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蝉時雨の夜に

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蝉時雨の夜に

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「……ちっ」
 ヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)は、落ち着かなげに舌打ちを零した。
 正面から迫る槍の穂先を鉤爪で辛うじて受け流し、サイコキネシスによって背後から迫る礫を間一髪で回避する。反撃に移る隙もなく立て続けに襲い掛かる攻撃に、ヴァルは攻撃の糸口を見出せずにいた。
 否、彼の動きがどこか鈍いのはそれだけが原因ではなかった。
「どうにも天…どうにもよ、背中がスースーしやがる……」
 背後を窺ったところで、迫るのは礫のみ。そこを守る筈のキリカ・キリルク(きりか・きりるく)は、今まさに彼の正面で槍を振るっていた。
 脳内から聞こえてきたキリカの声に、相対する彼が偽物である事は分かった。しかし、だからといって初撃で受けた動揺が消える事は無かった。そんな自分の精神状態に、ヴァルは重ねて動揺を覚える。
(この俺とした事が、ここまでショックを受けるとはな……)
 内心でごちながら、それでも何とか偽物の攻撃を受け流すヴァルの頭に、ふとキリカの声が響く。
『お前の姿は帝王を侮辱している。“ボクのヴァル”の一撃は、そんな軽いモノじゃない。お前の存在を、ボクは一秒たりとも許容することはできない』
 冷め切ったキリカの声に、その確信を思い知る。それが重ねて、ヴァルの動揺を刺激した。攻撃に打って出る事の出来ないヴァルの心情は、しかし微かな息遣いからキリカへと伝わっていたらしい。
『帝王ともあろう者が、あんな見た目だけの偽物に心動かされないで下さい』
 姿は見えないものの、すっぱりと告げられるキリカの言葉。ぐっと言葉に詰まったヴァルの視界に、不意に不審な蝉の姿が映り込んだ。酷く場にそぐわない存在。それに気を引かれるまま、ヴァルは爪先を滑らせる。
 ブラインドナイブスの一撃は、浮かぶ蝉を真っ二つに引き裂いた。ぽとりと蝉が地に落ちると同時、正に槍を振り被っていた偽物の姿が、一瞬にして霧散する。
「……キリカ」
 思わず、と言った様子で、ヴァルは呟いた。『はい』と即座に返る返答を受けて、緩く頭を振る。
「いや。……ご苦労だった」
 ヴァルの発した労いの言葉に、キリカの指先から槍が滑り落ちた。心身を包み込む深い安堵に、自然と吐息が零れる。偽物と言えど主たるヴァルを攻撃したことへの負担、動揺。彼の眼には映らないと知りながら尚も押し込めていたそれらが、緩やかに解されていくような心地を、キリカは感じた。

 しかし、そんな彼らに安息の一時は訪れなかった。
「ディートさんと戦うなんて、私、できません!」
 悲痛な声を上げながら、伊礼 悠(いらい・ゆう)は偽物のパートナーから逃げる道を選んだ。周囲の様子を見ていた彼女は、目の前のディートハルト・ゾルガー(でぃーとはると・ぞるがー)が偽物である事は既に把握している。しかし純粋な恐怖に駆られ、彼女は逃走を選んだのだった。そんな彼女の脳内では、苦悩を滲ませたディートハルトの声が発される。
『悠と戦うなど考えたくはない、が……』
 ディートハルトは、エペを握る指先へ力を込める。彼女は逃げることを選び、彼は戦ってでも彼女を救うことを選んだ。迷うを断ち切るように上がるディートハルトの声が、悠の胸を打つ。
『戦わねば悠を救えぬというのなら……目の前のまやかしなど、切り捨てる!』
 彼の繰り出した刃は、間違いなく悠の偽物を捉えただろう。そんな確信が、悠にはあった。そんな彼女の視界に、正に一戦終えたばかりのヴァルの姿が映る。
「お願い、助けて下さい!」
 悠の叫びに、ヴァルはゆっくりと振り返る。すぐに彼女の置かれた状況を察したヴァルは、己を包む動揺を振り払うように首を振ると、爪を構えてしっかりと蝉の動きを見据える。
「逃げてばかりではいけないと思うんですけど、でも、私……、あっ……!」
 その直後、偽物の投げ付けたラウンドシールドが真っ直ぐに悠の後頭部を捉えた。困ったように言葉を発していた悠の双眸が緩やかに見開かれ、力を失った肢体が緩慢に崩れ落ちる。
 彼女が地面へ倒れ伏すか否かのタイミングで、その身体もまた輝く光の粒子へと変わっていく。舞い上がる煌めきを割って駆け抜けたヴァルの一撃が今度こそ偽物のディートハルトを捉え、混ざり合うように宙へと踊る光の粒を眺めながら、ヴァルは短く舌打ちを零した。


 終わるかと思われた悪夢は、しかしある種の作為が働いているかのように、次々と彼らの元を訪れる。


「お、っと」
 放たれた火術をひらりとかわし、椎堂 紗月(しどう・さつき)は困ったように足を進め続けた。「どうすっかなぁ」と呟きを零す間にも、偽物の魔法は容赦なく紗月を狙う。間一髪でそれを避けては駆け出し、悩みながら足を止め、を紗月は暫く繰り返していた。
(偽物っつっても、せーかに攻撃するのはなあ……)
 紗月の葛藤を知る筈もなく、偽物の攻撃は容赦なく続く。視界の端に避けるばかりの紗月の姿を認めたヴァルは、痺れを切らしたように声を上げた。
「パートナーを攻撃できんなら、蝉を倒せ! それで偽物は消える!」
「お、そうなのか? おーいせーか、ちょっと攻撃待ってくれー」
 その言葉に目を輝かせた紗月は、届く筈もない呼び掛けを発しながら、緩やかに拳を引いた。雷術がその腕を掠めるのも気に留めず、一瞬にして距離を詰める。
 素早く放たれた鳳凰の拳が小さな蝉の体をしかと捉え、ヴァルの言葉通りに掻き消える偽物の姿を眺める紗月の頭の中に、ふと小冊子 十二星華プロファイル(しょうさっし・じゅうにせいかぷろふぁいる)の声が響いた。
『こんなもの、偽者でしょう? わたくしの知っている本物の紗月はわたくしを……パートナーや仲間を本気で攻撃してきたりはしませんわ』
 彼女の言葉には、僅かな疑いも無かった。まさに己の偽物を躊躇い無く焼き払われている頃合いでありながら、紗月はどこか嬉しげに面持ちを緩める。そんな紗月を横目に、ヴァルは爪を構える腕へと力を込め直した。どうやら、騒動はまだまだ続くらしい。

「やめろ睡蓮、一体どうしたっていうんだっ!」
『……え? どういうこと?』
 脳裏に響くパートナーの声に、衛宮 睡蓮(えみや・すいれん)は思わず動きを止めた。その直後、不意の衝撃に身体が浮く。
『危ない!』
 尻もちを付いた彼女が先程まで立っていた場所を、太刀の一撃が貫いた。驚愕に言葉を無くした彼女へ、ディートハルトは立て続けに声を掛ける。
『逃げろ、それは偽物だ』
『偽物?』
 それを聞いた睡蓮の頭に、先程の困惑した春日 将人(かすが・まさと)の声が蘇った。彼もまた、偽物に襲われているのだろうか。ならばいったい、何故こんなことに?
 混乱した睡蓮の様子に眉を寄せ、ディートハルトは再びエペを抜いた。あれ以来声の聞こえない悠のことは酷く気掛かりではあったが、目の前の少女の事もまた気になった。放っておけば、このまま偽物に倒されてしまうだろう。
『蝉を倒せば偽物は消えるそうだ。宜しいか』
 偽物と言えど、パートナーの姿をしていることは確か。意志を確認するディートハルトの言葉に、睡蓮は躊躇いがちながらも頷いた。
『う、うん……将人! 蝉を倒して!』
「蝉を? ああ、分かった」
 切迫した睡蓮の声に、将人もまたその状況を察したらしい。睡蓮の姿をした偽物へ攻撃できずにいた彼は、素早く小太刀を抜くと、迷い無い刃で蝉を切り裂いた。消滅した偽の睡蓮を見届けるや否や、刃を手にしたままに彼は駆け出す。
「俺は他の人達に加勢してくる。睡蓮は、その人の元を離れないように」
 そう声を掛けた彼の視界には、苦戦する氷室 カイ(ひむろ・かい)の姿が映っていた。躊躇いがちに振るわれる刀を見るに、パートナーを攻撃する事に逡巡しているのだろうと分かる。
「助太刀するぞ、蝉を狙え!」
 カイへと呼び掛けながら、抜き放った太刀で彼のパートナーの偽物を牽制する。
(俺は、渚を守る……その為なら)
 偽物と知りながらも攻撃に踏み切れずにいたカイは、将人の指示に静かに首肯を返した。鋭さを増したようにさえ思える刃が煌めき、狂い無い一太刀が蝉を切り捨てる。
 同様に躊躇いを隠せずにいた雨宮 渚(あまみや・なぎさ)にも、睡蓮の助言が飛んでいた。渚の手により発された弾丸は正確に蝉を撃ち抜き、ほぼ同時に、彼と彼女の偽物は存在を失った。
『ありがとう、おかげで助かったわ』
 ほっと息を抜いた渚が静かに銃を下ろし、睡蓮へと微笑みかける。穏やかな団らんの訪れは、しかし一瞬のことに過ぎなかった。