもこした手でレキの目をふさいだ。
「子供の見るものじゃないアル」
チムチムはレキに耳元にささやく。
「救助が始まったらまだまだやるこるべきことが残ってるアル。ここは温存で行くアルよ」
子供の見るものじゃない、と言われてしまった長羽 陣助(ながばね・じんすけ)は、今まさにスライムもどきに蹂躙されつつあった。
「ちょと、やだぁ」
なぜか身にまとっていた忍装束は半ば脱げ、白い肌が外気にさらされている。
「そ、そこは……ああぁ」
妖しい熱を孕んだ吐息が陣助の唇から漏れる。艶やかな陣助の唇の上を、真っ黒なタールにも似たスライムもどきが這い回る。
「うわ……」
ルメンザ・パークレス(るめんざ・ぱーくれす)は、陣助の媚態を目の当たりにしてしまい思わず硬直してしまう。
「せっかくじゃから撮影しておくかのぅ」
一瞬のうちに立ち直ったルメンザは、携帯電話のムービーモードで陣助の様子を撮影する。
(あとでいろいろ役に立ちそうじゃのう……もっといい声で鳴くのじゃ、陣助!)
携帯の画面の中では、陣助が宙に浮かんで一人でもだえているように見える。何重もの意味で倒錯的な……もとい芸術的な映像になりそうだ。
「ぬわぁ!」
もっといいアングルで撮ろうと不用意にスライムもどきに接近したルメンザの足下に、忍び寄っていたスライムもどきが絡みつく。抵抗するまもなく、ルメンザの体は宙づりにされていた。
「や、やめんさい ああ」
スライムもどきは陣助の体を這い回ったことで学習したのか、ルメンザの服を瞬く間に剥ぎ取っていく。
「あぁ……そこ、弱いんじゃ……」
ルメンザは肌の上をスライムもどきが這い回る冒涜的な感触になすすべもない。抵抗する気力も萎え、このまま流されてしまおうかという気持ちになる。
いっそ、このまま何も考えずに、与えられるものだけを享受して生きていくのも悪くないかもしれない……。
恥辱のただ中にあって、ルメンザは奇妙なほど心が平穏に包まれていることを感じた。
「きぇぇぇ!」
さながら会長の叫びのような声とともにミスター フィリップ(みすたー・ふぃりっぷ)、スライムもどきに向かって拳を叩き込む。
フィリップの拳を受けたスライムもどきは、まるで内部にダイナマイトでも仕掛けられたかのように四散する。
「滅殺!」
まさに一撃必殺。フィリップの拳が一閃するたびにスライムもどきが吹き飛んでいく。
気がつくと、陣助はフィリップのたくましい腕の中にいた。
「すごい、流石だね こんな変な性質を持った生物を拳一つで倒すなんて……」
陣助は頬をほのかに赤らめたまま呟く。
「この世でミーの拳で砕けない物は『豆腐』だけザンス」
フィリップの前歯がきらりと光る。
「かっこつけてないでさっさと助けんかい、ゴルァ!!」
まだスライムもどきに体を蹂躙されていたルメンザは、自分の靴をフィリップに投げつけた。
山葉 涼司は少し離れた小高い丘から全体の状況をじっと見つめている。
「……」
ひどい頭痛がするかのようにこめかみのあたりを何度も揉んではため息を繰り返している。
「あのー、山葉君?」
五月葉 終夏は気遣わしげに涼司の様子を見る。
(ストレスで頭髪がアレしなければいいけれど……)
終夏の脳裏には、蒼空学園初代校長の秀でた額と、天御柱学院の髪型が浮かんでしまう。
もしかしたら、学園の代表という立場は強いストレスは、校長たちの頭髪に強いダメージを与えているのではないだろうか。
(山葉君……やっぱり花音のことが心配なんだね)
涼司の頭髪を見る終夏の瞳は、痛ましげに揺れていた。