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ようこそ、浜茶屋『海桐花』へ

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ようこそ、浜茶屋『海桐花』へ

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 暑さもひとしおのこの夏、道明寺 玲(どうみょうじ・れい)は涼を求め、イルマ・スターリング(いるま・すたーりんぐ)を誘って海にやってきた。
 黒単色のビキニというシンプルなだけに洗練された水着に着替え、さあ泳ごうかと思った玲だったのだけれど。
「何してはるん? こっちどすえ〜」
 イルマに連れて行かれたところは浜茶屋『海桐花』だった。
「あの、イルマ? せっかく海に来たのですからまずは……」
 泳ぐなり、水辺で遊ぶなりすべきではないかと言いかけた玲に、イルマは当然のように断言した。
「海といえば海の家でっしゃろ〜」
 色っぽい雰囲気のワンピースタイプ水着を着ているにも関わらず、イルマの目的はいつもの如く『食』にあるらしい。
「海の家で食べると、いつもの食べ物も新鮮に感じられるものなんどす」
 夏の海の楽しみ方としてはどこかずれているのではないか、と玲は内心では思ったものの、食べ物を前にしたイルマにそういう理屈が通らないことも身に染みて知っている。
「楽しみどすなぁ」
 さっさと入っていくイルマに逆らわず、玲も浜茶屋に入った。
「いらっしゃいませ〜!」
 小さな身体にお盆を抱え、アレクサンダーが元気に挨拶する。
「霜月、おきゃくさんまたきたよ、どうしよう」
「順番に慌てず接客すればいいんですよ。注文を伝えてくれればすぐに作りますから」
「う、うん。がんばる」
 厨房にいる霜月に励まされ真剣な顔で肯くアレクサンダーの横から、ジンがひょいと顔をのぞかせる。
「霜月、たこ焼きをお願いね」
「今焼いたのがあるからこちらを持って行って下さい」
「ありがと。うふふっ」
 いかにも楽しそうに含み笑いをすると、ジンはたこ焼きを運んで行った。その様子に霜月が不安を感じていると、案の定。
「何だぁ、このたこ焼き! か、辛ぇ……」
 ジンがたこ焼きを運んで行った席から、怒声が上がる。
 何か仕込んだのかと聞こうにも、ジンはどこかに姿をくらませていない。きっとどこか離れたところで見ているのだろうけれど、霜月の視界には入らない。
 慌てて席に行って対処しようとする霜月を、アレクサンダーが捕まえる。
「これはこぶの? あっちのおきゃくさんどうすればいいの?」
「すぐ戻ってきますから、ちょっと待っていてください」
「霜月ー」
 不安たっぷりで霜月を見送るアレクサンダーの肩に、そっと高務 野々(たかつかさ・のの)の手が置かれた。
「心配はいりません。ここはメイドの私にお任せください。給仕も調理もメイドの本分ですから。あなたはあちらのお客様をお願いしますね」
「おねえちゃん、ありがとうー」
「いいえ。困っている人を助けるのはメイドの仕事です」
 アレクサンダーの感謝の目に肯いてみせると、野々は玲たちのテーブルへと向かった。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
 丁寧に頭を下げる野々に、メニューを眺めていた玲は注文を決めた。
「そうですな。暑いですからカキ氷をいただきましょうか。宇治金時はありますかな?」
「じゃあ……とりあえずカキ氷と焼きそば。カキ氷にはアイスとフルーツをぎょうさん載せておくれやす」
「かしこまりました」
 野々はそのまま厨房に入ると、自分でカキ氷と焼きそばを作って運んでくる。
「お待たせいたしました」
「待ってたえー」
 ではさっそく、と焼きそばを口に詰め込んだイルマは、けげんな顔になる。
 具が無い。おまけに麺はダマになっていて、とてもじゃないけど美味しいとは言えない。
 玲の方も、見た目は崩れそうなのに中はガチガチに固まっていてスプーンをはじき返すカキ氷に閉口していた。
「これはハズレどすな。他のものにしまひょ。海の家の定番といえばフランクフルトとラーメンどすな」
 この注文にも野々は、かしこまりました、と頭を下げて厨房へと入って行った。
 そしてフランクフルトとラーメンを運んできた……のだけれど。
「フランクフルト、しなびとりますなぁ。それにこっちゃのラーメンもあじないどすえ」
 食べ物を残してはいけないと全部食べてはいるのだけれど、野々の持ってくるものすべてが、まずくて食べられないというほどではないものの、まったく美味しくない。
 口直しに、と玲が持ってきた麦茶を飲みながら、イルマは不服そうに野々に聞く。
「なぁ、美味しいものはあらへんの?」
「おいしい料理ですか? 基本的に甘くない料理ならおいしさを保障したものも作れますが」
 野々はしゃらっと答えた。
「ではそちらをお願いしたいところですな」
「そうどす。何で最初からおいしい料理を持ってきてくれやらんの?」
 玲とイルマに言われ、野々は思いもよらないことを聞いたように瞬いた。
「ほんとーにおいしい料理がほしいですか?」
「当たり前どす」
「おいしくない食べ物こそ、浜茶屋の醍醐味だと思われませんか? おいしい料理でしたら街の食べ物屋さんにもたくさんあります。ですが、このような中途半端な食べ物はこういう場所でしか味わえないもの。まさに浜茶屋の味です」
 おいしいものを求めているのならば、至れり尽くせりの精神で用意できる、と言う野々を、玲は怪訝な目で眺め……そして気づく。
「そのエプロン、というか水着は他の方のものと違うようですな」
 他の給仕は水着に浜茶屋のエプロンをしている。けれど野々が着ているのは、水着の前の部分がエプロン状になって垂れている特注らしきエプロン水着。もちろん『海桐花』の名前も入っておらず、白一色だ。
「あ、バレました? それでは、失礼いたします!」
 指摘された途端、野々は身を翻して浜茶屋から逃げ出して行った。
 野々は彷徨うメイド。
 浜茶屋が忙しそうだと見て手伝いに紛れ込んだのだけれど、バレてしまえば仕方ない。助け手を求めている人を探し、野々はまた海辺を彷徨うのだ。
 一体あれは何だったのだろうと見送っている処に、アレクサンダーを連れた霜月がやってくる。
「遅くなって済みません。注文を伺います」
「よお分からへんけど、とりあえず口直しどす。カレーとお好み焼き、それから……」
 まだまだ入る様子でメニューを読み上げるイルマを横目に、玲はふと息を吐く。
「こちらのお店も大変ですな……よろしければ店員さんにお茶の差し入れをしたいのですが、よろしいですかな?」
「はい、みなさん喜ぶと思いますよ」
「ではこれを」
 どこからともなく取り出したお茶を玲は霜月に渡した。
「玲、麿にもお茶おくれやす。あと、焼きそばと……何でもええさかい、どんどん持ってきてなー」
 注文の合間に頼んでくるイルマにも玲は茶を淹れてやった。
 
 
「ふふふふふ、水着にエプロンとは実に好都合。日ごろ鍛えているこの肉体をもってすれば、女の子からのモテ度も二割り増しのはず!」
 浜茶屋でのバイト。水着美人との出会い。そして念願の彼女を手に入れる!
 そんな夢に心躍らせる黒脛巾 にゃん丸(くろはばき・にゃんまる)リリィ・エルモア(りりぃ・えるもあ)は冷めた目で眺めた。
「二割ってとこが微妙すぎね」
「微妙だろうが何だろうが構わない。この夏こそファーストキスをっ!」
 脳裏をぐるぐるぐるぐる回るにゃん丸の全開妄想はしかし、リリィの声で全壊した。
「はい、これ!」
 リリィが渡したのは浜茶屋『海桐花』とでかでかと書かれたイカの着ぐるみ。
「何これ……こんなの着たら俺の肉体美はどこ行っちゃうんですかー」
 イカの着ぐるみに恋してくれる女子高生なんかいるのだろうか、とにゃん丸は呆然として着ぐるみを見つめた。
「二割くらい増えたって減ったって、元が元だから変わんないって〜。ほら、早くこれ着て浜辺のゴミ拾いするのよ〜」
「ううっ……でもリリィも手伝ってくれるんだよな? タコの着ぐるみでも着て。なんたってパートナーだしね!」
 一抹の希望をこめてにゃん丸がうるうるとした目で見つめれば、リリィはにっこりと笑った。
「何当たり前のこと言ってるのよ。タコの着ぐるみなんて着るわけないじゃん。暑いし! お肌に悪いし!」
 ショックで口も聞けないにゃん丸に、あたしの分も頑張るのよと声をかけると、リリィは去っていった。ビーチチェアーにねっころがり、ばっちり日焼け止めを塗った上にサングラスにTシャツという完全防備。
「ふぅ〜、海って優雅な気分にさせてくれるわね」
 最高な気分、とばかりにリリィはちゅーっと音を立ててジュースを飲んだ。
 
 パートナーが働かないのはにゃん丸のところばかりではない。
「浜茶屋『海桐花』ただいま新メニュー御提供中です。宜しければ如何ですか?」
 浜にいる若い女性を中心に積極的に声掛けをしている天司御空は、テレパシーでパートナーの白滝 奏音(しらたき・かのん)に呼びかける。
“っていうか、奏音も手伝おうよ”
 男性が集まっていても男性は寄ってこないが、女性が集まっていたら男性も女性も寄ってくる、という心理を利用した御空の集客作戦を、奏音は手伝うどころか……浜茶屋の店先に座って焼きそばを食べている。
“……勘違いをしないで下さい御空。私はただ食べてるのではありません。これは……そう、宣伝なのです”
 そんな言い訳をしながら焼きそばを食べ終えると、奏音は追加注文を出した。
「カレーをお願いします。ええ、大盛りで」
 小柄な身体のどこに入るのかという量を食べに食べ続ける。
 黙々と食べる奏音の姿に、ここの食べ物はおいしいのかと引き寄せられる客は確かにあったのだけれど……。
 このスピードが衰えなければ恐らく。
(俺のバイト代、全部奏音のお腹に入ったり……しないよな?)
 果たしてこのバイト、生活費の足しにすることが出来るのかどうか、と御空は危ぶむのだった。
 
 
 今日は良く晴れた海水浴日和。
 とはいえ、夏の強い日差しは苦手だし、着替えも面倒だからと和原 樹(なぎはら・いつき)は、海水浴に来ている人々や海の様子を眺め、海気分を楽しんでいた。
「いい天気だなー。潮風が気持ちいいー」
 海の香りのする風を取り入れるように樹は深呼吸した。太陽の日差しをより一層明るく見せる海の輝き。地面に敷いたゴザ越しにじわりと伝わってくる砂の熱。
「樹、もう少しパラソルの中央近くに座った方が良いぞ。砂の照り返しはあなどれんからな」
「ん、分かった」
「足にもタオルをかけておけ。水分は十分取っているのだろうな?」
 あれこれと世話を焼くフォルクス・カーネリア(ふぉるくす・かーねりあ)に大丈夫だと答えた後、樹はそういえば、と付け加える。
「水分はともかく、なんかお腹空いたかも……何か軽い食事とカキ氷でも買って来ようか」
 ついでにちょっと波打ち際を歩いてみたいから、と立ち上がりかけた樹を、フォルクスが慌てて止める。
「待て、樹。買い物なら我が行ってやる。夏場は服の上からでも赤くなることがあるだろう」
「んー、確かにあんまり日焼けとかするとまずいけど……波打ち際経由で行って帰ってもせいぜい10分くらいだろ。帽子もかぶってくし、大丈夫だって」
 せっかく海に来たのだから、少しくらい波にも触りたい。逃げるように出かけようとした樹だったけれど、それを逃すフォルクスではない。
「分かった。どうしてもと言うなら、もう一度日焼け止めを塗り直して行け」
「むぅ」
 樹は唸ったけれど、それくらいならと思い直す。
「じゃ、日焼け止め貸して」
「……そこに座れ。我が塗ってやる」
「や、自分で塗るから」
「ならぬ。樹に任せるといい加減に塗りかねん」
「自分で塗るってば」
「我が塗る」
「自分で塗るって言ってるだろ!」
「我に塗らせろ!」
 日焼け止めを奪い合う樹とフォルクスをどこか楽しげに見ていたショコラッテ・ブラウニー(しょこらって・ぶらうにー)は、ぼそりと呟いた。
「……喧嘩するほど仲がいい」
 その声に樹とフォルクスは顔を見合わせる。
「……分かったよ。じゃあ服で隠れてないとこだけな」
 折れたのは樹の方だった。
「うむ、ひとまず腕を貸せ」
 樹の白い七部袖パーカーの腕をまくりあげ、フォルクスは丁寧に日焼け止めを塗っていった。腕が終わると今度は、裾をまくった薄手のジーンズから覗いている足。
「ああ、そういえば首元が一番危ないな」
「ちょっと待て、首は……うあー! くすぐったいだろ、馬鹿!」
 じたばたと暴れる樹をフォルクスは押さえつけ、均等に日焼け止めを塗布しようと懸命だ。
 ようやく塗り終えると、樹はビーチサンダルをつっかけ、大きな麦藁帽子をかぶった。
「樹兄さん、私も一緒に行く」
 それまで2人のやり取りを見守っていたショコラッテが、緑のリボンのついた麦藁帽子を手に立ち上がった。
「うん。じゃあ一緒に行こう」
「なるべく早く戻れ」
 飲み物の準備をしながらまだ注意をしているフォルクスの耳に、ショコラッテは口を近づける。
「寄り道しないように見張っておくから、安心して」
「ああ頼んだぞ」
 荷物番にフォルクスを残すと、樹とショコラッテは波打ち際を歩いて行った。
「やっぱり定番は焼きそばとカキ氷かな。ショコラちゃんは何食べたい?」
 樹に聞かれ、風にあおられる白いワンピースの裾を気にしながらショコラッテは答える。
「私は何でも。あまり買い過ぎるとフォル兄が、お腹壊すって言うかも」
 打ち寄せる波を足下に心地よく感じながら、2人は浜茶屋へと向かうのだった。
 
 
 ジャリ。
 浜辺の砂を踏みつける鋲一杯のロンドンブーツ。
 ヘビメタ衣装に白塗り悪魔メイクの仏滅 サンダー明彦(ぶつめつ・さんだーあきひこ)は、熱いビートをエレキサウンドで刻んだ。
 ビーチに本物のロックを響かせてやるぜと乗り込んできたのだが、ヘビメタ衣装と真夏の海の相性は当然良くない。
「あ、あぢぃ〜」
 倒れこむように浜茶屋『海桐花』に入ると、カキ氷を注文した。
「清景、おまえも食うか?」
 平 清景(たいらの・きよかげ)に勧めている時には明彦にも余裕があったのだけれど。
 冷たいカキ氷で生き返り、さあいよいよビーチに乗り込もうという段になって、明彦は腰のチェーンを手に硬直した。先についていたはずの財布が……無い。どこで落としたのかさえ憶えていない。
「それがしが探して来ても良いでござるが、こう広いビーチでは見つかるかどうか……」
 届出を待っても良いが、中身が無事戻ってくるなどという楽観的な考えは2人の頭には浮かばない。
「通常の浜茶屋なら、店員をぶっ飛ばして食い逃げすればいいでござるが……この店、やたらと契約者が多いでござる」
「……こうなったら、カキ氷出せなくなるまで食い尽くして、因縁つけるしかねぇ! おう、カキ氷おかわりだ!」
 迷案を思いついた明彦は、次から次へとカキ氷を注文してはかき込んでいった。けれど、注文しても注文しても、カキ氷はどんどん出てくる。身体はすっかり冷えてきたのに、明彦の額には汗がびっしり。
「……なかなか……氷がなくならねぇ……な……うっ」
 明彦は腹を押さえてうめく。
「……俺の腹ギターが重低音のブラストビートを奏でているぜ……」
「あ、明彦殿……ここは謝って皿洗いでもした方が……」
「何杯食ったと思うんだ……今更んなこと言っても……イチゴ、もう一杯……おかわり、だっ!」
 ひるむ心を励ましながら、明彦はカキ氷の器をつき出した。
 その食べっぷりに、大食い大会でもしているのかと、ギャラリーが増えてくる。
「すげぇ。これで何杯目だ?」
 そんなんじゃないのに……と思いつつも、難癖をつけるためだとも言えない。
「お待たせしました。……もうこれくらいにしておかないと、身体を壊しますわよ」
 いくら何でもいきすぎだから止めてやってくれと、源太に頼まれてやってきた琴子がイチゴのカキ氷を置きながら忠告した。押しに負けて手伝ってはいるけれど、琴子の格好はワンピース水着に長いパレオ、浜茶屋のエプロンに薄手のカーディガンを羽織っている為、全く水着エプロンらしくはない。
「な、んだと……? まさかもう……氷がないってんじゃ……」
「いいえ。氷はまだ沢山ありますし、足りなくなれば氷術を使える人もいますから」
「そん……な……」
 がくり。明彦の心が折れる音がした。そしてまた別の音も。
 明彦は白塗りの顔を青くし、浮かせ腰で静かに立ち上がった。
「皆さんに悲しいお知らせがあります……私のお尻が非常に残念なことになってしまいました……」
「あ、明彦殿の地獄の門が開いてしまったでござる!」
 これはまずいと、清景は明彦を連れ、海に逃亡しようとした。
「どこに行かれるつもりですの?」
「う、海に……」
「いけませんわ」
 ぴしゃり、と琴子の手が明彦にかけていた清景の手をはたいた。
「お腹を冷やしているのに、海だなんてとんでもありませんわ。こっちにいらっしゃい。――石島さん、裏をお借りいたしますわね」
「え……? い、いや、それは……」
 抵抗しようにも腹に力が入らず、明彦は琴子に引っ張られるようにして連れていかれた。ざわざわと、客たちが明彦を指差して囁きかわす。
「……いっそ海に逃げ込ませてもらった方が目立たずにすんだでござろうに……」
 不憫なり……と清景は、せめて明彦が少しでも皆の視線から隠れるようにと、両手を広げてかばいつつ付き添うのだった。