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蝉時雨の夜に

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蝉時雨の夜に

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「偽物ってことは分かったけど……私には、できないよ……」
 セルシア・フォートゥナ(せるしあ・ふぉーとぅな)は、逃げ出した。まやかしのパートナーから、ひたすらに逃げた。
 周りの状況へ目を向けている時間を与えられたお陰で、現れたウィンディア・サダルファス(うぃんでぃあ・さだるふぁす)が偽物である事はすぐに理解出来た。しかし、そこまでだった。足が竦み、指が震え、恐怖に包まれた彼女は、偽物に背を向けると矢も楯も無く逃げ出したのだった。
「お願い、こないで……私一人じゃ、戦えないもん……」
 必死に逃げる彼女にも、しかしやがて限界が訪れる。上がった息、不意に現れる壁。進路を遮られた彼女は、否が応にも偽物と向き合う他に道が無かった。力無く首を振るセルシアの頭に、突然聞き慣れた声が響く。
『ルシア! 聞こえるか! オレは多分、そっちに行けない!』
 ウィンディアの声だった。焦燥を滲ませるそれに、彼が自分の身を案じてくれていることを、セルシアは悟った。
 そして同時に、彼は既に自分のまやかしを倒したのだろうと察する。足を引っ張ってしまう――暗い思いに囚われ掛けたセルシアの意識に、直後光が差し込んだ。
『戦うんだ! 勝てなくてもいい、蝉を倒せばオレの偽物も消えるはずだ!』
(……戦う?)
 ウィンディアの言葉は、沈み掛けたセルシアの意識を強く引き上げた。前を向いた彼女の視界に、佇む偽物の姿が映る。
(そうだ……守られるだけじゃなくて、私は私にできる事をしなくちゃ……)
「私だって、契約者なんだから……!」
 絞り出すような声と共に、セルシアは駆け出した。応援するウィンディアの声が、絶えず頭の中で彼女を支える。
 煙幕ファンデーションを振り撒きながら必死に近寄るセルシアに、不思議とまやかしは攻撃の仕草を見せなかった。そんな違和感に気を払う余裕もなく、そして技を使うだけの思考も回らず、セルシアは振り上げたフルートをまっすぐ蝉へ向けて振り下ろす。
 かつん、と軽い音がした。そうして地に落ちた蝉は、二度と動くこと無く姿を消す。まやかしのパートナーを伴って。



「分かるよ、これは偽物だって。私たちの関係は、もっともっと深いからね」
 真っ直ぐに偽物と対峙した霧雨 透乃(きりさめ・とうの)は、はっきりと言い放った。言い終えるよりも早く放たれた【アルティマ・トゥーレ】を寸でのところで回避し、斜めに走って距離を詰める。
 直ぐに軌道を読んだ偽物の闇術が透乃の身を包み、突然の吐き気に透乃はきつく眉を顰めた。しかし怯む暇は無い。一歩でも速く、踏み込まなければ勝機を逃がす。
『私にも、分かります……』
 緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)の同意が届き、透乃は満足げに口元を綻ばせた。既に偽物は圏内に入っている。
 拳を振り被り、透乃は爆炎波と共に勢い良く正面へと打ち出した。
 それと同時に、陽子の放つ凶刃の鎖が透乃の偽物を引き裂く。そしてこれまた同時に、二人の唇から溜息が漏れた。
「ふう……早く、本物の陽子ちゃんに触れたいな」
 下心無く発された透乃の呟きに、陽子もまた静かに頷きを落とした。
 そんな彼女たちから少し離れた所では、騒々しい程に活気の良い声が張り上げられている。
「はっ! なんだか知らねえが、ようやくその気になったみてぇだな。まあ御託はいらねえ。……“いつかの決着”、ここでつけてやらぁ!」
 白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)の雄たけびが上がり、振り抜かれた刀を松岡 徹雄(まつおか・てつお)の偽物は易々とそれを回避した。竜造の頭の中には、呆れたような徹雄の声が響く。
『……じゃあ遠慮なく殺しても?』
「殺してもいいかだって? あったりめえだろうが! むしろその気がねえならとっとと殺されろ!」
 威勢良く発される竜造の返答に、徹雄は小さく頷いた。素早く服を脱ぎ捨てると、携えたボストンバッグから取り出したガスマスク、ブラックコート、刀の一式を素早く身につける。その間、竜造の偽物は微動だにしなかった。
「はっはあ! ほら来いよ、こんなもんじゃねぇだろ?」
 接近したのを良い事に、四肢と刀を思うままに振るう竜造。楽しげな彼の声にも、今度は徹雄は何も言わなかった。それどころではない。徹雄は異様な格好へと着替えて以来、一言も発する事は無かった。
「ああくそ、邪魔くせえ! ……あ?」
 意気揚々と刀を振るう竜造は、ふと偽物の頭の横で滞空する蝉を一瞥すると、雑な動作で勢いよくそれを切り払った。途端に掻き消えてしまう偽物の姿に、きょとんと眼を丸める。
「……はぁ!? おいおいこれからだろ何勝手に消えてんだよ! ふざけてるんじゃねえよおらぁ! わけわかんねえぞ!」
 一拍置いて怒声を上げ始める徹雄は、振るう相手を失った刀をぶんぶんと振り回した。それとほぼ同時に、竜造の刃が偽物の首を真っ二つに切り落とす。躊躇いの無い一撃を受けた部分から霧散する体を、ガスマスクの奥の瞳が無感動に見詰めていた。

「い、い、いやあああああ!! 来ないでー!」
 悲鳴を上げながら機関銃を乱射するのは、白銀 司(しろがね・つかさ)。しかし彼女の銃口は本来向けられるべき偽物を向いておらず、揺れる蝉を真っ直ぐに撃ち抜いてしまう。
『おい、落ち着けって』
 一足先に偽物を片付けていたセアト・ウィンダリア(せあと・うぃんだりあ)の声も、今の彼女には届かなかった。それどころかまやかしの彼が消えた事にすら、彼女は気付いていないだろう。乱射を続ける司の耳には、けたたましい銃声ばかりが響き渡っていた。
「みんなゴメン!ちょっと気にしてる余裕ないんよ!」
 そして彼女のすぐ傍では、ミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)の容赦ないチェインスマイトが周囲の空間ごとまやかしを切り裂いていく。巻き込まれた生徒数人が消滅していく姿も目に留まらぬ様子で、暴走する二人の少女は攻撃を続けた。
「虫はいやー! 助けてー!」
 ずががががが。可愛らしい悲鳴とは裏腹に、凶悪な機関銃が火を噴き続ける。
「いしゅたんのホンキ、流石だね……」
 感慨深げに呟くミルディアもまた、絶えず槍を振るい続けた。魔力球を握り込み、力任せに殴り付けるイシュタン・ルンクァークォン(いしゅたん・るんかーこん)の戦い方を前に、押されつつある事も事実だった。
 イシュタンの傍らに浮かぶ蝉を目にした司が、真っ直ぐに銃口をそちらへ向ける。これは好機と、ミルディアは散弾銃の乱射がもたらしたイシュタンの隙を付くように勢い良く穂先を突き出した。貫いた部位から消滅していくイシュタンの姿にミルディアが嘆息を漏らすと同時、頭の中にイシュタンの声が響く。
『みるでぃってばいつもよかやるきじゃん!』
 そんな言葉と同時に、彼らの側でも戦闘が勃発した。所構わず飛び交うスキルの応酬に、セアトは表情を引き攣らせる。
『どいつもこいつも……っと?』
『嫌だ! 殺したくない!』
 そこに、更に駆け込む声があった。確固とした意志を帯びて発された言葉を聞き留めたセアトの片眉が上がり、ルーツ・アトマイス(るーつ・あとまいす)へと緩やかに視線を向ける。
「な、何言ってるの! っ、あ……!」
 銃弾が飛び交い、刃が舞う世界の側では、ルーツの返答に目を剥いた師王 アスカ(しおう・あすか)がまさに魔術の直撃をくらい、倒れ伏すところだった。ミルディアと司の視線が同時に彼女を向き、次いで彼女の首を絞める偽物のルーツへと移る。
「こんな、時に、彼の優しさとトラウマが災いする、なんて……!」
 もがくアスカは、しかし身動きが取れないまま、苦悶に表情を歪めた。そんな彼女の視線に、不意に一匹の蝉が飛び込む。震える指先でカーマインの銃口を持ち上げ、彼女は引き金を引き絞った。
 それと同時に、ルーツを狙う偽物の蝉を、セアトの放った破邪の刃が切り裂いた。同時に消えるまやかしに、アスカはやれやれと肩を竦めて立ち上がり、ルーツは心配そうにアスカの姿を探した。
「ありがとう。……ルーツ、あとでお説教ね」
『……我は絶対に、アスカを殺さない』
 ふるふると力強く首を振り、セアトの視線の先で、ルーツは躊躇い無く言い放った。