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第11章 内海に死す

「タコ焼きの準備をしてきて、本当によかったですね、エクス姉さん」
 紫月 睡蓮(しづき・すいれん)はキャベツを適度な大きさに切りながら、隣で小麦粉をこねているエクス・シュペルティア(えくす・しゅぺるてぃあ)に話しかけた。
 包丁で手を切ってしまわないように注意しながら、ゆっくり丁寧に調理する。
「まったくじゃ。唯斗の先見の明とでも言うのかの。「海辺で食べるなら、絶対タコ焼きだろ」などと言い出したときには困ったやつと思うたが、こうしてみるとピッタリじゃ」
 準備済みのタコ焼き用鉄型、鰹節、ネギ、青海苔、オタフクソース、マヨネーズを見ながら言う。これを持ってきていたのはエクスたちだけで、それが、ちょっぴり誇らしい。
「さて。準備はできた。あとは大タコ焼きの材料を持ってくる唯斗を待つのみじゃ」
「それなんですけど、エクス姉さん」
「うん? なんじゃ?」
「私、さっきのシラギさんのお話を聞いてて思ったんですけど、タコせんべいなんてどうでしょう?」
「なんと」
 タコせんべい。それは以前、一度だけ食したことがある日本のおかしだった。唯斗が帰郷した友人から土産に貰って、それを3人で分けて食べたのだ。あの、小タコを閉じ込めた薄いせんべいの味は絶品だった。
「あれを作るのか?」
 睡蓮は興奮に目をキラキラさせて頷いた。
「作っておいて、戻ってくる唯斗兄さんを驚かせてやりましょう!」
 実は、睡蓮は唯斗からタコ焼きの話を聞いたときから、ひそかにそれができないかと思っていたのだ。だからプレス用の鉄板は用意済みだった。小さい物しか用意できず、1枚ずつしか焼けないが、それで十分。
「それは良い考えじゃ」
「じゃあ私、タコを分けてもらってきますね」
 睡蓮は容器を持って、意気揚々右の岩場へと走り出した。


 睡蓮の向かった先、岩崖の上では、パーカーに照り返し避けのサングラス、帽子を被った国頭 武尊(くにがみ・たける)が下の内海に向かって釣り糸を垂らしていた。
 もとから泳ぐ気はなく、釣り目当てで来ていた彼は、タコ捕獲や討伐による周囲の喧騒など物ともせずに予定通り釣りにいそしんでいる。
 近くには、火術で焼いて食べたらしい火の跡が残っていた。
「国頭さん、釣れますか?」
「よぉ、睡蓮ちゃん。どうした」
 葦原明倫館のスク水はかなり奇抜というか過激なデザインだったのだが、さすがに13歳は守備範囲外と、スク水姿で近付いてくる睡蓮にはパンツ番長の異名を誇る武尊のパンツレーダーも反応しない。
「小さなタコをお持ちでしたら分けていただきたいんですけど」
「タコならそこのボックスに入ってるからどれでも持って行きな。なんなら全部でもいいぜ」
 武尊が指した小さめのクーラーボックスを押し開ける。そこには、氷水に浸かった大小いろいろなタコが十数匹入っていた。
「はー……すごい。これ、全部釣られたんですね」
「ああ。だけどもう終わりだな。エサのカニが無くなった」
「やめられるんですか? じゃあうちに来ませんか? これからタコせんべいとタコ焼きを作るんです」
「そりゃうまそうだ。……よっと」
 ひゅっと竿がしなる音がして、小さなタコが吊り上げられる。
「うわぁすごい。……あれ? でもこれ、エサ食べてないですよね?」
 釣り針は、タコの足に刺さっていた。絡み付いて抵抗しようとするタコからそれを器用に抜き取って、ポイッとクーラーボックスに放り込む。タコは氷水の冷たさに、手足を縮めて動かなくなった。
「引っかけ釣りだよ。いっぱいいるから、入れただけでよく引っかかる」
 というのはいささか言いすぎだった。海の中で自在に動く小さな存在を、そう都合よく引っ掛けたりはできない。実際は、スナイプとシャープシューターを連動させて、釣り上げているのだ。
「すごいですねぇ」
(釣りに来られてて、ここだったら外海の方で釣ることができるのに、ちゃんと内海のタコを釣られてるんだもの。やっぱり国頭さんっていい人だなぁ)
 睡蓮が尊敬の眼差しで武尊を見たとき。
「おーっと、大物がかかったぞ!」
 喜び勇んで武尊がリールを巻き上げ始める。竿、糸、釣り針。その先にぶら下がっていたのはしかしタコにあらず、なぜかブラだった。
「やった! 紫だ!」
 快哉を叫ぶ武尊。
「……は?」
 たしかに紫色のブラではあるが…。
 意味が分からないでいる睡蓮の前で釣り針からブラを外した武尊は、いそいそとそれを睡蓮とは逆の方に置く。武尊の体の陰になって今まで見えなかったそこには、なんと白、白、赤、オレンジのブラ――そしてなぜか「るしふぁー」と名前の入った運動会風ネームタグ――が釣果とばかりに並んでいた。
「あ、あの、武尊さん? これは…」
「不可抗力、不可抗力。かかっちまうもんはしゃーねぇよなぁ」
 スナイプやシャープシューターを使っているくせに、何を言わんやである。
 ヒュッと風を切って、針が次の獲物に向かって飛ぶ。そのとき。
「国頭武尊……きさまっ…」
 激怒したガートルードが手で胸を庇いながら立っていた。
 彼女はブラを取られた他の女の子たちとは違い、海の中にしゃがんで隠そうとはしなかった。武尊の仕業と分か5った瞬間、武尊抹殺のためにここまで駆け上ってきたのだ。
 同じくブラを取られたシルヴェスターが後ろについていたが、こちらは見られても全然平気らしく、ガートルードのように手で隠したりはしていない。かといって、憤激したガートルードをとりなそうとするわけでもなく、あくまでガートルードを追ってきたにすぎないようだ。
「ふっ、不可抗力だ、不可抗力」
 ガートルードから放たれる殺気に圧倒され、これはやばいと膝立ちになる。
 説得は通じない。次の攻撃を避けきれなかったら、確実に殺られる。
 その直感を裏付けるように、パリパリ、とガートルードの握り拳に静電気の青白い光が走る。そこで高まりつつある力はかなり強力な雷撃だ。
(ブ……ブラだ。こいつのブラを囮にして、隙をついて逃げれば――)
 そう思い、さっき釣り上げたばかりの背後のブラに目を走らせる。
 だが次の瞬間視界を掠めたものに、武尊のパンツレーダーがレッドゾーンまで針を振り切った。
 竿を伝った魚信(?)に、反射的に引き上げた針先に引っかかっていたのはまぎれもなくパンツ! 邪魔なパレオが付いていたが、間違いなくオレンジ花柄のパンツだったのだ!
 下では、俯いてタコを捕獲していたリンがパレオごとビキニパンツを剥ぎ取られたショックに、声もなく海の中に座り込んでいた。
「大丈夫か、リンッ! 今助けに行くからなッ」
 と、鼻息荒く近付こうとする馨に、ハッと正気に返ったリンが手近なタコを投げつける。
 そんな天地をひっくり返したような大騒ぎも、武尊の耳には届いていなかった。
 今にも外れそうに不安定に揺れていたパンツが、はらりと落ちた瞬間。
「パンツーーーーッ!」
 パンツ番長・武尊は跳んだ。
 下がタコの海であることも、崖の高さも、目には入っておらず。ただただ、花柄オレンジのパンツのみがこのときの彼の全てだった。
「死ね! 女の敵! 天のいかづち120パーセントぉーッ!」
 目の前をひらひら落ちていくパンツに少しでも近付こうと空中を平泳ぎしていた武尊の尻に、ガートルードの放った天のいかづちが直撃する。
「はぐおおおぉぉっ!! 尻っ、尻の穴が裂け…ッ」
 尻に手をあて、悶絶しながら武尊はタコの海へとまっすぐ落ちていき…………派手な水しぶきを上げて海面に激突したのだった。

 この後しばらく、彼はヂヌシになったのだ、とかなんとか、まことしやかな噂が流れたとか流れないとか…。