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月夜に咲くは赤い花!?

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月夜に咲くは赤い花!?
月夜に咲くは赤い花!? 月夜に咲くは赤い花!?

リアクション


『追撃・2』

 長く伸びる二階の廊下に、夜風のような歌声が響く。
 ミラは、歌詞の中にあるラクダのように、ゆっくりぽてぽてと歩みを進めていた。
 ミラの背中を追いかけるように、じわじわと廊下が闇に沈んでいく。
 夜が、月楼館をゆっくりと満たし始めていた。
「――……なにか、御用でしょうか?」
 ふと、ミラが歌を止めて振り返った。
 廊下に垂れこめた闇の中、ミラが足を止めたにもかかわらず、ゆっくりとした足音が響き続けている。
 ミラの血色の瞳が、暗闇に凝らされる。やがて、ミラより頭一つ分も高い長身の影が、じわりと浮き上がるように現れた。
 真珠のような長髪が、闇の中を舞う。
 感情に乏しいサファイア色の瞳が、ミラを見下ろした。
「提案があるのですが」
 ガートルード・ハーレック(がーとるーど・はーれっく)の落ちついた深い声が、夜に呑まれた廊下の空気を震わせた。
「提案、でございますか」
 ミラの問いに、
「はい」
 ハーレックは、律儀に頷いて返した。
「貴女が左の小指にしているその指輪ですが、封印してみる気はありませんか?」
 ハーレックの言葉に、ミラは一瞬キョトンとして、左手の小指にはまった指輪に視線を落して、またハーレックに視線を戻し、微笑んだ。
「駄目でございます」
 ハーレックは特に驚いた様子もなく、続けた。
「なぜですか?」
「これは、わたくしとわたくしの夫が再び逢うために、とても重要なものでございますから。残念ですが、封印はできません」
「なるほど」
 あっさりと、ハーレックは頷いた。
「ところであなたこそ、どうして、この指輪を封印したいのでございましょう?」
「危険だからです。その指輪の効果は、ちょうど阿片やアルコールのように、心の弱い人間が用いればその心をさらに弱らせると、私は考えます」
「そうでございますか」
 ミラもあっさり頷いた。
「けれど、それならわたくしは心配ございません。なぜなら、わたくしの心は強靭でございますから」
「そうですか?」
「ええ。夫を思う気持ちの強さは誰にも負けません」
「なるほど」
 またひとつ頷いて、ハーレックは言葉を止めた。感情の読めない瞳で、黙ったままじっとミラを見下ろす。
 ミラも血色の瞳を細めて、じっと、ハーレックを見上げていた。
「あっ……。思いつきました」
「なんでございましょう?」
「しばらく、ご一緒してもいいですか?」
 一瞬、ミラの目がきょとんと見開かれた。けれど、またすぐに柔らかな笑顔に戻って、
「ええ、もちろんでございます。御一緒いたしましょう」
 と言った。
 闇に沈んだ長い廊下を、ミラがぽてぽてと歩く。その一歩後ろから、ハーレックがカツカツと高い足音を響かせて続いた。
 ミラがいつもの歌を、吐息の混ざる声で歌い出すと、
「それは、なんという歌ですか?」
 ハーレックがちょこんと首をかしげた。
 ミラはくすくすと笑って、その童謡のタイトルを言った後、
「とある王子様とお姫様がお互いのラクダをひもでつないで、広い砂漠をどこまでもどこまでも、二人きりで歩いてゆく歌でございます」
「素敵な歌ですね。私は好きです」
「どこかさびしい歌でございます。けれど、さびしいところもわたくしは好きなのです」
 やがて、夜の廊下に、夜風のような歌声と、落ちついた深い歌声が、折り重なって響きだした。

 ※

「ミラさん、ちょっと待ってください!」
 廊下を行くミラの前に飛び出して、宇佐木 みらび(うさぎ・みらび)が両手を広げた。
 みらびの一歩後ろにはセイ・グランドル(せい・ぐらんどる)が立ち、油断ない視線をミラたちに向けていた。
「はい。何でございましょう?」
 ミラが素直に頷き、足を止める。
 ハーレックはそのまま歩き続けて、ミラに躓いたところでやっと止まった。
「あ、すいません。見えませんでした」
 ハーレックが、頭一つ分以上も低いミラの後ろに、隠れるように引っ込んだ。
「ミラさん。うさぎ、聞きました。ミラさんは前のオーナーさんの奥さんなんですよね?」
 ハーレックの細眉が、ぴくりと跳ねた。
 ミラは柔らかな笑顔を崩すこともなく、頷く。
「はい。おっしゃる通りでございます。わたくしの夫は、この館が月見亭だったころのオーナーです」
「あの」
 ハーレックが、ミラの言葉を遮って手を挙げた。
「その情報は、一体どこから?」
 みらびは、ハーレックの青い瞳を見上げる。
「【百合園女学院推理研究会】の連絡網です!」
 みらびは、懐から取り出したケータイをハーレックに見せた。
「この館で判明したすべての情報は【百合園女学院推理研究会】によって収集されて、連絡網を通じて会員全員に知れ渡ります。情報の出所に関しては、うさぎは感知してないですが……その分、超優秀なパウエル代表が情報の選別をしているから正確です!」
「なるほど。納得しました。続けてください」
 ハーレックは手を下げて、そそくさとミラの後ろに戻った。
「あっ、はい。御丁寧にどうもです。あっ、えっとそれでミラさん。ミラさんは、ずばりその指輪の力を使って、亡くなったご主人の残留思念を追っているんじゃないですか?」
「……はい?」
 ミラが、柔らかな笑顔のまま、ゆっくりと首をかしげた。
「ミラさんは、ご主人が亡くなったことを受け入れるため、けじめをつけるために、その指輪の力を使って、ご主人との思い出の場所に行こうとしているんでしょう? 他の皆さんには分からなくっても、うさぎには分かるんです。うさぎの敬愛するミス・マープルが、事件は犯人の動機から考えるのが解決への近道だと言っていましたから!」
 みらびは、ミラの柔らかな笑顔に向かって真摯に語りかける。
「ミラさん! うさぎ、その気持ちちょっとは分かるつもりです。だからミラさん、私にも、ミラさんの目的を手伝わせていただけませんか?」
「……あのう」
 ミラが微かにうつむいた。ゆっくりと、一歩前に出て、
「あまり面白い冗談ではございませんよ?」
「――ぴゃっ!?」
 瞬きの間に、ミラはみらびの鼻先まで詰め寄っていた。
「宇佐木!?」
 セイが吠えた。
 みらびはぐぐぐと背中を反らせてミラから距離をとりつつ、片手を上げてセイを止めた。
「へっ……平気だよ! ちょっとびっくりしただけ!」
「びっくりさせてしまいましたか。それは申し訳ないことをしました」
 口角を吊り上げて、けれど真っ赤な瞳は笑わせず、ミラは平坦に言った。
「ですけれどびっくりしたのはわたくしも同じなんですよ。だってあまりに突拍子もないことを言うのですもの。そうでしょう?」
「とっ……突拍子もないって、なにがですか?」
 ミラは、みらびの顔を覗き込むように詰め寄った。まっ白い長髪がざらりと流れてみらびの顔を覆い、口の端が裂けたようにつり上がった。
「ぴゃっ!? あっ、えっと……ですから、亡くなったご主人の意思をですね、ミラさんが追いかけるのに、うさぎたちも協力できたら……」
「わたくしの夫は亡くなってなどおりません」
「えっ。ええっ!? そうなんですか!?」
 みらびが目を丸くすると、ミラの瞳がやっと笑った。
「そうですよ。ほんとうに、何を言われるのかとびっくりしました」
「え。じゃあ。一年前の事故は一体……」
「事故などありませんでした」
 ミラはきっぱりと言った。
「事故などなかったのです。夫は旅に出たのです。わたくしを置いて。わたくしは一年も追いかけたのですが、夫は見つかりませんでした。でもこの指輪を見つけて納得しました。夫はこの館に隠れていたのです。だって指輪の光が伸びているんですもの」
 みらびが口を挟むひまもなく、平坦なミラの言葉が続く。
「まったく呆れかえってしまうでしょう。一年もこの館に隠れているなんて。わたくしを驚かせるにもほどがございます。ですからわたくしは早く指輪の光を伝って、あの人を見つけてあげなくてはなりません。だって今夜は冷えますから、早く見つけて暖かいお茶でもいれてあげませんとあの人が凍えてしまいます」
「あっ、えっと、でもっ、爆発事故は確かにあったって【百合園女学院推理研究会】の連絡網で……」
「そんなものはありませんでした。オーナーの妻が言うのだから間違いはありません。この指輪の光の先にあの人は隠れているのです。早く見つけてあげないと凍えてしまいます。まったく困った人ですよね一年も隠れていて。ふふふふふ、ふふふふ」
 鋭くぎらつく牙をむき出して、ミラは笑った。みらびがごくりと唾を飲み込んで、そっと、後ずさった。
「あの……ええっと、変なこと言って済みませんでした」
 耳まで裂けんばかりにつり上がっていたミラの口角が、ふっと元に戻った。
 口元を隠し、ミラはくすくすと上品に笑う。
「いいえ、わかっていただければそれでよいのでございます。でも、もう二度とおっしゃらないで下さいませね?」
「ぴゃっ、ぴゃいっ!」
 すすす、とみらびは後ずさって、セイの背中に隠れた。
 ウサギのようにぷるぷる震えるみらびの頭を、セイがぽんぽんと叩く。
「……お前の推理自体は、間違ってなかったと思うぞ、俺は」
「果たしてそうだろうか?」
 かつんっ、と闇の中から足音も高く、本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)が歩み出た。
「私は、前オーナーが亡くなったと決めつけるのは早いと思うぜ」
「でっ……でもぉ。事故は実際あったんですよ?」
 おずおずと言うみらびに、涼介は「うむ」と頷いた。
「無論、爆発事故はあった。それに関しては疑う余地はないだろ。けど、現状を見てみてくれ。前オーナーさんの契約者であったはずのミラさんは、前オーナーが亡くなったと言うのに、こうしてダメージを受けた様子もなく健在だ」
 ねえ、と涼介に水を向けられて、ミラはくすくすと笑った。
「もちろんでございます。わたくしにダメージなどあるはずがありません。なぜならわたくしの夫は死んでなどいないのですから。ふふ。ですがわたくしのダメージなどで推し量らずとも分かり切っています。夫は生きています。ふふ。わたくしにはわかりますから」
 平坦に、笑いを交えて、まるで蛇口から水を垂れ流すようにミラは言った。
 涼介の涼しげな顔が、ぴくりとこわばる。
「えー、ええっと、ミラさん。そのう、別に要らないと思うんですけど、その、前のオーナーさんが生きていると言う裏付けのようなものは……」
「必要ありません。だって生きているんですもの。生きている人間が生きていることを証明する必要がどこにあるんですか? ふふふ、おかしな人ですねえ」
「……あーっ、と。妙な質問してすみません……」
 涼介は曖昧に笑いながら、すすすと後ずさった。
「涼介さん、涼介さん」
 後ずさってきた涼介に、みらびがささやく。
「契約者を失った際のダメージにはですね、身体的なダメージのほかに精神的なダメージというものがあって、それによる後遺症で正常な判断力を……」
「わかってる! いいや、今わかった。……けどな、今この人の前でその豆知識を披露するのは、ちょっとした綱渡りだぜ?」
「……ですよね。口にチャックしておきます」
 涼介とみらびは頷きあって、急ごしらえの柔和な笑顔をミラに向けた。
『変なこと言ってごめんなさい。えっと、ちょっとそこまでご一緒していいですか?』
 一言一句まで見事にハモッた二人の言葉に、ミラは血色の瞳を細めて、無邪気に笑った。
「ええ。ええ。ふふふ。もちろんですとも。大人数ですねえ。楽しいですねえ。こんなに楽しいのは一年ぶりでございますよ。ふふふふふ」

 ※

 暗闇の満ちる廊下で、壁に背を預けて腕を組み、鬼崎 朔(きざき・さく)は長い溜息をついた。
「朔ッチ……」
 傍らのブラッドクロス・カリン(ぶらっどくろす・かりん)が、不安げに朔の顔を見上げる。
「ミラは……不毛すぎるよ。それに手を貸すのも、不毛だよ……」
 腕を組む手に力をこめて、朔は視線を落とした。
「そりゃ、益代に比べたら、きっと悪気はないと思うよ? でもさ、ミラは益代よりずっと……その……」
「カリン。いいよ、そのくらいで」
 朔はカリンをまっすぐ見据えて、カリンの白い頬に掌で触れた。
「……あんなふうになってしまうなんて。いったい、どれほどの別れを経験したんだろうな。……いいや、一歩間違えば、自分もああなっていたのかもしれないな」
 カリンが、きつく組まれた朔の腕を強引にほどいて、きゅっと手を握った。
「朔ッチはそうならないよ。……ボクがいるからね」
 まっすぐ見上げてくる真摯な瞳に、朔は、ぎこちない微笑みを返した。
「……ありがとう。カリン」
「――……スカサハも」
 スカサハ・オイフェウス(すかさは・おいふぇうす)が、おずおずと呟いた。
「なんだか、ミラ様の気持ちが分かる気がするのであります……。なんでだろう。わからないけど、放ってはおけない気がするのです……。カリン姉さまは、イヤかもですが」
「いや……ボクも、積極的にミラのこと放っておこうって言うんじゃないんだけどさ……」
 スカサハにすがるような視線を向けられ、カリンはぽりぽりとこめかみをかいた。
 朔はそんな二人から視線を外し、一歩引いたところに佇んでいるアンドラス・アルス・ゴエティア(あんどらす・あるすごえてぃあ)を見た。
 アンドラスの軽くうつむいた顔は闇に浸り、表情はほとんど窺えない。
「アンドラス、君はどう思う?」
「――くく」
 暗闇で、立ちあがった影のようなアンドラスが肩を震わせた。
「いいじゃないか。素晴らしい一途な愛だ。わたくしとしては、是非ミラに協力したいね」
 含み笑いをはらんだ言葉が、廊下に響く。
 朔はじっと黙ったまま、目を細めて、アンドラスを見据えた。
「くくく。そんな目で見るなよ」
 アンドラスは朔に一歩あゆみ寄り、耳元に口を寄せた。
「約束しよう。わたくしはミラの望み通りに事が進むよう協力するし、ミラに対して嘘もつかない。……それならば、朔も安心であろう?」
 朔はふと目を閉じて、小さく頷いた。
「……疑うようなことをして済まない。けれど、その約束は信じておいていい?」
「無論だ。わたくしを疑うことも間違いではない。嘘はわたくしの名前も同義だからな。……だが、今日ばかりは一途な愛に胸を打たれた。朔の思う通りにしよう」
 朔はゆっくりと頷いて、アンドラスに背を向けた。まっすぐカリンに向きなおる。
「……カリン」
「わーかってるよ朔ッチ。でも、別に多数決で負けたから、ミラを助けるのに協力するわけじゃないからね。ミラの境遇に共感したわけでもないよ。……ただ」
 照れたように、カリンは朔に笑いかけた。
「ボクは朔ッチの守り刀だから、さ」
「……カリン」
 柔らかく微笑んで、朔は頷いた。
「――……嘘はつかないさ。くく」
 呟いたアンドラスに、朔が振り返る。
「今、何か言った?」
「ん? ああ、ミラのことだがな」
 暗闇から、すうと生白い指が浮かび上がって、廊下の先のミラを指さした。
「協力する気なら、早くした方がよいと思うぞ?」

 ※

「そうすんなり、夜の散歩とは行かせてもらえねえか」
 セイ・グランドルが、ミラやみらびたちを守るように一歩前に出た。
「私たちは全員、ミラをすんなり散歩させないために呼び集められたはずだけど?」
 ミラたちの前に立ちはだかった御茶ノ水千代が、紫煙をゆっくりと吐きだした。
 千代の後ろには、エヴァルトとミュリエル、優と零たちが油断なく立ち、さらにその後ろには、30人を超える燕尾服やメイド服のスタッフたちが、廊下を塞ぐように横に広がって立ちはだかっていた。
「ミラ御一行様も、ずいぶんと大人数になったじゃない。……ハーレックさん、君とは今回、敵同士ってことになりそうね?」
 煙草をくわえながら笑った千代に、ハーレックはあっさりと、
「そうみたいですね。成り行き上」
 短く答えた。
「故あって、俺たちはオーナーさんの側につかせてもらった。……ミラさん、できれば抵抗しないでくれよ」
「ミラさん、あなたを守るためなの。……その指輪、渡して」
 千代の隣に歩み出て、優と零がまっすぐミラを見据える。
「まあ、俺も右に同じってこった」
 エヴァルトは、ミュリエルを自分の後ろに隠しながら気だるげに言った。
「っても、本当は手荒い真似はしたくないんだが……ミラさんよ、指輪、大人しくこっちに渡してくれる気はないかい?」
 エヴァルトに問われて、ミラは柔らかく微笑んだ。
「お断りします」
 ふう、とエヴァルトが小さく溜息を吐く。
「わかったよ。まあ、はじめっからそう簡単に済めば誰も困ってねえか」
 エヴァルトは、一昔前のロボットアニメに出てきそうな、とげとげしい鉄甲を両手にはめた。がちんっ、と拳を打ち鳴らす。
「オーナーの言ってた事が本当なら、ミラさん、あんたに目的を果たされるとひたすら目覚めの悪いことになりそうなんでな……。いつもなら女性に武器は向けないんだが、今回ばかりは例外だ。ちっと手荒に行かせてもらう」
 千代、優と零、そしてエヴァルトとミュリエルが、ミラに向かって構えを作った。
「まっ……待ってくださいっ!」
 みらびがミラの後ろから、叫ぶように言う。
「オーナーさんに、何か話を聞いたんですか!? もしそうなら、今話してくださいっ! 理由が分かれば、ミラさんだって指輪を渡してくれるかも知れませんっ!」
「残念だけどね、お嬢ちゃん」
 千代が、吐き出す煙とともに言う。
「私らがオーナーから教えてもらった事情ってのはね、ミラの耳にだけは決して入れちゃならないんだ。だからこの場じゃあ、どうしたって話し合えない。……それに」
 千代の鋭い視線が、ちらとミラの方へ向けられた。
「一緒に行動していたあんたらの方がよく知っていると思うけど……ミラに、都合の悪い言葉は通じないだろう?」
 ぴくっ、とみらびの肩が跳ねた。
 涼介が、みらびの隣で肩をすくめる。
「どうも、連中がミラのことで何か知っているのは間違いないらしい」
「そんなわけだから、もし私たちがオーナーから聞いた事情ってやつが気になるなら……」
 口から落としたタバコを足で踏み消し、千代が吠えた。
「あたしらがミラを捕まえるまで、しばらく大人しくしてな!」
 千代が駆けだした。それに続くように、後ろに控えていた優やエヴァルト、スタッフたちも突撃する。
「もらったっ!」
 ミラに向かって、千代の手が伸びる。
 ミラは微動だにせず、千代のことを微笑みながら見上げている。
 千代の手が、ミラの首元を掴む寸前で止まった。
 ハーレックが、横から千代の手首を掴んだからだ。
「ミラさんに手を出すつもりなら、私にはそれを止める意思があります」
「ふん。面白いじゃないの!」
 ハーレックの涼やかな瞳と、千代の鋭い眼差しがぶつかり合っている間に、ミラはきびすを返してぽてぽてと歩きだした。
 お決まりの童謡を口ずさみながら、のんびりと廊下を引き返していく。
「ミラが逃げるぞ! 数の上ではこっちが有利だ、防衛線をすり抜けろ!」
 優が、セイのグレートソードをブロードソードで受け止めつつ、吠えた。
「わっ、わわわっ」
 みらびが、飛び交う刃を転げまわってよける。
 そんなみらびの横をすり抜けて、幾人ものスタッフがミラの背中を追いかけた。
「わっ、ぴゃあっ!? ううう、戦闘は嫌いだよう。うさぎはミス・マープル以上の安楽椅子探偵なのにぃ……」
 ハーレックやセイたちの攻撃をかいくぐったスタッフたち、十人ほどが、ミラの背中に飛びかかった。ミラは足を早めることも振り返ることもなく、ただ童謡を歌い続けている。
「つかまえたっ」
 ――瞬間、二条の赤い光が、十人のスタッフを弾き飛ばした。
「あら、綺麗な赤い光でございますね」
 ミラがふと足を止めて、自分を守るふた振りの光条兵器を振り返った。
「――故あって、助太刀させていただく。自分は鬼崎朔」
「そんでボクは、朔ッチの護り刀のカリン! 朔ッチに故あって、ボクも助太刀するよ!」
 朔とカリンより一歩下がって、スカサハとアンドラスが立っていた。
「スカサハも助太刀するであります!」
 スカサハは巨大な工事用ドリルを腰だめで構え、
「火ダルマでも氷漬けでも好きな方を選ぶがよい。くくく」
 アンドラスは丸腰のまま、腕を組んで冷ややかに笑っていた。
 防衛線を新たにすり抜けたスタッフが五人ほど、朔たちの前に立つ。
 さらに、先ほど弾き飛ばされたスタッフたちも次々に立ち上がった。
「十五人ほどか。少しばかり骨が折れそうだ」
 朔がつぶやき、赤い光条兵器を構え直す。
 スタッフたちが、デッキブラシやデリンジャーを構えて一斉に駆け出した。
「――火傷が嫌なら伏せておれ」
 朔が、カリンの頭をぐっと押しながらしゃがみこむ。
 朔たちの頭上で、青い炎が突如炸裂した。
「うわあっ!?」
 駆けてきていたスタッフのほとんどが、炎をまともに食らって転げまわった。
「騒ぐでない。大した火力でもあるまいに」
 玉藻 前(たまもの・まえ)の妖艶な笑顔が、炎に照らされて浮かび上がる。
 ふさふさした金色の尻尾が九本、それぞれに青い炎を灯して、闇夜に妖しく尾を引いた。
「新手か!?」
 炎をかいくぐり、立ちあがったスタッフのみぞおちに、黒い剣の柄が突き込まれた。
「――騒ぎになっているとは思っていましたが。かなりの規模ですね」
 倒れたスタッフから剣を引き、樹月 刀真(きづき・とうま)が冷静に言った。
 刀真は、赤い瞳を朔へ向ける。
「こちら側は、ミラさんの味方と言うことでよろしいですか?」
「ああ。ミラの目的を果たさせるために共闘している」
「なるほど」
 剣を止めて話し合う朔と刀真に向かって、三人のスタッフが躍りかかった。
「じゃあ、俺もこっちへつかせてもらいます。ミラさんはもう、言葉では止まらないでしょうし、目的を果たしてもらうのが、決着をつけるためには最善でしょうから」
「そうだな。おおむね自分も同意見だ」
 会話は一瞬も途切れないまま、赤と黒の刃が閃いた。
 三人のスタッフが弾き飛ばされ、壁に激突して昏倒する。
「では、ちゃっちゃと突破しますか」
「だな」
 黒の刃と赤の刃が、夜闇に軌跡を引いた。

 ※

「乱戦か。好都合だな」
 キュー・ディスティンが暗がりで身をひそめ、ミラを中心とした乱戦を眺めていた。
「キュー兄。オラは作戦通りにやればいいんだな?」
 童子 華花(どうじ・はな)がキューの隣で、うずうずと身体を揺らした。
 華花の黒曜のような瞳が、らんらんと輝いている。
「ああ。作戦通りに……いいや、アシッドミストを、予定より少し濃くしてやってくれ」
「アシッドミストを? いいのか? リカ姉には知らせられないぞ?」
「状況を見てすぐ合わせるさ。リカは我の百倍勘がいい。……いくぞ」
 キューがしゃがみこんで、ちょうどクラウチングスタートのような体勢をとった。
「おうよ! じゃオラがんばるぞ!」
 華花がアシッドミストを発生させた。酸性の抑えられたミストは、濃霧のようにあたりを覆い尽くし、ちくちくと目を刺激して人々の視界を奪う。
 さらに、華花は氷術と火術を組み合わせて周囲の空気に温度差を作り、ミストをかき混ぜ流れを作る。
 ミストの中で、より混乱し始めた乱戦の中から、ミラが平然と歩み出てきた。
 キューが身体に力をこめて、
「恨みはないが、これも運命だ。……いざ、参る!」
 飛び出した。一瞬でミラとの距離を詰め、その肩に手を伸ばす。
 だが。
「待ってもらうぜ、ミラさんよ」
 霧の中から飛び出してきたエヴァルトが、キューの行く手を阻むようにミラへ飛びかかった。
「うおっ!?」
 キューは正面からエヴァルトとぶつかり、絡み合って倒れる。
 ミラは、倒れた二人をゆっくりと振り返って、花のように微笑んだ。
「あら。廊下は走ると危のうございますよ?」
 ミラはぽてぽてと手近な壁に歩み寄り、白い手をすっと伸ばした。
 アシッドミストが、ミラが触れたあたりの壁に吸い込まれるようにして、細い空気の流れがあることを示している。まるでそこに隙間でもあるかのように。
「よいしょ……あら?」
 ミラは壁に手をつき、ぐいと力を込めた。けれど、壁は微かに震えただけで開かない。
「悪いけど、逃がさないわよ?」
 アライグマの耳をぴくぴくと震わせながら、リカインが壁に背を預けていた。
 壁に仕込まれた回転扉は、リカインが体重をかけているせいで、ミラがいくら押しても開かない。
「まんまとミストから出てくてくれて助かったわ。超感覚で探り出す手間が省けたもの」
 勝ち誇ったように微笑んで、リカインは倒れたキューにウインクを送った、。
 キューが、床に倒れたままリカインに微笑み返す。
「そう言う訳でな、我はただのオトリだ」
「そゆこと」
 リカインはミラに向かって、不敵に笑った。
 ミラは両手を壁についたまま、きょとんとしてリカインを見上げている。
「力比べで私に勝てそうなら、力いっぱい押してみるといいわよ?」
 言いつつ、リカインはミラの左手を掴んだ。
「あっ……!」
 子供の手をひねるように、リカインは軽々とミラの手を引きよせ、その小指にはまった指輪をするりと抜きとった。
「確かに、返してもらったわ」
 リカインは、取り上げた指輪を手のひらに乗せて、ぎゅっと握る。
 ミラは、ぽかんとしてリカインを見上げて、
「返してくださいまし」
 と言った。
「だめよ。これは、もともとあなたのじゃないでしょ?」
 回転扉の隠された壁に、軽く背中を触れさせて、リカインは不敵に笑う。
 ミラも、柔らかく微笑んで、
「返してくださいまし?」
 突然、力いっぱいリカインの肩を押した。
「何っ!? うわっ!?」
 リカインが後ろによろける。壁が押されて、回転扉がぐるんと開いた。
 リカインは扉の向こうに足をつこうとしたが、扉の向こうに足場はなかった。
「ああ、そこの隠し通路はお気をつけくださいましね。結構な段差になっておりますから、下手に落ちると死にますので」
 リカインの身体が、扉の向こうの深い穴に吸い込まれていく。
「くっ……」
 リカインは隠し扉のふちに片手をひっかけて、なんとかぶら下がった。
 だがぶら下がるために手を開いてしまったせいで、指輪がころりと床に転がる。
「ありがとうございます」
 ミラはぺこりと一礼して、指輪を拾い上げた。
 それから、片手だけでぶら下がっているリカインを見下ろし、微笑む。
「大丈夫です。あなたくらいの背丈なら、死なずに済むでございましょう」
 柔らかく言って、ミラはリカインが引っかけた片手の上に、持ちあげた足をかざした。
「あんた、見かけよりずっと悪人ね」
 リカインが、金色の瞳を鈍く光らせて、ミラを睨んだ。
「いいえ。あなたが悪いのでございますよ。指輪を取ったから。わたくしとわたしくの夫が会うための大切な品を取ったから。わたくしから夫を取る人は、皆不幸になればよいと思います」
 柔らかな笑顔を崩さないままそう言って、ミラは足を振り下ろした。
「リカ!」
 叫んで、キューがミラの背中めがけて駆けだした。
 ミラはリカインの足を踏みつける寸前で足を止め、くるりと振り向き、身体をずらす。
「あら。あなたも隠し扉を使うのでございますか?」
「何っ!?」
 肩に触れる寸前でミラに避けられ、キューはそのまま隠し扉に飛び込んだ。
「きゃーっ! キューばかやろう! 戻りなさいよっ!」
「へまは謝るが無茶言うな!」
 刹那の言い合いの後、キューとリカインはもつれ合って、扉の奥へと落ちて行った。
 ミラはくるりと扉に背を向け、またぽてぽてと歩きだす。
 今まであったことなど忘れてしまったかのように、のんきな童謡を、夜風のように響かせながら。

 ※

「……いっ、つつつ」
 暗い通路に尻もちをついて、リカインはうめいた。
 先ほど落下してきた隠し扉は、だいぶん上に見える。二階から一階へと落ちてきたくらいの高さだった。
「それにしちゃ、そんなに痛くないわね……あっ」
 リカインが、妙にな生あたたかいお尻の下へ目をやる。
 リカインの下敷きになったキューが、じっと睨んでいた。
「わわわっ、なんであんた、そんなところにいるのよ!」
「……へまをやらかしたことへの、我なりの誠意であろうが」
「あー……なるほど」
 リカインは、金細工のうようなブロンドをぽりぽりとかいた。
「そりゃ……あんがと。っつーか、私こそうかつだったわ。ごめんね」
「……いいや、ミラの行動が読めなすぎたんだ。相手が悪かっただけだ。……で、どうする? まだ追いかけるか?」
 キューに問われて、リカインはふふん、と不敵に笑った。
「あったり前でしょ? このくらいで私が諦めると思う?」
 リカインの笑顔に、キューも呆れたような苦笑を返した。
「そうか。まあ、リカならそう言うと思っていたよ」
「もちろんキューも付き合うのよ?」
「無論だ。契約した瞬間から、リカについてゆくと決めているからな。……ところで、そろそろ我の上から退いて」
「リカ姉―っ! キュー兄―っ!」
 頭上の隠し扉から、華花の涙声が響いてきた。
 同時に、何のためらいもなく飛び込んできた華花を、リカインはあわてて抱きとめる。
「ぐえっ!」
「リカ姉! キュー兄! オラ、オラ二人とも死んじまったかと思ったぁーっ!」
 叫ぶように言って、華花はリカインの胸にすがりついてぐすぐす泣き出した。
「あはは、平気よ。私を誰だと思ってるの」
 明るく笑いながら、リカインは華花のつやつやした黒髪を指で梳いた。
「私も、キューも、このとおりぴんぴんしてるわ。ねえ、キュー?」
 リカインは、自分のお尻の下に敷いたキューに目をやった。
「キューは……ぴんぴんしてるとは言い難いわね……あはは」
 乾いた笑いが、暗い隠し通路に木霊した。