シャンバラ教導団

リアクション

　昨日まで冷たかった風が、温かくなった。日増しに強まる春の気配に、浮かれる生徒も多いだろう。
　しかし蒼空学園の一角では、春の陽気に誘われて出かけるでもなく、麗らかな小鳥の囀りを聞いて昼寝をするでもなく……恋愛講座に参加する者の姿があった。
　砕け散った一夏の恋、それ以前の問題だった相手の不在……諸々の理由があれど、次こそは素敵な恋愛をしたい！
　そんな野望に燃える蒼空学園の生徒たちは、紳士的な振る舞いや紳士にエスコートされるのが恥ずかしくない淑女の作法を身につけるため、イエニチェリに礼儀作法を指導してもらう――はずだった。
　しかし、それはほんの建前。恋愛に役立つ講座をしてほしいという願いに、真城　直（ましろ・すなお）は少し戸惑いつつもお持て成しをする心と人付き合いを円滑にする会話の実践講座を行うことに。
　初回よりこれは恋愛講座なのかとツッコミたい内容だったのだが、「君たちの期待している方向性の指導が出来るとは限らないよ？」と開始前から直に言われていた以上、深くツッコミは出来ない。
　そんな講座も今日で２回目。恋愛だけでなく、人付き合い全般に使えることだと言った彼の言葉に疑うことなく、また一部の参加者はその思惑に気付いて２回目の恋愛講座を受講することにしたようだ。
　何より楽しそうなのはヴィスタ・ユド・ベルニオス（う゛ぃすた・ゆどべるにおす）。前回は校庭で調理したりオーブンを爆破させたりと、様々な発想やトラブルを起こしてくれた生徒たちが、次はどんな面白いことをしでかしてくれるのかと期待しているのか、その足取りは軽い。
「今回は、事故なく終われるといいね……前回は胃腸薬を持って来てくれた生徒がいたから良かったものの……」
　クッキーやカップケーキは、分量さえ間違わなければ上手く行く。そう思ったのは甘かったようで、まず材料を間違えたりトッピングにイカの塩辛を入れたりと散々な結果になっていた。会話は会話でスカートの中が、胸が、結婚詐欺だとおかしな盛り上がりをしていて、思い出すだけでも頭が痛くなる。
「それくらいでないと、こっちも張り合いがねぇだろ。普通に受講出来る奴等なら、そもそも必要ねぇって」
　なんとも失礼な物言いだが、それも一理あるのかもしれない。
　彼らの発想力が豊かで、個性が強すぎた結果なのだとすれば、悪いことではないだろう。
（良い方向に使えれば、だけどね……）
　今日の講座は平穏に過ごせますように。……そんな直の願いは、儚く散ろうとしていた。



　蒼空学園に着いて２人を迎えてくれたのは、前回も手伝ってくれた本郷　翔（ほんごう・かける）や変熊　仮面（へんくま・かめん）。椎名　真（しいな・まこと）は双葉　京子（ふたば・きょうこ）に加えて原田　左之助（はらだ・さのすけ）も連れてきてくれたようで、人手が増えることは心強い。
「前回に引き続き、協力してくれてありがとう。今回も参加者が戸惑っていれば手助けを――」
　そうして手順の流れの説明を開始した直だが、なんとなく前回と違う。
「直様ご安心ください！　アシスタントとして、お役に立ってみせましょう！」
　バサリと薔薇のマントを翻すのは、変熊。そう言えば前回はそのマントをヴィスタによって縫い付けられていたはずだが……ふと心配になって視線を下ろすと、今回は褌を着用しているようだ。
（……無いよりマシ、だよね）
　ふう、と溜め息を吐く直にアピールが足りないと思ったのか、変熊はさらに数歩踏み出て自分の素晴らしさを伝えようとする。
「此度は衣装や内装について談議するとのこと、たまには褌を着用してみようと思った所存で――」
「わかったから落ち着け。担当はこっちで割り振るから」
　ヴィスタに注意され、前回のトラウマでもあるのか変熊のアピールタイムは終了し、大人しく１歩下がった。
　そうして落ち着きを取り戻して再び打ち合わせが始まる。今回は４つの話し合いの場に分かれるため、事前アンケートもとってあるので少々人数に偏りが出ても対応出来るはずだ。
「それじゃあ、変熊くんには内装を。衣装は真くんたちに行ってもらおう。テーマは……少ないようだしヴィスタに任せる」
　残るは贈り物。人数が多く前回の問題児が参加希望を出してるとなると、１人では面倒を見きれないだろう。かと言って、変熊に１部門任せて良いものかと直は暫し参加者リストに目をやった。
「……やっぱり、内装には変熊くんと翔くんの２人でやってもらおう。贈り物は、僕が行く」
　問題が起こりそうな部門を、誰かに任せるわけにはいかない。直は割り振りを決めると、参加者を待たせている部屋へと急いだ。
　部屋ではすでに４グループに分かれているようで、熱心な生徒たちはすでに話し合う姿も見られた。それぞれに担当する場所へと赴き何らかの手助けをと駆けつける中、変熊だけが呼び止められた。
「変熊殿、我の意見は聞き入れて貰えなかったようだな……」
　震える拳を握りしめ、静かに変熊を見据えるのは藍澤　黎（あいざわ・れい）。前回の講座でも一波乱起こした彼に、なんとしても薔薇学の名誉を守るためにと衣服を身につけることを提案した。
　しかし、彼の出で立ちはいつも通り派手な薔薇のマントと仮面。そして、唯一違うのは褌を纏っていること。
「貴様の助言、しかと聞き届けこの格好で参加してみたぞ。あの不良教師め、文句の１つも言えないようだったな」
　仁王立ちで威張ってみるも、普段の格好からすればまだマシだと判断されたことは黎でなくとも予想はつく。黎は深い溜め息を吐くと、用意していた薔薇学制服を取り出した。
「いいか、変熊殿。薔薇学は有能な者が集う学舎だ。貴殿の行動は、著しく世間の評価を落としている」
「世間が何だ、大事なのは心……おもてなしに関しても言えることだ。衣服や内装など、関係ないっ！」
「……ほう？」
　ビシッ！　と格好付けて黎を指さした指先は、次第に空を彷徨って何を指しているのかわからなくなる。腕にサーコートを掛け、いつでも人目に付かさず連れ去れることを示しながら片手には馬術部で使う鞭を持ち、怖いくらいの笑顔を見せた黎に太刀打ち出来ないと思ったのだろう。
「そ、そう、心が大事……だ。だからこそ俺様は、貴様の好意を受け取って、制服に着替えることも……その、やぶさかでは……」
　黎の威圧感に負け、変熊は大人しく制服を手に１度着替えるために部屋を出て行く。まだ油断はならないが、ひとまずの問題解決に黎は騒がせてしまったことを詫びるよう翔へ頭を下げると、変熊が着替えて戻ってくるまでの間見回りに行くことにした。
「それでは、お持て成しの成果発表会を行う部屋の内装を決めたいと思います。皆さんは普段、どのような部屋にお客様をお招きしたいですか？」
　翔の声が聞こえないほどに盛り上がる女の子たちがいるようだが、落ち着いた様子のミヒャエル・ゲルデラー博士（みひゃえる・げるでらー）は、先に出ていた案の無機質な物が良いと挙手をする。
「やはり、相手が必要とするものを迅速に用意できるかどうか、というのが重要なはず。それならば、収納と整理整頓にはこだわりたい物ですな」
　その提案に意見するのは、パートナーであるロドリーゴ・ボルジア（ろどりーご・ぼるじあ）。パートナー間でも趣味が違うことは、両者の衣服を見れば見当も付く。そうなれば希望する内装も違って当然だろう。
「客間は客を居心地よく迎える場であるとともに、主の趣味を示すアイデンティティの場でもあることを忘れてはなりません。無機質など、何の拘りも見えないではないですか」
「無機質と言っても、少々殺風景ながらも一定の統一感は得られる筈。価格を考慮すれば、自動的に無用な装飾は排除されるのでホームセンターで十分ではないですか」
　あれはあれで質朴な侘び寂び感が……と続けるミヒャエルを押さえ、ロドリーゴが提案するのは荘重かつ華麗な内装。家具や絨毯は良質の材料をふんだんに用いることは勿論のこと、ルネサンス期の絵画で天井と壁を埋め、天井は省スペースで広さを感じさせるヴォールトが望ましいと答えた。
「よって、収納や支度部屋は可能な範囲で全て別間にするべきです。何が無駄で、何が心に安らぎを与えるか甲斐性なしにはわかりますまい」
　ちらり、と視線だけミヒャエルに向けると大げさなくらいに肩を竦めて見せた。
　しかし、心落ち着く空間と聞けばラルク・クローディス（らるく・くろーでぃす）も黙ってはいられない。
「畳とか囲炉裏とかよ、古きよき昔の文化って奴か？　そういうのも心が落ち着く空間にはいいと思うぜ」
　蒼学は日本の学校なら、そういう和の心で情緒を出してはどうだと語るラルクの後ろでは、アイン・ディスガイス（あいん・でぃすがいす）が大きく頷いている。日本出身でもないのに和へ関心があるのは、アインの影響力もあるようだ。
　そうして男４人が肩を並べて内装談議をしている中、アマーリエ・ホーエンハイム（あまーりえ・ほーえんはいむ）が咳払いを１つ。
「私は、バウハウス思想に基づき統一感を持たせつつ、機能的でありながらくつろげるモダニズム空間が最良と考えます」
「ばう、わう……？」
　アマーリエの言葉を反復しようにも、ラルクには聞き慣れない言葉だったのか何のことだかさっぱりわからない。彼女はこんなこともあろうかと、家具カタログや建築書の写真コピーを貼り合わせた物を配布しながらプレゼンを行った。
「機能的かつ合理的に、人間工学の調和で美しさは生まれます。無駄を完全に排除すると却ってくつろぎにくいので、少々の遊びやミスマッチはあっても良いし、あって然るべきなのです」
　しかし、同じく機能重視のミヒャエルには何が違うのかよく分からなかったらしく、ざっくりと書類を眺めて興味なさげに手近の机へ置いた。
「ですから、ホームセンターで十分ではないですか……私、これで意外と尽くすタイプなので内装がシンプルな分は……」
　得意げに語るミヒャエルを、パートナーの２人は冷めた視線で彼を見る。
（……縦のものを横にもしないくせに、よくもまあ「尽くすタイプ」とはぬけぬけと）
　こうして、居心地の良い空間のなんたるかを談議する隣では、女の子たちによる可愛い物談議が始まっていた。
「可愛いと言えば、ぬいぐるみはぜーったいに外せないと思うの！」
　そう力説する白波　理沙（しらなみ・りさ）が抱きしめるのは、皇帝ペンギンの赤ちゃんなゆる族であるピノ・クリス（ぴの・くりす）。自分が話題に出ていることなど気付いてないのか、きょとんと小首を傾げる様子に一同は黄色い歓声を上げている。
　メイベル・ポーター（めいべる・ぽーたー）も、寮暮らしで思いっきり模様替えが出来ないので今回参加してみたが、こんなに大きなぬいぐるみを飾れたらと嬉しそうにピノの手を取る。
「可愛いですぅ〜♪　お部屋はカントリー調にして、所々にぬいぐるみを飾るのも良いかもしれませんね」
「本当に所々？　みんなの反応を見てると、なんだか部屋中ぬいぐるみで埋め尽くしそうだけれど……」
　そう苦笑するのはセシリア・ライト（せしりあ・らいと）。決して可愛い物が嫌いなわけでは無いけれど、前回も参加してフィリッパ・アヴェーヌ（ふぃりっぱ・あべーぬ）共々予想がついてる身としては、なんとか衣装などと調和を目指したいところ。もし予想が外れてないとすれば、ぬいぐるみハウスでは少し合わないのかもしれない。
　けれど、六本木　優希（ろっぽんぎ・ゆうき）は少し不安そうにピノを見た。
「あの、ピノさんは可愛らしいのですが、ゆる族……ですよね？　飾ったりなんかしたら、可哀想じゃないですか？」
　何が可哀想なんだろうかと反対側へ小首を傾げ、白波　舞（しらなみ・まい）はピノの頭を撫でる。
「大丈夫よ、ピノはこーんなに可愛いんだもの。きっとお菓子もいっぱい貰えて退屈しないわ」
「理沙さんも舞さんもその案には大きな間違いがありますわー！」
　このままでは、ピノが本当に展示物になってしまう。その危機感を察知して、チェルシー・ニール（ちぇるしー・にーる）が大声を出した。
「ピノさんは縫いぐるみじゃないですわよっ！！　内装にするには無理が……て、ピノさんも喜んでないでくださいっ！」
　助けたつもりなのに、ピノ自身はと言えば自分を取り囲む女の子たちに可愛い可愛いと言われ、お菓子も食べ放題になるかもと喜んでいる。
（あの……わたくし、確かボケ役でしたわよね？）
　ぐったりと理沙と舞を見るチェルシーは、ピノがぬいぐるみでは無いと気付いているのはもしかして優希だけなのではと助けを求める視線を送る。
「同じ場所でじっとしてもらうのは可哀想ですし、ピノさんに似たぬいぐるみを飾りませんか？　ピノさんは逆にお持て成ししてもらうほうが……」
「そうね！　こんなに可愛い子とお茶が出来たら楽しそう♪　危ないから、配膳は私がやるわ！」
　優希の提案にその手があったかと喜ぶ理沙に、なんだかわからないけれど役に立てるらしいことを喜ぶピノ。女の子たちはもう、家具に食器にと意見を出し合い本決まりのような雰囲気だ。
　しかし、まだ決定したわけではない。隣のグループでは機能的で落ち着く空間をと話し合っているし、相容れない意見に翔もどう２組を向き合わせるか戸惑っているようだ。
　事前調査では和風と可愛い内装に票が集まった分、どちらの意見も尊重していかないといけないだろう。
「悩んでいる様だな……ならば俺様が考えた内装をお見せしよう！」
　颯爽と現れたのは、珍しく制服を着た変熊。余程黎が怖かったのか、今回は制服を裏表で着ることなく真面目に着こなしているようだ。
　しかし、ドアを開け放った彼の後ろに広がる薄汚い六畳間……コタツにベッド、冷蔵庫と自分自身の部屋を再現したらしい。お持て成しをするどころか、私生活を送ることも問題がありそうな部屋を目の当たりにして、一同は言葉もない。
「どうだ、俺様の部屋は素晴らしいだろう？　おもてなしは心、内装など関係ないことを証明して見せよう」
　言うが早いか、持て成し役としてのターゲットを探し始める。けれども、どう考えても悪い予感しかしない内装組は、選ばれないようにと必死に視線を逸らした。
「明智ちょっと来い！」
　そんな変熊に見つかったのは明智　珠輝（あけち・たまき）。テーマの話し合いをするつもりだったが、あまりにも人数が少ないために他の部門の話し合いを参考にしようと見て回っているときに運悪く見つかってしまったようだ。
「これから俺様が悪い手本を見せる。明智は客人役をやってくれ」
「ふふ、悪い手本ですか……どれほど悪いのか楽しみですねぇ」
　いそいそと部屋の入り口と思しき雑誌が山積みにされた場所に立つと、変熊もベッドで横になりながら漫画を読み始める。その光景はどう見ても休日にくつろぐ変熊の元へ珠輝がタイミング悪く来てしまったようにしか見えない。
「それでは、お邪魔致します……と。お持て成しの手本ということですから、飲み物などはリクエストしても良いのでしょうか？」
　少しばかりコタツ周りを片付けて座るスペースを確保すると、１人ポテチを食い始める変熊がこともあろうに足でホイホイっと冷蔵庫を指し示した。
「あ？　飲み物？　適当に冷蔵庫開けろ！　コーラは駄目だかんな、俺のだから！」
　目も当てられない光景に、翔は頭を抱えた。悪い手本だと開始前に言いはしたが、ここまで酷い持て成しをあえてしようだなんて人はまずいないだろう。
「お２人とも、お手本はもう十分です。良い手本が無いのであれば、話し合いに戻った方が良いと思うのですが」
　いつのまにか２人して黙々とマンガ読み出してしまい、もう手本なのか何なのかわからない。けれども、変熊はベッドの上で仁王立ちで胸を張っている。
「悪い手本のつもりが、互いにくつろいだ空間を作り上げるとは……さすが俺様だ。次は良い手本だ！」
　まさかあるとは思ってなかったのに、まだ続くのか。さらなるターゲットを探している変熊の目に、自分と同じ銀髪のショートヘアが映った。
「ティア君、さぁさぁこちらへ！　ティーアーくーんっ！！」
　大きな声でティア・ルスカ（てぃあ・るすか）を呼んでみるも、彼はびくりと肩を振るわせてそそくさと他のパートナーたちの影に隠れるように逃げてしまった。いくら制服を着ていても、彼の奇行に巻き込まれたくないと思ったのだろう。変熊の大きな声は、銀髪の別人を召還してしまったようだ。
「へーんーくーまぁあ！」
　鬼のような形相で向かってくるのは、変熊に制服を着せた黎。他の参加者に迷惑を掛けぬよう室内で走ることなく、けれども諸悪の根源を討ち滅ぼさねばと競歩で間を縫ってやってきた。
「何だその薄汚い部屋は！　貴殿も真城殿の手伝いをしているなら、まともな手本を……」
「今からそれをするつもりだったのだが……仕方無い。藍澤、こちらへ」
　眉間に皺を寄せつつも、丁寧に煎餅座布団を用意するので手本を見せる気があるのかと渋々コタツへ近寄ってみる。が、コタツ布団はなんだかかび臭いし座布団は１ｍもあって座り心地は良いのだろうが変な染みがついてるし、持て成す気があるのだろうか。
（これは……我も片付けは任せっきりだが、我以上に酷すぎる）
「ささ、ジュースでも！」
　呆然と立ち尽くす黎の前に、先程珠輝がラッパ飲みしていたと思しき開封されたペットボトルに曇ったコップを差し出し、軽く目眩を起こした黎は座布団へ膝をついた。
「あれ、ご気分が優れませんか？　肩でもお揉みしましょう！」
「結構だ。我の背後に立つな、嫌な予感がする」
　こうして薔薇学生ともあろう優秀な生徒たちが薄汚い６畳間でくだらないやりとりを繰り返している中、翔は内装組に紅茶を振る舞っていた。
「まだ時間はありますから、ゆっくり考えましょうね。気分転換も大事ですよ」
　変熊の手本など無かった。そんな穏やかなティータイムを過ごす面々は、翔の計らいによりリラックスして話し合うことが出来るようになった。
　どうやら和風か可愛いかで話がまとまりそうだが、はたしてそれは衣装やテーマとも合うのだろうか。