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第16章 放課後(3)

 犯人を追い詰めたという報に、バタバタと校長室を駆け出していく5人を見送る環菜。
「やれやれだわ。やっと初めて1人になれた」
 遠ざかる足音にほっとしたのもつかの間。
 閉じるドアから中に滑り込んできたのは、影野 陽太(かげの・ようた)だった。
 その決意を秘めた真正直な目に、環菜の胸のどこかがチクリと痛む。
「どうしたの? 何かあった?」
「いえ、あの…」
 いざ自分を前にしての、数瞬のためらい。こんな彼を、環菜はこれまで何度も目にしてきた。
「そこに立ってないで、窓を開けてもらえる?」
 椅子をくるりと回し、陽太に背を向けて窓の方を向く。環菜が立ち上がればすむことだったのだが、命令することになれた彼女は、そんなことはおかまいなしだ。
 命令された陽太の方も、することができたことにホッとして、窓を開けに彼女の横へ向かった。
「もうすっかり夕方の風だわ」
 夕日に赤く染まり始めた正門、校庭。帰宅する生徒たち。
「そうですね」
「昼間はあんなに暑いのに。もう9月なのね」
 そう言う環菜が、どこか寂しげに見えたのは、赤い太陽光のせいなのか。
 窓の外でなく、じっと自分を見つめている陽太に気づいて、環菜の視線もまた、彼を向いた。
 夕日に染まった茶色の瞳。そこに浮かぶ決意の強い光。
「かん――」
「あなたは行かないの?」
「えっ? ……ああ、犯人ですか? 見つかったそうですね」
「てっきりあなたのことだから「会長にあんなメールを送りつけた犯人はこの手で捕まえてみせる」とかなんとか言って、走るかと思ったわ」
 くすくすくす。
 その光景を想像して笑う環菜を見ながら、陽太は、そうかもしれない、と思った。
 そんなふうに走ったときもあった。
『環菜会長のために、全力で戦います!』
 命懸けで命令を遂行したときもある。
 でも今はもう、なぜか、そうして走ることが一番重要なことだとは思えなくなっていた。
「あなたにはメールはこなかったの?」
「きました。でも、他人からの命令で告白しても、あなたの心には届かないでしょう?」
 だから、じっと待っていたのだ。犯人が捕まるときを。
 だれの指図でもなく、陽太自身の意志でするのだと、環菜に知ってもらうために。
「環菜――」
「陽太」
「は、はい?」
 環菜の視線が陽太から、再び窓の外へ流れた。
「私はこの景色が好きよ。ここから見る夕日が好き。だからここに部屋を構えたの。この景色を存分に堪能するために」
「はい」
 何を伝えたいのか、その意を汲み取ろうとする陽太。
 その手に、環菜の手が触れた。
「あなたが何を言いたいか、私は知っている。あなたもまた、私が何を返すか、知っている。
 だから陽太、今は何も言わないで、一緒にこの景色を見ましょう。いつかこの記憶が、この景色を一緒に見たということが、もしかしたら私たちの力になるかもしれない。つらいとき、あなたの、私の、心の支えになるかもしれない。
 だから、今は何も言わないで」
 一緒にこの景色を見ましょう。
「――はい、環菜…」
 陽太はかみ締めるように頷く。
 僕は、世界で一番、あなたのことを愛しています。
 そう、言葉にすることは諦めて。陽太は黙って窓の外の景色に目を向けた。

「さっきはよくもやってくれたなキーック!」
「……くそっ!」
 踊り場へと追い詰められた犯人に、上で待ち構えていた壮太の怒りの蹴りが炸裂する。
「これで終わりだ」
 階段下に転げ落ち、床に叩きつけられた犯人に幻槍モノケロスを突きつけて、皐月は宣言した。
「おまえを環菜会長の元へ連れて行く」
「その前に、顔を拝ませてもらってはどうかしら? みんな、見たがってると思うわよ」
 美鈴が前へ進み出て、目出し帽に手を伸ばす。
「おやめなさい、美鈴。それは会長に譲るべきです」
「はい、マスター」
 翡翠の言葉に、しぶしぶ身を起こし、美鈴は元いた場所――翡翠の隣に戻る。
 はたして環菜が目出し帽を取り去ったとき、その下から現れたのは如月 正悟(きさらぎ・しょうご)だった。
「しょうごーっ???」
 目が飛び出さんばかりに見開いて、刀真が叫ぶ。
 後ろ手に縛られ、足首も縛られ、目出し帽まで取られては、もう観念するしかない。
 正悟は開き直ったように叫んだ。
「いいか、嘘つきをスマキにするのは当然なんだ! だが、最も許せんのはリア充! あれは爆発すべき者で、何を言おうが存在してはいけないんだ! だからハリセンでぶっ叩いたあとみんなスマキ!」
「正悟……おまえに一体何が…」
 たしか恋人できたんじゃなかったっけ? おまえ。それならおまえだってリア充だろうが。
 血走った目で「リア充死すべし!」「リア充爆発しろ!」と繰り返すばかりの正悟に、ついに環菜の雷が落ちた。
「おだまりなさい! この愚か者が!!」
 窓ガラスがビリビリと音を立てるほどの環菜の怒りに、場にいた全員が動きを止める。
 固唾を呑んで待つ皆の前で、パチンと指を鳴らした。
 朔と刀真、美羽が前に出る。
 犯人が見つかったときの処罰は、既に討議済みだった。
「なっ、なんだ? 何をするっ?」
 美羽が足の紐を切り、2人がサイドから正悟を立たせる。
「ちゃっちゃと歩くのよ、ホラっ」
 美羽がつんつん背中を突っついて、ドアへとせき立てた。
「会長っ、何をっ」
「あなたは全裸にされ、スマキにされ、為す術なく吊られそうになった秋葉さんや瀬島さんたち被害者の心身の痛みを知るべきよ。
 今から24時間、如月 正悟は全裸でスマキの刑に処します! 彼を助けようとした者はもれなく共犯者とみなし、同刑罰とする!
 言い訳は一切聞きません! ルミーナ、ただちに触書を作って全校に通達なさい!」
「分かりました」
「会長! 環菜会長っ? 俺は――」
「刑場まで、この神父がお供しましょう。さぁ、あなたの罪を数えなさい」
 ドアを開けて待つ来栖が、冷ややかに宣言した。

「やれやれだわ」
 どさっと椅子に崩れ落ちるように座る環菜。この数分間で、すっかり消耗してしまったらしい。
 部屋へ入った早々全員から距離を取り、隅の方に退いて全てを見ていた皐月は、この結末に違和感を覚えて仕方なかった。
 というか、正悟が犯人では無理な点がありすぎなのだ。
 だが。
(俺には関係ないな。環菜の口添えさえ手に入ればいいんだから)
 肩をすくめ、それ以上この事件について考えるのは打ち切って、皐月は環菜の元へ歩み寄った。