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【蒼空学園・4】


 何時の間にか位置が入れ替わる様になっていた為、屋上の扉を開いたのは柚でなくシェリーだった。
「……わあっ!」
 と、シェリーから感嘆の声が上がりその先の光景が見えた事で、ミリツァの違和感は払拭される。屋上の扉の向こうには、ジゼルら今日の案内をしてくれた生徒達と、新たに高柳 陣(たかやなぎ・じん)ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)ティエン・シア(てぃえん・しあ)が待っていたのだ。
「ミリツァお姉ちゃん!」
 駆け寄ってきたのはティエンで、ミリツァは大きな瞳で彼女を受け止める。
「驚いたわティエン、あなた空京大学へ通う事になったのでは無かったの?」
「うんっ。でも僕まだ日が浅いから、紹介するんだったら今まで通ってた蒼空学園がいいなっておもったんだ!」
「まぁ、OBとしてってのはアリか、ってな」 
 陣が続くのにミリツァは得心して、横へ半身ずらしながら後ろのシェリー等をティエンとユピリア、陣へ紹介した。
「――それでねミリツァお姉ちゃん、僕考えてたんだ。
 ミリツァお姉ちゃんお友達いっぱいで色んなところ紹介して貰うんじゃないかなって思ったし、シェリーさんも今日は沢山の学校を回るって聞いてたから……」
 ティエンが言う間、ミリツァは笑顔で彼女の言葉に頷いている。
「だからそうだ! 校内じゃなくて、校外ならどうかな? って思ったんだ。
 蒼空学園って広いし、お空の上から見てもらうの!」
 こっちへ着て、とティエンはミリツァの腕を引きシェリーたちの顔を見上げ促す。
「フラル!」
 と、呼びかけるティエンの声に反応し振り返ったのは、3対6枚の翼を持った、子犬のような幼い――恐らく神獣の子だった。
 5メートルは超えるかという体長の迫力に、シェリーはぎゅっと胸の前で両手を握りしめた。正確には右手首のシルバーメタルのリングを縋るように左手で握りしめている。本気で怯えている時のシェリーの反応だったが、破名は特に何も言わなかった。
「大丈夫、フラルはとってもいい子だからね」
 主人であるティエンが前へ周り鼻先を撫でると、フラルは嬉しそうに咽を鳴らす。
 そのタイミングでミリツァが肩に手を置いてきたので、シェリーは安堵の息を吐き出した。
 ティエンが思いついたのは、このフラルに乗って、蒼空学園を上空から見せるという少し変わった案内だった。
 発案者であるティエンに薦められフラルの長毛を撫でるシェリーを遠くから見る破名は、無意識に息を吐き出した。それもかなり深くて長い吐息だった。
 そんな破名の反応に、陣とユピリアが彼を挟む様に立つ。
「俺とユピリアが飛空艇に乗って後ろから付いていく。気になるなら俺と一緒に乗れ。
 あれは……デカイから驚いたかもしれないが、女子供には優しいからな」
 大丈夫だと言うような陣の言葉に、ユピリアはくすりと苦笑を漏らした。彼女は破名が真に不安に思っている部分を解かっているのだ。
「いいんじゃないの。
 これから先、成長すれば嫌でも社会に巣立って行かなくちゃいけないんだもの。
 学ぶことは悪いことじゃないわ」
 破名はユピリアに何も答えずに、シェリーの方へもう一度顔を向けた。彼女は破名と大声で張り合うほどの成長した少女である。
 移動する度に最初から最後までついて歩くのが必要な幼子ではない。
 空へと誘われて困惑にこちらをチラチラと見ているシェリーに破名は「行っておいで」と送り出した。
「行かないのか?」という陣の問いかけに、破名は行かないと頷く。
「こういうのは俺がいない方がいい」
 シェリーは学校を知りに来た。破名は少女を学校に通わせていいのかを見極めに来た。他の学校でも何かを体験させてもらっているときは破名は邪魔にならないような位置に移動している。
 見るものが違うから破名は『彼等』を眺められる場所にいることを選び、「すまない」と陣に謝罪をしたのだった。



 翼をひらめかせる度に、フラルはぐんぐん上昇して行く。屋上の景色よりも数段高くなった見晴らしに、シェリーは興奮に大きく目を見開き、頬を赤らめた。
「ねぇ、ミリツァ。ミリツァ、見て! 建物が小さいわ。人ももっと小さいわ。雲が近いわね。でも空は遠いのね!
 飛んでるのね、私、空の上に居るのよ、夢みたい!!」
 と思いの丈を叫んだ後、眼下を見下ろし、女の子の背中に掴まるのは抵抗があるのか遠慮したナオらと、案内に集まってくれた皆の姿を見つける。皆が手を振っているのに、シェリーは懸命に手を振りした。
「あれが学校? 屋上にクロフォードがいるから学校なのね。大きいのね。人があんなに小さく見えるのに、大きいのね!!
 ねぇ、ミリツァ……ミリツァ?」
 シェリーが前のミリツァへ呼びかけるが、位置的に彼女の表情まで窺い知る事は出来ない。ミリツァは返事をしなかった。
 呼びかけていたシェリーも、気付いたティエンもミリツァの異変に彼女を覗き込もうとしたときだ。
「ミリツァ!」
「ふああッ!!」
 空を飛ぶフラルの真横――丁度ミリツァが座っている位置に、ジゼルの顔が現れたのだ。
「大丈夫ミリツァ、やっぱり高いところ怖かった?」
「バッ――! あなた何を言っているの!?」
「暴れると危ないよ」
 思わずジゼルに向かって身を乗り出そうとしたミリツァだったが、状況を指摘されて慌ててティエンの背中にしがみ付く。
「そんなミリツァの為に差し入れです」
 手に持っていたバスケットを持ち上げて、ジゼルはティエンに手渡した。中に小さなタンブラーが並んでいる。
「温かい飲み物、落ち着くよ」
 蓋を開ければ上空の冷たい空気に覚えのある香りが混じって鼻先を掠める。
「シナモンだわ!」
 イルミンスール魔法学校でのやり取りを思い出し少し目を丸くして、シェリーとミリツァは秘事のような笑い声を漏らした。
 高所恐怖症である事を隠していたミリツァだが、このやり取りで風景を見る余裕が出来たらしい。ジゼルが向こうの飛空艇に居るユピリアへ掌だけで手を振っている。
「春とはいえ上空は寒いもの。温かいお茶があると嬉しくない?」と、発案したのは彼女だった。
 
 シナモン入りのホットココアを上空で一口二口、言葉も無く景色を堪能していると、彼女達の前で燃える様に赤い夕日が落ちて行く。たった半日の出来事だというのに、シェリーとミリツァには出発した朝が夢の中のように遠く感じられた。
「綺麗ね……」
 空への飛び始めのはしゃぎっぷりが嘘のように、シェリーの声は静かだった。
 夕日の色に目を細め大人しく鑑賞しているシェリーにティエンがミリツァと振り返り、それに気づいた少女は恥ずかしそうにはにかんだ。
「あのね、笑わない? 急に帰りたくなったの。どこに行っても『夕焼けの色』は変わらないのね。って、今初めて知ったわ。
 だから帰りたくなったの。変よね。でも、笑わないで。恥ずかしいわ」
 言葉を聞き終えたジゼルは目を細めて、くるりと回る様に反転し、彼女の友人達が待つ屋上へ戻って行く。
 それを見守っていたティエンは、ゆっくり口を開いた。
「たくさんいろんな人がいて、いっぱいいろんな事があって、やりたい事がたくさん見つかる素敵な学校なの。
 僕もここでやりたい事見つけた。

 一番最初に入った学校がここで、本当に良かったと思うよ」
 シェリーに系譜があるように、蒼空学園は、在校生やOBにとっての帰る場所――一種の故郷なのだろう。



 屋上で皆と別れた一行を、最後に出迎えたのは南條 琴乃(なんじょう・ことの)南條 託(なんじょう・たく)の二人だった。
 駐車場まで帰り道をわざわざ見送りにきてくれたのだという。
 琴乃と言葉を交わすシェリーらの背中を見ながら、ジゼルが託に向かって首を傾げた。
「私、託が蒼学出身だったって知らなかったわ」
「そうだっけ?」
「私が初めて会った頃はもう空大生だったでしょ」
 友人と出会ったのはどの位前の事だったか。互いに腕を組んで思い出し、二人は確かあの時と指先を互いに向ける。
「そうだった。あの頃はもう空大に所属してたねー」
「思い出した? そうだったでしょう」
 二人の会話にシェリー達が琴乃と一緒に振り返ったのに、託は親しげな笑顔を向ける。
「うん、僕がいたのは一年くらいだけど雰囲気がいいところだよ、この学校はね」
「ええ、良く分かるわ」
 ミリツァが答えるのを聞きながら、シェリーは彼女に心の中で同意していた。陣らといい託といい、かつての生徒が案内に来る程、この学園は生徒達に愛されているのだ。
 あともう間もなくで車が見えてくる。案内の最後に、と、琴乃と託は足を止めた。 
「シェリーさん、ミリツァさん、ナオさん、今日はどうだった?」
 すぐにシェリーはパッと顔を輝かせる。
「素敵だったわ!
 ……って、私素敵ばかりしか言ってない気がするの。もっとたくさんあるのに、見るもの全部初めてで口から出てくる言葉はそればっかり。
 頭の中も、説明を聞くだけで精一杯で、あの学校が良い、この学校も捨てがたいってばっかりなの」
 素直なシェリーに琴乃は託を見上げて一緒に微笑んだ。
「じゃあ……聞き残した事は? ある?」
 逆に質問されてもシェリーらは首をひねってしまう。矢張り彼女達は考える時間が必要なのだろう。それならばと琴乃は託の腕を取る。
「私達から付け足せる事ってあるかな?」
「後は……そうだねー」
 託は校舎へ振り返り、目を細めて一年程の在学中の出来事を思い出していた。
「――色々な人がいるってところかな?
 他の学校は結構全体の方向性が定まってて、それを伸ばしていく感じだけど、ここはひとつのことに特化している人もいれば、色々なことがまんべんなくできる人もいるし……僕や琴乃みたいに普通の人もいるしね」
 静かに綺麗に纏めた筈なのに、アレクからの視線が飛んでくるのに、託は眉を上げる。
「あ、僕はもうここの生徒じゃなかったねー。
 え、突っ込みたいところはそこじゃない?」
 アレクは託の何時もの調子に息を吐いて、シェリーへ向き直った。
「俺から今日について言える事は一つだ。
 『それなり』とか『普通』とか自分で言う奴ほど、普通でもそれなりでもない」
「そうなの? アレクさんがいうのならそうなのね? わかったわ。私心にとどめておくわ」
 心得ました。とシェリーは胸を両手で押さえて真剣な顔のままで軽く目を閉じた。
 琴乃とジゼルがくすくすと笑っている。
 託は肩を竦めてシェリー、ミリツァ、ナオへ向き直った。
「何はともあれ、色々な人がいるところだから、その分多くの可能性を秘めている学校じゃないかなー」
 琴乃が同意を示すようにゆっくりと瞬きをした。
「何にでもなれるよ、蒼空学園ならね」
 断言する言葉を最後に、学校見学の一日は終了するのだった。