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ホレグスリ狂奏曲

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ホレグスリ狂奏曲

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 第4章 ホレグスリのクサリ


 ぽったん……。
 お茶のカップにピンク色の液体がひとしずく。

「さすがイルミンスールの図書館ですね。ずっと探していた本があって良かったです」
 鞄の中に本をしまい、御堂 緋音(みどう・あかね)は顔を上げて言った。目が合うと、桐生 ひな(きりゅう・ひな)は何かを誤魔化すかのように目を逸らす。
「私も楽しかったですー。ところで緋音ちゃん、お茶は飲まないですか? おいしいですよー」
 ひなは、自カップのお茶を飲みながら緋音を促す。ホレグスリの存在を知ってから置き忘れられていたものを拝借したのだが、効果があるのかどきどきである。
「そうですね、では」
 緋音はカップに手を伸ばす。彼女が口をつけるのを確認した瞬間、ひなは、さっとテーブルの下に隠れた。もともとらぶらぶな2人に、ホレグスリは必要ない。他人と話すのが苦手な緋音が誰かに惚れた時にどうなるのか。それを、ひなはすごく楽しみにしていた。
 ちっ、ちっ、ちっ、ちっ、ちっ……
 時計の秒針がこのくらい動いたところで、ひなは頭を上げた。緋音の視線の先には――
 三原 趨(みはら・すう)が立っていた。自ら積極的に動くのは苦手なはずなのに、緋音は沸きあがってきた想いを止められずに席を立った。
 クリスマスなだけにイルミンスールでは祭りなんだなー、と思いながら、趨は空いた席に落ち着いた。『マホ学いけばおもしろいぜ!』と友人に言われて来てみたのだが、それは正解だった。色めきたつ生徒はみんな幸せそうで、自分も幸せになってくる。さっきは、何かショーみたいなものもやっていた。
 注文したライスの上にスープをかけ、ネコまんまにする。で、早速食べようとしたのだが。
「あの……貴方のことが好き……です」
「へ?」
(おお、やるですねー緋音ちゃん!)
 その様子を見ていたひなは、内心ガッツポーズする。
「何故か分からないのですが、貴方を見ると胸のときめきが……。何だかドキドキして、顔が熱くなって。すごく……胸が切なくなるんです。多分……ひとめぼれだと思います……」
 緋音は、趨にキスをしようと接近した。しかし、そこで身体が止まる。
(え? 何で?)
 何故か分からないが、キスをしようとすると心の奥で何かが拒否する。好きなのに、どうして……?
 緋音の葛藤を知らない趨は、キスを迫られているようにしか思えなかった。緋音から顔を逸らし、急いでネコまんまを掻き込んで逃げようとする。自然と、食堂入口に目が行った。そこにいたのは、辟易した顔で入ってくる鈴倉 虚雲(すずくら・きょん)だった。
 ひなは緋音の様子に満足して、折角だから自分も飲もうかと小瓶を手にターゲットを探す。
(誰にしますかねー。どうせなら、えろい人が良いですー)
 そこで目に止まったのは、レオタード姿で男子生徒を誘惑していた明智 珠輝(あけち・たまき)である。ひなは目をキラーンとさせて、突進した。
「あ、け、ち、さんっ!」
「おや、お久しぶりです。ふふ、あなたも着てみますか……?」
 自身のレオタードをつまんでみる珠輝に、ひなは笑って小瓶を見せた。
「それもいいですけどー、これ、飲んでみませんかー?」

 立ち上がって虚雲に歩み寄る趨を、緋音は追いかける。
「どこ……行くんですか……? 私から離れないで……」
 自分に用がありそうな少女2人を不思議そうに見遣る虚雲に、趨ははっきりと言った。
「ねえ、ボクといいことしない?」
「なっ……」
 絶句する虚雲。これがホレグスリの効果なのか? にしても唐突すぎる。いろんな段階を全部ふっとばしてそんな元気に言われても。
「いやちょっと待て落ち着こう冷静になれ。それは本当の気持ちなのかまず自分の胸に訊いてだな……」
 趨は抱きついて早速服を脱がしにかかる。
「好きになっちゃった! なんか我慢できないよ!」
「は!? 何やってるんだっ……ぁ!」
 上の服どころか下の服も脱がそうとする趨に、虚雲は喘ぎ声を出した。やばい、こいつテクニシャンだ。気持ちいいじゃないか……。しかし、下だけは死守しなければ。
「げ、解毒剤は……ぅんっ、まだなのか……ぁあん!」
 最後の理性を振り絞ってなんとか逃れると、虚雲は食堂の扉を閉めた。ずりおちかけたズボンをたくしあげて、一目散に走る。とりあえず、重要部分が出てしまうことがなくて良かった。
「あの筋肉野郎を何とかしよう。うん、それが一番現実的だ!」
 ――筋肉野郎はもう何とかされている。
「……どうしてですか……私がこんなに好きなのに……ひな……ひな? ひなは幼馴染で……」
 そういえばひなはどうしたのだろう。緋音が辺りを見回すと、ひなは珠輝といかがわしい感じになっていた。2人とも着衣が乱れてはいるが裸とかにはなっていない。ただし、テーブルの上の水が零れて妖艶さはある意味裸よりもすごい。
「えへへ、蕩けちゃいそうなのですー」
「ふふ……さすがです、チラリズムというのをわかっておられるようで……!」
「脱げばいいってもんじゃないですー。脱いだらアウトですー」
「ダ、ダメですよ、なんかもうダメーーーーー!」
 緋音は慌てて止めに入った。理性の力に負けて、ホレグスリの効果が逃げていく。瞬間、緋音は趨に迫ったことを思い出して落ち込んだ。
「はっ、落ち込んでる場合じゃないです……だからダメーーーー!」

 熱い抱擁がそこかしこで行われている中、モニカ・アインハルト(もにか・あいんはると)はコック帽のお姉さんに聞き込みを行っていた。普段使わないような食材を使った人間や、調理師以外で食材に近寄った人間が居ないかを厨房の方で訊いたところ、下働きの男達に「エリザベート様が来た」と言われたのだ。今は、エリザベートがどうやってお姉さんをその気にさせたのか、それを確かめにきたところだ。
 お姉さんは、当然の如くホレグスリ病に罹っていた。
「新しく開発した調味料だと言って持ってきたの。試しに少し混ぜてみたら、すごくおいしかったから……」
 ――エリザベートに惚れたからこそ、そう感じたのだろう。
「怪しい薬だとか、悪戯だとか疑わなかったの?」
「エリザベートちゃんは悪いことなんかしないわ。子供の頃から知っているけどとても良い子だもの」
 ――今も充分子供だ。
「でも、これだけ食堂が混乱したら、さすがにおかしいと思ったでしょう?」
「いえ、ホレグスリだということは聞いていたから……。クリスマスに、生徒達に恋をプレゼントしたいって。女の子らしくて可愛いじゃない?」
 ――さっき言ってた事と違いますよお姉さん。
 ホレグスリに犯されてしまうと判断力というネジが外れてしまうのだろうか。
「……わかったわ。午前中に男子に配っただけではなく、スープに混ぜたのも校長なのね」
 モニカは手帳を閉じた。鍋の前にずっと居たせいか、身体が熱い。頭もどこかぼーっとした。早く出雲 竜牙(いずも・りょうが)に報告しよう……と思った時。
 後ろから肩を掴まれた。振り向くと、椎堂 紗月(しどう・さつき)が自分の顔をまじまじと見てにっこりと笑った。
「思ったとおりだ。すげー好み。ねえ、彼氏とかいる? 俺はフリーなんだけど」
 見た目は女性だが声は男だ。紗月の頭から狐耳がぴょこんと生えている。ふさふさとした尻尾も生えている。これはホレグスリを飲んでいる、と判断したモニカは適当にあしらおうとした。症状は軽そうだし、何とかなるだろう。しかし、先程から感じるこの熱さが気になる。湯気にあたったから……?
「悪いけど、今は色恋とかには興味ないの。特に、今はね」
 立ち去ろうとするモニカの正面にまわりこみ、紗月は吐息の掛かる位置まで距離を詰めた。腰に両手を回され、耳元で囁かれる。
「じゃあ、後でもいいぜ。俺の部屋番、教えとくから夜にでも……」
「…………食事くらいなら……」
(あら? 私……どうしたのかな、もしかして私もホレグスリの効果に……? まあいいわ、たまには)
 そこで、モニカの携帯電話が鳴った。竜牙だ。
『どうだ? 何か判ったか?』
「あ、うん……これから戻るわ」
 慌てて、モニカは電話を畳んで踵を返した。
「ごめんなさい、忙しいから……またあとでね」
 
「どこを見ても不自然にカップルばっかりだな。傍から見れば私達もそうなのかもしれないが」
 知り合いのためにウィザードの魔法について調べにきていた天 黒龍(てぃえん・へいろん)紫煙 葛葉(しえん・くずは)は、食事を終えて廊下を歩いていた。黒龍はカレーを、葛葉は日替わりランチにスープを付け、残さず食べた。
 ホレグスリの存在に気付いていない黒龍は、生徒達の様子に疑問を持ちながら歩いていた。1組ずつに、つい視線がいってしまう。その時、男子生徒が小瓶の中身を飲み物に落とした。あれは、何だ? まさかとは思うが……あれを葛葉が飲めば……いや、何を考えているのだ私は。なるべく早く帰らないと。
「来い、葛葉……離れるな」
 遅れがちについてくる葛葉に、彼は振り向いて言った。途端、物陰に引きずり込まれる。昼間だというのに、此処は随分と暗い。押さえつけられる。
「葛葉、だめだ、ここは……ん!」
 恐怖に囚われそうになった時、葛葉が唇を寄せてきた。頬を、肌を、身体のひとつひとつを、葛葉の手が愛撫する。その度に、黒龍の心は昂ぶった。この場所が暗くても明るくてもどうでもいい。彼と一緒に居られれば、それだけで。
(これは……何だ? まさかこんな事を期待していたというのか、私は……っ)
 骨ばった手が、服の下にあるペンダントに触れる。葛葉に貰った、柘榴石のペンダントだ。そう、これがある限り、私達は絶対に離れない……
 無意識に葛葉の手に触れる。そして、自ら求めて唇を重ねた。もう止められない。
「必要、……だろう、…………お前、には……、……俺、が」
「ああ、必要だ。お前がいないと、俺は生きていけない……」
 愛撫を返す。
(良か……った……)
 葛葉は黒龍の愛を享受しながら、安堵感と幸せに満たされていた。黒龍を正視できなくなった時はどうしようかと思ったが、感情に素直になって良かった。振り向いた彼の目を見た瞬間、抑制がきかなくなって――
 ただのパートナーだったはずなのに。
 それ以上の感情なんて、無かった筈なのに。
「へい……ろん……」
 快感と共に、葛葉の意識は跳んだ。
 帰りはちょっと気まずかったけど、2人の絆は、確かに強まった気がした。

 少し時間は巻き戻る。
 アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)は、自分の居場所が分からなくて、ふらふらとイルミンスールを彷徨っていた。
「……はぁ、はぁ……迷っちゃったよ〜」
 アリア・ブロンシュ達と合流した後もつい殺気看破を使ってしまい、いかがわしい男達を粛清していたらはぐれるわSPは尽きるわで、もうへとへとだった。
 そこで声を掛けてきたのが、鈴木 周(すずき・しゅう)だった。周は、使用済みの男子生徒から残りをもらって飲ませる相手を探していた。念のため、健康ドリンクの瓶に入れ替えている。ホレグスリの存在が明るみになっている以上、校内の女の子も警戒しているだろう。
 無事、薬を飲ませられるとしたら、事情を知らない他校生か脱出しようとしている娘だ。こちらも何も知らないふりして、瓶を渡してみよう。
 アリアを見つけたのは、そんな時だった。逃げようとしているのは表情からも分かる。彼女の裏人格を知っている周は少し躊躇ったが、これで『神』を自分のものにできるかもしれない。
 ――よし、行ってみっか!
「よう、どうした?」
「あ……! 良かった! 知ってる人だわ……! さっきも会えたんだけど、はぐれちゃって……校門に行きたいんだけど……」
「んじゃ、俺も一緒に行くよ。ちょうど帰るところだったんだ」
「本当!?」
 喜ぶアリアだが、その目が、ふと疑いのものに変わる。
「おかしい……あなたがこの、ある意味パラダイスな状況を無視して帰るなんて……なんか、企んでないわよね?」
「いや、別に人がいちゃついてるの見てたって面白くねーし。これ何が起きてるんだ?」
 すっとぼけると、アリアは安心したのかほっ、と胸に手を当てた。
「え? ううん、なんでもないわよ。じゃあ、行こっか」
 ややあって、周は今思いついたかのように、健康ドリンクの瓶を取り出した。蓋をひねってから、渡す。
「……もう大丈夫だぜ。あ、これ飲むか?」
 アリアはもう疑う素振りも見せず、素直に瓶を受け取って一気飲みした。彼女の顔が、みるみるうちに熱を帯びたものになっていく。周が緊張して見ていると、アリアは言った。
「好きです……」
 ホレグスリを飲んでも、裏人格は出てこなかったようだ。だが、後から出てきたとしても、もう恐くはない。
 ふと、アリアが携帯でメールを打ち始めた。はぐれた相手に送るつもりらしい。周は、意気揚々とアリアを校門へ連れていった。