リアクション
第19章 夜(2)
地下の空調管理室は、ほとんどの場合、だれも足を踏み入れない無人の部屋だった。
管理といっても機関制御室のようなもので、動力となるエンジン5基と運転制御の機器がずらりと並んでいるだけで、実際の管理は上の階の第二空調管理室内にある動作状況表示機器を用い、管理人が日々の気温・湿度等によって微妙に調整している。
「だから、行方不明者を転がしておくのは至極簡単なんです。ね? 夜間管理人さん」
そう言ったのは、真人だった。
太い空調管に半分以上を占められ、人1人分が通る隙間しかない廊下をふさぐように真人は立っている。
地下に逃げ込んだ犯人の前に逃走路となるものはもはやなく、真人の後ろにはセルファ、アスカ、佑一たちが勢揃いしていて、例え真人をなんとか突破したとしても到底逃げられるわけもなく。
ここが、彼の最終到達地だった。
ガックリとうなだれ、うずくまった彼の足元に、彼が来たことを察知した猫たちがニーニー鳴きながら部屋から出てくる。
「ちっちっちっちっ」
セルファがそのうちの1匹を招き寄せ、抱き上げた。
「ん〜、ふわふわのもっふもふ。よく手入れされてるねー、きみは。気持ちい〜い」
「か……かわいい…」
ミシェルも自分の足元にすり寄ってきた子猫を抱き上げる。
「かわいいね、佑一さんっ。ボク、連れて帰りたくなっちゃう」
そう、ミシェルが言ったときだった。
「……あっ…」
クラッときて、思わずミシェルが声を上げる。セルファは声もなく、その場にうずくまった。
頭がグラグラして、立っていられない。でも気持ち悪いわけじゃなくて、むしろどちらかというと、反対。ふわふわして、なんだかすごく気持ちいい…。あっちに見えるのは……猫ふとん?
かわいいにゃんこたちがニーニー、ニーニー鳴いていて…………。
「あなた、おやめなさいなっ!」
鋭く声を発したのはアスカだった。
犯人の手元にある、小さな石。何の変哲もない、ただの小石にしか見えないそれが何なのか、知る者はこの場に彼女しかいなかった。
そして彼女がいたことが、彼らの幸運だった。
「それが彼に力を与えているんですわっ、彼から奪い取るのですっ」
アスカの声に反応して、真人が犯人の手から払い飛ばす。小石は音を立て部屋の中に転がり込んだ。
「これが例の小石ですか?」
真人は実物を見たことはなかったが、その不思議な小石の存在を話には聞いていた。
人の心の闇に囁き、そそのかす石。
「素手で触っては駄目よ、あなた。あなたもそれに支配されてしまいますわぁ」
「……セルファ、何か持っていますか?」
「んーとね、ハンカチとビニール袋でいいかな?」
セルファから手渡されたハンカチで、触れないよう気をつけて両側からはさむように持ち上げ、ふくらませたビニール袋に入れる。
「これについては環菜会長に判断を仰ぐことにしましょう」
コロコロ袋の中で転がる小石を見ていたとき。
カチリと安全装置のはずれる音がして、着ぐるみの頭に碧血のカーマインが押しつけられた。
「あなたはミシェルに害を為そうとした。今なら僕は、平気であなたが撃てます」
どこまで本気で、どこまでが脅しなのか。酷薄な目をして、佑一が呟く。
銃を持つ手を脇にそらして、真人が犯人のそばに膝をついた。
「今夜、なぜこんなことをしたんですか? あなたには、もうこんなことをする理由はなかったはずでしょう? 違いますか?」
「そうですわぁ。またスマキにされていたと聞いて、私ビックリしましたのよ〜?」
「お、俺は…」
ぽつりぽつり、犯人は話し始めた。
臨時の夜間管理人として働き出したころのこと。そのころは部活動に出てくる生徒たちとあいさつをかわしたり、ちょっとした言葉をかわすのが、ただ楽しかった。趣味が合ったり、気が合ったりする生徒たちも何人かできた。気になる女の子ができて、彼女への想いを自覚したときも、見ているだけでよかったのだ。
「「おはよう」って言ってくれるんだ。「朝、いつも学校をきれいにしてくれて、ありがとう」って」
登校する彼女と簡単な会話もかわすことができるようになって、満足していたのに。
「非番の日に友人たちと登山に出かけて、そこでその小石を拾ったというか……靴に紛れ込んでいたんだ」
それを捨てようと手にとって、それから何もかもが変わった。突然劇的に、というわけでなく、徐々に、少しずつ、我慢ができなくなっていったのだった。
ただ見ているだけは嫌だ、かわす言葉が少しだけなんて嫌だ、俺以外を見つめさせるなんて嫌だ。
「それで、告白しようと思ったんだけど、勇気がなくて…」
「あー、なんか、分かった。他人の告白に紛れてしまえばOKって思ったんだろ」
要の言葉に、犯人は小さく頷いた。
「それで失敗しても、無差別に送られたメールのせいにできるし」
つーか、失敗の可能性の方がかなり高いから、したってとこか。
「でも、いざ数人に送ると、怖くなって…。俺は生徒じゃないし。間違って届いたって言っても信じてもらえるか分からないし。もっと送っておいた方がいいかな、と思っているうちにどんどん日が経ってしまって…」
「俺様はあんたの友人じゃないが、届いていたぞ? どういうことだ?」
ヒューリが言わずもがなのことを言う。
「今日の分はあの偽犯人たちのせいで混乱しましたが、それ以前のものの大半は、メールのことを知った者たちのいたずらですよ。コピーして知り合いに送りつけていたんでしょう」
今日の昼休みのあの大騒ぎを思えば、全然あり得ないことじゃない。蒼学生はこういうお祭り騒ぎが大好きなのだ。
「ということは、あのメールは俺様の友人のイタズラの可能性が高いってことかっっ?」
(くっそー! だれだか知らないが、明日になったら捜し出してとっちめてやるッ)
「俺は、メールは、仲良くなった生徒か普段の会話からもれ聞いて分かった人にしか出してないです。ほかの人の告白が正しいかどうかなんて知らないし。
管理人の腕章を付けた俺は、朝以外、生徒にとっては空気と同じだから。庭や教室、廊下で掃除をしていてもあたりまえの光景で、意識して見る存在じゃない。だからみんな、恋話とか平気でぺらぺらしゃべってましたよ」
「……あのさ、管理人さん」
すっかりうなだれきった犯人の真正面に腰を落とし、彼が自分を見るまで待ってから、セルファはいつになく優しい声で語りかけた。
「スマキの男の子たちは知らないけどさ、行方不明になった女の子たちはね、あなたのこと恨んでるふうはなかったよ。犯人、あなたじゃないかって思ってたみたい」
猫の幻覚見て、猫まみれになるんだから分かりそうなものだけど。
「あたしから見ると、あの子たち、あなたのこと庇ってた。怖さもあったけど、でも、あなたのことが好きだから、だれにも言わなかったんだよ。
ねぇ管理人さん。あなたは空気じゃないよ。こんな石の力なんかなくたって、ちゃんと、みんなに感謝されて、思われてるよ」
「そりゃー、もうしないって約束は取ったけどさー。無罪放免っておかしくないかぁ?」
地下を出て、エントランスホールに続く廊下を歩きながら要が言う。
「実際スマキにされた生徒はいるんだしさ」
「でも心の傷にはなってませんでしたからね、全然。あいかわらずのおしゃべりでしたよ、彼ら」
「ふーん。そういうとこも見てたってことかねぇ?
……って、そーだ。なんでおまえ、もうしないって分かってたんだ?」
オレは、昼間あれだけ告白者がいたから1人ぐらいはだれかスマキになる者が出ると踏んで、張り込んでいたんだが?
くるっと振り向き、つきつけられた指を見て。
真人はにっこり笑った。
「それはナイショです」
「えーっ、真人ってば教えてよっ。ズルイ!」
「ずるいぞきさまーっ」
わしゃわしゃっと頭をかき回される真人たちに、上の階からルーフェリアたちが合流する。
大所帯になりながら外に向かう彼らの最後尾を歩いていたのは、アスカとルーツだった。
「それで」
「え? なんですの〜?」
「そろそろ教えてくれてもいいのではないか? アスカはなぜ分かったのだ? 犯人がもうスマキはやめると」
ルーツの問いに、アスカは足を止めた。
じっと彼を見つめる。互いに互いを見合う。
「……ルーツには、ちょっとまだまだみたいですわねぇ〜」
ため息をつき、首を振って歩き出すアスカに、ドスンッと大きな物体がぶつかってくる。
「俺様は? 俺様は分かるぞ、マイハニー〜〜! きみの考えることなら、すべて分かる! なんたって、運命の2人は心が通じ合ってるんだからなっ」
「あー、はいはい〜」
ぐきっと音がするくらい、ヒューリの顔を押しのけて、アスカはステップを踏む。
スケッチブックを開き、1枚取り出して、破いた。
(これは、きっと、知られないなら知られないままでいた方がいいことなんですわ)
1枚だけ、後ろを向いた猫の着ぐるみの丸い背中。それがだれの告白のときのものだったのか、なんていうのは。
「ふっふふーん。いつか〜違うみちを選ぶ〜そのときがきても〜変わらない〜♪」
スケッチブックを後ろ手に持って、アスカはエントランスルームを通って外に出て行った。
■エピローグ
朝が来た。
昨日までと違い、静かな蒼空学園の正門をくぐって部室へ向かう生徒たちのあいさつの声が聞こえる。いつもと違うのは、東校舎で吊るされたままの正悟の存在だけだ。
それ以外ではいつもの落ち着きを取り戻した校舎の校長室で、環菜は上がってきた報告書を読んでいた。
「では、昨夜で完全に決着がついたというわけね」
「はい。件の小石についてですが、今は完全密閉された容器に移して、厳重に保管しています。だれも触れることはできません」
その小石の正体が何なのか、突き止める必要はあったが、今は何の手立てもない以上封印しておくのが一番だろう。
「如月さんの扱いは、どうしましょう? もう全校に通達を出してしまっていますが…」
「なに? 私は何も間違ってはいないわよ?」
ためらうようなルミーナの声に環菜は走らせていたペンを止め、彼女を見る。
「彼は「秋葉さんや瀬島さんたち」を襲ったから、刑に服しているのよ」
「それはそうですが……メールの犯人は別でしたのに…」
「そちらは一切関係ないわ。そちらを罰するとしたら、私はあなたを罰しなくてはいけなくなるもの」
環菜の言葉に、サインの終わった書類をまとめていたルミーナの手がぴたりと止まる。
「何? 気付いていないとでも思っていたの?」
「……会長に見通せないものなど、何ひとつございませんわ」
笑顔のまま、ルミーナはゆっくりと首を振る。
「当然ね。
さあ、今日のミーティングスケジュールを教えてちょうだい。昨日の分をどこに突っ込んだの?」
「はい、会長」
椅子にかけ、泰然自若としている環菜の前で、ルミーナは1日のスケジュールを音読する。
開け放たれた窓の向こうからしているのは、あいさつしあう生徒たちの元気な声だけ。
蒼空学園のいつもの1日が始まった。
ご参加いただきました皆さん&ここまでお読みいただきました皆さん、ありがとうございました。寺岡です。
今回もまた、今までに勝るとも劣らないボリュームとなりました。実は、それを改善しようと頑張ったのですが、見事に失敗しました。
これからも多分、毎回これくらいのボリュームになるかと思います。読むの結構大変かと思います。先に謝っておきます。ごめんなさい。
今回「ラブラブがやりたい」「ラブラブが大好き」と書きまくったせいか、大変たくさんのラブラブアクションがいただけました。いろんなタイプの恋愛が書けて、書いている間中とても楽しかったです。ありがとうございます。
そして前回、気付いた方ばかりだったと思いますが、章タイトルで遊びました。
今回は、本文中でいろいろネタをちりばめてあります。はい、古いです。ほとんど昭和ネタばっかりです。
分かられた方はクスクス程度で構いませんので、笑っていただけたらなぁ、と思います。
それで、次回ですが、もう発表済みなのでお分かりかと思いますが、恋愛物です。
めちゃくちゃゴージャス&ロマンチックを目指したいと思います!
そして次々回について。
まだ全然イメージしかないのですが、過ぎゆく夏っぽいのができたらなぁ、と考えています。
こう、ほわほわ〜で、ぽやぽや〜で、ルンルンで、パパパパパ〜な(笑)
良かったらご参加ください。
ここまでご読了いただきまして、ありがとうございました。
次回はもう締め切り済みなのですが、そちらでもお会いできたらとてもうれしいです。
もちろん、まだ一度もお会いできていない方ともお会いできたらいいなぁ、と思っています。
それでは、また。