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序章 絆


 森は不穏な空気に包まれていた。魔物たちの襲撃を警戒してか、『クオルヴェルの集落』では多くの戦士たちが警備に当たり、いまやそこは、緊張の糸が張り詰める戦場であった。そんな集落の中心。若長のいる小屋で、アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)リーン・リリィーシア(りーん・りりぃーしあ)は若長と対峙していた。とかく、それはなんとも言えない重苦しい空気ではあった。魔物に対する緊張でもあり、いつ、ガオルヴが復活することで森そのものが危なくなってもおかしくないという、村の戦士たちの懸念でもあった。
 だが、恐らくは若長自身の、娘を心配する不安感が最もだろうと、アリアは思った。それは不確かなものである。はっきりとした感情の現れではない。しかし、アリアには、目の前の若長の瞳に父親の憐憫たる感情が浮かんでいるように思えたのだ。
「娘さんが、心配なのですね?」
 アリアは若長の目を覗くようにして見上げた。彼女の声に、若長はわずかにはっと目を見開いた。しかし、それもほんの少しの時が流れるばかりだ。すぐに気丈な顔を取り戻した若長は、小屋に響くほどの深みのある声を発した。
「子を案じぬ親は、いない」
「……それでも、あなたは集落の長。だから、決断しなければならないときがある」
 アリアの声は、まさに若長の思いを代弁するようなものだった。戦士たちがじっと二人を見守る中、若長はゆっくりと、頷いた。
「私は、誰が何と言おうと、貴方の選択を敬します」
 アリアは己が胸に手を翳し、まるで一国の騎士のように構えた。それは、若長への尊敬と敬意を表した証だった。
「『決断』する事を親が選び、『立ち向かう』事を娘が選んだ。良いバランスですね」
 リーンはそう呟いて、若長に微笑んだ。親子であれど、そこにあるのは、人を救いたいという一途な思いだ。そして、それを自分たちは守ってみせる。
「大丈夫です。必ず守ります。貴方の『希望』は」
 若長の顔に憂いを感じ取って、リーンは決意の色を深めた。
「リーズさんにお伝えする言葉はありませんか? 父としてでも、戦士としてでも」
 アリアたちはこれからリーズのもとへと向かう。
 たとえ、どれだけいがみ合おうと、親子の絆は深いものだ。きっと、リーズにとって若長の言葉は力になってくれるはず。
 若長は、まるで思い出に馳せるように、瞼を静かに閉じた。そのとき、二人の目には、父親としての愛情に満ちた顔が浮かんでいるように見えた。やがて、若長はそのまま、心の底からの声を伝える。
「生きて帰ってくれ。それだけが、私の、長ではない、父としての望みだ」
 若長の瞼が開いた。
 そこには、すでに父として座る男はいない。長として、集落を担う者としての、アールド・クオルヴェルがいた。
 
 
「ま、話は聞かせてもらった。協力もするさ」
 アリアが出発したのを見送った後で、若長たちの前に一人の青年が姿を現した。高崎 悠司(たかさき・ゆうじ)である。まるで影にでもなったかのように、彼はアリア、そして多くの召集に集った助力者たちから存在を消していた。
 そんな彼に連れ添うは、レティシア・トワイニング(れてぃしあ・とわいにんぐ)イル・ブランフォード(いる・ぶらんふぉーど)だ。
「あんたも大変そうだな。ま、父親と集落の長と、二つの役割を背負ってるんじゃ、確かにしょうがない決断だわ」
 悠司は、穏やかに喋りながら、小屋の真ん中へと歩み出た。
「……ただ、あんたらはそれでいいのか?」
 周りを睨みつけるように見回し、苦笑する。
「ゼノの剣だっけか? その聖剣を使えるのが、直系のその嬢ちゃんだけだったにしろ、そいつと後はよそ者だけに任せてちゃ、あんたら、嬢ちゃんが帰ってきた後に顔向けできないんじゃね? いや、村を守らなきゃいけない責任があるのもわかるし、責めるつもりはないけどさ」
 悠司は軽口で喋っており、責めるような気概でいるつもりはなかった。しかし、それは、責められているのと同じ、いや、それ以上に、戦士たちの胸を深く穿つ。
 確かに、どこかで安心している自分がいた。自分がやらなくても、全ては運命が決めた歯車のように、定められた誰かが、助けてくれる誰かが動いてくれると、そう思っていた自分がいた。どれだけ表面は否定していても、心根に根付くのは、罪悪感だった。
 悠司が村人たちの視線を集めるのを見守りながら、レティシア自身は、自分も悠司の言葉を考えていた。素直すぎるからこそ、レティシアは全てを考えてしまう。誰しもの立場に立ち、そして、多くを思ってしまう。でも、こういうのは気持ちなのかなぁ? と、レティシアは思った。悠司を見ていると、それが、確かに大事なものだということも、信じられる気がするのである。
「英雄ってのは血筋……も大事なのかもしれねーけど、やっぱ他にも大事なものはあると思う。
たとえば、その年頃の子なら、お互いに気になってる奴とかもいるんじゃねーの? 個人的には、そういう奴くらいは加勢に来てくれた方が、リーズも嬉しいんじゃねーかと思うけどな。少なくとも俺は、古臭い英雄の血筋より、いま、ここに住んでる仲間を誇れた方が嬉しいぜ」
 悠司の感慨深い声が、村人たちの、若い衆の心を打つ。
 それは、単にリーズが気になっている青年の心、なのかもしれない。あるいは、小娘に戦わせて、大の男がビビってるのが納得いかない、というプライドなのかもしれない。
 だが、だからこそ、その気持ちは大きな財産であり、大切なものなのだろう。少なくとも、そう思う者は、いるのである。
「そうだよ。リーズばっかり戦わせるなんて、格好悪いぜ!」
「お、俺でも、ちゃんと戦えるんだって! 見せてやるんだ!」
 村の若い衆は、周囲の熱気にもどんどん感化されて、それぞれが武器を掲げ始めた。
 悠司はそれを見て、まるで捨てたものばかりじゃないなという風に肩をすくめる。
「よし、リーズを助けに行くか」
 そして、悠司は先導して若い衆を導いた。そんな彼に従うように、若い衆たちは小屋を出て行こうとする。すると、そこに――。
「待て」
 背後から、若長の声がかかった。
 振り返った者たちは、それまでの威勢を失って若長を呆然と見つめる。まるで、窘められる子供のような姿だった。だが、それでも、一部の者は若長に対して激昂の口を開く。
「長! 頼む、行かせてください!」
「リーズが戦ってるのを知ってるのに、ここでむざむざと村を護ってるだけなんて、俺たちはそんなの……!」
 彼らの背後にいた悠司もまた、若長を睨みすえていた。が、しかし。若長はそれになんら怯むことなく、厳格な声を発する。
「生きて帰ってこい。死ぬのは、許さんぞ」
「長……!」
 若い衆たちは瞠目する。悠司は驚いたように顔を緩ませ、苦笑の呆れた表情となった。まったく、どいつもこいつも。頭をくしゃくしゃと掻いて、彼は小屋を出て行った。もちろん、若い衆たちを、引き連れて。