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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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第二章:熱愛



 まだ夕陽が赤々と空に燃えていた頃。レオンハルト・ルーヴェンドルフ(れおんはると・るーべんどるふ)はアイスバーを片手に、予め呼び付けたイリーナ・セルベリア(いりーな・せるべりあ)を待ち伏せる。
「来たか。イリーナ、今日は暑いな」
「いきなり呼び出して、何の用だ? レオン。それにさっきの何のアイスが好きかと言う質問には何か意味があったのか?」
 硬質な言葉遣いと視線で、イリーナは姿を現した。
 本当ならばレオンハルトに呼び出されただけで彼女は天にも舞い上がる気分でいたのだが。そこは待ち合わせの場所が食堂と言う事もあり、易々と甘ったるい声と態度を晒す訳にも行かず、彼女はいつも通りの態度を保っていた。寧ろその強がりが一層レオンハルトの嗜虐心をくすぐっているなどとは知らず。
 かくしてレオンハルトはくつくつと喉を鳴らし皮肉な笑みを浮かべる。
「いや何、気にするな。ただバニラが好きだと答えたお前は、世の中の期待に見事沿っているよ」
「……? すまんが話がよく見えな……」
「まあ気にするなと言っただろう。それより此処にお前の大好きなアイスバーがある。御託も遠慮もいらん。問答無用で喰え」
 アイスを持たぬ左手をイリーナの顎に添えて上を向かせ、バニラのアイスバーを無理矢理咥え込ませた。
 むーむーと唸る彼女を壁際に抑え付け、レオンハルトは目口を細く引き伸ばした嗜虐的な笑みで見下す。
「ん? どうした? いっちょまえに嫌がってみせるか? その割には、こちらの口は正直なようだがなあ?」
 抑え込んだイリーナの体に己の体を重ねるようにして、レオンハルトは彼女の耳元で湿った吐息を交えた挑発を紡ぐ。
 その背後で、今日の訓練で彼を合法的にぶっ殺してやろうと決意を燃やしている事など露知らず。
「んむっ……ぷあ……。ええい、やめろ! 人目もあると言うのに……!」
「ほう? それでは人目が無ければ構わんのか? まったく、はしたない事だ」
「む、ぐっ……」
 言葉に詰まるイリーナにより一層笑みに潜む喜色を濃くしながらも、彼はふと本来の目的からかけ離れた所へ自分が猛進している事に気付く。
「ふむ……それはともかく、アイスが零れてしまったようだな。これはすまない事をした。替えの衣服をやろう。なに、ちょっと変わった代物だが、お前なら似合うだろう」
 故意に悪びれの気配を排した、何処か芝居掛かった口調でレオンハルトはイリーナへと着替――白地に淡い桜の模様が映える浴衣を押し付ける。
 文句を言う機会を奪われ勢いに流されて、イリーナはそれを受け取ってしまった。
「あぁ、ところで今日イチキュウマルマルより祭があるらしい。遊びに行くぞ、着替えて来るが良い」
 そのまま勢い任せに脈絡もなく平然と告げると、レオンハルトはその場を立ち去る。
 後に残されたイリーナは呆然として、しかし数秒を経て自分が祭りに誘われた事に気が付く。
 思わず、彼女は相好を崩して喜びの情を表に見せる。
 やはり、嫉妬に燃える集団が背後に聳えている事など知りもしないで。

 そして祭りの時が訪れた。
 周りに人は大勢いるとは言え、あくまで集団の一人であると言う心理が働き、イリーナは普段見せない童女の無邪気さとしおらしさを見せる。
 手渡された白と桜の浴衣も、「相手の好みの服装をするってのも……訓練として正しいよね、うん」などと自分に言い聞かせ、素直に着付けてきていた。
「見て見てレオン! お店が沢山あるよ! 何処から回ろう! 全部見て回れるかな!?」
 年相応、どころか少々幼いくらいの振る舞いで、イリーナははしゃぐ。
 その様子に口の端を微かに吊り上げて、レオンハルトは先走らんとする彼女の手を取った。
 そうして多少強引に、だが慈しみは忘れずに抱き寄せる。
「そう慌てるな、夜は長いのだ。肝心な時にはしゃぎ疲れて寝てしまうのは嫌だろう?」
「肝心って……そんな……」
「ん? どうした? この祭りでは日が沈んだ後に花火が打ち上げられるようでな。俺はその事を言ったつもりだったのだが……お前は一体何を想像したんだ?」
 首筋を指で撫ぜられて、忽ちイリーナは頬に留まらず耳までを朱に染めて黙りこくってしまう。
 それから拗ねたような、しょげたような、或いはその両方の混在した表情を浮かべて、レオンハルトを見上げる。
「もう……イジワルしないでよぉ……」
 その態度こそが彼の嗜虐の衝動を呼び起こしているなどとは知らず、彼女は小さく零した。
 とは言ったものの、物事の加減を忘れる程レオンハルトは愚かではない。
 鞭の後には飴を。いじめたのなら、それ以上の愛を注がねばならない。
 それが出来ないようでは、『いじめ』は『虐め』に。『イジワル』は単に『意地悪』となってしまうのだから。
「すまなかったな。お前は余りにも可愛げがあり過ぎて、ついこうしたくなるのだ。だが、それももう終わりとしよう。さて……何から回るかと言う話だったが、手当たり次第で良かろう」
「あ……じゃあ、綿菓子食べたいな!」
 イリーナの指差す先に該当の屋台を認め、レオンハルトは一度頷く。
「うむ、いいだろう。では……ほれ」
 そしてただの一言と共に、イリーナに手を差し伸べる。
 おずおずと、だが嬉しそうに彼女が自分の手を取った所で、初めて歩き出す。
 さり気なく、彼女との歩調も合わせながら。
 普段よりも少女めいた心境にあるとは言え、それに気付けないイリーナではない。
 表情を殊更に綻ばせて、彼女はレオンハルトの腕に頭を添わせた。
 言葉など介さずとも、自分が相手を大事に思っていると伝える術はある。
 それをレオンハルトは勿体ぶった所作で実行して見せて――周囲の嫉妬の輩はより一層に憎悪の炎を燃え上がらせていた。
「ほれ、手を汚さぬようにな」
「うん、ありがとう。……あ、シャンバランのお面ー!」
 屋台の前でそわそわと綿菓子を待っていたイリーナは、しかし受け取るや否やすぐに目移りしたらしい。
 綿菓子をかじりながら、レオンハルトの手を引いて走り出す。
「ねえねえ、付けてみてよ!」
「……むう、俺には何が良いのか良く分からんが、お前が言うならば仕方あるまい」
 些少の抵抗を見せながらも、レオンハルトはシャンバランの面を被る。
 流石に顔の正面から被るのは気が引けた為、側頭部に斜めに被る形となった。
「うん、似合ってるよ! 流石レオンだよ!」
「そうか。正直これを被るのは少々どうかと思ったが、それでも似合ってしまう辺り、我が事ながら恐ろしいな」
 お世辞にもセンスの良いとは言えないお面だったが、そもそもの面が端整であるが被れば、それなりの物となる。
 それが彼らの周囲に潜む連中にはとことん鼻持ちならず、密かに嫉妬の炎を助長させていく。
「じゃあ次行こうよ次! 私、ヨーヨー釣りがしたいな!」
 そんな事は露程も知らず、イリーナは相変わらず童女のようなはしゃぎっぷりを見せる。
 レオンハルトは一瞬もに周囲を伺うように視線を巡らせて――それから彼女に引かれる手に従い歩み出した。
「……イリーナ。付いてるぞ、綿飴。あれだけはしゃぎながら食べていれば、まあ当然か」
 けれどもふと、イリーナの唇に視線を注ぎ、彼は彼女の艶やかな唇をを指でなぞる。
 その指先を舌で微かに舐めて、それから何気ない所作で自分達に集まる憎悪の視線を確認した。
 随分と熱烈な視線の数々と殺気に、彼は頃合いかと心中で断じる。
 その様は、気恥ずかしさに囚われていたイリーナには気付き得ないものだった。
「……イリーナ。ちょっと付き合え」
 有無を言わせぬまま、レオンハルトは彼女の手を引く。
 向かう先は、祭りから離れた人気のない暗がり。
「え? ちょ……レオン?」
「イリーナ……。目を瞑れ」
 やはり問答無用と言った調子で彼は告げる。
 イリーナは微かに震えながらも、彼の言葉に逆らえぬまま目を瞑り、そっと顔を上げた。


 ルイン・ティルナノーグ(るいん・てぃるなのーぐ)シルヴァ・アンスウェラー(しるば・あんすうぇらー)に肩を抱かれて、頬を恥じらいと嬉々の色に染めながら歩いていた。
 嬉しいには嬉しいのだが、やはり何処か気恥ずかしいらしい。
 しかしふと、ノインは恥ずかしさの余りに持ったまま失念していた手元の杏飴を小さく齧る。
「あ、それどうです? 美味しいですか?」
 問いかけはしたものの答えを待たずして、シルヴァはルインの齧った方とは反対側を気兼ねなしに食んだ。
 ルインの顔が、殊更に赤く染まる。
「うん、美味しいですね。……どうしました? 口に合わなかったですか?」
「あぅ……いえ、美味しい……かなっ」
 茹で上がったように赤い顔を俯かせて、ルインはぼそぼそと答える。
「なら良かった。……あ、ちょっと待っててください」
 不意にシルヴァはルインから離れて、出店へと向かう。
「よう兄ちゃん、独り身かい?」
「えぇ、お祭りは好きだからそんなには気にならないんですけどね」
「いよっしゃ! 兄ちゃんはイイヤツだ! ほれ、どれでも好きな奴落とせばいいぜ!」
 言われるまでもなく、シルヴァはルインの好みそうな人形を手当たり次第、落としていく。
 弾を全て打ち終えてから、彼はルインを振り返った。
「ルイン、もう来ても大丈夫ですよ。ハイこれ、ルインにあげます」
「あ、ありがとうございます……かな……」
 手渡されたぬいぐるみやマスコットに赤い顔をうずめて礼を言う彼女を認めてから、シルヴァは屋台へ向き直った。
 そして呆然とした表情のおっちゃんに、笑いながら告げる。
「あはは、ごめんなさい。僕、嘘ついちゃいました」
 悪びれない様子でそう言うと、彼は再びルインの肩を抱き寄せて歩き出した。
「ルイン、ちゃんと楽しめてますか?」
 ぬいぐるみ達を大事そうに抱き締めるルインに、シルヴァは問う。
「えへへ、シルヴァ様シルヴァ様。ルイン、シルヴァ様と一緒に居られて幸せかなっ」
 屈託の無い笑顔で、ルインは答えた。
「おや、それは良かった。でも僕だってルインと居られて幸せですよ?」
「嘘じゃないかなっ?」
「勿論、嘘の訳ないじゃないですか」
 ルインの純粋な笑みに微笑を返しながら、だがシルヴァは同時に殺気看破を密やかに展開していた。
 これまで散々イチャイチャを見せつけて釣り続けた嫉妬の徒の殺気を、確認しているのだ。
「……ルイン、そろそろ行きましょうか」
 周囲の人間や指向性マイクを警戒して仔細は語らず、シルヴァはただ提案の形で言葉を紡ぐ。
「うん! がんばるかなっ!」
 何とは無しに妖しげに微笑む男と、無邪気に意気込む少女。
 この二人が先の言葉の後に人気のない方へと向かっていったならば。彼らを監視していた面々がどんな想像を抱くかは、想像に難くない。
 そうして嫉妬の輩を暗がりへと誘き寄せて、
「ルイン……眼を閉じて?」
 ルインが目を閉じたのを確認すると、シルヴァは周囲へ光術の目眩ましを放った。
「今日のルインは充電ばっちり、邪魔する人は灰になっちゃうかな……!」
 異常なまでに純粋な彼女の笑みと言葉が仮に聞こえていたとしても、最早嫉妬の徒達に為す術などある筈も無かった。


 イリーナの網膜を、瞼越しに強い閃光が刺激する。
 一瞬彼女は身を強張らせるが、すぐに何事かと目を見開いた。
「シルヴァ達と場所を同じくする事になったのは想定外だが、好都合には変わらんか。……さて諸君。例えば、敵国のスパイを態々生かしておく道理などあるまい?」
 シルヴァの光術で目眩ましを受けた連中を殺気看破で見つけ出し、則天去私で叩き伏せる。
 自分が釣った分を打ちのめした後にシルヴァ達の方を振り向くも、手出しの必要もないかと、彼はそこで足を止めた。
「残念、貴方達は此処でゲームオーバーでーす☆」
 既にシルヴァはアルティマ・トゥーレを施した刃で自分達を尾行してきた面々を氷漬けにしていた。
 加えてルインのサンダーブラストで周囲を掃討すれば、後に残るのは死屍累々の――無論、流石に絶命に至らぬ程度には手加減してあったが――山である。
 終わってみれば一瞬の出来事に、イリーナは暫時呆然。
 だがやがて、多少の不満を表情で示した。
 彼女は今日、終始レオンハルトにイジられていたが、それでも楽しかった。
 しかしだからこそ、それさえもレオンハルトにとってはこの為の布石に過ぎなかったのかと考えると、彼女は遣り切れない気持ちが胸中で蠢くのを抑え切れなかった。
「……そんな顔をするな、イリーナ」
 レオンハルトの言葉に、彼女は答えを返さず――或いは返せず、顔を伏せる。
「だって……私は今日、楽しかったんだ。なのに、それはレオンにとってはただの……作戦でしかなかったなんて……私は……」
 イリーナの声は、徐々に震えを帯びていく。
 彼女に対して、レオンハルトの眉がほんの僅かに、だが確かに顰められた。
 間髪入れず、彼はイリーナを抱き寄せる。
「っ……! こんな事で、ごまかそうったって……!」
「聞け、イリーナ。今、俺達の周りには誰もおらん。祭りの喧騒もここまでは届かず、煩わしい鼠共もおらん。無論、猫も兎も、なあ?」
 ちらりと、彼はシルヴァとルインを一瞥。
「……だってさ。行こうかルイン。まだ回ってない出店も沢山あるしね」
「むー……? よく分かんないけど、分かったかなっ」
 二人は早々にその場を立ち去る。
 これで正真正銘、レオンハルトとイリーナは二人きりとなった。
「さぁ、これで俺達が何を言おうと、何をしようと、咎める者はおらん。中々いい舞台が仕上がったとは思わんか?」
 レオンハルトの勿体ぶった語り口に、イリーナの双眸が僅かに開く。
 数呼吸の沈黙を置いて、彼女は細微な震えと友に言葉を紡ぎ出す
「ねえ、レオン」
「何だ? イリーナ」
「……1年ずっと一緒にいられて……去年の約束通り、今年一緒にお祭りに来られてうれしいよ」
 再び、静寂が訪れる。
「……それだけでいいのか?」
「む……うん。これだけでいいんだ」
「そうか。……ならば、もう暫くこうしているとしようか」


 一方その頃、嫉妬刑事シャンバランは実は彼らの傍に息を潜めて待ち構えていた。
 だが彼らの殺気看破に引っ掛からないままだった。
 何故か。
「くっ……! やめろ、やめてくれパラミタ刑事シャンバラン……! そんな目で、そんな目で俺を見るなあああああああ……!」
 レオンハルトの側頭部に居座るパラミタ刑事のお面が、彼の嫉妬心に覆い尽くされた正義感を呼び起こし、暗黒面たる嫉妬心と壮絶な鬩ぎ合いをしていたのだ。
 それはあくまで彼の内面世界で巻き起こるしょうもない戦いとして簡潔している為に、殺気看破の対象とはなり得ない。
「ぐっ、はぁ……はぁ……! それでも……! それでも俺は立ち止まる訳にはいかないんだ……!」
 どうやら内なる戦いは辛うじて嫉妬心が勝利したらしく、彼はまた新たなリア充達を打ち砕くべく夜闇に溶けた。