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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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 曖浜 瑠樹(あいはま・りゅうき)マティエ・エニュール(まてぃえ・えにゅーる)は屋台の切り盛りにてんてこ舞いとなっていた。
 と言うのも、時を遡る事数十分。

「――諸君! 今現在この祭りには、数え切れんばかりのアベック共が溢れている!
「諸君らに問おう! そのような状態で、屋台の飯が美味く食えるだろうか!」」
「否! 断じて否! 腐れリア充共の吐き出す桃色吐息は我々の飯を限りなく不味くする!」
「先の者の勇姿を見ただろう! 彼こそは真に正義の者である! さあ、我らも彼に続くぞ!」
「これよりリア充撲滅作戦『アポカリプス』を開始する! 進撃せよ! 進撃せよ!」

 等と言う事があり、後には番のいない屋台がずらりと残され、結果瑠樹とマティエが二人きりで全ての屋台を担当する羽目になったと言う訳だ。
「あうー……中が、あついー……」
 屋台の熱と祭り特有の熱気に苛まされながらも、マティエはきびきびと働いて回る。
 鉄板の上の焼そばをかき混ぜ容器に詰め、隣の屋台で揚げてあったフランクフルトを上げ、更に隣の屋台でたこ焼きが焦げ付かないように引っくり返して。
 最後にカキ氷の屋台へと足を運び、
「いやー、あっついねぇ。あ、どうだいそこのお二人さん。買っていかない、冷たくておいしいよー」
「……何でよりにもよってそこをやってるんですかぁー!」
 心底、彼女は叫んだ。
 無論涼しいからと言う理由で瑠樹がカキ氷の屋台をしていたと言う訳はなく、単なる偶然であるとはマティエも分かっているのだが。
 だからこそ尚更、やり場のない憤りを彼女は禁じ得なかった。
「うぅ……叫んだら余計暑くなってきました……」
 うな垂れながらも、マティエは人に呼ばれ綿菓子の屋台へと向かう。
 綿菓子を受け取った男女は、童心の象徴とも言っても差し支えない綿菓子で艶かしい行為に至る。
 その様に何とも言えない感覚を抱き目を逸らしていると、不意に何かが彼女の背中を突いた。
 振り向いてみると、左手の人差し指を立てて、右手には筆談用のノートを持った瑠樹の真剣な面持ちがあった。
 一体何事かとノートの文面に彼女は視線を走らせ、

【「お好み焼き」も、「好み」で引っかかりそうな気がする。お好み焼き食べたいーでも、アウトになると思う?】
 
「………団長は筆談おっけーって言ってません! というか、それ(お好み焼き)を聞くためだけにページ使うな、りゅーきのばかー!」
 わなわなと震えた後に、募った鬱憤をとうとう爆発させた。
 腕を振り回し、ぽかぽかと瑠樹を叩く。
 そのやり取りに独り身教導団員各位が、割り箸やら串やらを噛み砕かん程の憎悪を燃やしていた事など、彼女は知る由も無かった。
 
 
 雑踏の中で、繋がれた手が揺れていた。
 自分の手をしっかりと握る神崎 優(かんざき・ゆう)の横顔に、水無月 零(みなずき・れい)は嬉しそうに微笑む。
 いつもの物静かな表情とは違い、僅かな赤らみと緊張が滲んだ面持ちに自分への意識が感じられて。
 そして、彼女は思う。
 意識されている事を、自分と手を繋ぐ事に彼が照れている事を、自分は胸の高鳴りを感じているのだと。
 それは離れ離れにならないように手を繋ごうと言われた時にも感じた、高揚感だった。
 彼女はその高鳴りを、感情を――恋心なのだと、認めた。
 それから暫く、彼女は俯きながら思考の海へと意識を沈めていく。
 自覚してしまった恋心のやり場をどうすればいいのかと。
 抱え続けるには重すぎて、隠してしまうには大き過ぎるその感情を。
「……話したい事があるの」
 胸の内を占める恋慕の情は、抱えるにも隠すにも余る。
 ならば、吐き出すしかない。告げるしかない。
 恋心の水面に映る他ならぬ彼、神崎優に。
 いつになく真剣な表情の零の言葉に、優は大事な話なのだろうと悟った。
 無言で頷いて、二人きりになれる場所へ行こうと提案する。
 華やかな祭りから離れ、二人は人気のない外れへと向かった。
 遠くには人影が見えるが、そちらも二人きりだ。邪魔する事も、される事も無いだろうと優は判断する。
「それで……話ってなんだい?」
 零に向き合い、優は尋ねる。初心な彼は、もしかすると本当に見当も付いていないのかもしれない。
 だが彼の問いは、零に求められる勇気を確かに大きくした。
 恋の高鳴りは不安の動悸と化けて、彼女の胸中に不安を立ち込めさせる。
 それでも心を奮わせて、勇気を振り絞って。
 彼女は言葉を紡ぐ。
「優の事が好きです」
 たった一言。そのたった一言を綴る為に、零の勇気は全て潰えてしまった。
 忽ち、一度は払い除けた筈の不安が、恐怖が、彼女の心に舞い戻る。
 もしも断られてしまったら。今の関係すら崩れてしまったら。自分の恋心のやり場が何処にも無いのだと、分かってしまったら。
 一体自分は、どうすればいいのか。
 形容し難い恐れが、彼女の心を徐々に徐々に蝕み、押し潰さんと圧迫する。
 ついには彼女は眼を閉ざして、救いさえ求め始めた。
 際限なく膨らんでいく不安を止めて欲しい。終止符を打って欲しいと。
 
 優が、口を開いた。
 けれども答えは出てこない。
 恋愛に耐性の無い彼は、ただ顔を真っ赤にして息に詰まっていた。
 心臓が早鐘となって、裂けんばかりに跳ね上がっている。
 しかし優は零の、不安に眼を閉ざした様子を見た。
 そして、意を決する。
 彼の驚きが足元にも及ばないような不安に、零は包まれているのだ。
 これ以上彼女を冷たい無名の海に沈めておく事など、出来る筈が無かった。
 一度肺腑を空にして、深く域を吸い、答えを吐き出す。
「俺も、零の事が好きだよ」
 途端に、俯き眼を閉じていた零は顔を上げた。
 瞳に浮かぶ色は、驚き。
 だがそれはすぐに、喜色に変わった。
 身震いを経て、彼女は嬉々に衝き動かされて優に抱きつく。
 照れくさそうに柔んだ瞳と、喜びの涙に潤んだ瞳が見つめ合い――そして二人はどちらからと言うでも無く眼を瞑り口付けを交わした。
 気恥ずかしさのせいか、ほんの少し、唇が触れ合うくらいの軽いキスだったが、二人ははにかんだ笑みを浮かべて、

「……ふ、ふふ、言ったな! 言ってしまったな!? 『好き』だと、確かに聞いたぞ! ――各員、戦闘準備ィ!」

 何処からともなく現れた迷彩服の教導団員が一瞬の内に、二人を取り囲んだ。
「よくもまあ、これでもかってくらいに見せつけてくれたなあ!?」
「だが『禁句』を口にした以上正義は我らにあり!」
 荒々しく怒鳴りながらも、男達は迅速に優と零を囲む。
 慌て優が剣を抜くが余りにも、余りにも多勢に無勢だ。
「さぁお仕置きタイムの始ま……」
 男達は意気込み――しかし武器の警棒を振り上げ、銃を構えた所で、彼らの内数人が唐突に地に伏した。
 一瞬、何が起こったのか優も零も、教導団員達すら分からない。
 ただ虚空から、夕闇の中で著しい自己を主張する光刃が、兆していた。
「……やれやれ、一難去ってまた一難とはこの事か。オイ君達、早く逃げるといい。何、折角結ばれた恋人達を分かとう等と言う不届き者の手は、君達には届かないさ。俺が全て食い止めるからね」
 姿なき声が、場に響く。声の主は光学迷彩を被った、橘 恭司だ。嫉妬刑事は逃したが少なくとも某達を逃した彼は、返す刀でそのまま優達の元へと駆けつけたのだ。
 自分達が恋人達と呼ばれた事に一抹の恥ずかしさを覚えながらも優と零は逃げ出し、祭りの人混みへと溶けていく。
「あぁ、待てクソアベック共! ……テメェよくもやってくれたなあ!? 覚悟しやがれ!」
「下らない嫉妬に衝き動かされて……そう言う事はもう、終わりにしようか。祭りの華やかさからかけ離れたここで逝け。群れながらも独り身のお前達には、お似合いだろう」
 右手に光条兵器の大太刀を、左手にはブライトグラディウスを携えて。
 橘 恭司は人知れずの、報われる事のない人助けを開始した。