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第12章 太陽がいっぱい

 珊瑚礁を越え、網を越えてからさらに1キロほど離れた外海。
 急速に深みを増して、エメラルドグリーンから真青な海に変化したそこでは、巨タコ討伐隊が勢揃いしていた。
「さて。それでぇ? どうするよ、隊長さん」
 地獄の天使で黒翼を生やして飛んでいる遙遠に、同じように浮遊しながら月谷 要(つきたに・かなめ)が、退屈から、少々挑発的に訊いた。
 要自身に空を飛ぶスキルはない。彼と、彼のパートナールーフェリア・ティンダロス(るーふぇりあ・てぃんだろす)が浮いていられるのは、岩場にいる霧島 悠美香(きりしま・ゆみか)のサイコキネシスのおかげだった。精神感応を用いて要が悠美香に指示を出し、それに悠美香が従う。ルーフェリアは精神感応が使えなかったが「とにかく巨タコが出たら突っ込ませてくれ」と指示済みだ。
「シラギさんの話だと巨タコが現れるのは確実なんだろうけど、ここで何時間も待機っていうのはナシにしてほしいんだがなぁ」
 海面からのギラギラ強い照り返しに目を眇める。やっぱりゴーグルを持ってきておいた方がよかったかもしれない。視界を遮る邪魔と、タオル共々悠美香に預けてしまったのが少し悔やまれた。
「野生動物をおびき寄せるには、いつだって囮が必要です」
 遙遠に代わり、答えたのは下のルイだった。浜から軽身功によって水走りしてきた彼は、同じく軽身功の使える赤城 長門(あかぎ・ながと)、唯斗と共に海上に立っている。
「私がその役を引き受けましょう」
「おう。オレもやるんじゃ」
 意気込むように、両拳をガツンと打ち合わせる。
 そのまま海面をすべるように走り出した2人をなんとはなしに見ていて、要はふと妙案を思いついた。
「なぁ。それじゃあ影になる面積が少なくねーかぁ?」
 要の言葉に、2人が足を止める。
「もっとタコに分かるように、影を増やした方がいいぜ」
「なるほど。それはよい意見ですね」
「アメンボみたいに両手と膝をついて、なるべく手足を開き気味。首をのけぞらせて、猫のポー……ズ…?」
 2人が要の言葉に従順に応じてくれたまでは良かったのだが。
 青い空、輝く海を背景にシンメトリーに同じポーズをとった赤ふんどしとレザーパンツの筋肉マン2人は、どう見てもデキの悪いそっち系雑誌のピンナップのようだった。
「――それで一体何がしたかったのさ」
 呆れを通り越した感情のない声で遙遠が言う。
「いや、その……もうちょっと…。オレが狙ったのはプレイ――」
 答えている途中で突然、何の前触れもなく要は浮遊力を失って落下した。
 ザブン! と全身が海中に沈む。
(なっ、何だ悠美香? 何があった?)
『囮です、要』
 精神感応で、淡々と悠美香が答える。
『水棲生物は、水面に落ちて暴れるエサの振動をキャッチします』
 その手があったか! と思ったのもつかの間。
「ち、ちょっと待てっ! かぼっ……お、オレは……がぼがぼがぼっ……」
『盛大に溺れてみせてください。そぉいっ!』
 悠美香は、首を伸びきらせてようやく息ができるかできないかの位置で要を固定していた。溺れたフリをさせるにしても、要自身に任せればいいのだが……ようはそこまで悠美香は要の演技力を買っていないのだろう。
「そうか、ああやれば…。
 おいジュバル、おまえも手伝え。カナヅチのおまえなら本物だからなっ、いい囮になるぞ!」
 しかも、外見カモノハシだし。
 ゴムボートの亮司が、興奮気味に提案した。泳げないジュバルはヒャッと恐怖の声を上げ、ぶんぶん首を振って、目をギラギラさせて自分を見ている亮司からできるだけ離れようと試みる。しかし所詮は4人乗りのゴムボートだった。しかも海の上では逃げ場なし。
「いっ、嫌だ、やらんっ、我はやらんからなっ」
「ここへは泳ぎの練習にきたんだろ。これはスパルタ教育といって、ちゃんとした教育方法なんだ。昔から日本にある伝統的な教育方法だから大丈夫! なぁに、死にもの狂いになりゃ、何だってできるさ。サバンナの獅子はわが子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってきたものだけを育てると言うしっ!
 それっ、ドーンッ!」
「あの広大な草原のどこに谷があるーーーーっ!」
 絶叫しながら、ジュバルは頭から海に突っ込んでいった。
「がーぼがぼがぼがぼっ……がぼっ……がぼぼぼぼぼぼっ!」
 訳:お、重いっ! 着ぐるみが水吸って、これじゃ生きた棺桶だーっっ!
 ジュバルは1分ともたず力尽き、両手を上に上げた体勢のまま、ゆらゆらと水底に向かって沈んでいった。
「……やばいんじゃないですか、あれ」
 誠一、オフィーリア、セラを珊瑚礁で降ろした際、入れ替わりに舟に乗せてもらっていた朔が呟く。
「なんだ? 亮司のやつ、ヘラヘラ笑って見ているだけだぞ」
「そっちはあとだ! 早く助けに行かないと!」
 パーカーや帽子をそれぞれ脱いで、飛び込もうとするクレーメックと正悟。
 しかしそのとき、まるで台風か津波かといわんばかりの大波が次々と起きて、2人はボートの中を転がった。
「掴まってください!」
 横波を受けすぎたら転覆だ。いち早くオールを掴んだ朔が、船体を波に対して最も抵抗の少ない角度にもっていく。
 波は、まるでジュバルが沈んだ海中から生まれるように、次々と現れては周囲に広がった。
「来るよ、みんな用心して」
 一体いつからそうだったのか。巨大な黒い影がどんどん浮かび上がってくるのを見ながら、遙遠が言う。
 その影――巨タコは、海上に立っていた唯斗たちを渦に巻き込み、ゴムボートをはるか沖に押し流して完全浮上した。


 最初、それは風にしか感じられなかった。
 圧力を伴った、巨大な風。
 かすめるように横を通り抜けられても、何の反応もできなかった。
 当たらなかったのは運がよかっただけだ。
「これが、巨タコ…?」
 そう呟きながら、ルーフェリアは自分のすぐ横に伸びたタコの太い触腕を見た。両手を回して抱きついても、指先は触れもしないだろう。そして無数についた吸盤は、ルーフェリアの顔より大きい。
「15メートルどころじゃないだろ、これ。足だけでもそれぐらいあるぞ? あんなものに吸いつかれたら、たまったもんじゃないな…」
「げほっ、がはっ、げほげほげほっ」
 お役免除でやっと海の中から引き上げてもらえた要が、大きく咳き込んで海水を吐き出しながら何か言おうとしている。
「げほっ、がほがぼっ、がっ」
「こいつとやり合えるのか。たまんねぇなぁ、要?」
「がほげほっげげっがはっ……ごほっ」
 訳:いいからスプレッドカーネイジだ、ルーフェリア。
「あー、うるさいっ」
 ぽかっ。軽くはたいてから、ルーフェリアは要に強化光条兵器の散弾銃・スプレッドカーネイジを渡した。そして自身は光条兵器・パイルバンカーを握りしめる。
「ククッ。待ってろよぉ、タコ刺しにしてわさびと醤油で食ってやるからなぁ」
「……オレ、もうかなり体力失ってる気がするぞ」
 溺れた人間はそういうものなのだ。一度悠美香とはとことん話し合う必要がありそうだ、と思いながら、要は大きく深呼吸する。
 そのひと息で、戦闘モードに切り替えた。
「やるか」


 巨タコ浮上の余波は、少なからず珊瑚礁の方にも影響は出ていた。
 水しぶきが雨のように降って、中程度の荒れた波が幾つも幾つも打ち寄せてくる。
 内海でタコ捕獲をしていた面々は、海面から顔を上げて、沖の方で見える巨タコの姿に目をこらした。


 氷術を施していた珊瑚礁の上に丸まって、波に流されそうになるのを阻止していたセラは、ようやく平常に戻ったと判断して体を起こした。
 いよいよ始まったのだ。
「ルイ……無事かなぁ…」
 あそこにルイがいる、そう思うと、なんだか胸がギューッとして、落ち着かなくなる。
 一緒に行けばよかったかと、また思った。何度考えても仕方ない。あそこでできることよりずっと、ここでできることの方がセラにはたくさんあるんだから。
「セラ、急ごう。結構近いぞ」
 オフィーリアの呼び声に「うん」と返事を返して、セラは再び珊瑚礁に氷術をかけ始めた。
(ルイ、頑張ってね。セラも頑張るからね)


「……っけよーなぁ…」
 同じく、珊瑚礁の上でそれを見ていたウィルネストは、全身に広がっていく、沸き立つような高揚感を楽しみながら呟いた。
(あれ、焼いたらほんと、うまそーだよなぁー! 海辺でバーベキューとか、マジいいよなぁ!)
 地獄の天使の翼を広げ、魚取り用の棒付き網を手に舞い上がる。太ももまであるパーカーをパタパタなびかせながら、ウィルネストは飛んで行った。


「あっ! あれを見てくださいな!」
 舟上で滞空していたクリストバル ヴァルナ(くりすとばる・う゛ぁるな)がはるか上空を指差した。
 海上に突き出た6本の触腕のうちの1本に、ジュバルの姿があった。海苔巻きの具のように触腕に巻き込まれ、ぐったり――というか、ぐっしょりというか――していて、ぴくりとも動かない。ゆる族なので、動いてくれない以上外見では生きているかどうか皆目判断がつかなかった。
「ジュバルーっ、おーい、ジュバルーっ。生きてるかー?」
「返事してくださーい」
「じゅーばーるーっっ」
 口々にジュバルを呼ぶ。自分の名前に反応してか、ピクピクッと足ヒレが動いた。
「生きてる!」
 わっと歓声に沸く。
「よし! みんな、ジュバルを助け出すんだ!」
 おお、と全員がそれぞれの武器を構える。
「みんな、ちぃと待ってけーの!」
 巨タコを背中に庇って、長門が間に立ちふさがった。
「のう、攻撃するんは、ちぃと待ってくれんじゃろーか? こいつじゃって、何も悪気があってしよったんとちごうかもしれんけぇの。なんでもやっつけりゃーええっちゅうことはないと思うんじゃ。あらましなやつじゃけっど、きっとこいつじゃって、ちゃーんと話せば分かるけぇ!」
 タコ人魚の称号を持つ長門には、問答無用的にタコは全て善良な存在なのだろう。
 真剣な表情で立つ長門の横顔に、ピシャッと水鉄砲の水がかけられた。
「タコとどうやって会話するってんだよ、バーカ。おまえ、タコ語話せんのかぁ?」
 隠れ身を使い、海中を潜って近づいていた壮太だった。彼は、砂浜で集合しているときにぶつぶつ呟いていた友人・長門の計画を耳にして、それを阻止すべくここまでやって来ていたのだ。
 ピシュッピシュッ。100円ショップで買ってきた緑の水鉄砲で、長門の顔を狙い撃つ。
「やっ、やめっ。なんじゃあそれぇ?」
「おまえの計画に水をさす。なんちて」
「壮太ァ!」
「うるせーっ! オレだってあったまきてんだよ! おまえがこんなアホウな計画たてたりしなかったら、オレは今ごろ浜でカキ氷屋台出店計画をシラギさんと話し合えてたんだ! おまえ赤城のくせして、オレの儲け話の邪魔すんじゃねーよ! この脳みそまで筋肉の露出狂め!」
 他人には何がなんだかよく分からない理屈だったが、壮太本人にはちゃんと筋の通った話らしい。ようは、友の愚行を見過ごせなかったのだろう。だがそれが相手に通じている気配は、残念ながら微塵もなかった。
「ぐぬぬぬぬぅっ! 壮太、きさまーっ! たいがいにせーよ、わりゃあ! ようも言うてはいけんことをっ」
 ピシャッ、ピシャッ。水鉄砲でさらに挑発する。2人とも、そこが巨タコのまん前であることをすっかり忘れきっていた。
「どぅわっ……わぶぶぶぶぶっ」
「ぅおおおおおっ?」
 突然下から現れた触腕が壮太を弾き飛ばし、長門の足にするすると巻きついていく。コスコスと股間をこすって上半身に巻きついていく触腕の先端部に、緊迫していた長門の顔はうっとり笑み崩れた。
「ああっ、冷たいヌルヌルが巻きついて、これはこれで気持ちイイかも…」
 へ、変態だ。
 変態がいる。
 触腕が巻きついた瞬間、長門救助に乗り出そうとしていた全員の動きがピタリと止まった。
 ――アレを救助して、何かメリットはあるか?
 ――ノー!
 ――アレは助けてもらいたがってるか?
 ――いやちっとも!
 だれが口にすることもなかったが、全員の思惑はこのとき完全に一致した。
「よし! みんな、ジュバルを助け出すんだ!」
 おお、と喚声を上げ、先までの数分間を完全抹消する。
 時間を消滅させる力を持つ者はだれ1人存在しなかったが、この場にいる全員がそれを望めば、その時間は存在しなかったことになるのだ。
 不幸なのは、とばっちりで出番をなかったことにされた壮太だった。
 幸い彼はどこかに流されて、今ここにはいない。もともといなかったことにするのは簡単だ。
 長門自身が標的の1つにグルグル巻きにされているのは困ったちゃんだが、あれも視界に入れさえしなければ、とりあえず自分をごまかせるだろう。
 それでよし、と納得しかかったとき。
「うおおおぉぉぉぉおおおおおぉぉおぉぉぉおおおおっっ!
 そこのタぁコぉ! おふたりを放しなさーい!」
 鬼神のごとき面相で水しぶきを上げながら海面を疾走してきた芦原 郁乃(あはら・いくの)が、長門をコスっている触腕に飛び蹴りを放ち、全員の努力を灰燼に帰した。
 だが郁乃を責めることはできない。彼女は、みんながイチャコラしている浜で1人沖を睨みながら、ひたっすらこの機会をずーーーーっと待っていたのだ。
「おまえが…! おまえが沖でのびのびしてるのが悪いんだぁぁぁぁ!!!」
 私がそのタマとったるぅぅぅぅ!!
 タコが浮上した瞬間、郁乃はバーストダッシュで浜を飛び出した。珊瑚礁を一気にクリアし、2キロ近くを疾走し、ヒロイックアサルト強化の飛び蹴りをヒットさせたのだ。
 この瞬間、彼女のエクスタシーは最頂点に達していた。
「とうっ!」
 触腕を駆け上がり、大きくジャンプ。ムーンサルトを繰り出す。
「わたしの足が真っ赤に燃えるぅっ! 幸せ掴めと轟き叫ぶっ!!(メッチャぱくりやん、とつっこまないでね(はぁと)
 くらえぃ! わがひっっっさつの究極奥義! スーパーエクストラスペシャルハイキーーーーーーック!!!!」
 ……さっきのヒロイックアサルト強化飛び蹴りと同じやん、なんて言わないの。
「キャーーーーーーーーーッハッハッハッ!!!! このクソタコがぁ! 人間さまをナメんじゃねーってのよッ!」
「……彼女、オカシイよね?」
「え? あれが素じゃなかったっけ?」
 高笑いして、タコの頭に何度も蹴りを繰り出している郁乃。しかし彼女は全く気づいていなかったが、最初の2発以降はひたすらバヨヨ〜ン、バヨヨ〜ン、と揺れるだけで、ただのトランポリン状態だった。
 さすがにタコもうっとうしくなったのか、触腕でペシッとはたく。次の瞬間、彼女は残像も残さずこの場から消えていた。
 ヒューーーーン、と元来た道を、今度は飛んで帰りながら郁乃は思った。
(やったわ。やり遂げたわ。真っ白く燃え尽きることができたのよ)
 彼女は内海まで飛ばされ、タコの海に落ちた。それでも満足だった。